第十六話 東都ラスピズへ
ジョストンを出て、四日目の昼過ぎ。
馬車の窓から見える景色が、少しずつ変わっていった。
石造りの家が増え、道幅が広くなった。
街道脇には小さな水路が並ぶようになり、そこを細い船がゆっくりと進んでいる。
水の音が聞こえる。
馬車の車輪の音に混じって、遠くから楽器の音も聞こえてきた。
「……音楽?」
私が窓から身を乗り出すと、アレクが地図から目を上げた。
「ラスピズが近いな」
「街に近づいただけで音楽が聞こえるの?」
「文化の都だからな。街道沿いでも旅芸人や商人が多い」
「へぇ……」
王都ヘイズヒルズへ近づいた時とは、空気が違った。
王都は遠くからでも威圧感があった。
高い外壁。
白い石。
整いすぎた道。
そこに近づくだけで、背筋を伸ばされるような感覚があった。
でも、ラスピズは違う。
風に音が混じっている。
水の匂いがする。
花の香りもする。
街が近づいてくるというより、街の方から迎えに来ているような感じがした。
「……なんか、王都より感じいいかも」
私が小さく呟くと、シドが向かいの席であくびをしながら言った。
「まだ着いてもねぇだろ」
「でも雰囲気が違うじゃない」
「飯の匂いがすれば判断する」
「判断基準が偏ってる」
「重要だろ」
「否定はしないけど」
馬車の前方から、伯爵家の御者が声を上げた。
「東都ラスピズ、外門が見えました!」
その声に、私は再び窓の外を見る。
見えた。
遠くに、ラスピズの外壁がある。
王都のような巨大で威圧的な城壁ではない。
白い石と淡い青灰色の石を組み合わせた、美しい壁だった。
ところどころに蔦が絡み、壁の上には細い塔が立っている。
尖塔には色付きの旗。
風に揺れる布は、赤、青、緑、金。
まるで街全体が祭りの準備をしているようだった。
外門の上には、細かな彫刻が施されている。
鳥。
花。
歯車。
水路。
そして、空へ伸びる翼。
「……すごい」
結局、またその言葉しか出てこなかった。
王都でも言った。
でも仕方ない。
すごいものは、すごい。
馬車は外門へ近づいていく。
門の前には、すでに多くの馬車と人が並んでいた。
商人。
旅人。
芸人らしき一団。
貴族の馬車。
そして騎士。
東空騎士団の騎士達だ。
その鎧は、中央王都騎士団の紺と銀とは違う。
淡い青灰色と白を基調に、肩や胸元に空色の装飾が入っている。
マントは白。
「東空騎士団……」
私が呟くと、アレクが窓の外を見ながら言った。
「ラスピズを中心に、東部一帯を守る大騎士団だ。東方の空を守る、
という意味で東空騎士団と呼ばれている」
「かっこいいわね」
「名前はな」
アレクが皮肉る。
「昔は中央王都騎士団と並んで、王国二大騎士団なんて呼ばれてが、
今は黒狼騎士団にも迫られている
それでも団員数は王国二位。名門であることに変わりはない」
「団員数、王国二位……」
私は思わず、門前に並ぶ東空騎士団の騎士達を見る。
整った鎧。
揃った姿勢。
白いマント。
黒羊騎士団とは、規模も空気も違う。
馬車が門の前で止まった。
伯爵家の御者が書状を持って降り、東空騎士団の門衛へ渡す。
門衛は封蝋を確認した。
ワグナー伯爵家の紋章。
そして、黒羊騎士団の随行者名簿。
門衛の視線が、馬車の中へ向けられた。
私達と目が合う。
一瞬。
ほんの一瞬だけ、その目に値踏みするような色が浮かんだ気がした。
「……見られてる」
「見られてるな」
アレクが平然と答える。
「黒羊は珍しいんだろ」
シドが笑う。
「王都でも珍しがられたしな」
「嬉しくない」
ほどなくして、門衛が姿勢を正した。
「ワグナー伯爵御一行、確認しました。東都ラスピズへようこそ」
門が開く。
馬車がゆっくりと動き出した。
そして、私達は東都ラスピズへ入った。
***
街へ入った瞬間、私は息を呑んだ。
石畳の道。
両側に並ぶ建物。
窓辺には花。
二階から吊るされた色鮮やかな布。
通りの向こうには水路が流れ、石橋がいくつも架かっている。
水路には小舟が行き交い、荷物を積んだ船や、楽器を持った若者達が楽しそうに話していた。
遠くには劇場らしき大きな建物が見える。
丸い屋根。
彫刻の施された柱。
その前には、看板を掲げた人達が客を呼び込んでいる。
「劇場……本当にある」
「あるだろ。文化の都なんだから」
シドが適当に返す。
「行きたい」
「任務中だぞ」
アレクが即座に言った。
「分かってるわよ。言っただけ」
「その顔は言っただけじゃない」
「アレク、最近私に厳しくない?」
「お前が分かりやすいだけだ」
否定できなかった。
通りには、絵を売る店があった。
細工物を並べる屋台があった。
焼き菓子の匂いもする。
香油店らしき店からは、花の匂いがふわりと流れてきた。
私は思わずそちらを見る。
セルジュ副団長。
確かにこれは危険です。
「マナ」
アレクが呼ぶ。
「何?」
「散策は後だ」
「まだ何も言ってない」
「顔に書いてある」
「うるさい」
私は咳払いをした。
