↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
20/23

昔の距離感

 放課後、教室に残っていると、弥生が入り口から顔を出した。


「深水くん、まだいた? よかった」


「なんだ?」


「文化祭の予算のことで、確認したいことがあって」


 弥生は教室に入ってきて、手にしていた書類を机に置いた。表紙には数字がびっしりと書き込まれている。


「買い出しの見積もり、大体出てるって聞いたけど」


「ああ、大体は」


「金額、見せてもらってもいい?」


 俺はリストを差し出した。弥生はそれをざっと確認し、いくつかの項目に指を滑らせる。ペン先で数字を追う仕草は、以前から変わっていなかった。


「うん、これなら大丈夫そう。ありがとう」


「それだけか?」


「うん、それだけ」


 弥生は書類を鞄にしまいながら、しかしその場を離れる様子はなかった。俺も特に次の作業に戻るでもなく、なんとなく手を止めたままでいた。窓の外では、他クラスの誰かが荷物を運ぶ足音が響いている。


「……最近、どう?」


 弥生がそう切り出した。


「どうって」


「文化祭の準備とか」


「まあ、ぼちぼち進んでる」


「そっか」


 会話がそこで一度途切れた。以前なら、ここから雑談が自然に続いていたはずだった。今は、次に何を言えばいいのか、お互いに探っているような間があった。弥生は机の端に軽く手を置いたまま、視線をリストの方に落としている。俺も特に何を言うでもなく、鞄の中身を意味もなく整え直していた。


「深水くん、最近教室にあんまりいないよね」


「班の作業とかで、色々動いてるから」


「そうなんだ」


 また間が空く。弥生は鞄の持ち手を、意味もなく指で撫でていた。俺はその様子を横目に見ながら、何か言うべきかどうか迷って、結局何も言わなかった。廊下の方から、誰かの笑い声が遠く聞こえてくる。


「そういえば」


 弥生が先に口を開いた。


「委員長の仕事、この時期は特に多くて」


「まあ、そうだろうな」


「深水くんは、実行委員の後処理、もう終わったんだっけ」


「大体は。今は買い出し班の方がメインだから」


「そっか。そういえば、実行委員の頃は、深水くんによく助けられてたな」


 その言葉に、昔の癖のようなものが先に出た。


「あの時の弥生、いつも締切ぎりぎりだったよな」


 言ってから、自分でも少し驚いた。以前なら何の気なしに言えていた軽口が、今は口にした瞬間、変に軽率だったかもしれないと思う自分がいた。弥生も一瞬、目を丸くしてこちらを見た。


 一拍の間があった。


 それでも、弥生は責めるでもなく、少し笑った。


「それ、今言う? 恥ずかしいんだけど」


「事実だろ」


「事実だけど」


「今更それ言うのか」


「今更でも思うものは思う」


「弥生、昔から抱え込みすぎなんだよ」


「深水くんに言われたくない」


「俺は抱え込んでるわけじゃない、頼まれたことをやってるだけだ」


「それも大概、抱え込みだと思う」


「そうか?」


「そうだよ。委員長も生徒会も美化委員も、深水くんが手伝ってくれてなかったら、多分もっと大変だった」


「別に、そんな大したことはしてない」


「してるよ。深水くんが気づいてないだけで」


 弥生も、少し肩の力が抜けたような表情を見せて、小さく笑った。


「深水くんの、そういうところ変わらないよね」


「変わる理由もないし」


「うん、そうだよね」


「弥生こそ、相変わらず何でも自分で抱えようとするし」


「それは、まあ、性分だから」


「性分で片付けるのは違うだろ」


「じゃあ何なの」


「単純に、頼るのが下手なだけだと思う」


「それ、深水くんに言われると説得力ある」


「俺と一緒にするな」


「一緒じゃない?」


「……多少は、似てるかもしれないけど」


 そう言った瞬間、弥生の表情が、ふっと止まった。彼女は視線を一度机の上のリストに落とし、それから小さく腕時計に目をやった。


「……もうこんな時間か」


 弥生はそう呟いて、鞄の持ち手を握り直した。


「……あ、ごめん、引き止めて」


「別に、急いでない」


「ううん、もう大丈夫。予算の件、確認できたし」


 弥生は鞄を持ち直し、視線を少しだけ逸らした。さっきまで机の上に置かれたままだったリストを、俺はもう一度手元に引き寄せた。


「あの、また何かあったら」


「ああ、聞けばいい」


「うん」


 弥生はそれだけ言って、教室の入り口の方へ歩き出した。途中で一度、何か言いたげに振り返りかけたが、結局そのまま何も言わずに歩を進めた。


「じゃあ、また」


「ああ」


 弥生は教室を出ていった。俺はしばらくその場に立ったまま、リストの束を見返す。予算の確認自体は、それだけのことだった。それなのに、さっきの会話だけが、なかなか頭から離れなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。