24.招待状と機会
(ど、どうしてこんなことに……!)
溢れんばかりの手紙の群れを見つめながら、エルマは冷や汗をかいていた。
代筆業を営んでいた父だって、ここまで多くの紙に埋もれていたことはなかったはずだ。
より分けと開封作業をしている執事とメイドは無表情であるが、先代魔法伯夫人と魔法伯当主は随分と明るい雰囲気で会話に花を咲かせていた。
「ま、これはジェスコット卿だわ。デビューの日も真っ先に挨拶に来たけれど、相変わらずせっかちな方だこと」
「こちらはアグレータ夫人だ。宝石の売り込みかな?」
「彼女は魔法伯領というより、閣下狙いでしょうね」
「ああ……ご本人は物欲とかけ離れていそうだからな、エルフェミアのおねだり待ちというわけか。結婚指輪でも提案してくるつもりなのだろうか?」
「ティアラかもしれないわよ。それか……靴かも」
「はあ、靴ですか」
「大事よ、靴は。あなたも横着せずにお手入れなさいね。足下お留守は思わぬ事故の元ですから」
「お、お祖母さま、伯父さま……?」
エルマが笑い声を立てている保護者達に恐る恐る声を掛けてみれば、ファントマジット親子は顔を見合わせてから、にっこりと笑いかけてくる。
「エルフェミアは、どれが面白そうだと思う? 誰か気になった人でも、内容でもいいよ。ほら、知らない人との晩餐会だのサロンだのは気が重いだろうが――この珍魚展なんかどうだろう、魚がたくさん見られるよ!」
「トーラス、それはあなたが行きたいだけでしょう。そうやってすぐ魚に釣られないの。息子達ならともかく、エルフェミアは女の子なのよ」
「そういうのはよくありませんよ、母さん。エルフェミアだって魚が大好きかもしれないじゃないですか」
「そうなの?」
「ええっと……」
伯父の期待たっぷりなキラキラ顔を向けられると非常に申し訳ないのだが、珍魚展という言葉に無関心までは行かないものの、そこまで心引かれるわけでもない。
苦笑のみで「行きたい」とまでは言わない姪の様子に、魔法伯当主はしょんぼりした。その横で、祖母がこほんと咳払いする。
「もちろん、全部突っぱねてもいいのよ。その程度で下がる評判ではないもの」
「いえ、あの……えっと……」
この所、ファントマジット魔法伯家には、ありとあらゆる招待状が送られてきている。
こうしてより分けて開封しているだけで、それなりの時間を必要とする程だ。
エルマもいくつか見せてもらったのだが、正直に言うと困惑が一番大きい。
例の社交界デビューで散々悪目立ちをした自覚はある。あれで注目を集めない方がおかしい。
ヴァーリス、ガリュースとのあれこれは成り行き上仕方なかったと言え、ユーグリークを煽っての退場はどう考えてもやり過ぎだった。
帰りの馬車まで大胆にかつ紳士的に送り届けてくれたユーグリークが、エルマの唇に人差し指を当てて何と言ったのか。
『今日はもう、俺の我慢が利きそうにないから……ご褒美はまた今度だ』
(あああああ、わたしのばか、わたしのばかーっ!!)
