第12話
秋が近くなり、暮らしやすくなったが、葉は枯れ始め否が応でも夏の終わりを感じさせる季節になってきた。
夏が終わるからと、海やバーべキューにくりだす人も少なくない。
そんな中、蓮と亮太郎は毎週恒例となっている安藤との面談を行っていた。
桜木総合メンタルクリニックに定期的に通うようになった蓮と亮太郎だが、その通院以外にも別の角度から二人のケアをするということで、西条高校の練習が休みの週一日を面談日と決めた。
これは、安藤の教え子である亮太郎がいることが大きいのだが、蓮も同席しているのは亮太郎の症状を軽くするのも蓮次第という思いがあってのことであった。
いつものように、中学校時代の話を順を追って話すことに特化していた。
先日の球場で蓮が倒れてしまった直前に見えたイメージ。
それは、まぎれもなく中学生時代最後の大会で全国大会決勝戦の場面であった。
その時のことが映像となって頭に浮かんだことを話した蓮であったが、亮太郎も同様のことを言っていた。
先日の大会で勝ち越し点を与えてしまったプレー。
投球がワンバウンドになり、キャッチャーが後ろに逸らしてしまったプレー・
そのとき、亮太郎も頭に浮かんで、動揺を隠せなかったという。
安藤は蓮と亮太郎に詳しい話を聞くと、二人でも気づいていなかったが、中学生時代最後の大会でどのようにして負けたのか、話したこともなかったようで、頭にも浮かばなかったという。
おそらく記憶にもなかったと。
それもそのはずで、それだけ勝ち進んでたどり着いた全国大会の決勝での試合をチームの中心だった二人が、そして今もなお、一緒にいる事が多いにも関わらず話さないというのは少し考えられないことである。
それからというものの中学時代の話題を中心に面談を続けていた。
この日も、いつものように段階的に遡り、終わりに近づいてきたころ、蓮が突然言った。
「もしかしたらマウンドに上がれるかもしれない」
これには亮太郎をもちろんのこと安藤も驚きを隠せなかった。
「そう思ったならすぐにでもマウンドに上がってみよう」
安藤は蓮のこの前向きな言葉に蓮の心の中の変化を感じた。
これはまたとないチャンスかもしれないと、その場でグラウンドに出た。
しかし、蓮にいつ異常が起こるか分からないので注意深く蓮を観察しながらマウンドへと向かった。
深呼吸すると、プレートに足を乗せた。
「どうだい?」
安藤が訪ねると蓮は「なつかしい」とほほ笑んだ。
安藤は「待っててくれ」と監督室に行くとグローブと、キャッチャー用のミットを持ってきた。
「投げてみるかい?」
蓮は頷くと亮太郎が「それだったら僕受けます」と安藤からキャッチャー用のミットをもらうとホームベースの奥であるキャッチャーの位置に座った。
――何だろう、この気持ち。
亮太郎は素直にそう思っていた。
練習で座ると恐怖心が凄くて足が震えだすが、中学生時代の感覚を全身で思い出す。
蓮は最近ではあまり見せないような、優しい表情をしていた。
すると、蓮は足を上げ、投球モーションに入った。
――ちょっと待て、今蓮はどんな球投げるんだ!?
