第十一話 見習い騎士の休息
朝。
いつもの決まった時間に目が覚めた。
今日は久しぶりの休暇なので、ゆっくり寝ようと思っていた。
けれど、染みついた習慣がそうはさせてくれない。
アレクと一緒にシドのお見舞いへ行く約束をしていたが、待ち合わせの時間まではまだある。
最近は闇斬り事件の影響で徹夜続きだった。
疲労は溜まっているはずなのに、一度覚醒してしまうともう一度眠れそうにない。
私は顔を洗って、鏡の前に座る。
そして、顔にオイルを塗った。
「肌荒れ……ヤバい」
思わず声が出てしまった。
騎士の激務で、肌の手入れもろくに行き届いていない。
若さにかまけていると、すぐにガタが来てしまう。
休みの日くらい、しっかり労わってあげなければ。
私はそのまま躍起になって肌のメンテナンスを行い、部屋の掃除をしてから、アレクとの待ち合わせに向かうことにした。
***
待ち合わせの店に早めに着いた私は、先に紅茶を飲んでいた。
紅茶のいい香りがして、気持ちが和らぐ。
こんなにゆっくりした時間を過ごすのは久しぶりだった。
石畳は雨を少しだけ残していて、ところどころ水たまりが光っている。
市場の方からは、商人の呼び声が聞こえる。
パン屋の煙突からは白い煙。
鍛冶屋の方からは、金属を叩く音。
子供達が木剣を持って走り回り、その後ろを母親らしき女性が怒鳴りながら追いかけている。
いつもの街だった。
何もなかったみたいに、街は動いている。
事件が起きて。
中央騎士団が来て。
連日調査に追われ、徹夜で夜警をして。
仲間が襲われて。
シドが闇斬りを討った。
そんな日々が、遠い日のように思えてくる。
「……なんか、変な感じ」
私は思わず呟いた。
「何がだ?」
不意に声がした。
「びっくりした。急に現れないでよ」
声の主はアレクだった。
相変わらず眠そうな目をしながら、私の目の前の席に座る。
「先輩差し置いて先に紅茶か。いい身分だな」
嫌味だが、怒っている様子はまったくない。
「早く目が覚めちゃったの」
「ふーん。あっそ」
アレクは興味なさそうに私の話を聞き流すと、店員さんに注文をした。
「お前、いつも緑の服だな」
アレクが私の服を見ながら言う。
「緑好きなの。私の目の色と一緒。覚えといて」
「なんで?」
心の底からの、なんでだった。
「贈り物とかする時のためよ」
「なんでお前に贈り物しなきゃいけないの? むしろ先輩である俺にするべきだろ」
……これだからモテない男は。
私は紅茶に意識を向ける。
「お待たせしました」
店員さんが、アレクの前に焼いた肉を薄いパンで包んだものを置いた。
香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
……美味しそう。
お腹が鳴った。
「一個食うか?」
「……食べる」
モテないし、冷たい。
でも、たまに優しいところもあったりする。
熱々のパンを受け取ると、手のひらが温かくなる。
一口かじる。
肉汁がじゅわっと広がった。
「……おいしい」
「だろ。これが一番うまい」
しばらく黙って食べた。
何も話さない時間が、少しだけ心地よかった。
「シドにも持っていってあげる?」
今日はお見舞いなので、提案してみる。
「そうだな。ろくなもん食ってないだろうし」
アレクはパンを飲み込んでから答えた。
「そうと決まれば。すいませーん!」
私は店員さんを呼ぶ。
「何? 奢り?」
「そうよー。お世話になってる先輩に贈り物。こんな後輩いないんだから、大事にしなさいよ」
アレクの「はいはい」という返事を無視して、私はシドの食べ物をたくさん店員さんにお願いした。
***
「なんか揉めてるぞ」
騎士団本部に向かう途中の市場で、アレクが何かを見つける。
私がアレクの視線を辿ると、男二人が何やら揉めていた。
その周囲には野次馬が集まり、なぜか賭けまで始まっている。
「アレク、どうする?」
私は様子を伺う。
「お前がやれ」
アレクが即答する。
「なんでよ」
「えっ、俺休暇だから」
「私もよ!」
「なんだよ。見習いなんだから経験積んでけ。正騎士になれないぞー」
また、いつもの煽りだ。
「はぁ。なんかあったら助けなさいよ」
私はため息をついて、揉めている二人の前に立った。
「はいはい! そこまで! 黒羊騎士団です!」
私は携帯していた騎士団の紋章を見せながら、大きめの声を出す。
二人がこちらを見る。
「んだー! ねぇちゃん」
揉めていた片方が絡んでくる。
酒臭っ!