あの時、うっとりぽーっと頷くのみだった自分が、ただただ憎らしく恥ずかしい。
舞踏会の夜であれば、のぼせ上がっていたからなんとかなったかもしれないが、素面の状態で魔性の男の“ご褒美”なんか受けたら、どうなってしまうのか。
期待しかない。違う。不安しかない。早速頭が混乱しているようだ。
「た、大変だね、エルフェミア……」
エルマが顔を覆って羞恥に悶えていると、招待状の山に苦悶しているのだろうと思ったのだろうか、横から従兄弟のスファルバーンが声を掛けてきた。すると叔父がため息を吐き、顔を上げる。
「何を他人事のように言っているんだ、スファル。お前にも届いているぞ」
「…………え?」
「さっきからあなたの前に積み上げているでしょう?」
エルマがちらりと視線を流すと、エルマ程ではないにしろ、スファルバーンの前にも確かに手紙がいくつか積まれている。
分別している作業の様子は見えていても、自分用が存在していたとは露ほども思っていなかったらしい従兄弟は、固まった後カタカタと震えだした。
「オ、オレ……? え、じょ、じょじょ冗談だよね、と、父さん……?」
「冗談なものか。お前はエルフェミアと二曲踊った男なんだぞ? 注目されるのも当然だ」
「申し訳ございません、スファルバーンさま……巻き込んでしまったようで」
「あ、ああ……そうか、エ、エルフェミア。うん、そそそれなら、納得……」
自分の問題に巻き込んだ形になったのかと恐縮したエルマだが、かえって従兄弟は安心したようだった。
とは言え、去年は一度も淑女をダンスに誘えなかったと聞いている従兄弟のこと、自分に招待が来るという経験はエルマ同様未知のものらしい。
おっかなびっくり封筒を手に取ってみている孫に、祖母がそうそう、と思い出したように声を上げた。
「確か、閣下からも来ていたはずよ」
「か、閣下から!?」
途端、スファルバーンは慌てて手紙をかき分け始めた。
勢いのあまりくしゃくしゃにしてしまいそうになり、皺をパンパン叩いて伸ばした。
心配そうな表情にはすぐ安堵と喜びが混ざり、彼は下手くそに口角を上げ、じっと文面に魅入っている。
「ユーグリークさまから、スファルバーンさまに……?」
「そう。あの晩から随分と気に掛けてくださっているみたいなの。本当に、ありがたいことね」
祖母はニコニコしているし、エルマとしても、従兄弟を執拗に目の敵にされると心苦しかったから、仲良くしてくれるならたぶんありがたいことのはずだ。
が、どうにもなんだろう、このモヤモヤ感。
スファルバーンがユーグリークに非常に懐いている様子なのも、手放しに喜べない気がする、というか。
(確か公爵家としての晩餐会の招待状もあったけれど……それだけ? わたしに個人的なことってないのかしら、ユーグリークさま……)
エルマは自分でもわからない感情に悶々とし、スファルバーンは何度か文面を確認してから大事そうに胸元に抱いている。
いつの間にか手元の手紙から息子の方に目線を移していた魔法伯当主が、静かに問いかけた。
「スファル、閣下からは何と?」
「え、ええと……その、今度出かけるから、一緒に来ないか、というようなことを……」
その瞬間、祖母と伯父がはっとしたように顔を見合わせた。
魔法伯家の当主は、すうっと大きく息を吸ってから息子に澄んだ眼差しを向ける。
「是非、お受けしなさい、スファル」
「え。ええ、で、でも――」
「もう小さな頃と違って、咳を心配する必要もない」
「だ、だけど、と、父さん――オレなんか、無理だよ。にに、兄さんなら、ともかく、お、お喋りも、できないし――」
「そう、私は――私も、ずっとそう思っていた。お前は咳がよく出る幼子だったし、生きてさえいてくれればいい、と。ベレルは幸い、私に似て健康でなんでもできる子だから、当主らしい、男らしいことは兄さんが全部すればいい、と――」
急に緊張を帯びたような空気に変わって戸惑っていたエルマは、伯父の言葉にはっと目を見開いた。
ひ弱で、生きているだけでいいと言われた男――冬が来るごとに咳をしていて、最後には真っ赤な血を吐いて倒れたその姿。
そして、もう一人の従兄弟が吐き捨てた言葉。
