第16話
三十度後半を上回る暑さの中、野球場では球児たちの熱い熱い掛け声と、吹奏楽の奏でる軽快なメロディー、そしてそれに追随するように生徒たちの明るい声援が響き渡る。
それを聞きながら球場外で亮太郎は大会初戦の青海大京府戦の先発投手である三上とウォーミングアップをしていた。
野手陣や先発以外の投手陣は別でまとまってウォーミングアップをしている。
先発投手のみ、前の試合後半からブルペンに入って投球練習をすることが許されており、野手陣よりも早く仕上げる必要がある先発投手と先発のキャッチャーは別でウォーミングアップをするのが大会ではどの高校も行っている。
球場によってはグラウンド内の端にブルペンが設置しているタイプと室内にあるタイプがある。
甲子園球場はグラウンド内の端に設置されているタイプであるが、西条が今日試合を行う球場は室内に設置されている。
球場外からブルペンの様子をガラス越しに見ることができ、強豪校やプロ注目のピッチャーにもなると観客がブルペンを覗きに来るのが通例である。
先発投手はその視線を意識しつつも準備を進めていく。
甲子園ともなると、ブルペンと観客席との間隔がネット一枚しかないため、この球場のブルペンで観客の視線を気にしていたら、甲子園では準備も何も出来なくなる。
いざ、ブルペン入りとなった亮太郎と三上であったが、今日の対戦相手である東海大京府の先発投手三河田の方に観客が集まっているのか思ってより観客が少なかった。
亮太郎が冗談交じりに言うと三上は「その方が集中できる」と意に返していないようであった。
三上もプロのスカウトが注目するピッチャーであることは間違いなく亮太郎には腑に落ちない思いもあったが、三上があまり気にしていないようであったので、亮太郎も今日の三上の状態を見極めようと投球練習に集中した。
数十分後、気付かなかったが、そのガラス越しに見知った姿が六人見えていた。
亮太郎と蓮の両親、そして蓮と櫻である。
亮太郎の目線の先に気付いた三上は試合前のルーティーンにもなっているストレッチとゴムチューブでのトレーニングをしながら亮太郎に問うた。
「亮太郎の家族か?」
「そうだよ、同年代の男が幼馴染でその両親と俺の妹」
「妹可愛いじゃん」
「何言ってんだよ。もう彼氏持ちだよ」
「うわ、残念。彼氏もイケメンか」
「そこにいる俺の幼馴染」
「まじで?ってことはお前の妹とそいつも幼馴染ってことじゃん。ドラマみてえ」
「そんなこと言って余裕だな。緊張しすぎるより良いけどさ」
「ばか、緊張で手足が震えてるよ。緊張隠しだよ」
そういう三上の手を見た亮太郎は本当の事だと気づいた。
僅かに震えていた。
さきほどまでの投球練習ではどの球種もこれまでの最高に近い状態で、あとは試合にどう入っていくかということだけであったが、エースとして引っ張ってきた三上であっても、この最後の大会となっては緊張を隠し切れないのだろう。
「そういえばあいつってこの前亮太郎に喧嘩うった慶明のピッチャーじゃないか?」
「そうだよ。そのお陰でこうやって三上の球を今ここで受けてるわけだけどな」
「そっか。でも慶明の試合って今日の最終試合じゃなかったか。こんなとこにいていいよかよ」
「あいつは野球部員じゃないからな。この前は、無理言って試合に出したもらったらしいんだ。なんでも野球部員の登録は慶明の監督が高野連にしていたらしい」
「ってことは、あのピッチングって何年ぶりの試合だよ」
「中三以来。まったくバケモンだよ」
「なんだってこの件にはバケモンみたいなピッチャーが何人もいるのかね」
「そのバケモンの中に三上も入ってるんだけどな」
「バカ言えよ。現にブルペン覗いてるのほぼ身内じゃねえかよ」
「この試合が終わったら分かるさ。どっちが上かってな。そうじゃなかったら三上のフォークのサインを出すのを怖がってた俺の立場がねえよ」
「そりゃそうか」
互いに笑いあうと三上が真剣な表情で亮太郎に「真面目な話するけどさ」と言い、続けた。
「こんなこと皆の前で言えないけどさ、佐藤が打席でケガしてうずくまった時、大会終わったと思ったよ。そりゃキャッチャーは佐藤だけじゃないし、皆必死に練習してるから嫌味じゃないけどさ、どうしても技術の差ってあるわけじゃんか。やっぱり佐藤のキャッチングやリード、そしてあの肩。何よりも試合中に限らず俺を理解してくれて何度もフォローしてもらってくるからな。けど、あのバケモンに打たれはしたけど、亮太郎が決め球にフォークを選んだ時、何か希望の光が見えた気がしてさ」
