変わりだした情勢
「よかったら、聞かせてくれないかしら?」
私は訊ねた。
「最近、侯国内のいくつかの領地で不穏な動きがあるのですわ」
「不穏な動き?」
「税の引き下げを求める嘆願が相次いでいるほか、一部の領主が中央からの指示に従わないことも増えているそうです」
「それって……」
「まだ何か、というほどではありませんわ」
マルティナは紅茶を一口飲んだ。
「けれど、父はかなり警戒しています。特に戦争で疲弊した領地では、民の不満が相当溜まっているようですの」
「……そう」
私は薔薇の庭園を眺めた。
そんな話は、ゲームにはなかった。少なくとも、私が知っている『千年を綴る五線譜』には。
「グラント様のところにも、何か報告は来ているのではありませんこと?」
「たぶん……」
「たぶんって」
また呆れられた。
「オフィーリア、あなた、本当に国のことに興味がありませんのね」
「興味がないわけじゃないんだけど……」
私は苦笑する。
仕方がない。私はもともと、国政なんてものとは縁のない人間だった。
しかも、テヌール侯国は大なり小なり戦争を繰り返してきた国だ。
前世の私は、ニュースで遠い国の戦争を見ても、どこか自分とは別の世界の出来事として眺めていた。
この世界でも、それは変わらなかった。
それ以上に、オフィーリアとして四年も生きてきたというのに、私は結局、目の前にある幸せばかりを見ていたのかもしれない。
「でも……」私はマルティナを見る「あなたは世間をちゃんと見ているのね」
「当然でしょう? 父が宰相なのですもの。家で食事をしていれば、嫌でも耳に入ってきますわ」
「あなたも国の情勢とかそういうの、自分なりにいろいろ考えたりするものなの?」
「まあ……それなりには」
少し照れたように、マルティナは視線を逸らした。
……普段はあんな調子なのに。
縁談が嫌だとか、甘いものが食べたいだとか、どこかに遊びに行くだとか。
そんな話ばかりしているから、すっかり忘れていた。
彼女は宰相の娘なのだ。国の中枢にいる父親のすぐそばで育ち、国がどう動いているのかを、私なんかよりずっと身近に見てきた。
「……やっぱり、マルティナはすごいわね」
「な、何ですの、突然」
「ううん。なんでもない」
私は笑った。
「でも、オフィーリアにも、もう少し世の中のこと、この国のことに興味を持ってほしいですわ」
マルティナは少しだけ真面目な調子になって言った。
「え……ええ……」
「あなたは、どこか私たちとは違う視点を持っていますわ。あなたとそういう話ができるようになればきっと新鮮な意見交換ができると思いますの」
「……善処致しますわ」
「本当ですの?」
マルティナは呆れたように笑った。私もつられるようにして笑う。それでシリアスな空気はすぐに霧散した。
そよぐ風に揺れる一面の薔薇を眺めながら、私たちは紅茶に口づける。
遠くから聞こえてくる拙いバイオリンの音。鳥のさえずり。
何も変わらない、穏やかな午後だった。
だから私は――その日も、この平穏がまだしばらく続くのだと思っていた。
*
最初に変わったのは、城下の空気だった。
それに気づいたのは、ほんの些細なことだった。
「……今日は、ずいぶん静かね」
窓の外を眺めながら、私はそう呟いた。
いつもなら、屋敷の前を通る商人の声や、荷馬車の車輪が石畳を叩く音が聞こえてくる。でもその日は妙に静かだった。
「如何なさいました、お嬢様?」
「いえ、何でもないわ」
カタリナにそう答えたものの、私はしばらく窓の外を眺めていた。
城下町そのものが静かなわけではない。
人は歩いているし、店もいつも通りに営業している。
ただ、以前よりも皆が周囲を気にしているように見えた。立ち話をしていた男たちが、兵士の姿を見つけると口を閉ざす。
市場では、税の話をする者が増えた。
酒場では、侯爵家やクレール家の名前が頻繁に出ているらしい。
そんな話が、屋敷にまで届くようになった。
そして、数日後。
父、グラント・クレールが珍しく早い時間に帰宅した。
「あら、お父様。今日はお早いのね」
「ああ、オフィーリアか」
何か様子がおかしかった。彼は脱いだ外套を召し使いに預けたあと、眉間に深い皺を刻みながらしばらく立ち尽くしていた。
「何かありましたの?」
「……いや」
その声には明らかに疲労が滲んでいた。私は問い詰める。
「何もないって顔じゃありませんわね」
「……少し、面倒な話があってな」
「面倒な話?」
父はしばらく黙ってから、ため息をついた。
「アルフォンス侯爵から、また抗議文が届いた」
「また?」
その名前にはさすがの私も聞き覚えがあった。
ジオバンニ王国に四つある侯国。
その一つを治めるアルフォンス侯国。テヌール侯国とは、決して仲が悪いわけではない。
ただし――。
戦争が終わってから、彼らの態度が少しずつ変わっていることは風の噂で聞いていた。
「何に対して?」
「先の戦争処理についてだ」
父は手袋を外しながら答えた。
「グライアス王国との戦争で、テヌールやアルフォンスは多くの兵を失った。領地も疲弊している。にもかかわらず、王国から十分な補償がない、と」
「……でも、あの戦争で多くの犠牲を払ったのはテヌールじゃない」
そう。テヌール侯国はグライアス王国との戦争で大きな犠牲を払いながら、そして勝った。
けれど、勝利したからといって、失ったものが戻ってくるわけではない。
「アルフォンス侯爵は、王国に対して何を求めているの?」
「戦費の補償。それから、国境付近の領地について、一定の自治権を認めろと言っている」
「自治権……?」
「ああ」
父は苦々しい顔をした。
「要するに、中央からの干渉を減らせということだ」
「それって……」私はそこで言葉を止めた。嫌な予感がした。「王国から距離を置きたい、ということ?」
「まだ、そこまでは言っていない。だが、言っていることは日に日に過激になっている」
その日の夜。私は久しぶりに、自分から父に政治の話を聞いた。
どんな要求が出ているのか。他の侯国はどう考えているのか。王国はどう対応しているのか。
父は少し驚いたようだった。
「珍しいな。お前からそんなことを聞くなんて」
「……私だって将軍の娘よ」
「もう少し、早く関心を持って欲しかったがな……」
それでも父は嬉しそうに笑った。けれど私はとても笑える気分になれなかった。
ただの乙女ゲームの世界。何故こんな不穏な展開になっていくのだろうか……?




