気まずさの理由
放課後、教室に残って提出物の最終確認をしていると、柏木が声をかけてきた。
「深水、写真台紙と感想文、提出漏れがないか最終確認しといてくれる? 修学旅行実行委員の後処理、これで最後だと思う」
「わかった」
柏木と女子メンバーが持ってきた書類を並べ、俺は提出済みのリストと照らし合わせていく。作業自体は単純で、三人で手分けすればすぐに終わりそうだった。窓の外はまだ明るく、放課後特有ののんびりとした空気が教室に漂っていた。
「これで本当に最後だな」
「だといいけど」
「深水、この感想文、名前の記入が抜けてないか?」
女子メンバーが書類を指差しながら聞いてきた。俺はリストと照らし合わせ、確かに一枚だけ名前欄が空白になっていることに気づいた。
「ほんとだ。あとで本人に確認する」
「相変わらず細かいとこまで見てるね」
そんな会話をしながら書類をめくっていると、教室の入り口に人影が差した。
「あ、深水くん」
弥生だった。珍しく、こちらの教室に顔を出している。以前なら、こういう場に姿を見せることはほとんどなかった。
「更科、どうした」
「ちょっと、実行委員のことで先生から聞きたいことがあって」
弥生はそう言いながら、教室の中に一歩入ってきたが、それ以上は近づいてこなかった。柏木が「更科さん、久しぶり」と声をかけると、弥生は少し遅れて「うん、久しぶり」と返した。
「先生、今日いないと思うけど」
柏木がそう言うと、弥生は「そっか」とだけ答えて、少しの間、その場に立ったままだった。俺は手元の書類から視線を上げ、彼女の様子を見た。何かを言いかけて、それを飲み込むような間があった。
「聞きたいことって、どんな内容?」
女子メンバーが何気なく尋ねると、弥生は一瞬、視線を泳がせた。
「えっと……いや、大したことじゃないから、また今度でいい」
「そう?」
弥生は教室の中を一度ぐるりと見渡した。机に広げられた書類の束、俺たちが手分けして作業している様子。それを目に留めてから、彼女はまた口を開いた。
「みんな、まだ残ってたんだね」
「後処理、これで最後っぽいけど」
柏木がそう答えると、弥生は「そっか、お疲れ様」とだけ言った。それ以上、会話を続ける様子はなかった。
「じゃあ、また今度聞く」
弥生はそう言うと、軽く手を上げて、来た時と同じように教室を出ていった。柏木が「なんだったんだろう」と首をかしげたが、俺は特に答えを持っていなかった。書類に視線を戻し、作業を再開する。
「深水、今の間、ちょっと変な空気じゃなかったか」
「そうか?」
「気のせいかもしれないけど」
女子メンバーも「なんか、いつもの更科さんと違った気がする」と付け加えたが、それ以上は誰も深く追及しなかった。俺は特にそれ以上突っ込まず、リストの続きを確認した。三人で手分けした作業は、思ったより早く片付いた。
「これで本当に終わりだな、実行委員の仕事」
「だな」
柏木と女子メンバーは荷物をまとめ、それぞれ帰り支度を始めた。俺も鞄を持って、教室を出た。廊下は夕方の光で橙色に染まっていて、部活動へ向かう生徒たちの声が遠くから聞こえてくる。
昇降口を出ると、結菜が下駄箱のところで待っていた。
「今日も遅かったね」
「実行委員の最後の後処理があった」
「これで終わり?」
「多分」
「じゃあ、明日から早く帰れるね」
「そうだといいけど」
そんな会話をしながら、二人で校門まで歩いた。夕方の空気はすっかり涼しくなっていて、部活帰りの生徒たちとすれ違う。
「そういえば、文化祭の準備、来週から本格的に始まるんだって」
結菜がふと話題を変えた。
「クラスの出し物、まだ決まってなかったよな」
「うん。今度のホームルームで決めるらしいよ」
「面倒なことになりそうだな」
「深水くんは、なんでも面倒って言うよね」
「実際面倒なことが多い」
「それはそう」
結菜は笑いながら、鞄の持ち手を握り直した。
「あ、そういえば、今日購買でクレープの新作出てたよ」
「クレープなんてあったのか、あそこ」
「今日から期間限定。今度一緒に行こ」
「別に予定はないけど」
「じゃあ決まり」
結菜はそう言って、いつも通りの調子で歩き続けた。校門を出たところで、彼女は「じゃあまた明日」と手を振り、反対方向へ歩いていった。俺はしばらくその背中を見送ってから、自分の帰り道へと向かった。
家に帰ってから、俺は鞄の中を整理しながら、メモ帳を取り出した。今日の出来事を書き足そうとして、ペンを構えたまま、しばらく手が止まった。書くべきことが特に見当たらなかった。提出物の確認は終わった。感想文の記入漏れも本人に確認済み。予定に変更はない。
それでも、何かを書き留めておきたいような、はっきりしない感覚があった。今日、弥生が教室に顔を出した時の、あの短い間。何かを言いかけて、結局言わずに帰っていったこと。それを思い出しても、特に理由は浮かばなかった。
結局、ページには何も書き加えず、メモ帳を閉じた。机の上に置いたまま、しばらくそれを眺めていたが、やがて鞄の中にしまい直した。
窓の外はすっかり暗くなっていた。俺は特に理由もなく、もう一度鞄の中のメモ帳の位置を確かめてから、机の明かりを消した。




