26.ぬいぐるみとペンダント 後編
「初めまして。わたしはエルフェミア=ファントマジット。あなたのお名前は?」
にっこり微笑んで話しかけると、幼子はびくりと体を震わせる。八歳ぐらい、といったところだろうか。
ふわふわした巻き毛の髪は、苺色をしていた。所々たっぷりとレースのあしらわれたドレスも、濃いピンクの色を基調としている。
目立つ見た目に反して、性格は内気らしい。三角耳の動物のぬいぐるみをぎゅーっと抱え込んだまま、すっかり俯いてしまった。エルマは一度、少女の友達の方に視線を移す。
「可愛いキツネさん、こんにちは。今日はとてもいい天気ですね」
「……いぬ」
作戦はうまくいったようだ。小さくか細い声で、間違いが訂正される。反応が貰えて、エルマは微笑みを深めた。
「ワンちゃんだったのね、ごめんなさい。お名前はなんて言うの?」
「……ベステラ」
「そう。初めまして、ベステラ――さま。ご挨拶させていただけるかしら?」
エルマは女の子に合わせてしゃがみ込んでいる。
立っていたらいつも通りスカートをつまむなり膝を曲げるなりしただろうが、ここで一度立ち上がると小さな相手を怯えさせそうな気がして、そのまま片手を差し出した。
苺色の髪の幼子は、しばらくぬいぐるみを盾に、見知らぬ令嬢を吟味するように見上げていた。
どうやら無事、お眼鏡にかなったようだ。おずおずと、友達をエルマの方に差し出してくれる。
ぬいぐるみと握手を済ませたエルマは、その腕が心許なくぐらつくことに、すぐに気がつく。強く引っ張ったらすぐにでもちぎれてしまいそうだった。
それだけでなく、ぬいぐるみ全体がすっかり薄汚れており、あちこちほつれているようだ。
(きっとどこに行くにも、一緒に連れて行っているのね)
エルマは自分の手荷物を確認してから、再び幼子に話しかける。
「少しベステラさまを見せていただいてもよろしいでしょうか?」
「……なにをするの?」
「お力になれるかもしれません。ベステラさまは、腕が痛いのではないでしょうか」
幼子は警戒するような目になったが、エルマがぬいぐるみの“怪我”の具合を指摘すると、考え込むような色が宿る。
「エル……エルフェ……」
「エルフェミア=ファントマジット。でも長くて言いにくいですから、どうぞエルマとお呼びくださいませ」
「エルマ……ファントマ……お客さま……」
幼子はエルマが愛称の方を教えると、それ以外にも何事かぶつくさと口の中で繰り返している。
エルマは焦ることもなく、のんびりと答えを待った。
やがて苺色の髪の少女は、ぐっと両手を伸ばし、エルマの方にぬいぐるみを押しつけてくる。
「任せていただけるのですか?」
「…………」
こっくりと頷かれたのを見て、エルマは落とさないように注意して受け取る。
芝生の上に座り直し、改めて持ってきていた小道具入れから慣れ親しんだ裁縫道具を取り出した。
(良かった、ずっと持っていて)
エルフェミアになる前――エルマ=タルコーザだった時代からのお助け道具は、今ではすっかりお守り代わりになっていた。
ユーグリークのくれた婚約指輪と同様、お出かけ先には必ず持って行く。
(もう一度、まさか外で使うことになるとは、思っていなかったけれど)
「針を使います。危ないから、少し離れていただけますか?」
声を掛けると、幼子は頷き、とてとて歩いて行って少し離れた生け垣の側に腰を下ろした。
そのままじーっと、エルマに睨み付けんばかりの視線を送ってくる。
くすり、と笑い声を漏らしてから、エルマはじっとぬいぐるみを観察した。
すると、微かではあるが細い糸のようなものが見えてくる。
(加護の糸だ……このぬいぐるみは、どなたかがこの子のために、心を込めて作ったものなのね)
心がぽかぽかと温まるのと同時に、大事な物を任せてもらったのだ、という気持ちで身が引きしまる。
目に見える見た目の部分と、見えない部分。エルマが針を滑らせると、二つの穴が埋まっていく。
「…………!」
まもなく、エルマの平凡な焦げ茶の瞳がみるみる変わっていき、菫色の輝きを放ち始めた。それとほぼ同時に、エルマは無意識に鼻歌を口ずさんでいる。
幼子は驚いて立ち上がりそうになるが、体勢を崩してぽてっと尻餅をつき、そのままこぼれそうなほど大きく目を見開いてお客様の魔法に見入っていた。
「ファントマジットの、ひほう……」
エルマが指を滑らせるたびに、ぬいぐるみの周りにもきらりと光が現れる。
取れかけていた腕の応急処置をしただけだ、時間はそれほどかからなかっただろう。
気がつけば鼻歌は止んでおり、エルマはポーチの口を閉じる。
仕上がりと針の残りを念入りに確かめてから、幼子に大事なお友達を返した。
「はい。これでもう、大丈夫なはず」
「……すごい」
