文化祭が終わったら
放課後、教室に残っていると、結菜が机の横に座った。窓の外はまだ明るく、他クラスの生徒たちが片付けをしながら帰り支度をしている声が、廊下から途切れ途切れに聞こえてくる。
「今日、看板もう完全に終わったんだよね」
「早いな」
「うん。あとは当日待つだけ」
「こっちも、もう買うものは大体固まってる」
「なんか、もうすぐ終わるって考えると、変な感じ」
「変な感じ?」
「いや、なんとなく」
結菜はそう言いながら、鞄から適当にノートを取り出し、意味もなくページをめくっていた。教室にはもう俺たちの他に数人しか残っておらず、その数人もそれぞれの帰り支度を進めている。
「深水くんは、文化祭終わったらどうするの?」
「どうって」
「委員会関係とか、また何かあるの?」
「多分、しばらくは特にないと思う」
「じゃあ、放課後暇になるんだ」
「暇っていうか、普通に戻るだけだろ」
「普通って、どんな感じだっけ」
「覚えてないのか」
「なんか、最近こっちの方が普通になってる気がして」
結菜はそう言って、少し笑った。俺は特に何と返せばいいかわからず、手元の紙の束を揃える動作だけを続けていた。
「終わったら、こうやって放課後残ることもなくなるな」
「まあ、そうだね」
少しの間があった。結菜はノートのページをめくる手を止めて、窓の外に目をやっている。
「それは、寂しいってこと?」
俺がそう聞くと、結菜は軽く首をかしげた。
「さあ。深水くんはどう思う?」
「聞いたのそっちだろ」
「聞いたけど、深水くんの意見も知りたい」
「知りたいなら、ちゃんと聞け」
「今聞いてる」
「そうかよ」
俺はしばらく黙って、リストの残りの項目に目を通していた。ペンを持ったまま、特に書き込むこともなく、その場に留まっていた。
「まあ、少しは変な感じかもな」
「少しは、なんだ」
「多いか少ないかまでは言ってない」
「その言い方、逃げてる感じする」
「逃げてない、正直に言っただけだ」
「正直っていうか、曖昧」
「曖昧が悪いのか」
「悪くはないけど」
結菜はそう言いながら、ノートに何か落書きらしきものを描き始めた。ペン先が紙をこする音だけが、しばらく続く。
「私は、文化祭終わったら、ちょっと寂しいと思う」
「素直だな」
「別に隠す理由もないし」
「俺は隠してるつもりはない」
「じゃあ、さっきの『少しは変な感じ』が本音?」
「本音って言われると、それはそう」
結菜は落書きの手を止めて、こちらを見た。
「深水くんって、たまに素直に言うよね、そういうの」
「たまにか」
「たまに」
「それ、褒めてるのか」
「褒めてる」
「そうは聞こえない言い方だけど」
「気のせい」
「気のせいで片付けるな」
「片付けてない、事実」
「事実って言われると、それはそれで反論しづらい」
「でしょ」
結菜は満足げに頷いて、また落書きに戻った。窓から差し込む光が、少しずつ色を変えていくのが見える。
「クラス変わったら、こういうのなくなるのかな」
俺は返す言葉を、すぐには見つけられなかった。結菜も、ペンを持ったまま、しばらく落書きの手を止めている。教室の中に、誰かの椅子を引く音だけが響いた。
しばらくして、結菜が先に口を開いた。
「まあ、なるかもね」
「そうだな」
それだけの短いやり取りだったが、その一言の後、二人ともしばらく黙っていた。窓の外の光が、また少し傾いた気がした。
「……って、気にはなるじゃん、そういうの」
結菜が、少し照れたように付け足した。
「気が早いな」
「気にはなるでしょ、普通に」
「今考えることでもないだろ」
「じゃあいつ考えるの」
「終わってからでいいだろ、そういうのは」
「深水くんらしい」
「らしいってなんだよ」
「先のことは先に考えるタイプ」
「普通じゃないか、それ」
「普通かどうかは知らないけど」
「じゃあそっちはどうなんだよ」
「私は、今のうちに全部考えたい派」
「それはそれで疲れそうだな」
「疲れるけど、性分」
「さっき俺が言った台詞、真似しただろ」
「してない」
「してるだろ、絶対」
「気のせい」
「今の気のせいは苦しいだろ」
「苦しくても押し通す」
そんなくだらない応酬をしながら、結菜は描いていた落書きを俺の方に見せてきた。何かの生き物らしきものが、下手なりに描かれていた。
「なんだこれ」
「わからない?」
「わからない」
「秘密」
「聞いといて秘密は反則だろ」
「反則じゃない、私のルール」
「ルール勝手に作るな」
「もう作った」
「後出しじゃんけんと同じだろ、それ」
「じゃんけんじゃないから平気」
「平気の基準がおかしい」
結菜はくすくす笑いながら、ノートを鞄にしまった。教室の窓の外は、いつの間にかすっかり夕方の色に染まっていた。
「そろそろ帰るか」
「うん、帰ろ」
二人で立ち上がり、教室を出る。廊下はもう静かで、他の教室からも人の気配がほとんどしなかった。下駄箱の方から、遠く微かな話し声が聞こえてくるだけだった。
「じゃあ、また明日」
「ああ」
結菜は軽く手を振って、昇降口の方へ歩いていった。俺はその後ろ姿を見ながら、さっきの落書きが結局何だったのか、まだわからないままだった。




