埋まらない空白欄
下駄箱を出ると、結菜はまだ少し先で待っていた。夕方の空気は昼間よりいくらか涼しく、下校中の生徒たちの声が校庭の方から流れてくる。
「遅い」
「点呼の癖で、鞄の中身つい確認しちゃうんだよ」
「几帳面すぎ」
「これでも短くしてる方」
そんな会話をしながら、二人で校門まで歩いた。校庭では運動部がまだ声を出して練習を続けていて、その掛け声が遠く聞こえてくる。途中、結菜が急に立ち止まって、道端に咲いている花を指差した。
「これ、なんて花だろ」
「知らない」
「深水くんでも知らないことあるんだ」
「植物は専門外」
「じゃあ何が専門?」
「段取りとチェックリスト」
「それ専門って言う?」
結菜はくすりと笑って、また歩き出した。特に用事があるわけでもなく、ただ同じ方向に帰る、という程度の時間だった。信号待ちの間、結菜は鞄の持ち手をいじりながら、ふと思い出したように言った。
「そういえば、明日提出物あったよね。写真台紙」
「まだ集まってない班、二つある」
「え、大丈夫なの」
「明日の朝までに催促する。多分間に合う」
「多分、って珍しいね。深水くんにしては」
「珍しくはない。予定より遅れてるのは事実だから」
「じゃあ、催促するの手伝おうか」
「別にいい、俺がやること」
「そう言うと思った」
結菜は肩をすくめて、それ以上は食い下がらなかった。信号が変わり、二人は横断歩道を渡った。校門を出たところで、結菜は「じゃあまた明日」と手を振り、反対方向へ歩いていった。俺はしばらくその背中を見送ってから、自分の帰り道へと向かった。
翌日の昼休み、弥生が教室にやってきて、俺の机に一枚の紙を置いた。周りではまだ何人かの生徒が弁当を食べている時間だった。
「これ、例のお願いの資料。大まかにまとめたから、あとよろしく」
「大まかって、どのくらい」
「うーん、方向性だけ。深水くんならうまく形にしてくれるでしょ」
紙を見ると、確かに大枠のメモ程度で、日程や必要な準備物の細かい部分は空欄のままだった。項目名だけが並び、中身は「未定」「後で」といった走り書きで埋められている。
「これだけだと、詰めなきゃいけないところが結構ある」
「そこはお願い。私、今日この後生徒会だから」
「今日中に全部聞きたいことあったんだけど」
「あ、ごめん、時間ないや。またメッセージで送っといて。返せるときに返すから」
弥生はそう言うと、俺の返事を待たずに教室を出ていった。俺は机に残された紙を見つめながら、赤ペンを取り出し、空欄になっている項目を一つずつ書き出していく。日程の候補、必要な備品のリスト、確認すべき先生の名前。書き出すほどに、空欄の多さが目立ってくる。
「今日のお昼、それ?」
隣の班の女子が通りがかりに紙を覗き込んだ。
「更科さんの資料。方向性だけ渡されて、細かいのはこっちで詰める感じ」
「大変そうだね」
「まあ、いつものことだから」
「深水くん、いつもそう言うよね」
そう指摘されて、俺は少し手を止めた。いつものこと、という言葉が、思ったよりすんなり出てきたことに、自分でも少し引っかかった。頼まれているのか、それとも、頼まれる前提で動くのが当然になっているのか。考えても、はっきりした答えは出なかった。昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、俺は資料を机の中にしまった。
放課後、教室に残って資料の空欄を埋めていると、結菜が通りかかった。廊下側の窓からは、部活動へ向かう生徒たちの声が聞こえてくる。
「まだ帰らないの?」
「もうちょっとで終わる」
「それ、更科さんの?」
「ああ」
結菜はそれ以上、資料の中身には触れなかった。空いている席に鞄を置いて座り、何をするでもなく、時々こちらの手元をちらりと見ている。窓の外の日はゆっくりと傾いていき、教室に差し込む光の角度が、さっきより少し赤みを帯びてきていた。廊下を歩く生徒の足音や、遠くの部活の声が、時折思い出したように聞こえてくる以外、教室はほとんど物音がなかった。ペンを走らせる音だけが、その静けさの中で規則的に続いていた。
「今日、遅くなりそう?」
「あと少し」
「じゃあ待ってようかな」
「待たなくていい、別に急ぐようなことじゃないし」
「うん、知ってる。でも待つ」
結菜はそう言うと、鞄からペットボトルを一本取り出し、机の端にことりと置いた。
「差し入れ。飲んで」
「悪い」
「別に。喉渇いてそうだったから」
俺は蓋を開けて一口飲んだ。冷たさが少し落ち着く感覚があった。空欄だった資料に、最後の項目を書き足す。書き終えたところで、結菜が立ち上がった。
「終わった?」
「あと確認だけ」
「じゃあ、一緒に帰ろ」
「勝手についてくる気だっただろ」
「ばれた?」
結菜は悪びれずに笑うと、鞄を持ち直した。俺は書き終えた紙を封筒にしまいながら、さっきの「いつものこと」という自分の言葉が、まだ頭の隅に残っていることに、改めて気づいていた。
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登場人物所属の修正です
弥生:生徒会。クラス委員。美化委員。修学旅行実行委員




