第15話
梅雨も明けからっとした暑さの中、西条高校野球部の選手たちはグランドの隅で監督によるミーティングを受けていた。
大会ムードに入っているかに思われた選手たちの表情はその逆で悲痛な面持ちであった。
「残念だが、今大会は佐藤はメンバー登録をあきらめずを得ない」
佐藤とは先日の慶明との試合でスイング時バランスを崩して手を負傷した選手であった。
その後、アイシングなどで数日様子を見ていたが、症状が悪化するばかりだったので、レントゲンを撮ったところ骨折していたのだ。
大会開幕は二週間後。
初戦どころか、決勝に進んでも試合出場は絶望的であった。
「ここまで共に切磋琢磨してきたが、最後の大会をこのような形でメンバー外ということになったのは本人も本当に悔しいと思う。けれども、メンバーに入れなくとも、チーム全員で勝利を目指すのは西条高校のモットーだ。佐藤だけでなく限られたベンチ入りメンバーから外れた者も一丸となって甲子園を目指して戦っていこう」
安藤の言葉に選手たちは悲痛な面持ちから大会に対する覚悟を再認識したかのような表情になっていた。
「ここで、ポジションのコンバートの話だ。亮太郎、今日からキャッチャーの練習に入ってくれ。基本的には亮太郎が軸で大会に挑むぞ」
皆の視線が亮太郎に注がれる。
安藤は隠していたが、亮太郎の心の状態のことは選手全員が察していた。
安藤がミーティングなどで亮太郎ということは伏せてさりげなく話題にしていたから、亮太郎に対して変な目をする選手はおらず、そのお陰もあってキャッチャーとして試合に出場する決断を下せたのだろう。
元来、強肩強打の亮太郎のキャッチャーのセンスは選手皆が認めていることで、負傷した佐藤も亮太郎に何度もアドバイスをもらっていた。
「このことは佐藤からの願いでもあるんだ。先日の慶明戦での亮太郎のリードやキャッチングを見ていたら、もう亮太郎は大丈夫だと思ったそうだ」
亮太郎は佐藤の思いに何も言葉にできなかった。
「何か言ったらどうだ。佐藤だけでなくメンバーの大半はお前のキャッチャーセンスは認めている。あとは亮太郎が乗り越えるかどうかを待ってたんだ。佐藤がこれまで亮太郎以上のキャッチングやリードを出来ていたのは、困ったときに亮太郎ならどうするかと考えることが大きかったようだぞ」
先日の蓮といい、佐藤といい俺の仲間はなんでこんないいやつばかりなんだ。安藤にしても自分の事を皆が不審がらないように少しずつ皆に自分の心の状態のことを意識づけてくれた。
西条高校に入って本当に良かった。
今度は俺が皆に恩返しする番だ。
亮太郎はその決意を胸に秘めていた。
しかし、主将である槙田に一蹴された。
「俺たちに恩返しするとでも思ってんじゃないだろうな。そんなことはまっさらごめんだからな。俺たちは何も特別なことはしちゃいないさ。お前の心のことだって、病気だなんて思っちゃいないよ。野菜が好きな奴もいるし、嫌いな奴もいる。それと一緒で個性だからよ。野菜の大食い大会を目指していた時に、野菜を克服できないから応援するのと同じだと思ってたよ。そう思ったら大したことないだろ。だから、恩返しだなんて思わずに目の前の対戦相手に集中して甲子園行こうぜ」
槙田の言葉に思わず涙を流した亮太郎は皆にイジられながらも大会に向けて決意を新たにした。
二週間後、亮太郎にとって高校生活最後の大会の初戦を迎えた。
その対戦相手はまさかの相手であり、甲子園常連校の青海大京府。
最近では三年前に甲子園に出場しており甲子園でも準々決勝に進みその名は県内では知る人ぞ知る名門校であった。
しかし、夏の大会のシード権もかかった春の大会でまさかの初戦負け。
その前年の秋の大会でその年夏の大会で西条が敗れた三坂東と当たり延長戦までもつれ込む熱戦を繰り広げたものの三坂東に押し切られる形で敗れた。
秋の大会にて新チームになることから、新たにシードを決めるシード戦なるものがあるのだが、そこで三坂東がまさかの敗戦。
夏に甲子園に出場していた三坂東は甲子園を三年生主体で挑んでいたので、新チームになった途端試合経験が少ない選手たちになってしまい、普段では考えられないようなミスを連発し敗れていた。
そんな三坂東が初戦当たることになったのはシード戦を難なく勝ち上がった青海大京府であった。
シード戦からある程度日程が開いたこともあって、元々個人の実力は全国クラスの選手たちが集まる三坂東は強豪と言えるチームを少ないこの期間で鍛え上げ、万全の状態で秋の大会に挑んでいた。
