忘れ物
朝、教室に着いてすぐ、俺は自分の机の上にあるチェックリストを開いた。今日は弥生から任されていたクラス委員の提出物を、職員室に出す日だったはずだ。リストの該当欄を見ると、確かに今日の日付に印がついている。念のため鞄の中を確認したが、資料が見当たらない。教科書とノートの間、ファイルの隙間、筆箱の横。何度確認しても、見つからないものは見つからなかった。
「……あれ」
昨日の夜、確認したはずの記憶がある。机の上に置いて、明日の朝忘れないようにしよう、とまで考えた気がする。だが記憶をたどっても、資料をまとめた封筒を鞄に入れた覚えがなかった。おそらく、確認した後にそのまま机の上に置き忘れたのだろう。俺は鞄の中身を一度全部机の上に出し、教科書を一冊ずつめくって確認した。それでも出てこない。時間割の紙の裏、下敷きの隙間まで見たが、結果は同じだった。
「深水くん、どうしたの?」
近くの席の女子が声をかけてきた。
「提出資料、忘れたかもしれない」
「え、大丈夫? 深水くんでもそういうことあるんだ」
「あるだろ、普通に」
「いや、なんか意外」
「意外って何だよ」
「なんか、深水くんは忘れ物しないイメージだった」
その反応に、俺は特に言い返す言葉もなく、鞄の中身を元に戻した。周りの席からも、何人かがちらちらとこちらの様子を窺っているのが視界の端に入る。担任に事情を話し、昼までに家から持ってくるか、それとも取りに帰るか、選択肢を頭の中で並べた。家までは自転車で十五分程度だが、授業を抜けるわけにはいかない。
「先生に、午後まで待ってもらえるか聞いてみる」
俺はそう決めて、朝のホームルーム前に職員室へ向かった。担任は多少呆れた様子を見せたものの、「今日中でいいから」とあっさり許可を出した。
「深水にしては珍しいな」
「そうですね」
「まあ、誰にでもあることだ。慌てず取りに行ってこい」
担任のその一言に、特別責められているわけでもないとわかっていながら、俺は妙に居心地の悪さを感じた。ホームルームが終わり、俺は自分の席に戻りながら、こんな単純な確認を怠ったことに、自分でも珍しく苛立ちを感じていた。班のメンバーが「大丈夫か」と声をかけてくるのに、「大丈夫」とだけ返して、いつも通りの姿勢で授業の準備を始めた。
昼休み、弁当を食べていると、結菜が机の横に座った。
「朝、なんかバタバタしてたね」
「資料忘れた。単純なミス」
「そうなんだ」
それだけだった。深刻そうな顔をするでも、驚いた様子を見せるでもなく、結菜はいつも通りの調子で自分の弁当を広げ始めた。
「昼から取りに帰るの?」
「いや、放課後でいい。先生にはそう伝えた」
「じゃあ、放課後まで気にしても仕方ないね」
「まあ、そうだな」
「気にしても資料が湧いて出るわけじゃないし」
「身も蓋もないな、それ」
「事実でしょ」
結菜はそれ以上、その話題を続けなかった。代わりに、弁当のおかずについて何か文句を言い始めた。
「今日の卵焼き、ちょっと甘すぎた」
「自分で作ってるのか」
「うん、たまに。今日は失敗した」
「人のこと言えないな、お互い」
「深水くんのは資料忘れただけでしょ、私のは味の話。レベルが違う」
「レベルの問題か、それ」
「うん。味の失敗の方が根が深い」
「よくわからない理屈だな」
「わからなくていいの」
結菜は笑いながら、卵焼きをもう一口食べた。特にフォローの言葉をかけられるでもなく、慰められるでもなく、ただいつも通りの会話が続いていくことに、俺は思ったより気が楽になっているのを感じた。何か言われることを身構えていたわけではなかったが、身構える必要がなかったこと自体に、少し安堵していた。
「深水くんも、たまにはそういうこともあるんだね」
「悪いか」
「悪くない。むしろ、ちょっと安心した」
「何が安心なんだよ」
「秘密」
結菜はそれ以上説明せず、弁当箱に蓋を戻した。俺はその返答の意味を深く追及することもなく、自分の弁当を食べ終えた。
放課後、俺は自転車で家に戻り、忘れていた資料を取ってから、もう一度学校へ戻った。行き帰りの道のりで、頭の中では今日の失敗の原因を何度か振り返っていたが、はっきりした答えは出なかった。ただ確認を怠っただけ、と言われればそれまでのことだった。
職員室に提出を済ませ、教室に寄ると、すでにほとんどの生徒が下校していた。自分の机の中を整理しながら、チェックリストに新しい項目を書き足す。
「前日夜に、提出物リストと鞄の中身を照合する」
これまでのリストにはなかった項目だった。単純な確認漏れを防ぐためだけの、ただの追加事項だった。書き終えたリストをもう一度眺めてから、鞄にしまう。
窓の外はすっかり夕方の色になっていた。俺は鞄を持って、静かになった教室を出た。