イメージが出来ない蓮の球に不安があったものの、それは楽しみからくる不安のようなものであった。
それよりも、懐かしい蓮の投球フォームに亮太郎の心は踊っていた。
そして、気づいたら蓮の指から放たれたボールは亮太郎の構えているミットに収まっていた。
安藤も口をあんぐりさせていた。
亮太郎からしたら安藤のあんなまぬけな表情は見たことがなかった。
我に返った安藤は思わず笑っていた。
「まったく、蓮君には中学生時代から驚かされっぱなしだよ」
「中学の時?」
蓮は不思議な顔をして訪ねた。
「今だから言うとね、二人の最後の大会である全国大会なんだけど、準決勝を見に行ってるんだよ。それでその時に声をかけようと思っていたのは亮太郎だけだったんだよ」
思わぬ安藤の言葉に亮太郎は驚いていた。
亮太郎は安藤に声をかけられてから、蓮が一番で自分はたまたま蓮の相棒ということで声がかかったとばかり思っていた。
「それで、蓮君のボールを見たときには驚いたよ。なんでこんな子をチェックしとかなかったんだって」
蓮は恥ずかしそうに否定しているが、亮太郎にとっては寝耳に水であった。
「ま、でも期待以上に亮太郎が打つもんだから思わずこの前の試合ではスタメンで使ったが、俺の目に狂いはなかったようだね」
亮太郎も恥ずかしそうにするが、亮太郎はふと思った。
こんな高校野球の監督、どこを探してもいないと。
OBの人たちが卒業した後監督に誰もが感謝の念をいだいたり、慕い続けるというのは、監督の本当の姿はこういうところなのかもしれない。
それは他の高校の野球部でも同様ではないか。
誰も好きで厳しく接しているわけではない。
指導という面で厳しさというものが必要になってくるのだ。
そして、将来野球に続けるにしても続けないにしても、比べ物にならないくらいの厳しい環境というのはいくらでもある。
それを分かっているから監督というものは厳しく接している。
亮太郎はこの時そう思ったのであった。
「一番大事なのは、どうして蓮君がここまで回復できたのかってことなんだ。もちろんバッターを立たせたり試合に出たわけではないから完治とまでいかないだろうけどね」
それは亮太郎も思うことである。
すると、安藤は蓮の顔を覗き込むようにして蓮に尋ねた。
「蓮君と亮太郎の根本の原因は櫻ちゃんの事故であることは間違いない。そして、心の奥底に眠っていたものが一気に放出されてしまったのが中学生時代最後の大会でのバッテリーミスによる失点であることは判明したきたよね。中学生時代の話を中心にしてきたけど、そこまで変わった話をした覚えがない。そうなると櫻ちゃんに関わることなんだが、蓮君は最近、櫻ちゃんに関わることで何かあったのかい?」
亮太郎には一つだけ思い当たる節がある。
あの花火祭りでの一件だ。
蓮と櫻がかき氷を買いに行くと言って二人で行った後、帰りが遅いと美里が様子を見に行ったのだが、帰ってきたのは櫻と美里。
そして、櫻はグズグズと泣いていた。
亮太郎は驚くとともにそこに蓮がいないことに不信を覚えた。
「どうした?蓮は?」
美里が無言で首を振ると「一切言わないの」と櫻の背中を何度も撫でていた。
亮太郎はどうして良いのか分からず、三人で花火を見たがあんな悲しい花火は初めて出あった。
妹である櫻が泣いていて、親友である蓮は帰ってしまったのか姿が見えない。
後に美里に聞いた話は、探していると小さい人だかりができていたので、万が一と思い覗いたら櫻が困ったような顔で蓮を見ていて、蓮が視線を外し俯いていたという。
駆け付ける時に男の声で怒鳴ったような声が聞こえたようだったが、屋台通りで騒がしかったこともあり、その声が蓮であったのかは分からない。
しかし、美里が駆けつけた途端、「ごめん、今日は帰る」と言い残して走り去ってしまったのだという。
その姿をみた櫻はそこで泣き出してしまい、何を聞いても教えてくれないという。
亮太郎が蓮や櫻に聞いてもはぐらかされるばかりで、櫻に至っては「お兄ちゃんには関係ないでしょ」と突っぱねられる始末である。
そこから、蓮と櫻がどうなっているのかまだ数日しかたっていないし、学校も別なので分からない。
美里に聞こうと思ったが、櫻と同じように突っぱねられそうな気がして聞けずにいた。
そんな中での今日であった。
蓮の様子を見るとあまり心配しないどころか、何か良い方向に動いているようで胸をなでおろしていた。
やはり、蓮は安藤にもあまり言いたくないような感じだった。