そんな三坂東と敗れたとはいえ熱戦を繰り広げた青海大京府はこの夏の大会、西条、三坂東と並んで優勝候補筆頭であった。
抽選会場では、青海大京府がどのブロックに入るか注目が集まったが、西条のブロックに入ったことも驚きであったが、初戦にぶつかることになり、抽選会場はどよめきが起こった。
抽選には監督、部長、主将が出席しており、くじを引いた槙田は監督である安藤と目を合わせると苦笑いしたそうだ。
抽選会場の席に戻った安藤と槙田は部長が会場の雰囲気にのまれあわあわしているのを横目に、すでに切り替えて優勝候補を一つ潰せると闘志を燃やした。
それは抽選結果を報告した選手たちも同様であった。
「初戦からこの方が何の気兼ねもなく全力を出せる」
「この方が勝った時勢いに乗れる」
「いつかは当たる相手だ。最初に叩いた方がいい」
と前向きな言葉ばかりであった。
そんな青海大京府にはプロドラフト間違いなしの左投手、三河田がいる。
長身から投げ下ろす直球は一四〇キロ後半で、とてもじゃないが高校生では打ち返すのは難しく、間違いなくローゲームの試合になるだろうことは想像に難くない。
しかし、西条のエースである三上もその三河田には見劣りするものの、プロからの話は来ているようで、将来は全国クラスの大学もしくはプロ入りどちらかは確実の好投手である。
そんな三上をリードする亮太郎は青海大京府戦を前に一点が普段の試合以上に大きな意味を持つことを意識しながら大会前の期間を過ごした。
配球はもちろんのこと、青海大京府戦の先発が決まっている三上の状態を練習からボールを受けながら細かくチェックしていた。
毎年、春の大会をシード権内まで確実に勝ち上がる西条は、夏の大会初戦はエースであるピッチャーを使わないことが多い。
真夏の炎天下の中、大会を勝ち進むにあたって、少しでもエースであるピッチャーの疲労を貯めさせないためだが、相手が青海大京府ならばそんなことは言ってられない。
試合に臨む西条は決勝戦に臨むような緊張感であふれていた。
試合前日、亮太郎の家では蓮の家族皆と亮太郎の家族皆で厳かな決起集会が行われていた。
さすがに試合前日にパーティーをするわけにもいかず、亮太郎の緊張をほぐそうと蓮の家族が食事の場に来たということだ。
その亮太郎の緊張を最初はほぐそうとしていたが、酒が入った亮太郎と蓮の父親は二人だけの世界に入り、甲子園に行ったら自前のTシャツを作るだの、応援バスを出すだの話で盛り上がっている。
溜まらず櫻が「気が早いって」とたしなめるも二人は聞く耳持たず。
「そんなのに早いも遅いもあるか。亮太郎の最初で最後の甲子園なんだから、目一杯応援するさ」
「いや、だからまだ甲子園決まってないでしょ」
すると蓮の父親が顔を赤らめながら言った。
「何を言ってんだ。亮太郎がキャッチャーでスタメンなら勝てる相手なんかあるかい」
するとその言葉に亮太郎の父親が返す。
「でも、この前、蓮とこの慶明にほぼ負けてたけどな。蓮が投げてた八回まで勝ってたんだろ」
すると両母親が「バカタレ」と真剣な表情でたしなめた。
ちょっと悪ふざけが過ぎたと悟ったのか、亮太郎の表情を伺う両父親に亮太郎は苦笑しつつも決意を込めた言葉で言った。
「あれにはまいったな。だけど、あの試合がなかったら間違いなく、キャッチャーに復帰することはできなかったうよ。佐藤のケガもあるけど、もしケガをしていなくても俺自身大会に集中できるじょうたいになってたから。だから蓮には本当に感謝してるよ」
先ほどまで親同士のやり取りをあきれ顔で黙ってみていた蓮は自分の名前が出るとは思っていなかったようで亮太郎からふられてドギマギしてしまったも、正直な気持ちを話すことにした。
「正直なところ、もう少し早く自分の状態を皆に相談できていれば、俺も亮太郎と同じ西条は無理でも慶明の野球部で亮太郎の西条と甲子園をかけて戦えたかもってすごい思う。だけど、現実もう出れないわけで。でも不思議と後悔なんてないんだ。こうやって亮太郎が自分の一つの山を乗り越えてやっと本気で甲子園に向かって戦うんだから、俺はその亮太郎を応援したい気持ちで一杯だよ」
亮太郎がまた涙を流そうとすると、櫻が「あ、また」と亮太郎の胸を小突いた。
「最近、お兄ちゃん涙流してばっかり。次の涙は甲子園出場が決まった時だからね」
亮太郎はうなずくとふと蓮の父親と目が合った。
すると、蓮の父親は亮太郎が涙を我慢しているのがばかばかしくなるくらいに泣いていた。
