第6話:新規構築(リプレイス)と多層防御
「ガ、ガァァ……ッ!?」
魔熊の巨大な爪が、空中で静止していた。
サトウの鼻先数センチ。
そこには、物理的な壁など存在しないはずなのに、空間そのものが結晶化したような六角形の幾何学模様――ハニカム構造の障壁が展開されていた。
「無駄ですよ。今の結界は、一点に荷重がかかると周囲のセグメントから即座に魔力をバイパス(迂回)させて相殺する設計です。お前の腕力じゃ、サーバーの応答速度を上回ることはできない」
サトウは冷徹に言い放ち、コンソール(石板)の上で指を滑らせた。
「ひ、ひぃぃ……! 止まった、化け物の攻撃が止まったぞ!」
「サトウさん、凄い……!」
腰を抜かしていたギルや、固唾を呑んで見守っていたリーナたちが、信じられないものを見る目でサトウを仰ぎ見る。
だが、サトウにとってはこれが「当たり前」の基準だ。
「……さて、今のうちにバックグラウンドで走らせていた『自動最適化』を完了させるか」
サトウがコンソールの「実行(Enter)」キーに相当する術式を叩く。
刹那、村を囲む空気の質が変わった。
以前の結界が「厚い布」だとしたら、今の結界は「不可視の鋼鉄」だ。それも、ただ硬いだけではない。
魔熊が逆上し、もう片方の腕で叩きつける。
しかし、結界は火花一つ散らさない。
それどころか、衝撃を受けた瞬間に結界の表面が波打ち、そのエネルギーを霧散させてしまった。
「衝撃吸収機能、正常稼働。……ついでに、こいつを試すか」
サトウがコンソールの画面を「攻撃(Output)」モードに切り替える。
「……おい、サトウ! 何をしている! 早くそいつを殺せ!」
バザル村長が、震える声で指示を飛ばす。
「殺す? いえ、そんな非効率なことはしません。リソースの無駄ですから。……こいつは『例外処理』として、システムの外へパージ(排出)します」
サトウが指で、魔熊の足元を円で囲むようにスワイプした。
すると、魔熊が立っている地面の「座標データ」が書き換えられる。
「転送。……先ほどお前たちが壊してくれた、村の門の外へ。……実行」
ドォォォォン!!
爆発音ではない。
空間が歪むような重低音と共に、巨体の魔熊が忽然と姿を消した。
次の瞬間、遥か遠く、村の外壁のさらに先で、何かが激突する轟音が響く。
「……え?」
ギルが口を半開きにして、魔熊がいたはずの空白の空間を見つめる。
「接触してきたオブジェクトを、強制的に特定座標へ飛ばす『自動リダイレクト』です。これで、わざわざ戦う手間も省ける。メンテナンスフリーの第一歩ですよ」
サトウはコンソールを閉じ、ふぅ、と小さく息を吐いた。
基石からは、先ほどの熱暴走が嘘のように、静かで安定したハミング音が聞こえてくる。
「ステータス、オールグリーン。……これで、当分は放置で大丈夫なはずだ」
サトウは泥のついたズボンを払い、平然と歩き出した。
まるで、昼休みにちょっとした不具合を直してきただけのような、そんな軽い足取りで。
「ま、待て、サトウ! 貴様、今のは一体どんな魔法だ!? あんな巨大な魔物を一瞬で飛ばすなど、宮廷魔導師でも不可能だぞ!」
バザルが慌てて追いかけてくるが、サトウは振り返りもしない。
「魔法じゃありませんよ。ただの『適切なシステム運用』です。……あ、村長。契約の通り、これからの運用保守は俺が握りますから。余計なコマンド(儀式)は叩かないでくださいね。……壊れたら、次は有料になりますから」
サトウの言葉に、バザルはぐうの音も出ない。
広場に、夕暮れの静寂が戻る。
だが、その静寂は以前とは違う。
「神に祈る不安な静寂」ではなく、「完璧に管理されたシステムの安心感」という名の静寂だった。




