ハッピーエンドの『その先』へ
少なくとも、今日のマリーはちゃんと舞台に立てる。シナリオ通りに事は進んだのだ。
……もっとも。
シナリオ通りに進んだからといって、マリアベルの未来が順風満帆というわけではない。
むしろ、ここからが彼女の物語の始まりだ。
その後の予選で、マリアベルは素晴らしい演奏を披露した。
まだ若い少女とは思えないほどの、伸びやかで繊細な音色。その会場を包み込むような演奏に、観客たちは惜しみない拍手を送った。
――それでも、彼女は予選を通過できなかった。
一方で、マルティナは審査員たちから絶賛され、堂々の一位で予選を通過する。
理由は明白だった。審査員たちは、マリアベルよりもマルティナを高く評価した。
だが、それは純粋な実力による評価ではなかった。
身分による選考。それはゲームの中でも明確に語られていた、この世界の現実だった。
当然、観客の中からも疑問の声は上がった。
あの演奏で、なぜ彼女が落ちるのか。
しかし、そんな声を残したまま、マルティナは逃げるように会場を後にする。
もちろん、私はその理由も知っていた。
マルティナは以前から、マリアベルの演奏を耳にしていたのだ。
偶然、練習しているところを目にした。そのときに悟った。
――彼女は自分より、才能がある。
危機感を抱いたマルティナは、マリアベルにコンクールの辞退を勧めた。
自分の地位を脅かすかもしれない相手を、舞台に上げたくなかったのだ。
結果として、マリアベルは敗れた。
だが、彼女は何も得られなかったわけではない。
むしろ、この日を境に、彼女の運命は大きく動き始めた。
予選を観覧していた何人かの青年たちが、彼女の演奏に強く惹かれていた。
その中には、テヌール侯国第二公子――レヴナス・ソラールの姿もあった。
彼が落ち込むマリアベルのもとを訪れ、声をかける。それが二人の最初の出会いとなる。
ここからレヴナスとマリアベルは、少しずつ距離を縮めていく。
そして私は、その二人を応援する立場になる。
マリアベルが悩めば支え、同じくレヴナスを想うマルティナに傷つけられれば傍にいる。時にはマルティナにガツンと言ってやる。
ゲームの中でオフィーリアが担っていた役割を、私もそのまま引き継いでいくことになる。
――そう、私が知っている『千年を綴る五線譜』の物語は、確かに動き始めていた。
そして、この先には――。
マリアベルとレヴナスが惹かれ合い、戦争を乗り越え、最後には結ばれる。
そんな輝かしい結末が待っている。
――事実、そうなった。
それから三年。
マリアベルは何度も悩み、傷つき、そしてバイオリンを弾き続けた。
レヴナスとの距離も、作中のイベントを一つずつなぞるように、少しずつ、けれど確実に縮まっていった。
私はそんな二人の間を取り持ち、時にはマリーの相談に乗り、時には彼女の背中を押し続けた。
恋敵となるマルティナからの嫌がらせや衝突も度々あった。その都度、私はシナリオの範囲で彼女を助け、時には見守った。
やがて彼女は見えないレールを辿るように、少女から立派な淑女へと成長していく。
そして物語のクライマックスで起こる大きな戦争のイベント。レヴナスが遠征で会えない間、彼女が彼の帰りを待ち続けて高台で毎日バイオリンを弾く姿は、ゲームで見た時より泣けた。
そして、大きな犠牲をはらいつつも勝利を収めたジオバンニ王国。戦地から帰ったレヴナスはマリーにプロポーズをするのだ。
物語は私がデバッグで何度も確認した通りのハッピーエンドを迎えた。
マリアベルとレヴナスは、晴れて結ばれたのだ。
そして翌年。二人は結婚式を挙げた。
それはゲーム本編のエンディング後、長いスタッフロールが流れ切った後にほんの数秒だけ表示される、一枚のスチルでのみで語られるエピソード。
テキストもごく短い後日談が流れるだけの、いわゆるファンサービス用のカット。
だから当然、仕様書やスクリプトデータの中に「オフィーリアの友人代表スピーチ」なんて台詞データは存在しなかった。
けれどその時の私は、もう「オフィーリア・クレール」として生きることに何の違和感も抱いていなかった。
大勢の参列者の前で、淀みなくマリーへの祝辞
を述べる。
マリーは美しい花嫁衣装のまま、ぼろぼろと涙をこぼして笑っていた。
その眩しい笑顔を見て、私も気づけば心からのもらい泣きをしていた。
――これでいい。
マリアベルは幸せになった。私のデバッグは完璧に成功したんだ。
それでも私が元の世界に、早乙女千佳に戻ることはなかった。私の人生はこのジオバンニ王国の属国テヌール侯国のオフィーリア・クレールとして続いた。
気づけば、私は十九歳になっていた。
……そろそろ、いいのかな
ふと、そんな思いが頭をよぎる。
マリアベルの人生は、もう私が知っている「物語の結末」に無事辿り着いた。
ならば――。
そろそろ私も、オフィーリアとして自分自身の幸せを探し始めてもいいのではないだろうか。
だって、ここから先は私も知らない。
ゲームの仕様書にも、あのスタッフロールの先にも存在しない未開の領域。
私自身の新しい人生が始まるのだと――そう、信じて疑っていなかったのだ。
第一章 おわり




