カタリナ・ルー①
閉じた瞼の向こうに、微かな光を感じた。
――戻ってきた。
そう思った瞬間、私は目を開けた。見慣れたオフィーリアの、私の部屋。
考えるより先に身体が動く。私はすぐさま座っていた揺り椅子から立ち上がった。
「きゃあああっ!?」
間もなくして、聞き慣れた悲鳴が響いた。
――ガチャン!
陶器が砕け、熱い紅茶が派手にこぼれ落ちる音。
「申し訳ございません! お怪我はありませんでし……た、か?」
なみなみと注がれた紅茶のトレイをひっくり返し、カタリナが青ざめた顔で慌てて駆け寄ってくる。
けれど、熱湯の激しくかかった揺り椅子には……既に誰も座っていなかった。
「……あれ……?」
カタリナは不思議そうに、丸い眼鏡の奥で目をパチクリとさせた。
そこにいたはずの私の姿がない。すっと素早く立ち上がっていた私と、正面から目が合った。
「す、すみません私ったら! すぐにお拭きしますのでっ!」
彼女は動転した様子で、こぼれた紅茶を布巾で必死に拭い始めた。
「……カタリナ」
私は彼女の背中に声を落とす。
「は、はいっ!」
カタリナがびくっと肩を震わせる。そして、そままの体勢で固まってしまう。
「あなたの生まれは、どちらだったかしら?」
「え……?」
突然の問いに、カタリナは丸い眼鏡の奥で目を瞬かせる。
「アルフォンス侯国のメルべですが……?」
「……そうよね」
私は窓の外へ視線を戻した。
「お父様とお母様、弟さんは息災かしら?」
「え、ええ……。先日も、手紙を頂きましたから」
「そう」
私はしばらく窓の外を眺めた。そして、静かに告げる。
「カタリナ」
「はい……」
「本日付で、あなたに暇を与えます」
「…………え?」
「明日には、この屋敷から出ていきなさい」
カタリナの顔から血の気が引いていくのがわかる。
「え……あの……」
「……聞こえなかったのかしら?」
「い、いえ……聞こえました。でも……どうして……?」
私は床に落ちたティーカップの持ち手を拾い上げて、それを点検するように注意深く眺める素振りをしてから、手近な窓縁に置く。
「あなたのような使えない使用人は、このクレール家には不要だからです」
「……そ、そんなっ……」
カタリナの目に、みるみる涙が溜まっていく。
「今夜のうちに荷物をまとめなさい」
「お、お嬢様……!」カタリナが縋るように近づいてくる「お願いです……! 私、もっと頑張りますから……! 見捨てないでくださいっ!」
「くどいわ!」
とうとう彼女の涙が頬を伝った。
「ここを辞めたら……私、どうすれば……」
「実家へ帰れば宜しいでしょう? ご家族がいるのでしょう?」
その一言に、カタリナが言葉を失った。
「……そんな。オフィーリアお嬢様……」
「早く出ていきなさいっ!」
そのとき、騒ぎを聞きつけた何人かの使用人が部屋に駆け込んできた。
「お嬢様、いったい何事ですか!?」
私は彼らを一瞥する。
「何でもありません。カタリナに暇を出しただけです」
「お許しください……お許しください、お嬢様」
カタリナは泣きながら首を振った。
「お嬢様……本当に、冗談ではないんですか?」
長く仕える老齢の執事が恐る恐る私に確認をする。
「これが冗談に見えて?」
声を低くする。明らかにこの異様な空気にカタリナだけでなく、その他の使用人達にも緊張が走った。
「これが、最後よ? 出ていきなさい、カタリナ」
「……っ!」
カタリナは口元を押さえたまま、泣きながら部屋を出ていった。
扉が閉まる。私はその扉をしばらく見つめていた。




