第2話:仕様書なき「聖なる結界」
「ひっ、ひぃぃ……! モ、魔物だ! 誰か、誰か追っ払え!」
ギルが情けない悲鳴を上げながら、村の広場へ転がり込む。
村を囲む青い光の壁――『聖なる結界』の第三セグメントが、ノイズの走った画面のように激しく明滅していた。その隙間から、漆黒の毛並みを持つ魔狼が、よだれを垂らしながら次々と這い出してくる。
「落ち着け、ギル! 自警団は何をしている! 早く魔力を注ぎ込まんか!」
バザル村長が、震える手で杖を振り回しながら怒鳴る。
村の若者たちで構成された自警団が、結界の基石に必死に手をかざしていた。
「だ、ダメです村長! いくら魔力を込めても、底の抜けた桶に水を注いでるみたいで……逆流が凄くて、みんな弾き飛ばされてます!」
「馬鹿者が! 祈りが足りんのだ! もっと喉が枯れるまで聖歌を歌い、魔石を惜しみなく投入しろ!」
……ああ、見てられない。
俺は、安全な木陰からコンソール(石板)を叩き、流れるログを横目で追った。
『Critical Error: Buffer Overflow.』
『Warning: Memory Leak in Defense Script "HOLY_GUARD".』
「祈りでバグが治るなら、デバッガーなんて商売はこの世に存在しねえよ……」
俺は思わず毒づいた。
ログを見る限り、この『聖なる結界』は最悪の状態だ。
数百年の間に、歴代の村長たちが自分たちの都合のいい機能を勝手に追加し続けた結果、内部の処理が矛盾を起こしている。
その上、魔物の攻撃パターンが変わっているのに、検知ルール(シグネチャ)が数百年前のまま更新されていない。
今の魔狼たちは、結界の『隙間』を突いているんじゃない。
あまりに処理が重すぎて、反応が遅延している箇所を、ピンポイントで物理攻撃しているんだ。
「おい、サトウ! 貴様、さっきから何をぼけっとしている!」
俺の存在に気づいたバザルが、血走った目で詰め寄ってきた。
「お前も村の一員だろう! 早くその石板を捨てて、自警団と一緒に魔力を注げ! 貴様の魔力が尽き果てるまでな!」
「嫌ですよ。そんな非効率なこと」
俺は視線をコンソールから外さずに答えた。
「今の結界は、いわば穴の空いたバケツです。そこにいくら貴重な魔力を注ぎ込んだところで、地面を濡らすだけで終わりますよ。……あ、今、第五セグメントも『死に』ましたね」
「な、なんだと……!?」
バザルが空を仰ぐ。俺の言葉通り、村の反対側からも魔物の咆哮が響き始めた。
多重障害。
一箇所が落ちた負荷が、脆弱な他のポイントへ連鎖的に波及している。
「これ、設計した奴の顔が見てみたい。仕様書もない、コメントアウトもない。おまけにメイン処理の中に、村長の私室を暖めるための『隠し機能』まで常駐(常時起動)してやがる」
「そ、それは……伝統の維持に必要な……!」
「その『伝統』のせいで、今、村の防衛システムがカーネルパニック(全停止)を起こそうとしてるんですよ」
俺は大きく息を吐き、立ち上がった。
本来なら、隠居の身だ。
こんな面倒なことに関わる筋合いはない。
だが、このままシステムがダウンして、お気に入りのコーヒー豆の在庫が魔物に食い荒らされるのは、エンジニアとして許容できない。
「……バザル村長。一つ提案があります」
「な、なんだ……?」
「今から俺が、この結界の『不必要なプロセス』をすべて強制終了します。一時的に村中の明かりが消えますが、文句は言わないでください」
「強制終了だと!? 神聖な結界を止めるというのか!」
「止めなきゃ爆発しますよ。物理的に。……ギルさん、そこ邪魔です。デバッグの邪魔なんで、どいててください」
俺は呆然とする親子をかき分け、村の中央に鎮座する巨大な基石へと歩み寄った。
石板が青白く輝き、空中に無数の仮想ウィンドウが展開される。
「さて……。徹夜続きのリリース直前に比べれば、これくらいのトラブル、朝飯前だ」
俺の指が、見えないキーボードを叩くように、空中の術式を弾いた。




