番外編1中央王都散策編
中央王都騎士団本部を出ると、思わず大きく息を吸った。
「……外の空気がおいしい」
私がそう呟くと、シドが大袈裟に頷いた。
「分かる。あそこ、人間が長時間いる場所じゃない」
「中央騎士団の本部に対して失礼すぎるでしょ」
「でも息詰まっただろ?」
「それは……そうだけど」
否定はできなかった。
綺麗で、静かで、整っていて、無駄がない。
でも、その無駄のなさが妙に怖かった。
黒羊騎士団本部は、もっと騒がしい。
誰かが怒鳴っていて、誰かが書類を探していて、誰かが居眠りしていて、シドが酒場に行こうとしていて、グアルダ隊長がそれを怒鳴りつけている。
あれはあれで問題だらけだけど、少なくとも息はしやすい。
「で、商業区だったか?」
シドが伸びをしながら言う。
「そう!さっき見た服屋に行きたい」
「査問会前日に服屋って、余裕あるな」
「余裕なんてないわよ。でも緊張してても仕方ないでしょ」
「まぁ、それはそうだな」
意外にもシドが素直に頷いた。
「緊張して腹が膨れるわけでもねぇし」
「発想が全部お酒と食べ物に寄るのやめなさいよ」
「王都の飯も気になるだろ」
「気になるけど」
「じゃあ同類だ」
「違う」
即答した。
横でアレクが地図を広げている。
「商業区なら、ここから大通りを戻って二つ目の交差路を南に曲がる。
宿は大通り沿いだから、遠回りにはならない」
「アレク、王都初めてじゃないの?」
「地図は読める」
「頼りになるような、ならないような」
「道に迷いたくないだけだ」
十分頼りになる。
私達は中央本部を後にし、騎士団区から商業区へ向かった。
***
騎士団区を出ると、街の空気が少しずつ柔らかくなっていった。
紺と銀の鎧を着た中央騎士の姿は減り、代わりに色鮮やかな服を着た商人や旅人が増えていく。
通りには屋台が並び、焼き菓子の甘い匂いが漂っていた。
香辛料をまぶした肉串。
果物を煮詰めた瓶詰め。
細工の細かい銀飾り。
革靴。
絹の手袋。
そして、布。
見たこともないほど滑らかな布が、店先に何枚も垂らされていた。
「……すごい」
またそれしか言えなかった。
今日だけで何回「すごい」と言っただろう。
でも仕方ない。
本当にすごいのだから。
「マナ、口開いてるぞ」
シドが横から言う。
「開いてない」
「開いてた」
私は慌てて口元を押さえた。
その様子を見て、シドが楽しそうに笑う。
腹立つ。
けれど、今はそれどころではない。
目の前の店には、深緑のワンピースが飾られていた。
落ち着いた色なのに、光の当たり方で少しだけ艶が変わる。
袖口には細い刺繍。
胸元には小さな銀の留め具。
派手すぎない。
でも、ちゃんと可愛い。
「……あれ、いい」
私は思わず足を止めた。
「買うのか?」
アレクが聞く。
「値段を見るまでは夢を見させて」
私は店先の札を見る。
そして、静かに目を逸らした。
「夢、終わったか」
シドが言う。
「終わった」
高い。
ものすごく高い。
私の給金で買えないこともない。
でも、買ったらしばらく食費を削ることになる。
騎士として、それはどうなのだろう。
いや、女の子としてはどうなのだろう。
悩ましい。
「王都価格だな」
アレクが札を見て言う。
「ジョストンなら半分くらいで買えそう」
「布が違う。仕立ても違う。輸送費も店の場所代も乗ってる」
「現実的な説明しないで。今、夢が死んだところだから」
「なら墓を立てろ」
「冷たい」
「で、買うのか?」
「買わない。今日は下見」
私は深緑のワンピースから視線を引き剥がした。
未練はある。
ものすごくある。
でも、私は王都に買い物に来たわけではない。
証言人として来たのだ。
……でも、帰る前にもう一回見に来よう。
見るだけならただだ。
たぶん。
「お前、服見てる時だけ目が騎士じゃないなー。」
シドがからかってくる。
「失礼ね。これも大事な戦いよ」
「何と戦ってんだよ」
「予算」
「負け戦か。」
「うるさい」
私は服の購入は諦めたがオイルは手が届きそうだったので
そちらを購入した。
***
商業区の散策を終えた後、私達はシオンに指定された宿へ向かった。
大通り沿いにあるその宿は、ジョストンの酒場兼宿屋とはまるで違っていた。
石造りの三階建て。
入口には磨かれた金具。
窓には薄い布のカーテン。
看板には、金色の文字で宿の名前が書かれている。
「……ここ?」
私は思わずアレクを見る。
「地図だとここだな」
「泊まっていいの?」
どうみても高級な宿屋だった。
「中央が用意したんだろ」
「余計に怖いんだけど」
