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私たちの約束

「再興……」


「テヌール城が陥落し、アラムス殿下もレヴナス様も……今はもういません。それでも私たちは諦めません。戦います。人を集めているんです」


「オフィーリア、あなたは?」


 そう訊かれても私は何も答えられない。だって私は、本当だったらこの瞬間、この世界から消えている。やり直しのため、石の力で既に時を遡っているのだ。


 マリーがいなくなったこの世界の先で、どう生きていくかなんて考えたこともなかった。


 それは初めてこの『千年を綴る五線譜』の世界にやってきたときのように、心細くて、途方に暮れる気持ちだった。


「私は……どうすれば……」


 私はその答えを求めるように、クローディアの寝顔を見下ろした。


「オフィーリア……私からお願いしたいことがあります」


 マルティナの言葉に私は顔を上げた。


「お願い?」


「あなたにしかできないことよ」


「……」


「クローディアを立派に育て上げて」


「クローディアを……?」


「この子はソラール家の血を引いている。この子はテヌールが再興したその時に、そこにいてもらわなくてはならないの」


「私には……できないよ……」


 子供なんて育てたことがない。もちろん、それだけが理由ではない。今まで、この先を生きることから逃げていた私に、これから続く途方もない人生を、誰かを守りながら生きていく自信が私には持てなかったからだ。


