第1回:SREは静かに暮らしたい
はじめに:
仕様書のない異世界へようこそ
もしも、異世界に転生したのが「勇者」でも「賢者」でもなく、毎日深夜までコンソールを叩き続ける「インフラエンジニア」だったら?
剣の才能も、炎を放つ派手な魔法もありません。
彼が持っているのは、カオスな地脈を整理し、スパゲッティ状態の魔導回路をリファクタリングし、予期せぬエラー(魔物)に例外処理を投げる「論理の力」だけです。
この物語は、理不尽な上司(村長)や、現場を知らないベンダー(騎士団)、そして強引な仕様変更を迫るユーザー(各国政府)を相手に、最強の「保守・運用」で世界を平定していく一人の技術者の記録です。
「世界を救う? いえ、システムの安定稼働を優先しているだけです」
コーヒーを片手に、今日も彼は石板を叩きます。
それでは、第1話から始めましょう。
目の前の空間に浮かび上がる、青白い幾何学模様の羅列。
それはこの村を数百年にわたって守り続けてきたという、伝説の『聖なる結界』の術式だった。
「……誰だよ、これ書いた奴。控えめに言ってクソコードだな」
俺、サトウは、愛用の魔導端末である薄汚れた石板を片手に、深いため息をついた。
前世では、二十四時間三百六十五日、一秒たりとも止まることが許されないインフラを支えるSRE(サイト信頼性エンジニア)として、死ぬ気で働いていた。
深夜のアラートに叩き起こされ、原因不明のパケットロスと戦い、無理難題を押し付けるクライアントに胃を焼かれる日々。
そんな生活に疲れ果て、過労死の果てにたどり着いたこの異世界。
俺が求めたのは、ただ一つ。
『完全自動化な、静かな隠居生活』だ。
だが、この辺境のナノハ村に移住して三日。
俺の「エンジニアの性」が、目の前の光景に悲鳴を上げていた。
「変数名が全部古代語で可読性ゼロ。おまけに、ループ処理の中に無駄な待機時間が仕込まれてやがる。これじゃ魔力の変換効率が、実効値で三十パーセントも出てないぞ……」
地脈から吸い上げた貴重な魔力リソースが、最適化されていない回路の中で熱となって霧散している。
インフラエンジニアとして、これほど不愉快な「無駄遣い」はない。
その時だった。
「おい、サトウ! こんなところで何を遊んでいる! 早く資材運搬のボランティアに行かんか!」
背後から、鼓膜を震わせるような怒鳴り声が響いた。
振り返ると、そこには豪華な刺繍が入ったローブをこれ見よがしに羽織った男――この村の村長、バザルが立っていた。
その隣には、彼をさらに小型にして傲慢さを煮詰めたような息子、ギルがニヤニヤと笑いながら控えている。
「遊んでるわけじゃありませんよ。村の防衛システムの……いえ、結界の現状確認です」
俺は端末を隠しもせず、淡々と答えた。
「はっ! モニタリングだあ? わけのわからん言葉を使うな。石板をなでていれば結界が強くなるとでも思っているのか?」
ギルが鼻で笑いながら、俺の肩を小突く。
「いいか、サトウ。結界ってのはな、『祈り』と『根性』で維持するものなんだよ。父上が毎日、聖水と魔石をこれでもかと注ぎ込んでるから、この村は安全なんだ。お前みたいな余所者は、黙って肉体労働で村に貢献してりゃいいんだよ」
祈りと、根性。
一番嫌いな言葉だ。
そんな非科学的なリソースでシステムが動くなら、前世の俺たちは苦労していない。
「……そうですか。ですが、その『聖水』のコスト、今の術式の無駄を省けば十分の一に削減できますけど」
「黙れ! 伝統ある儀式を愚弄するか!」
バザルが顔を真っ赤にして怒鳴った、その瞬間だった。
――キィィィィィィィィィィィン!
空気を切り裂くような高周波のアラート音が、村中に響き渡る。
いや、アラートではない。
それは、結界の『脆弱性』を突き破って、魔物が物理的な干渉を開始した合図だった。
「な、なんだ!? 何が起きた!」
さっきまで威勢の良かったギルが、情けない声を上げて腰を抜かす。
俺は冷静に、石板のコンソールに流れるログを目で追った。
『Warning: Unauthorized access detected at Segment 03.』
『Status: Excessive traffic (Demonic power) identified.』
「……予想通りですね。典型的な、多重アクセスによる過負荷(DDoS攻撃)です。しかも、バックドアから侵入されてる」
俺は飲みかけのコーヒーを地面に置いた。
どうやら、隠居生活の第一日目は、緊急の障害対応から始まることになりそうだ。