『アーレス、アーレス――またアーレスバーン、反吐が出る! この家は一体いつまで死んだ人間を中心に回っているつもりなんだ? 跡継ぎでもない、義務を放棄した、ただの病人相手に!』
「――けれど私はそれを言い訳に、お前からあらゆる機会を奪っていたのではないか。できなくていい、は、お前はできない子だという、呪いにはなっていなかったか?」
魔法伯当主の言葉に、エルマははっと回想から戻ってくる。スファルバーンは蒼白になって父を見つめ返していた。
(ああ、そういえば。ベレルバーンさまに比べて強い親近感を覚えていたのは――この人が、懐かしい人に似た、面影を宿していたからなのかしら)
「お前が今のままの方がいい、と言うのなら、無理にとは言わない。今までやるなと言っていたものを、今度は無理矢理やれと言うのも理不尽だろう。だが、お前がやってみたいと少しでも考えているのなら、お前自身がつかみ取った機会なんだ――お受けしなさい。どうであれ、貴重な経験になるだろう」
スファルバーンが黙っていたのは少しの時間だった。
彼は受け取った文を見つめながら、隠しきれない喜びをずっと顔に浮かべていた。
であれば、答えは決まっていたはずだ。
「う、受けてみます……行ってみたい」
「……よし」
ほっと息を吐く従兄弟と、表情を綻ばせる伯父。
二人の姿を見ていて、エルフェミアも目が覚めた思いだった。
(そうだ。わたしだって……ユーグリークさまのお手紙一つ来ないことを気にして、立ち止まってばかりではいられない。恵まれた環境に甘んじてばかりではいけないわ)
エルマは社交界デビューで、率直に言えば過剰な評価を受けている。
ありのままの平凡なエルマを知られ、評判を落とすようなことになれば、自分だけでなく周りにも――ユーグリークの印象まで下げてしまう。
けれど、だからといって逃げ回っていていいものか。
どのみち公爵夫人ともなれば、式典への参加、有力者との交流など避けては通れない。
秘匿しようとしたって、きっとどこかで真実が暴かれる日はやってくる。
エルマが平民出身なことなんて、既に皆知っていることなのだし。
(協力者を、頼れる人を、いざという時助けを求められる人を増やし、注意しなければいけない人を知っておく――それが社交、貴族の仕事)
エルマは知っている。エルマがこうして手紙のことだけを考えられるように、汗水垂らして働いている人達の存在を。
自分に今求められているのは、同じような労働をすることではなく、彼らの日々を少しでも楽にするための機会を、繋がりを得る、維持することなのだと。
(貴人の身分に驕った人間がどうなるか――ゼーデン=タルコーザの顛末を、わたしはもう既に知っている)
何より、気弱な従兄弟が新たな一歩を踏み出そうとしているのに、自分だけ尻込みしているわけにもいかないではないか。
「お祖母さま。わたし、まずはお祖母さまのお知り合いの方のご招待からお受けしてみようかと思うのですが――」
エルマが自分の意見を言えば、祖母は快く相談に応じ、ファントマジット家の計画が賑やかに決まっていくのであった。
おまけ~大体ユーグリークがコミュ障なのが悪い~
(でもやっぱりスファルバーンさまには個人的なお手紙を下さるのに、わたしには家としての手紙しか来ないなんて……)
(いえ、けして蔑ろにされているわけではないわ。会食の機会だってあるし、何よりわたしはご褒美のお約束だってしているのだもの。新年の日みたいに、直接会いに来てくださるのかも。きっとそう!)
(こんなこと考えるなんていけないこと。我儘を言うものではないわ、エルフェミア。与えられることが当たり前のほしがりさんになっては駄目)
(……でも、やっぱりお手紙の一つぐらいくれたって……スファルバーンさまには送るのに、わたしには何も……何もないの……?)
(いえ、こんなに悩むなら、もういっそわたしから書いてしまえばいいのでは? ああでも、こういうことって女性からってはしたないのかしら)
(でもでも、わたしもお手紙がほしい……ユーグリークさまのお手紙がほしい……!)
(な、なななんか……エ、エルフェミアから、すす、すごく睨まれている気がする……)