「何だよ希望の光って。それこそドラマでしか聞いたことないようなセリフだな」
「悪い悪い。あまりこうやって真面目に誰かと話すことなんてないからな。佐藤がいつも言ってたんだよ。俺なんかより亮太郎の方がキャッチャーとして数倍上だって。だから何でもアドバイスを求めるんだって」
「佐藤がそんなことを」
「でも、亮太郎が精神的に抱えているものが原因だと分かって、いつの間にか佐藤は亮太郎のためにも甲子園で優勝してお前のおかげだって言いたかったんだってよ。だからさ、逆に俺と亮太郎で佐藤に言ってやろうぜ。お前のおかげで甲子園に出場できるって。そしてその時に佐藤の怪我が治っている可能性は限りなく低いかもしれないから甲子園での出場は難しくても一緒に甲子園楽しもうって言いあいたいんだ」
「もちろんさ。佐藤がそんなこと思ってくれてたなんてな。何があっても負けられないな」
亮太郎と三上はグータッチをして三上のチューブトレーニングを終わるのを自分もストレッチをしながら待っていた。
そしてそんな様子をガラス越しに見ていた櫻は微笑みながら「青春だね」と蓮に話しかけた。
ガラス越しに見えるといっても音は全く聞こえず、何を言っているかもちろん聞こえなかったが、二人の表情と最後のグータッチでどういう話をしていたのかは櫻にも分かっていた。
「また泣くんじゃねえかあいつ」
蓮が微笑みながら亮太郎をからかうかのように言うと櫻も乗っかったように返した。
「ほんと、最近お兄ちゃんの涙腺崩壊中だからね。試合中に泣きださないか心配だよ」
すると亮太郎の母親が二人の頭を軽く小突き「聞こえたらどうするの」とたしなめた。
蓮と櫻は肩をすくめると笑いあった。
そんな様子を視界の隅で見ていた亮太郎は一人愚痴た。
「また、何か俺の事からかってんな」
そんな亮太郎の言葉を受けて三上は気を利かせてか「挨拶でもして来いよ」と顎をしゃくった。
「でも、大丈夫か。その緊張感のままで試合に臨んで」
「亮太郎がいてもいなくても変わらんよ。それに話すって言っても二、三分だろ。大丈夫だよ」
「分かったよ。すぐ戻ってくるからな」
そういうと亮太郎はブルペンから出た。
亮太郎がブルペンからいなくなったことでこっちに来ると分かったのか蓮たちはブルペン横の選手出入り口前に移動した。
すると亮太郎がキャッチャーボーグ姿で姿を現した。
「さっき俺の事からかってただろ」
亮太郎が唐突に言うと蓮の母親が「ほら」と蓮をたしなめた。
蓮は苦笑しつつ「悪い悪い」と言って続けた。
「そんなことよりいよいよだな。見た感じピッチャーの人もこの前の練習試合よりも良さそうじゃん」
「これまでで一番かって思うほど仕上がってるよ。あとはどうやって試合に入っていくかだよ」
「キャッチャーである亮太郎の腕の見せ所だな」
亮太郎が微笑むと今度は櫻が話しかけた。
「お兄ちゃん頑張ってね。昨日も言ったけど、お兄ちゃんが頑張っている姿が一番観たいから。どんなことがあっても諦めちゃだめだよ」
亮太郎は「おう」とユニフォーム越しに縫い付けてある御守りを握った。
すると、亮太郎の父親が真剣な表情で話した。
「昨日はなんかパーティーみたいな感じになっちまったから何も言えなかったけど」
言い終わるか終わらないかで、櫻が「おじさんと勝手に酔っぱらってたもんね」と突っ込むと、亮太郎の父親だけでなく蓮の父親も恥ずかしそうに頭の後ろを掻いた。
「ともかく頑張れ。母さんはもちろん、蓮の父さんや母さんも精一杯応援するから。正直、亮太郎は高校生のうちはこんなに笑って野球することは難しいと思ってたけど、安藤監督や蓮のおかげ、そして何よりも亮太郎のチームメイトのおかげでこんな姿が観れるんだ。父さんと母さんはそれだけで嬉しいし、自慢の息子だよ」
「やめろよ。試合前に泣かす気かよ」
「そうだな。とにかく精一杯悔いのないように野球を楽しんでこい。試合前にこんなこと言うのは本当はやめた方が良いのかもしれないが、もし亮太郎のミスで負けたとしても父さんや母さん、そして蓮の両親や蓮、そして櫻は亮太郎の味方だからな。何があっても野球を楽しむことを忘れるな」
亮太郎は大きく頷くと「ありがと」と言い残しブルペンへと戻っていった。
そのブルペンで三上と話す亮太郎の後姿は何歳も大人びて見えた。
太陽が真上から照り付ける正午過ぎ、とうとう球場内では互いの試合前のシートノックが終了した。
試合開始予定時刻は十二時半。
観客席はシード校が登場し始める二回戦といえど、過去に例をみない満席であった。
