4話 クラリッサの場合
「……ここへ来れば、痩せられると聞いたのだけど」
伏せられた睫毛。不安に揺れる瞳。
ためらいがちに零されたその言葉には、“痩せなければならない”という焦燥が滲んでいる。
「子どもを産んでから体型が戻らなくて……主人にも、最近は冷たくされているのよ」
掠れた声に、私は静かに彼女を見つめる。
彼女――クラリッサ・エルンストは……。
かつて、ルチアの取り巻きとして私を嘲笑っていた令嬢のひとりだった。
私がまだ"悪役令嬢"と蔑まれていた頃、彼女は直接罵声を浴びせるようなことはしなかった。けれど、ルチアの言葉に同調して聞こえよがしに嫌味を口にしていた。
『エリザベート様は存在感がおありですもの。どこにいらしても、すぐ分かりますわね』
『ルチア様って、本当に守ってあげたくなる可憐さがありますわ。それに比べて……けれどお優しいから婚約をお続けになっているのよ、きっと』
扇子の陰で交わされる含み笑いも、あの冷ややかな視線も忘れたことはない。
けれど今。こうして不安げな眼差しで私を頼ってくる様子を見る限り、少なくとも彼女の中で、私への評価は大きく変わったのだろう。
そして、彼女自身も大きく変わった。
クラリッサは私より一足早く嫁ぎ、子を授かった。
婚前は細身だった彼女は、現在はふっくらとした体つきをしていた。産後太り――女性の身体に大きな変化をもたらすそれに、彼女は苦しめられているのだろう。
頬には疲労の色が滲み、ドレスを握りしめる指先には焦りが見える。
「痩せる努力をしてみたのだけど、なかなか上手くいかなくて……。そんな時、このサロンの噂を聞いたのよ」
きっと彼女なりに努力もしたはずだ。けれど、そう簡単に産後の身体が元へ戻ってはくれない。
食事の量を減らし、甘いものを我慢しても、減らない体重に自分を責めたのかもしれない。
私は小さく息を吐く。過去に彼女が私を嘲笑っていたからといって、冷たく突き放す気にはなれなかった。
太っていることで冷たくあしらわれる痛みを知っているからこそ。苦しみの中にいる人間を、そう簡単には見捨てられない。
「ええ。ここでは、ダイエットのお手伝いをしているわ」
私は穏やかに微笑みながら答えた。
その言葉に、クラリッサが恐る恐る顔を上げる。
「と言っても、ダイエットは魔法ではないの。身体に無理をさせず、食事や生活習慣を整えながら、少しずつ変えていくしかないのよ」
痩せることは、決して楽ではない。
この世界では、未だに“断食こそ最良の減量法”だと信じている者も多い。確かに、食べなければ体重は落ちるでしょう。けれど、急激な原料は必ず身体に負担をかける。健康に良くないし、断食は一生続けられるものではないから、リバウンドだってする。
だから必要なのは、極端な我慢ではなく、正しい知識なのよね。
食事の内容を見直し、適度に身体を動かし、生活習慣そのものを整えていく。地道ではあるけれど、それが結局、一番確実で健康的な方法なのよ。
そして当然、それには時間もかかる。
自分自身の身体と、根気強く向き合わなければならない。
「もちろん、本人の意志も欠かせないわ」
私はクラリッサを真っ直ぐ見つめた。
「どれほど助言しても、結局続けるのは本人自身だもの。やる気がなければ、ダイエットは続かないわ」
私はあえて、率直に告げた。
「だから、“絶対に痩せます”とは言えないわ」
甘い言葉で期待を煽ることは簡単だ。
けれど、それではあの怪しげな痩せ薬を売る者たちと変わらない。
「でも――あなたが自分の身体と向き合って、きちんと続ける覚悟があるのなら、きっと痩せれるわ」
私はまっすぐにクラリッサを見る。
「……」
クラリッサは視線をさまよわせ、唇をきゅっと結んだ。
その胸中で葛藤が渦巻いているようだった。やがて、小さく息を吐くと、彼女は覚悟を決めたように私の前で深く頭を下げた。
「……分かったわ。お願いよ、私にダイエットを教えてください」
***
だが――。
クラリッサのダイエットは、順調には進まなかった。
最初の頃、彼女は驚くほど熱心だった。
私たちが提案した食事内容を真面目に取り組み、軽い運動も欠かさず行っていたようだった。
助言通りに甘味も控え、毎日のように体重計へ乗り、一喜一憂していたほどだ。
だが、人の身体はそんなに単純ではない。
特に産後の女性の身体は、心身ともに大きな負担を抱えている。妊娠と出産による負担。慢性的な疲労。そして、ホルモンバランスの変化。
急激に変わった身体が、すぐ元通りにならないのは決して珍しいことではなかった。
「仕方ないわ。焦らず、少しずつ頑張っていきましょう」
私は何度もそう励ましたけれど、クラリッサは納得しなかった。
「……どうして?」
ある日のカウンセリングで、クラリッサは震える声を漏らした。
「こんなに頑張っているのに……全然、痩せないの……っ」
「そうね……」
私は記録帳へ視線を落とす。
もし本当に記録通りの生活を続けているのなら、そろそろ結果が出始めてもおかしくない頃だった。
だからこそ、慎重に確認する必要があった。
「……食事内容を記録してもらっているけれど、無意識のうちに量が増えてしまった可能性はないかしら?」
その瞬間、空気がぴたりと張りつめた。
クラリッサの表情が強張る。
「……私を疑っているの?」
「ち、違うわ。ただ、本人が自覚のないまま食べ過ぎてしまうこともあるから、念のために確認しておきたくて……」
「それって、疑ってるのと同じじゃない!」
彼女の声が鋭く響く。
クラリッサ自身、睨みつけているつもりなはないのだろう。けれど、その眼差しは刺すように険しかった。
まるで、“痩せられないのは、あなたのせいだ”と、そう責め立てているかのように。
「私は、エリザベート様の言う通りにしてるのに……。それなのに、痩せないなんて……可笑しいと思いません?」
私は返答に詰まった。確かにその通りだった。
だからこそ確認したかったのだけれど……。
「ごめんなさい、私の力が不足で……」
そう言うと、クラリッサは顔を上げた。その瞳にはうっすらと涙がにじんでいた。
「私は毎日必死なんです!」
ぽろり、と涙がこぼれる。
「食べたいものを我慢して、運動して、こんなに頑張っているのに……っ」
声が震える。
「なのに主人は、少しも私を見てくれない……!」
「クラリッサ……」
私は彼女の名前を呼んだ。
大分追い詰められてる様子のクラリッサに思わず提案をする。
「ねえ、クラリッサ。貴方には、まずは休息が必要じゃないかしら。焦りすぎると良くないわ……」
「休んでいる場合じゃないの!」
クラリッサの大きな声に私は肩をびくりと震わせた。悲鳴のようだった。
「侍女たちにも、“奥様は随分ふくよかになられた”って陰で笑われてる気がして……っ」
声が次第に掠れていく。
「だから、早く痩せないと……このままじゃ愛されなくなってしまう……!」
「ク、クラリッサ……」
「エリザベート様はいいですね。ダイエットを成功させて痩せることが出来たんですもの」
その言葉には羨望と嫉妬、そして何かがは入り混じっていた。
なにか言わなければいけないと思うのに、適切な言葉が見つからない。





