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悪役令嬢マルティナ・グラウビュンデン


 街ゆく人に道を訊ねながら進んでいくと、ようやくコンクール会場が見えてきた。


「……あれね」


 私は足を速めた。いや、速めるどころか――気づけば貴族という身分すら忘れ、人目も気にせず石畳を駆けていた。



 ドレスの裾を踏まないよう、手で持ち上げ小走りする。

 

 白い石造りの建物は、近くで見ると想像していたよりずっと大きい。正面には太い柱が何本も並び、その奥に大きな扉が開かれている。



 入口周辺には、コンクールを見に来た人々が集まっていた。


 華やかなドレスに身を包んだ貴族の令嬢。付き添いらしい紳士や婦人。楽器を抱えた参加者たち。



 そこかしこから話し声が聞こえ、時折、遠くからバイオリンの音が響いてくる。



 会場に入ると広いホールには、すでに大勢の人が集まっていた。


 受付には参加者が列を作り、その奥には観覧席へ向かう人々の姿がある


 辺りを見渡すと、物語の主要キャラクターたちの姿がちらほらと垣間見えた。

 誰も彼も、ただの参加者や観客とは思えないほど目を引く。


 そう。この音楽コンクールはただのコンクールではない。


 プレイヤーにとっては、これから始まる物語の舞台と人物を一気に見せる、序盤の重要なイベントなのだ。


「……マリーはどこ?」


 私は人混みの中で目を凝らす。彼女の目立つ赤い髪を見つけ出すのは大して難しいことではなかった。


「いた!」


 人の隙間から、赤い髪が見えた。マリーだ。私は歩み寄ろうとしたが、足が止まった。


 マリーの前に別の少女が立っていたからだ。そして当然、彼女のことも私は知っている。


「マルティナ……」


 マルティナ・グラウビュンデン伯爵令嬢。これからマリーの前に何度も立ちはだかるライバル。まぁ、流行りの言葉を使うなら悪役令嬢というやつだ。


 彼女の父親はテヌール侯国の宰相であり、オフィーリアの父、グラント・クレール大将軍と双璧をなすこの国の重臣の一人だ。



 つまり、私と彼女の家格はほぼ同じ。


 けれど――マリーからすれば、まるで話が違う。

 男爵令嬢である彼女にとって、伯爵令嬢であるマルティナは、簡単に逆らえる相手ではない。




 黒紫の長い髪をハーフアップでまとめ、上品なドレスを纏ったマルティナは数人の取り巻きを従え、マリーを囲んでいた。


「行かないと……」


 私は彼女たちの元へ足を踏み出そうとした。だが、踏みとどまる。


 ――まだだ。


 ここで割って入るのは早い。この場面は覚えている。


 マルティナは、最初からマリアベルを真正面から攻撃したりはしない。身分をちらつかせて、本人に「自分から辞退したほうがいい」と思わせる。



 そして、マリアベルが本当に困ったところで――オフィーリアが助け舟を出す。


 それが、このイベントだった。


「……」


 だから私は、もう少しだけ待った。



「あら、マリアベルさん」


 マルティナがやや威圧的に口を開いた。



「あ……マルティナ様……ご機嫌麗しゅうございます……」



「あなたも、このコンクールに出場されるのね?」



「……はい。予選に参加させていただきます」



 マリーは小さく頷いた。その声には、隠しきれない緊張が混じっている。



 マルティナはそんな彼女を品定めするように見つめ、それから手元のバイオリンケースへと視線を落とした。


「その楽器……どこの工房のものでございますの?」



「え……? これは父のご友人が作られたもので……」



「あら、工房名もわからないのね。失礼。悪く言うつもりはありませんのよ」


 そう言いながら、マルティナの口元には薄い笑みが浮かんでいた。取り巻きたちも合わせるようにクスクスと笑う。



「ただ、今回のコンクールには王都でも名の知れた演奏家たちが集まりますでしょう? もちろん、私もそのうちの一人ですが……」


 そう言って彼女は、取り巻きに持たせていた立派なバイオリンケースを見せつけるように手に取った。


「使用される楽器も、それなりのものばかりですわ」


「このバイオリンは……」マリアベルがケースをそっと抱きしめる「私の大切なものです」


 マルティナは満足げに頷いた。


「そう。でしたら、なおさら心配ですわね」


「……?」


「もし、予選で良い結果が出なかったら。その大切な楽器まで、周囲から笑いものにされてしまうかもしれませんものね」



「え……」


 マリーの顔から、わずかに血の気が引いた。

 周囲にいた令嬢たちから、小さな笑い声が漏れる。

 マルティナはそれを咎めることもなく、ただ穏やかな表情を浮かべていた。