それに気づいた一同は驚き、蓮の父親を凝視していた。
何の合図か右手を上げ蓮を向くと「大人になったな」と残り少なくなった缶ビールを一気に口に運んだ。
「高校野球っていうのはこんなにも、子供を成長させるんだな。亮太郎は俺から見てもみるみる成長しているし、亮太郎が高校野球やっていなかったら、蓮が一試合でもマウンドに上がることなんてなかっただろうし、心から好きな野球を楽しむなんてことをできるようになるのがいつになるか分からなかったからな」
蓮と亮太郎は恥ずかしそうに微笑みあうと、亮太郎は高々に宣言した。
「俺、ここで誓うよ。皆を甲子園に連れてくよ。だから、Tシャツでもなんでも作って応援しててよ」
「よく言った」
「それでこそ俺の息子だ」
と両父親が手を叩いて鼓舞すると、櫻も微笑みながら手を叩いていた。
「なんか亮太郎の緊張をほぐすことが目的だったのに、ほぐすこと何もできなかったな」
亮太郎の父親が言うも亮太郎は「そんなことないよ」とほほ笑んだ。
それをきいてか蓮の父親が切り出した。
「そういえば蓮と櫻ちゃんはどうなってるんだ。よく二人で遊びいっているようだけど。二人とも年ごろなんだからお互い、彼氏彼女作らないのか」
この言葉に緊張がほぐれるどころか、皆あっけにとられたような表情で蓮の父親を見やった。
話し出したの蓮の母親だ。
「あんた、何も気づかなかったの?」
「何が?」
「それは…ねえ」
蓮の母親は亮太郎の両親に問いかけると、亮太郎の両親は分かっているようで何度か頷く。
「どういうことだよ。何か俺だけのけ者になってるじゃないか」
それを見た蓮は思わず突っ込んだ。
「もうそれ以上恥をさらすなよ。息子として恥ずかしすぎる」
この蓮の言葉に笑いを堪えながらも蓮の父親以外は何度も頷いていた。
その後、蓮と亮太郎の父親は飲み足りないと飲み続け、二人の肴等の世話をしていた両母親をリビングに残して、亮太郎と蓮、櫻は亮太郎の部屋に行った。
「ったく、どんだけ鈍感なんだよ。よく母さんはあんな人と結婚したよな」
蓮が言うと櫻は笑いながらもフォローするかのように言った。
「男の人はそのぐらいがいいんじゃない。蓮君だって負けず劣らずだったよ」
「マジ?」
「そもそもショッピングモールでって、しかも相手の兄がいる所では中々だよ」
亮太郎はおどけたように腕を組みながら何度も頷く。
その姿に蓮は笑いながらも苛立ったように「亮太郎だけにはイジられたくないな」と亮太郎の腕をほどいた。
そんなやり取りの後リビングの方から蓮の両親が「先に帰ってるよ」と声がしたので、蓮も帰宅しようと最後に亮太郎に言い残した。
「とにかく、明日は頑張れよ。もちろん甲子園に行ってほしいけど、俺は亮太郎が試合で真っすぐに相手にぶつかる姿を見れるだけで満足だからさ。櫻だって父さん母さんだって同じだと思うぞ」
「ありがとな」
互いに微笑みながら三人は分かれた。
亮太郎と二人になった櫻は思い出したようにポケットから御守りのようなものを差し出した。
「蓮君も言ってたけど、どうなっても私はお兄ちゃんの味方だから。私や皆も、もちろん甲子園を期待するけど、結果がどうだろうと悔い残さず頑張ってね」
「何か照れるな。そんなこと兄に言えるのきっと櫻ぐらいだろうな」
「そうかもね。こんなこと言ったらいけないのかもしれないけど、最近あの事故があってよかったと思うんだよね。世間の兄弟見たらさ、何でお兄ちゃんやお姉ちゃんのことあんなにないがしろにするのかなって思うもん。私はあの事故のおかげもあって、お兄ちゃんが本当にお世話してくれたし、私だってお兄ちゃんに素直に感謝できるし、ずっと大好きでいれるから」
「やめろよ。また泣けてくる」
「こうやってプラスの方に思えるようになったのもお兄ちゃんや蓮君のおかげだよ。蓮君も練習試合だけど、あんなに楽しそうにボール投げてたし、お兄ちゃんだって最後の大会にキャッチャーとして出ようとしてる。そういうの見て本当に勇気もらうし、私も頑張ろうと思えるんだよ」
亮太郎は我慢するのを諦めたかのように涙を流して聞いていた。
櫻も涙を浮かべながら必死に兄である亮太郎に気持ちを伝えていた。
「だからさ、さっきも言ったように私にとってお兄ちゃんが野球を心から楽しんでいるのを見れるのが一番だし、普段見せないようなカッコいい表情で相手に向かっているお兄ちゃんを見るのが何よりものエネルギーだからさ。きっとお父さんやお母さんも一緒だよ」
亮太郎は言葉にならない声を出しながら何度も頷いていた。




