第29話:メンテナンスの終わらない世界
「……さて、リーナさん。しばらく休暇(有給)を取ろうか。コーヒーでも淹れてくれ」
サトウがコンソール(石板)のメインスイッチを『OFF』にスライドさせた瞬間。
世界を繋いでいた青い魔力の脈動が、ぷつりと途絶えた。
直後、ナノハ村の管制塔の下では、先ほどまで「独占禁止法」を叫んでいた権力者たちが、一斉にパニックに陥った。
「な……魔法が使えぬ!? 鑑定の儀も、遠隔通信も、すべて『サービス停止中』と表示されるぞ!」
「サトウ! 何を考えている! 今すぐ復旧しろ! 王都の防衛結界が消えて、魔物の群れが押し寄せているのだぞ!」
法王が、もはや神々しさの欠片もない形相で叫ぶ。だが、サトウは塔の窓から冷たく見下ろすだけだ。
「……独占が悪いんでしょう? だから、俺の『独自技術』をすべて引き上げたんですよ。……今この瞬間から、世界はサトウ以前の『手動』に戻りました。おめでとうございます、自由な世界ですよ」
サトウの言葉は残酷だった。
この数ヶ月、世界中の人々はサトウの「Mana-OS」が提供する、蛇口をひねれば出る水のような、当たり前の魔法に依存しきっていた。
物流: 転送陣が停止し、各地で食料が腐り始めた。
治安: 自動防衛システムが消え、街に魔物が侵入。
経済: 共通魔力通貨の決済ができず、市場がフリーズ。
「……サトウさん、外が……火の海になってます。これ、やりすぎじゃないですか?」
リーナが震える手でコーヒーを差し出す。サトウはそれを静かに受け取った。
「……やりすぎかもしれないな。でも、インフラ(基盤)を舐めちゃいけない。……『動いて当たり前』だと思っている連中に、その裏でどれだけのデバッグと保守が行われているか、身をもって知ってもらう必要があるんだ」
塔の下では、各国の使者たちが互いに責任をなすりつけ合い、今度は「どうすればサトウに再起動してもらえるか」を泣きながら議論し始めていた。
「……閣下! 独占禁止法を取り下げましょう! サトウ殿に『特例措置』を認め、全権限を返還するべきだ!」
「いや、もっとだ! 彼を『終身最高技術顧問(CTO)』として迎え、国家予算の半分を開発費として計上するべきだ!」
さっきまでの「神罰」や「法律」といった言葉は、暗闇と魔物の咆哮の前に霧散していた。
エンジニアに対する最大の敬意。
それは、彼がいなくなった時に初めて気づく「絶望」だ。
「……あ、サトウさん。石板に、世界中のユーザーから『1億件以上』の復旧リクエストが届いてます。……あと、謝罪文も」
「……まだ早いな。……リーナさん。彼らが『仕様変更』の度に文句を言わないと誓うまで、このメンテナンスは終わらせないよ」
サトウは暗闇に沈む世界を眺めながら、ゆっくりとコーヒーを口に運んだ。
第5章、佳境。
「神」ではなく「エンジニア」が、人類にその首輪の重さを知らしめた夜。