「それに――あなたは男爵家のご令嬢でしょう?」


「…………」


「このコンクールには、侯爵家や伯爵家の令嬢も参加されます。審査員の方々も、そのことは当然ご存じでしょう」


「……はい」


「もちろん、身分だけで演奏の優劣が決まるとは申しませんわ」


 マルティナはあくまで穏やかな口調を崩さず言った。


「ただ……結果というものは、時として残酷ですわ」


 そして、どこまでも嫌味なくらいに優しく微笑む。


「恥をかく前に辞退するというのも、一つの賢い選択ではありませんこと?」


「あ…………」


 マリアベルが俯いた。



 私は拳を握った。


 ――ここだ。待たせてごめんね、マリー……。


「私……やっぱり……辞退……」


「マリアベルさん」


 私はちょうどいま通りかかった風を装いながら、二人の間に割って入った。


「あら、オフィーリア様? ごきげんよう」


「ごきげんよう、マルティナ様」


 私とマルティナはまさに社交辞令と言わんばかりに挨拶を交わす。この二人の友好度は決して高くはない。ただ、家柄としては同格なので表立っていがみ合うことはない。


 しかし、取り巻きの令嬢たちはオフィーリアに対して腰を低くして頭を下げる。


「構いませんことよ」


 そう言ってあげることで彼女たちは頭を上げる。それはマリアベルも同じだ。


「いつからいらしたの?」


「つい先ほどですわ」


 私は微笑む。もちろん、内心は穏やかではない。ゲーム内でもこのシーンはなかなか不快だったが、生きたやり取りを実際この目でみると尚更だった。

私は、冷静に用意されている台詞を続ける。


「お取り込み中のところ失礼しましたわ。でも……少し気になるお話が聞こえてきましたので」


「気になるお話?」


 マルティナは眉を潜める。


「ええ」


 私はマリーを見る。俯いたままの彼女の手には、お世辞にも立派とは言えないバイオリンケースがしっかりと握られている。


「マリアベルさんがコンクールを辞退する必要なんて、どこにもありませんでしょう?」


「オフィーリア……様……」


 戸惑いながらも、マリーが救われたような安堵した表情を見せた反面、マルティナの笑みは僅かに固くなった。


「私はただ、彼女のことを思って申し上げただけですわ」


「ええ、存じています。ですが、マリアベルさんが演奏したいと思っているのなら、それで十分ではありませんか?」


「それは……」


「結果がどうなるかなんて、まだ誰にも分かりませんもの」


 私はマリーへ視線を向ける。


「私は、マリアベルさんの演奏を聞きたいですわ。それに……」私はマルティナに視線を返す「マルティナ様も参加されるのでしょう?」



「……ええ。もちろん」


「でしたら、なおさらですわ。競合相手に辞退を勧めるのではなくて、正々堂々お互いに演奏を披露して、その結果を審査員の方々に決めていただけばよろしいのではありませんこと?」



 マルティナの目が細くなる。


「……ずいぶんとマリアベルさんを買っていらっしゃるのね」



「ええ。私は、彼女の演奏にはそれだけの価値があると思っていますわ」


「……」


「ですから、結果が出る前から機会を失わせてしまうのは、少し惜しいと思いませんこと?」


 マルティナは唇を震わせながら、マリアベルを一瞥する。


「そこまで仰るのでしたら、私からこれ以上申し上げることはありませんわ。……マリアベルさん」


「は、はい……」


「お互い、本戦に残れるよう頑張りましょう」


「はい」


「行きますわよ、皆さん」


 マルティナは取り巻きを連れて、その場を離れていった。


 その背中が人混みに消えるのを見届けてから、私はようやく小さく息を吐いた。



「……ふう」


 台詞は多分一言一句間違いなく言えたと思うけど、やっぱり生きた人間との台詞合わせは、デバッグの仕事とは全然違った。


「オフィーリア」


「なに?」


「私……本当に出てもいいのかな」


 マリーは未だに不安な表情を隠せないでいた。


「もちろんでしょう?」


「でも……」


 私は周囲を見回した。もうマルティナの姿は見えない。


 まだ不安そうに身を縮めるマリアベルの元へ寄り添い、私は周りに聞こえないよう、そっと耳元で囁いた。


「マリー」


「……!」


 マリーが顔を上げる。


「あなたが弾きたいなら、弾けばいいのですわ」


「……うん」


 マリーは小さく頷いた。そして、ようやくいつもの笑顔を見せた。


「私、頑張るね!」


「ええ。楽しみにしていますわ」


 私は笑って答えた。


 ――これでいい。


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