準決勝以降しか解放しない外野スタンドもこの日は優勝候補同士の試合ということもあって解放されていた。
それでも外野スタンドもすべて埋まり、決勝戦に等しい盛り上がりを見せていた。
両校の応援スタンドも互いに初戦であるにもかかわらず全生徒が応援に駆けつけており、この試合の互いの学校の気合の入り方も決勝戦並みである。
グラウンド内ではスプリンクラーにより水撒きが行われている中、西条高校のベンチ前では試合前最後のミーティングが行われていた。
「いいか、この試合緊張するなという方が無理かもしれんな。この球場の雰囲気、そして互いのエースが登板するとあってはお前たちも自然と緊張感が増すだろう。だけどな、こういう緊張感の中お前たちは毎日練習に励んできたよな。この緊張感に勝つためにも俺はお前たちに普段の練習から緊張感を求めた。正直俺だってお前たちにワイワイふざけあいながら野球をしたかったさ。だけど、それで勝てるほど高校野球は甘くない。それはお前たちが身を持って知っていることだよな。先輩たちが涙した姿を見ているお前たちだからこそ、その思いを背負えるし、ケガをした佐藤の思いも背負えるんだ。結果がどうなろうと悔いの残らない試合をしろ。そうすれば自ずと頂点は見えてくる。最後まであきらめずに戦い抜こう!」
安藤の檄に選手たちのボルテージは最高潮に上がった。
選手たちはスタンド前で恒例のエンジンを組んだ。
そしてその時を迎えた。
十二時半、運命の火ぶたが切って落とされた。
試合は思わぬ展開を見せていた。
高校の西条は守りから試合に入ることになった。
投手戦が予想された試合は西条のエース三上の投球で初回から予想を大きく裏切る展開となった。
三上が立ち上がりから制球を乱し五四死球を含み四失点。
何とか最後のバッターを打ち取ると意気消沈した面持ちでベンチに戻った。
亮太郎はブルペンでの三上の様子にもっと気を配るべきであったのだ。
明らかに緊張とプレッシャーで普段の投球ができなかった。
五四死球など制球力の良い三上にとって一試合すべて投げ切ったとしてもたまにしかない結果である。
氷を後頭部に当てうなだれる三上の横に腰かけた亮太郎はなかなか言葉が出てこなかった。
なぜ、もっと三上に気を配れなかったのか。
違う。異変には気付いていた。
手が震えるほど緊張することなどこれまでなかったはずだ。
亮太郎は自分のことに精一杯で三上の緊張やプレッシャーを和らげる手助けが何も出来なかったのだ。
すると、三上が微笑みながら亮太郎に声をかけた。
「キャッチャーがそんな顔するなよ。俺まで気が沈んじまうよ。あと八回ある。切り替えようぜ」
キャッチャーとして言わなければならないことを、ピッチャーである三上から言われてしまった。
自分の顔をに三回たたくと頭をリセットし、三上にたわいもない話をしながら立ち直るよう促した。
すると、青海大京府のエース諏訪野も三上同様、制球を乱し三失点。
初回を終了し四対三と思わぬ展開となった。
この試合はもはや乱打戦か、どちらのピッチャーがいかに早く立ち直れるかの勝負となった。
二回に入っても三上はピリッとせず、一つの四球と安打で一アウト一塁二塁のピンチに陥った。
次打者は春の大会で本塁打を連発していた強打者。
なんとか二ストライク二ボールと追い込んだ。
本来ならば、フォークボールでしめる所だが、今日の三上の調子でフォークボールを思ったように操るのは不可能に近い。
抜けて高めに大きく外れる可能性もあれば、はるか手前にワンバウンドしてしまう可能性が高い。
しかし、ここで相手チームの中心打者であるこの打者に打たれてしまったら流れが完全に相手にいってしまう。
考えているうちに、三上が亮太郎のサインを待つ形になった。
無難に直球を要求しようかと気持ちが傾いたとき、三上が微笑みながら大きく頷いた。
信じてくれという意思表示だろう。
亮太郎は三上を信じた。
フォークボールの制度が今一な今の三上の投球に、打者がほかの球種を捨ててフォークボール一点待ちなのは考えにくい。
いつものフォークボールならば必ず空振りする。
亮太郎がフォークボールのサインを出すと二度頷き三上がセットポジションに入った。
三上から放たれたボールは明らかに低い。
そこから鋭く落ち、ホームベースの手前にバウンドした。
亮太郎の読みが当たったのか打者は思わず空振りをした。
しかし、いわゆるハーフバウンド気味になったボールはキャッチャーが一番取りづらいと言われているボールである。
捕るのを諦め、身体でブロックしようと身体をすこし前屈み気味に膝をついた。
――死んでも止めてやる!