酔っ払いがいるから、騒ぎが大きくなっているのか。
私はその匂いに、思わず一歩下がってしまう。
「そもそも、あんたみたいな小娘、本当に騎士かぁー?」
男がジロジロ見てくる。
野次馬も見る。
急に視線を浴びて、少し緊張した。
でも、剣を抜く必要はない。
声を張ればいい。
「市場規定により、通路を塞ぐ行為は禁止です! 揉めるならまず屋台を下げてください! 話はそれから聞きます!」
自分でも驚くくらい、声が出た。
その気迫に少し押されたのか、酔っ払いが黙る。
ここだ。
一気に押し返す。
「それでも聞けないって言うなら、本部に連行します。私、連勤続きで肌もボロボロで、
やっと貰えた休暇中なんですよね。なので取り調べはかなり激しくなると思いますけど。どうします?」
魚屋と野菜売りは顔を見合わせた後、渋々屋台を下げ始めた。
アレクが後ろで小さく笑った。
「やるじゃん」
「褒めるなら手伝って」
「はいはい」
アレクは口こそ出さなかったが、私の背後で野次馬が近づきすぎないように立っていた。
その後、私達は場所取りの申請札を確認し、周囲の証言を聞き、酔っ払っていた魚屋に水を飲ませ、野菜売りには余計な挑発をしないよう注意した。
結果、喧嘩は収まった。
剣は一度も抜かなかった。
でも、終わった頃には妙に疲れていた。
「……魔物より面倒かもしれない」
「人間相手の方が大抵面倒だぞ」
アレクが当然のように言う。
「こんな大声ばっかり出してたら、声も枯れちゃう」
肌もボロボロだし。
「騎士なんて枯らしてなんぼだ」
それだけ言って、アレクはまた歩き出す。
私はその後を追った。
事件が終わっても、騎士の仕事は続いていく。
悲しいことがあっても。
失った人がいても。
街は動き続ける。
そして、その街の中で誰かが困っているなら、私達はそこへ向かう。
それが、私が選んだ騎士という仕事なんだ。
少なくとも、今の私はそう思う。
***
騎士団本部の医務室に着くと、シドは寝ていなかった。
いや、寝ていないどころか、外套を羽織ろうとしていた。
「何してんのよ」
病室の扉を開けた瞬間、私はそう言った。
シドはベッドの上で上半身を起こし、片手に外套、もう片方の手に財布を持っていた。
「散歩」
「あんた絶対安静なんでしょ」
「もー治ったって」
「顔、白いわよ」
シドの顔色は良くなかった。
それはそうだ。
一歩間違えれば命を落としていた。
いくら化け物じみた生命力を持っているシドとはいえ、
ここに運び込まれた時は生死の境を彷徨っていた。
それだけ、闇斬りは強大な相手だったのだろう。
でも、シドは勝った。
そして、帰ってきてくれた。
「はい。これ」
観念してベッドに戻ったシドに、先ほどのパンを渡す。
「おっ。うまそう」
中身を確認して、シドが喜ぶ。
その顔を見て、私も嬉しくなる。
「これ、ジアルさんも好きだったよな」
シドが食べながら、ジアルさんの名前を出す。
「そうだな」
アレクが相槌を打つ。
「あの人には色々教えてもらったな。美味い飯、美味い酒」
「…他にもあるだろ」
アレクが呆れながら言う。
「女の口説き方?」
「じゃあ、なんで俺たちに彼女がいない」
「違いねぇ。あんま参考になんなかったな」
シドは楽しそうに笑った。
それは、あんた達にも問題があると思ったが、言葉にはしなかった。
「あの人に教えてもらったものは、俺たちの中にたくさん残ってる」
我らが剣を取る限り、
汝もまた、騎士としてここに在る。
私はシドの言葉を聞いて、騎士送りの言葉を思い出す。
シドとアレクの中には、ジアルさんが生き続けている。
そして、その二人から教えを受ける私の中にも。
「シド」
「ん?」
「早く治しなさいよ」
「おう。治ったら飲みに行くぞ」
「奢りね」
「なんでだよ! 快気祝いだから俺が奢られる側だろ!」
「いいじゃない! 今日贈り物したんだから、そのお返し」
「贈り物? こんな安いパンで済ますな!」
「…おいおい。ジアルさんの好物ディスんなよ」
医務室は騒がしかった。
シドが早く元気になるといい。
ジアルさんが、どこかで見ていてくれるといい。
そして、このどうしようもない先輩達と、またくだらないことで言い合える日が続けばいい。
そう思いながら、私は医務室の窓から見える青空を見上げた。