「任務で来てますから、私」
「どうだか」
シドが笑う。
そう。
任務だ。
私達はワグナー伯爵の護衛として来ている。
遊びに来たわけではない。
頭では分かっている。
でも、目が勝手に動く。
通りの全部が、私を誘惑してくる。
東都ラスピズ、恐ろしい街だ。
***
伯爵家の馬車は、街の中心部へ向かって進んだ。
道は王都ほど真っ直ぐではない。
水路に合わせて曲がり、広場を避け、橋を渡る。
建物の高さもまちまちだ。
けれど、不思議と乱雑ではない。
色も形も違う建物が並んでいるのに、街全体としては調和している。
王都は規律で整っていた。
ラスピズは、積み重ねで整っている。
人が暮らし、作り、直し、飾り、また作る。
その繰り返しで街ができているようだった。
「綺麗な街ね」
私は呟いた。
アレクが少しだけ頷く。
「王都とはまた違うな」
確かに、王都の威厳にも圧倒された。
でもラスピズは、もっと見るものが多く、自然と感情を高ぶらせてくれる。
「王都は命令で動く街。ラスピズは習慣で動く街って感じだ」
「分かるような、分からないような」
「そのうち分かる」
シドが口を挟む。
「俺は飯で判断する」
「もういいわよ、それは」
馬車が大きな広場に出た。
広場の中央には、巨大な噴水がある。
水は高く吹き上がり、陽の光を受けてきらきらと輝いていた。
その周囲には、いくつもの旗。
そして、広場にはたくさんの人が集まっていた。
「あそこが式典会場?」
私は思わず身を乗り出した。
「おそらくな」
アレクも窓の外を見た。
「式典は明日なのに凄い人だな」
シドも目を見開きながら言う。
「明日に向けて、今日も祭りらしいな」
アレクの言う通り、広場には屋台がたくさん並び、それに集まる人々で賑わっていた。
「明日の式典。ラスピズ総出って感じだな」
明日の式典に向けての人々の熱気が、こちらまで伝わってくる。
その時。
馬車の外から、鋭い声が響いた。
「ワグナー伯爵御一行ですね」
馬車が止まる。
前方に数人の騎士が立っており、そのうち一人の騎士が前へ出てきた。
東空騎士団の鎧をまとった男性。
年齢は三十代くらいだろうか。
背は高く、姿勢が良い。
白のマントを肩にかけ、腰には細身の剣。
表情は整っているが、目つきは少し鋭い。
彼は私達の馬車へ近づき、恭しく一礼した。
「伯爵。お会いできて光栄です。
東空騎士団副団長、アルトレイ・ラーセンです。
今回の式典警備の現地責任者を務めております」
東空騎士団副団長。
その声は丁寧だった。
丁寧だったが。
どこか、こちらを測っている。
そう感じた。
ワグナー伯爵が馬車の中から穏やかに答える。
「出迎え感謝する、アルトレイ副団長」
「恐れ入ります。式典会場周辺は警備上、移動経路を制限しております。
伯爵にはまず迎賓館へご案内いたします」
「分かった」
アルトレイ副団長の視線が、こちらへ向いた。
「随行騎士は?」
アレクが短く答える。
「ワグナー伯爵直属、黒羊騎士団。アレク・ロートレック」
シドが続く。
「同じく、シド・ハーグリープス」
私は慌てて姿勢を正した。
「同じく、マナ・カトレアです」
アルトレイ副団長の視線が、私達を順に見る。
そして、ほんのわずかに眉が動いた気がした。
「遠路ご苦労でした」
アルトレイ副団長は丁寧に言った。
「式典期間中、伯爵の周辺警備は東空騎士団の指揮下に入っていただきます。
ラスピズは慣れない街でしょうから、勝手を知っている我々にお任せください」
アレクが先に答える。
「承知しました。現地指揮に従います」
「助かります」
アルトレイ副団長はそう言って、視線をシドへ移した。
「あなたが、噂の闇斬りを討った騎士ですか」
空気が少し変わった。
シドは軽く肩をすくめる。
「一応」
「一応、ですか」
「まぁ、色々あったんで」
アルトレイ副団長は、シドをじっと見る。
「噂ほどには、緊張感のない方のようだ」
「よく言われます」
シドは笑う。
「明日の式典は、新しい時代の始まりになる重要な日です。
あなた方もそのおつもりで警護をよろしくお願いします」
アルトレイ副団長の言葉には、少し熱が込められていた。
「詳しい配置は迎賓館で説明します」
そう言って、彼は馬車の前方へ戻っていった。
馬車が再び動き出す。
「副団長のお出ましとはな」
シドが小さく笑った。
「確か東空の副団長は城塞騎士だったかな」
城塞騎士。
私達のセルジュ副団長が正騎士であることを考えると、
同じ副団長が城塞騎士である東空騎士団は、やはり規模が大きい。
「なんか、面倒なことになりそうだな」
アレクが窓の外を見ながら言った。
「時代の始まりか」
私は先ほどの言葉を呟きながら、もう一度広場の方を見た。
蒼関機車。
東空騎士団。
式典。
そして、ラスピズの街全体に漂う、妙な熱気。
胸が少しざわつく。
文化と技術の都。
美しい街。
でもその美しさの奥で、何かが静かに軋んでいる。
そんな気がした。