思ったよりも大きく跳ねたボールは亮太郎の右肩のわずか上を越そうとしていた。
亮太郎はとっさに身体を浮かせて右肩でブロックした。
ボールは亮太郎の前に落ち三振が成立した。
思わず亮太郎は叫んだ。
気持ちで止めた一球であった。
そんな亮太郎を見てか、うって変わって次の打者を三球三振で打ち取り、チームのムードが上向きに変わった。
そんな勢いのまま、西条高校は次の回にも調子の上がらない諏訪野を攻め立て、三点を奪った。
二回で六対四とリードを奪うことに成功した。
青海大京府の監督は二回終了と同時に激しい口調で選手たちに身振り手振りで檄を与え、緊張した面持ちだった選手たちの表情が戦う表情に変わりつつあった。
そんな相手ベンチを見た安藤は選手たちに「ここからが本当の勝負だぞ」と気を引き締めなおした。
諏訪野はその檄があってか三回から別人のような投球を披露し試合後半まで、一人の走者も許さない完ぺきなピッチングを披露した。
対する三上も亮太郎の気迫のブロックから普段の投球を取り戻し、走者は出すも、要所を締める投球で無失点に抑えていった。
そして、迎えた八回裏の西条高校の攻撃。
諏訪野が立ち直り本来の戦い方を取り戻した青海大京府の打撃陣の打球も明らかに強い打球が増えてきており、少し嫌な流れになってきている。
なんとしても八回裏に追加点を取って相手のリズムを崩したい西条高校の先頭バッターは亮太郎である。
亮太郎はこの試合、全て四球と明らかに相手バッテリーが警戒していた。
春の大会でも一塁手で本塁打を含む打率四割を超える好成績を上げていた亮太郎に、相手チームのマークがきつくなるのは当然の事であった。
しかし、試合終盤の次の一点が試合を決めかねないこの場面で、先頭バッターである亮太郎に四球で塁に出したくはないだろうと亮太郎は初球に集中した。
そしてその初球。
厳しいコースだが、今までで一番甘い球。
厳しいコースばかりを攻められていた亮太郎にとって、少しでも甘く入ってくればその球は通常よりも遙に甘く感じ強くスイングできるもの。
思い切り振りぬき、快音とともにボールはレフトスタンドに一直線。
いつものようにスタンド最前列で金網に張り付いて声を張り上げ応援していた櫻も打った瞬間に確信する大きな本塁打となった。
櫻は思わず蓮に抱き着き、蓮も珍しく大声で歓声をあげる。
一塁ベースを踏み本塁打を確信した亮太郎はベンチに向けて握りこぶしを振り上げ、二塁ベースを回ると今度は蓮と櫻が観ているであろうスタンドに向けて何度もこぶしを振り上げた。
それに応えるように蓮と櫻もこぶしを振り上げ、櫻だけでなく蓮も金網に張り付きながら「亮太郎!」と何度も声援を送った。
この一点が相手に響いたのか、それとも三上に大きく力を与えたのか最終回の攻撃は三上が三者連続三振を奪う快投で西条高校は初戦にして優勝候補との対決を七対四で制した。




