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第6話:大阪の灯、親との決別

シュルシュルシュルシュル……!

 東京の窮屈な夜空がはるか彼方へと遠ざかり、代わりにゴーッという地響きのような重低音が、宙に浮かぶ俺の耳を満たした。

 ――ガチリ。


 ギヤが噛み合い、世界がまた心地よいスローモーションの沼に沈み込む。


 暗い車内。かすかに漂うシートの脱臭剤の匂いと、他人の寝息。ここは、二人が全財産をはたいてチケットを買った、東京行き夜行バスの車内だった。

 若い俺の肩にコトンと頭を預けてくる愛子。


『うちはお城なんか要らんよ。武ちゃんが隣でおもしろいこと言うて、一緒に笑っていられたら、それだけでどこでも天国や』


 愛子の瞳が、未来への希望でキラキラと輝いているのが見えた。

 あぁ、そうやったな、愛子。お前はいつもそう言ってくれていた。


 そう思った瞬間、バスのフロントガラスの向こうの景色が、ぐにゃりと歪み、溶け合っていく。夜行バスの車内がパッと消え去り、時間は「その少し前」の、大阪市内の家賃3万のボロアパートへと巻き戻った。

 ――ガチリ。

 下を見下ろすと、狭いアパートの一室で、相方に言われた『東京へ行こう』という言葉を、俺が愛子に打ち明けている場面だった。


「頼むから、一度実家に戻って頭を下げてくれ。俺が東京でひっくり返して、絶対にすぐに迎えに行くから」


 畳に額をこすりつける俺の頭を、愛子はぽんぽんと叩いて、呆れたように笑った。


「何言うてんのや、武ちゃん。うちが今さら実家に戻れるわけないやん。武ちゃんの漫才を世界で一番最初に笑うんは、うちの役目や。東京でも世界の果てでも、うちを置いていくなんて許さへんで」


 そう言って愛子は、自分のパート代をはたいて買った、東京行きの夜行バスのチケットを2枚、机の上に並べたんだ。


 その健気な姿に胸が締め付けられた瞬間、アパートの壁がシュルシュルと取り払われ、時間はさらにその数年前――二人がこの大阪の街へ出てくるきっかけとなった、あの「地元の田舎」へとさらに激しく巻き戻っていく。


 ――シュルシュルシュルシュル……!

 ビル群が消え、街の騒音が遠ざかり、代わりに見覚えのある「懐かしい緑の匂い」が漂ってきた。


 窓の外に広がったのは、どこまでも続く青々とした田んぼと、二人の実家がぴったりと隣り合って並ぶ、あの大阪ののどかな田舎の風景だった。


 ――ガチリ。

 時間がついに、二人が地元の田舎を捨てて、大阪市内へと飛び出した「あの嵐の夜」へと着地する。

 下を見下ろすと、愛子の実家の玄関先で、激しい怒号が飛び交っていた。


「漫才師やと!? どこの馬の骨ともわからん奴と組んで、売れるかどうかもわからんお笑いやるために、娘を大阪に行かせられるか!」

 愛子の父親が顔を真っ赤にして叫び、愛子もまた、今までに見たこともないような強い眼差しで親父さんに食ってかかっていた。隣同士でずっと一緒に育ってきたからこそ、愛子の両親は、俺の不器用さを知っていたからこそ、大反対したんだ。


「お前、そんな奴について行くんやったら、もう二度とこの家の敷地をまたぐな! 親子の縁を切ると思え!」

 父親が投げつけた激しい言葉に、愛子は一瞬だけ肩を震わせた。だけど、愛子はすぐに俺手をギュッと力強く握りしめると、涙をポロポロとこぼしながらも、毅然と言い放った。

「……ええよ。武ちゃんがおらんくなるくらいなら、うち、親子の縁なんか切れても構わん! 敷地なんか二度とまたぐか!」


 小さなボストンバッグひとつだけを抱えて、愛子は俺の腕を引くようにして実家を飛び出した。後ろから母親が泣きながら止める声が響いていたけれど、愛子は一度も振り返らなかった。

 あぁ、そうやった……。


 愛子は大阪へ出る時も、東京へ行く時も、いつだって親を捨て、故郷を捨て、自分の人生のすべてを賭けて、俺という男の手を引いてくれてたんだ。


「愛子……ごめん、本当にごめん……!」

 宙の俺がむせび泣いた瞬間、田舎の景色が、もの凄い速さで流星のように後ろへと流れ始めた。


 ――シュルシュルシュルシュル……!

 時間はさらに加速する。親との大揉めの記憶が遠ざかり、二人の背負った覚悟が白紙に戻っていく。


( 続く )

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