シドは宿の入口を見て、感心したように口笛を吹いた。
「いいじゃん。王都の宿って感じだな」
「壊さないでよ」
「俺を何だと思ってるんだ」
「絶対安静を破って酒場に行こうとした人」
「根に持つなぁ」
「持つわよ」
宿に入ると、受付の男性がすぐに顔を上げた。
「黒羊騎士団の方々ですね。お部屋のご用意はできております」
話が早い。
さすが王都。
いや、さすが中央の手配と言うべきか。
私達は鍵を受け取り、それぞれの部屋へ案内された。
部屋は綺麗だった。
綺麗すぎた。
ベッドはふかふか。
机は磨かれている。
水差しも、洗面台も、窓辺の小さな花瓶まで整っている。
「……落ち着かない」
私は部屋の真ん中で呟いた。
綺麗すぎる部屋というのは、逆に緊張する。
荷物を置く場所すら迷う。
とりあえず、制服を皺にならないように掛け、剣を壁際に置いた。
明日は査問会。
その言葉が、部屋の静けさの中で急に重みを増した。
私は窓を開けた。
外には王都の大通りが見える。
夕方になりかけているのに、人の流れはまだ途切れない。
馬車の音。
人の声。
鐘の音。
どこか遠くで、楽器の音も聞こえた。
ジョストンとは違う。
何もかも違う。
「……あったことを話すだけ」
私は自分に言い聞かせる。
ギャレッジ子爵邸で見たもの。
ルィンの血。
ジアルさんの死。
アルゼル守護騎士が情報を開示したこと。
その後、黒羊と中央が同じ敵を追ったこと。
あったことを話すだけ。
でも、それがアルゼル守護騎士の未来を左右するかもしれない。
そう考えると、胃のあたりが重くなる。
その時、扉が叩かれた。
「マナ。飯行くぞ」
アレクの声だった。
続いて、シドの声もする。
「王都飯だ王都飯」
私は少しだけ笑った。
この人達は、本当に変わらない。
どこに来ても。
「今行く」
私は返事をして、もう一度だけ窓の外を見た。
王都ヘイズヒルズ。
綺麗で、冷たくて、少し怖い街。
でも、明日私はこの街で証言する。
黒羊騎士団の見習い騎士として。
私は深く息を吸い、部屋を出た。
***
宿の食堂は、想像していたより静かだった。
王都の宿というから、もっと騒がしい場所を想像していたが、客達は皆、落ち着いた声で話している。
皿の音も、椅子を引く音も、妙に上品だ。
「……食堂まで品がある」
私が呟くと、シドが席に座りながら言った。
「飯は品より量だろ」
「王都でそれ言う?」
「どこでも言う」
「だろうね」
店員が料理を運んできた。
白い皿に綺麗に盛られた肉料理。
香草の匂いがする。
横には温野菜。
小さなパン。
ソースまでついている。
「……少ない」
シドが真顔で言った。
「第一声それ?」
「いや、美味そうだけどさ」
アレクが皿を見ながら言う。
「王都料理だな。見た目重視」
「腹に入れば一緒なのに」
「それを言ったら終わりよ」
私は肉を一口食べた。
柔らかい。
香草の香りが広がる。
「……おいしい」
「だろ?」
またシドが得意げに言う。
「あなたが作ったわけじゃないでしょ」
「俺の予想が当たった」
「何の勝負なのよ」
食事が進むにつれ、少しずつ緊張がほどけていった。
王都は怖い。
明日の査問会も怖い。
でも、お腹が空けば食べるし、美味しいものを食べれば少し元気になる。
人間とは単純だ。
少なくとも、私はそうだった。
「明日だけど」
アレクが静かに口を開いた。
食堂の空気の中で、その声だけが少し重く聞こえた。
「聞かれたことにだけ答えろ。余計な推測は言わなくていい」
「分かってる」
私は頷いた。
「見たことを話す。あったことを話す」
「そうだ」
アレクは次にシドを見る。
「お前もな」
「俺も?」
「お前が一番危ない」
「ひどいな」
「事実だ」
「また事実」
私は思わず笑った。
シドは少しだけ不満そうに頬杖をつく。
「まぁ、大丈夫だよ。俺もそこまで馬鹿じゃない」
「そこまで、ね」
「マナまで信用ねぇな」
「信用はしてるわよ」
私が言うと、シドが少しだけ意外そうな顔をした。
「でも、心配はしてる」
私は肉を小さく切りながら言う。
「そりゃどうも」
シドが笑う。
結局、いつものやり取りになる。
王都にいても。
中央の査問会を前にしていても。
この三人だと、こうなってしまう。
でも、だからこそ少しだけ救われる。
私は水を一口飲み、深く息を吐いた。
明日。
何が起きるかは分からない。
でも、今夜だけは、この王都の宿で、少しだけ心を落ち着けようと思った。
騎士の仕事は、私を休ませてくれない。
けれど、くだらない会話くらいは許してくれるらしい。