そんな蓮に安藤は「無理には聞かないけど」と言って続けた。
「蓮君がこの先もっと良くなるためには、必要な事だけどね。亮太郎が何か知っているような表情だから、聞いて良いかい?」
蓮はしばらく考えたが、頷いた。
思わずお鉢が回ってきた亮太郎は知っていることは少ないが、説明した。
しばらく聞いていた安藤であったが、美里が聞いた怒鳴り声の所で数度頷いた。
全て聞き終えた安藤は蓮に言った。
「おそらくそれは蓮君だね。もしかして、蓮君は心に大きくあるもので、だけどそれは蓮君の頭の中には入っていないようなものを吐き出したんじゃないかな。簡単に言うと思ってもみなかったことを感情的に言ってしまったとか」
蓮は図星だったので安藤をまじまじと見てしまった。
「そんな顔しないでくれよ。これでも長い間人と接する仕事をしているからね。美里にも聞いたけど蓮君はあまり感情的になることがないよね」
蓮は自分でも分かっていたので頷いた。
「それ自体は悪いことでも何でもないんだ。人には性格というものがあるからね。だけど、そうなってくると蓮君が感情的に言った言葉っていうのは蓮君を診ている僕からすると、かなり大きい意味を持ってくる。しかも、それが櫻さんということもね」
蓮は分かっているようだが、何も話そうとしない。
「さっきも言ったけど、無理に言わなくて良いからこれ以上は聞かないよ。だけどね、現状蓮君がこうやってマウンドに立てたということを考えると、櫻さんという人物が蓮君にとってかなり重要になってくることは間違いないんだよ。それは頭に入れておいてほしいな」
蓮は「はい」と返事をする。
そんな蓮に安藤は微笑むと「これは聞き流してもいいけど、一人の男としてアドバイスしてもいいかな?」と蓮に同意を求めた。
蓮が頷くと安藤は言った。
「蓮君がどうとかという話じゃないし、これは日本中の男の子に言えることだと思うんだけど、失ってからじゃ遅いんだ。あの時こうしていれば良かったとかね。例えば女として意識していなかってけれど仲が良かった女の子と喧嘩して話さなくなり、そのまま音信不通になって大人になった。そして相手の女の子は結婚していた。年を重ねるごとに男の子は自分の気持ちに気付いていった。だけど、相手の女の子は結婚してしまっていた。その男の子は思うよね。あの時、喧嘩しても何とか仲直りする術を探し出しておけばよかったなとか、全力でその女の子とぶつかっておけばよかったとかね」
蓮はみるみるうちに肩を落としていった。
亮太郎は安藤が言わんとしていることを考えた。
蓮にそういうことを言って何になるんだ?
その時、蓮の様子を見ていた亮太郎は一つの考えを思いつく。
安藤の少し前からの話を総合すると、蓮はまさか。
「蓮、お前…」
すると、安藤は微笑みながら言った。
「別に恥ずかしがることなんかじゃないんだよ。僕が一番言いたいのは、感情的にでも自分の悩みや本心を何でも言える相手がいる事が大切だってことなんだよ。家族がいるじゃんって思うかもしれないけど、蓮君も亮太郎も今まで家族には自分の症状について相談することが出来なかった。でも、それは人間誰でもそうなんだよ。親っていうのは近すぎて、心配させたくないって思う存在なんだよ。特に愛情を注いでくれたと感じることが出来ている子供はね。でもね、同年代の友人っていうのは、お互いに同じような悩みを持っていると無意識のうちに思っているから話してしまうんだよ。大事だと思っている友人だと尚更ね」
安藤は二人の反応を見ながら続けた。
「大事だと思うほど親には言えず、友人だと言える。だから、親は友達は大切にしなさいっていうんだろうね。そういうことは大人になって気づくものだからね。ちょっと話がそれちゃったけど、もしも何かがあって蓮君が櫻さんに感情的になってしまったんだとしたら、蓮君は櫻さんのそばを離れちゃいけないよ。感情的になれる相手っていうのはどんな宝石よりも大切なものだからね」
蓮は安藤の言葉を噛みしめた。
今日はこのまま解散しようということになり、安藤が監督室を施錠しようと蓮の前を通り過ぎようとしたとき、安藤が蓮の耳元で囁いた。
「自分の気持ちに正直でないと女性はすぐに愛想をつかしちゃうもんだよ」
とイタズラっぽく微笑むと鍵を取り出しながら歩いて行った。
「何だって?」
とその様子を見ていた亮太郎は蓮に尋ねるも「亮太郎には関係ない」と突っぱねられてしまった。
「お前もかよ…」
と悲しい気持ちになる亮太郎であった。




