7話 保養地を作るわよ
山あいを抜ける風が、木々の葉を揺らしている。
今、私は――。
王都を抜け、さらに街道を進んだ先。私たちは山々に囲まれた場所へやって来ていた。
けれど、いつもなら目新しい景色に心を弾ませるところなのに、今日の私はどこか気が晴れなかった。どうしても、クラリッサのことが頭から離れない。
あれから、彼女からの連絡は一度もなかった。こちらから便りを送ることも考えた。けれど、無理に踏み込むことはできない。
リリィにも話したように、ダイエットは本人の意思が何より大切だ。他人が外から口を出したところで、どうにもならないこともある。
それに――。
「……余計なお世話を焼けば、かえってクラリッサを追い詰めてしまうかもしれないものね」
そう自分に言い聞かせながら、私は胸に残るわだかまりを抱えたまま、目の前の景色へ視線を移した。
「緑が多くて、のどかな場所だね」
カミルが辺りを見回しながら言う。
確かに王都の喧騒から離れたその景色には、時間さえもゆったりと流れているような趣がある。小鳥のさえずりが澄んだ空気の中に響き、遠くには山々が連なっていた。
「そうね、お天気もいいし……こんなところでピクニックしたら気持ちよさそうね、ふふ」
つい、笑い声が零れる。
もっとも、今日の目的はピクニックではなかった。新たな保養地を造るための候補地調査にこの地を訪れていた。
その構想のきっかけとなったのは、東方の国・ヒノモトで過ごした日々だった。
数ある文化の中でも、私の心を強く惹きつけたもの。それが、“温泉”だった。
湯船に足を踏み入れた瞬間、まず「熱い」と息を呑んだ。けれど肩まで身を沈めると、その熱さはいつしか心地よさに変わっていた。強張っていた肩や腰が、じんわりと緩んでいくのがわかる。気づけば、「はぁ~~、気持ちいい……」と長い息が漏れていた。日ごろの疲れだけではなく、張り詰めていた心までゆっくりと解きほぐされていくようだった。
あの心地よさは、とても贅沢だった。前世の日本にも温泉はあったが、この世界でも改めて浸かってみると、その有り難みが一層身に沁みた。人を健やかにし、明日への活力を与えてくれる。まさに癒やしの場所だった。
――リューベンハイト王国にも、こんな温泉があればいいのに。
ヒノモトから帰って来ても、その思いは私の胸に残り続けていた。だから私は決めたのだ。この王国にも、誰もが心からくつろげる温泉保養地を造ろうと。
それに何といっても、温泉はダイエットにも効果的だもの!
肌にもいいし、美容の味方である。
温泉は、身体を温め血行を促し、肌の調子を整える効果も期待できる。ダイエットや美容を広めてきた私にとって、これほど心強い味方はないだろう。
そこで私は各地へ調査員を派遣し、温泉の情報を集めてもらった。
湧出量は十分か。湯の温度や泉質はどうか。景観は美しいか。王都からのアクセスは良好か。それとも街道を新たに整備する必要があるのか。
そうして寄せられた数多くの報告書を比較した結果、最も有望だと判断した土地が、この場所だった。
「問題なさそうね。早速手配して、建設を進めましょう」
そう告げると、同行していた測量士や職人たちの表情が引き締まった。
「承知いたしました、エリザベート様」
責任者の男性が一礼し、抱えていた設計図の筒を大切そうに抱え直す。
私は改めて周囲を見渡した。
まだ何もない。あるのは豊かな自然と、この地に湧く温泉だけ。
けれど、ここに私の理想の保養地を立てるのだと思うとわくわくした。
「まずは街道の整備からかな」
カミルが地図を広げながら言った。
「ええ。せっかく素晴らしい温泉があっても、人を呼べなかったら意味がないものね」
話し始めると、次々と構想が浮かんでくる。
「そうね……。温泉は、この景色を楽しめるように配置したいわ」
「自然が綺麗な場所だからね」
「ええ。だから、露天風呂を作ろうと考えてるの。ヒノモトのように四季を感じられる庭園も造りたいわ。冬には雪景色を眺めながら、温泉に浸かれたら素敵だわ」
「雪を見ながら風呂か……。そんなこと、考えてもみなかったな」
私はさらに夢中で言葉を重ねた。
「それから、食事にもこだわりたいの。身体も心も綺麗になる場所にしたいわ!」