持ち主は感嘆の声を漏らした。今にも外れてしまいそうだった肩周りに不安がなくなっていたが、それだけではない。このところくたびれて元気がないように見えていた友達が、貰ったばかりの頃を思い出したように、きらきらと光り輝いて見えるのだ。
「気に入っていただけました?」
「……! ありがとう、エルマさま」
「どういたしまして」
話しかけられて我に返った幼子は慌てて礼を言い、もう一つ、自分がすっかり忘れていたことを思い出した。
ぬいぐるみを脇に抱え、ふらつきながら、スカートをつまむ。
「あたし、ルビーニア」
「ルビーニアさまと仰るのね。どうぞよろしくお願いいたします」
小さな子供の信頼を勝ち取ることに成功したエルマはニコニコしていたが、穴が開きそうな勢いでじーっと見つめられると、少々気まずくなってきた。
何かついているだろうか、と顔を触り始めた令嬢だが、幼子が見ていたのは目の色だ。少し前は神秘的に染まっていた瞳が、今やすっかりすっかりと元の焦げ茶に戻っている。
ルビーニアは抱え込んだぬいぐるみと一緒に首を傾げた。
「あのね。エルマさまは、すごいまほう使いさまなんでしょう?」
「……はい?」
「だって大おくさまが言っていたもの。今日はとくべつな人が来るのよ。それはもうおきれいな方で、こうきでたぐいまれな魔法使いさまなの――って」
「だ、誰の……それは誰のことを言っているのでしょうか……!?」
ぶわっ、とエルマは嫌な汗が吹き出しつつあるのを感じていた。
加護戻しは希有な魔法と聞いているから、その点については肯定できなくもない。
が、それ以外の全てが過大評価だと思う。やっぱり舞踏会で目立ちすぎたのだろうか。悪評でないのは救いだが、これはこれで辛い。幼子の無邪気な声で語られると余計に。
「エルマさまのことでしょう? あたしの会った女の人の中で二番目にきれいだし、ベステラに魔法をかけてくれたもの。お目々がむらさき色になるのも、大おくさまやほかの大人が言っていたとおりだったわ」
(……わたしの噂はともかく、そもそも大奥さま、って……先代子爵夫人のことかしら。だとしたら、この子は一体……)
エルマが少し考えている間に、ルビーニアはベステラをひっくり返し、何かごそごそといじり始めていた。
ぬいぐるみの背中にはボタンがついていたが、どうもそれを外し、中から何か取り出しているようだ。
「……これは?」
小さな握り拳が突き出されたので慌てて受け取ってみれば、鎖のついた銀色の飾りが両手の中に落とされる。
どうやらネックレス――それもチャームが開閉式になっている、ロケットペンダントのようだ。
「それ。エルマさまなら、なおせる?」
ルビーニアは上目遣いに聞いてくる。エルマはじっと目を細めてから、困ったように眉を下げた。
「……チャームが開かなくなっている、ということでしょうか」
「そう」
「開け方がわからない、ということではなく?」
「ちがうの。あたしね、たぶん、だんなさまが――」
「ルビーニアさま、どちらにいらっしゃいますか!」
甲高い女性の声が響き渡り、はっとエルマも幼子も顔を上げた。
ルビーニアは言葉を切ると、背中を向け、パタパタ走って行ってしまう。
エルマの手には、渡されたロケットペンダントがまだあるのに。
「あ、お待ちを――」
「開けられたら、教えてちょうだい――大おくさまとだんなさまには、ないしょにしてね!」
そのまま女の子は姿を消してしまった。
途方に暮れかけたエルマだが、人が近づいてくる気配に慌ててペンダントをポーチの中に押し込む。
「あら、エルフェミア様。こちらに小さい女の子がいませんでした? 赤い髪の子なんですけれど」
まもなく屋敷の主が祖母を伴って姿を見せた。その後ろには、メイド達が控えている。
「少し前までここにいらっしゃったのですけれど、走って行ってしまいました」
「まあ! あの子ったら、何か失礼をしませんでした?」
「いいえ。とてもいい子で、お友達のベステラともお話しをさせていただきました」
エルマが答えると、子爵家の女達は驚いたように目を見張り、お互いの顔を見合わせた。
「エルフェミアさまは、子供のお相手も上手なのね」
「ええと……」
「子爵夫人。今日はとても充実した時間を過ごさせていただきました。もう大分日も傾いてきましたし、そろそろお暇いたしませんと」
「まあまあ、そうだったかしら! 嫌ねえ、楽しい時はすぐに過ぎてしまうもの――」
祖母に応じる子爵夫人の姿に、エルマは思わずほっと胸をなで下ろしていた。
しかしまだ、ポーチの中には持たされてしまったペンダントが残っている。
(――大おくさまとだんなさまには、ないしょにしてね!)
だが、幼子の別れ際の言葉が思い出されると、その場で子爵夫人に渡すのもためらわれて――結局エルマは曰くありげな幼児からの依頼品を、持って帰ることになってしまった。




