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25.ぬいぐるみとペンダント 前編

 エルマははっとした。慌てて周囲を見回し、状況を思い出そうとする。


 幸か不幸か、座り心地のよいソファに腰を下ろしていた。手にしていた扇子を危うく取り落とすところだったので、慌てて握り直す。


 傍らでは祖母が優雅に微笑みながら、何やら相づちを打っていた。相手は同年代のご婦人だ。


「――ええ、本当に素晴らしいこと」

「でしょう? 魔法伯夫人ならきっとわかってくださると思いました」


(お祖母さまのお相手は、確かご友人の先代子爵夫人だったかしら。今日のサロンの主催者で、今の子爵さまのお母さま――ああそうだ、ようやく思い出してきた)


 このところずっと、エルマはファントマジット家の話題の令嬢としての務めを果たしていた。

 晩餐会、昼食会、お茶会――この一週間なんて特に忙しくて、毎日一度は外で食べたり、お客様をもてなしたりしている気がする。


 正直、いかに評判を落とさないかに気を遣っている日々は、とても堪える。

 今日はサロン――知らない人を前に物を食べる必要がないと聞いて、正直ちょっとほっとしていた。


 その緊張の緩みが疲労を思い出させ、眠気を誘ったのだろう。

 座ったまま、美術品――何やら主催者お気に入りの画家が描いたという絵の説明を受けているこの状況も、ますますよくない。


(綺麗な物を見るのは嫌いではないし、色々なお話が聞けるのは楽しい、けど――)


「この部分の筆遣いがね、本当に素晴らしくて! さすが伯爵家のお血筋の方は多才でいらっしゃるわ、それにお優しくて。この絵もね、快く譲っていただきましたの――」


 エルマの記憶が正しければ、少なくとも三回はこのフレーズを聴いている。

 一体どんな人生経験を積んだら、ループする話題にいつまでも本気で楽しそうにうなずき続けられるのだろうか。若輩者はあくびをかみ殺すだけで精一杯だ。


(……でも、同じ話をユーグリークさまがしてくださるなら、むしろずっとお聞きしたいかも……)


 話には相変わらず集中できずにいるが、想像してみたら眠気はひとまず引っ込んだ。


 いまいちやる気が出てこない原因の一つは、率直に言ってユーグリーク不足である。


(あの舞踏会の日から結局、お互いに忙しくて……会えても家族交えて一緒に食事をする程度しか、顔を合わせられていないわ。ご褒美だって、まだ。ユーグリークさまは会いたい時にフォルトラに乗ればいいでしょうけど、わたしは?)


 しかもエルマの欲求不満が溜まる一方なのは、自分はお預け状態なのにスファルバーンはどうもちまちま会う機会があるらしい、ということだ。


 今日も一日なんとか体裁を取り繕えた、とげっそりして帰ってきたら、居間で彼が嬉しそうにユーグリークの荷物持ちの話をしている――ずるい! 変わってほしい! 荷物だったらエルマにも持てるのに!!


(こうなったら結局直接会いに行くか、手紙を出すしかないわ。でも、今のジェルマーヌ邸には公爵夫妻もいらっしゃる。いくらお屋敷の方々が優しいからといって、押しかけるのは駄目。手紙はジョルジーさんが管理していたはずだもの、わたしからとわかれば直接ユーグリークさまに届けてくれるかしら? でも、途中でご夫妻に検閲される可能性はゼロではないわ。だったらあまり大胆なことは綴らない方が――)


「――そうね。エルフェミアもそうでしょう?」

「…………。えっ?」


 悶々としていたエルマは、祖母に話題を振られ、目を点にした。

 一瞬頭が真っ白になるが、すぐ顔色も青くなる。


(まずい……ユーグリークさまといかに会うか考えるのに忙しくて、全く話を聞いていなかったわ!)


 しかしそこは鬼社交スケジュールの成果、今のエルマは意識の前に女の武装をまとうことができるのだ。要するに、心の中ではどんなにか焦っていても、見た目はちゃんと感じのいい笑みが浮かんでいるのである。……ちょっと心は痛むが。


「申し訳ございません、お話を聞いているうちに面白くて想像が膨らんでしまい、夢中になってしまいまして……」

「ま。エルフェミア様も? 私もね、芸術を目にするとこう、インスピレーションがかき立てられまして、情熱が――」

「ええ、そうでしょうとも、子爵夫人。それで、今度はご自慢のお庭を見せていただけるのでしょう? エルフェミアも是非見せていただきたいと」

「――――! はい、お祖母さま。わたくし、お庭に出てみたいです」

「あら、そう。そうでしたのよ! ご案内いたしますわ」


 なんとか主催に退屈を悟られずに済んだようだし、後は祖母がうまいこと引き取ってくれた。ちらっと目が合うと、苦笑いされてしまったが。


 ほ、とエルマは胸をなで下ろす。


(よかった、庭の散策ならうっかり眠気に倒れるようなこともないでしょうし……?)


 立ち上がった拍子、ふと視界の端を何かかすめた気がして振り返る。けれど今日は子爵家と魔法伯家の女性だけという、非常にこじんまりとした会だ。ほかに客はいない。


(……メイドか侍女の気配を感じたのかしら?)


 首を傾げつつ夫人達に続くエルマだったが、中庭に移動した後も、なんだかそわそわするような――誰かにじっと監視されているような感覚が抜けない。


 何度目か背後を振り返ったところで、赤色が逃げていくのをようやく捉えた。


 老女達の様子をうかがうと、今は庭の中央に立てられている像がいかに美男かで盛り上がっている。


 どんな想像よりも美しい男を知っているエルマとしては、残念ながら全く魅力のない話題である。


「わたくし、あちらの花を見させていただきますね!」


 一応声を掛けるとちらっと目が飛んできて、構わないと微笑まれる。

 子爵夫人の相手は百戦錬磨の祖母に任せ、エルマはキョロキョロ辺りを探し回る。


 まもなく、生け垣からはみ出ている赤色のスカートが目に入った。


 エルマは思わずくすりと笑い声を漏らしてしまう。


「かくれんぼしているの?」


 声を掛けると、応じるように――あるいは動揺したかのように、ゆさゆさと生け垣が揺れた。

 エルマはゆっくり近づいて、腰を下ろす。


「残念、見つけてしまったわ。お顔を見せてくださいな」


 少しの間があってから、ガサガサ音を立て、赤色ドレスの主が姿を現す。


 髪や服のそこかしこに葉っぱをたくさんくっつけたまま、おずおずとエルマを見上げたのは、小さく可愛らしい女の子だった。

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