隣で聞いていたカミルが、くすりと笑った。
「もう完成図が頭の中にあるようだね」
「ええ! 止まらないわ!」
私もつられて笑ってしまう。
新しいことを始める時は、いつだって胸が高鳴る。
「温泉は美容だけではなく、健康にもいい。ヒノモトでは怪我や病気の療養の為に利用されていた。王国にもそういう場所が出来たら良いなと思っていたんだ」
「温泉に含まれる成分には色んな効用があるものね。特に筋肉や関節の慢性的な痛みを和らげたり、神経痛の症状を軽くしたりすると聞いたわ」
「ああ。それに、治療を終えた人が身体を休めたり、少しずつ体力を取り戻したりする場所としても役に立つだろう」
医師としてカミルの言葉には確かな説得力があった。
「……ますます、ここを造るのが楽しみになってきたわ」
「僕も保養地が出来るのが楽しみだよ」
まだ更地しかないというのに、私たちにはすでに多くの人々がこの地に訪れる光景が見えていた。
病を癒やすために訪れた人が元気を取り戻し、美しくなりたいと願う女性が自信を取り戻す。
そんな笑顔であふれる場所を、この王国に生み出したい。
私は拳をそっと握り締め、目の前に広がる土地を見据えた。
「さあ、この国で一番の保養地を造りましょう!」
私の声が青空へ響く。
その一言を合図にしたかのように、待機していた職人や測量士たちが一斉に動き始めた。
「杭はこちらへ!」
「まずは測量を進めるぞ!」
「資材の搬入経路も確認しておいてくれ!」
あちこちで威勢のいい声が飛び交い、静かだった山あいの土地に活気が満ちていく。
白い縄が張られ、測量用の杭が一本、また一本と打ち込まられた。
図面を広げる者、地盤を確かめる者、川の流れを調査する者。
こうして、王国初となる本格的な温泉リゾート計画はゆっくりと一歩を踏み出したのだった。
「エリザベート様ー!」
弾むような声が聞こえ、振り返る。
そこにはアメリアが両手を口元に添え、こちらへ向かって手を振っていた。
「お食事の用意ができましたので、お昼にいたしましょう!」
見ると、大きな樫の木の下には、いつの間にか敷き物が広げられていた。その上には木製の皿が並べられ、水差しや果物まで用意されている。
爽やかな風が木々の葉を揺らし、心地よい木漏れ日が芝生へまだら模様を描いていた。
「あら、ありがとう」
私はカミルと顔を見合わせ、小さく笑い合う。
「では、少し休憩にしましょうか」
「ええ。午後からも忙しくなりますからね」
二人並んで木陰へ向かうと、そこではリリィが行儀よく座って待っていた。
膝の上には、大切そうに抱えた大きな籠がある。
「料理人さんが、外でも食べやすいようにって、サンドイッチを作ってくださったんですよ!」
嬉しそうに蓋を開ける。
籠の中には、色鮮やかなサンドイッチがきれいに並べられていた。
中には、色鮮やかなサンドイッチがきれいに並んでいる。ハムと新鮮な野菜をたっぷり挟んだもの。香辛料で風味をつけた鶏肉とチーズを重ねたもの。
どれも彩り豊かで、見ているだけで食欲をそそられた。
「わあ……美味しそうね」
思わず声が漏れる。
「料理長も張り切っていましたよ。外で食べるなら、片手で食べられる料理が一番ですって」
リリィがくすくすと笑う。
私は一つ手に取り、ぱくりと頬張った。ふわりと柔らかなパンに、瑞々しい野菜の歯触りと鶏肉の旨味が重なって、口いっぱいに広がっていく。
「ん~、美味しい!」
思わず頬が緩んでしまう。
「ピクニックをするつもりはなかったのだけれど……」
私は周囲を見渡した。
木漏れ日が揺れ、小鳥がさえずり、爽やかな風が頬を撫でる。
遠くでは職人たちが忙しそうに働いているものの、この木陰だけは穏やかな時間が流れていた。
「やっぱり、こうして外で食べるのは特別感があるわね……」
「?」
リリィはきょとんと首を傾げる。
「ふふ、何でもないの」
私は笑いながらもう一口サンドイッチを頬張った。
「このサンドイッチとても美味しいわねって言ったの」
そう呟くと、カミルも穏やかに微笑み、同じようにサンドイッチへ手を伸ばした。
木漏れ日の下で過ごすひとときは、忙しい毎日の合間に訪れた、小さな贅沢だった。