「オフィーリア……」


「……私、これからどうすればいいの?」クローディアを抱いたまま私は俯いた「マリーがいない世界で……私は、何を支えに生きればいいの?」



 答えを求めるように呟いたけれど、マルティナはすぐには何も言わなかった。しばらくして、静かな声が返ってくる。


「マリアベルは、あなたに託したのでしょう?」


「……」


「この子を」


 マルティナの視線が、私の腕の中へ落ちる。


「私には分からない。どうやって育てればいいのかも、この先どう生きればいいのかも……」


 私は激しく首を振った。一度言葉にして吐き出してしまうと、胸の奥底に溜め込んでいた泥のような感情が、堰を切ったように喉元までせり上がってきた。


「私はもう……やり直せなくなってしまったのに……っ」


 そこまで口にして、私はハッと息を呑んで口を閉ざした。マルティナが、怪訝そうに私を見つめている。


「……ごめん。今のは忘れて」


「ええ……」


 マルティナはそれ以上追求しなかった。ただ、少し考えるように窓の外を見た。辺りは静かだった。数キロ離れた先で殺戮が起こっているなど、何かの間違いであるかのように。


「私には、あなたが何を抱えているのか全部は分からないわ」


 マルティナのその言葉に、私は顔を上げた。


「あなたは以前から、マリアベルと一緒に何かを調べたり、人に会ったりしていたでしょう?」


「……ええ」


「軍のことも、政治のことも。私には詳しいことまでは分からなかったけど……あなたが、この国のために何かをしようとしていたことくらいは知っています」


 私は何も答えなかった。


「それでも、結局はこうなってしまった」


「だからといって、あなたまでここで終わる必要はないでしょう?」


「……」


「あなたは生き残ったの」


「生き残って……しまっただけだよ」


「それでも、生きているのでしょう?」


 マルティナは私を責めるでもなく、ただ事実を確認するように言った。


「生きていくしかないの。それが残された人間の務め。そして大切なのはどう生きるかよ」


「……そんな簡単に言わないでよ」


 マルティナは少しだけ困ったように笑った。


「簡単だなんて言っていないわ……私だって、父を失ったばかりですもの」


「……ごめん」


「いえ……。それでも私は、やらなければならないことがある」


 マルティナは、短くなった自分の髪に触れた。


「父を殺した者たちへの報いも。テヌールを取り戻すことも」


 そして、私の腕の中にいるクローディアを見る。


「あなたには、この子がいる」


「クローディア……」


「ええ」


 マルティナは少しだけ考えてから、言葉を選ぶように続けた。


「それに、お金のことなら心配しなくていいと思いますわ」


「お金?」


「父の遺産です」


 私は目を瞬いた。


「ラバン様の?」


「ええ」


 マルティナは頷いた。


「父は慎重な人でしたから。資産を一か所に集めてはいませんでした。ジオバンニ王国の銀行にも、いくつかに分けて預けてあります」


「でも……それは、マルティナがこれから使うものじゃ……」


「もちろん、私も使いますわ」


 マルティナは頷く。


「テヌールを再興するには、お金が必要ですもの」


「だったら……」


「ですが、全部を私が使う必要はありません」


 そう言って、彼女は私を見た。


「引き出せるものについては、できるだけあなたの生活を支えるために使いますわ」


「……私のために?」


「あなたと、この子のために」


 私は言葉を失った。


「住む場所も必要でしょう。食べるものも。クローディアが大きくなれば、服も教育も必要になる。……それくらいのことは、私にも分かりますわ」


「でも、そんな……」


「遠慮しないでくださいな。これは施しではありませんわ。あなただからこそ、託すのです。」


 マルティナがいつもの口調で言った。……この言葉、ゲーム内のあるシーンでも使われる言葉だ。マリアベルがマルティナとの『友好度』をあげると言われる台詞。


 マルティナは、どこまでも私の知るマルティナだった。


「……ううっ…うう…」


 堪えきれなくなった私の丸まった背中を、彼女が優しく撫でる。


「私たちが未来を取り戻すために必要なことですわ。……私はテヌールを取り戻します」


 マルティナの瞳に、強い光が宿っていた。


「あなたは、この子を育てる。そしていつかテヌールが再興したとき、この子にもその場所にいてもらう」


「クローディアが……?」


「ええ」


 マルティナはクローディアを見つめる。


「この子はマリアベルとレヴナス様の娘です。ソラール家の血を引いている。そして、あの二人が生きられなかった未来を背負う子でもありますわ」


 私はクローディアの寝顔を見つめた。


「だから……」マルティナが続ける「あなたは、この子に生きる場所を与えてください」


「……私に、できる?」


「できるかどうかは、今決めなくてもよろしいでしょう」


「え?」


「明日、クローディアが泣いたら、あやしてあげればいい。お腹が空いたら食べさせればいい。病気になったら医者を呼べばいい」


 マルティナは一つずつ、指を折るように言った。


「そうして一日ずつ過ごしていけばいいのですわ」


「……一日ずつ」


「ええ」


 私は、その言葉を繰り返した。


「あなたは今まで、先のことを考えすぎていたのではありませんこと?」


「……」


「国の未来も。戦争のことも。貴族たちのことも」


 マルティナは少しだけ笑った。


「今度は、もっと小さなことを考えてみればいいのですわ」


「小さなこと……?」


「この子が明日、何を食べるか。どこで眠るか。何を見て笑うのか」


 私はクローディアを見下ろした。


「それを積み重ねていけば……いつか、この子は大きくなりますわ」


 その言葉を聞いた瞬間、胸の奥に何かが引っかかった。


 いつか。


 そんな未来を、私は考えたことがなかった。


 いつも私は、未来を変えるために過去へ戻っていた。


 だから「その先」を生きることなんて、考えたことすらなかった。



「……クローディアが、大きくなる」


「ええ」


「学校にも……行くのかな?」


「行かせてあげればよろしいでしょう」


「お友達も……たくさんできるかな?」


「できますわ、きっと」


「好きな人も……できたりするのかな?」


「ふふ、それは私には分かりかねますわね」


マルティナが少しだけ声を上げて笑った。私も、涙に濡れた顔でほんの少しだけ笑った。


 こんな当たり前の未来を想像することが、どうしてこれまでの私にはこんなにも難しかったのだろう。


「……十五年くらい経ったら。この子……私よりずっと大きくなってるのかな」


 私は呟いた。私たちがこの世界で出会った歳、十五歳。 


 ……千佳として、彼女たちに出会ったあの年齢。



「きっとなっていますわ。その頃には、あなたもきっと今とは違う顔をしていますわよ」


「私が……?」


「ええ」



 そんな未来の自分を、まだ想像できなかった。


けれど――腕の中のクローディアが小さく身じろぎをし、「あぅ」と可愛らしい声を漏らした。私はその温かい身体を抱き直す。



「……分かった」


 怖くないと言えば嘘になる。これから何十年と続いていく、巻き戻しのきかない人生を、私は何一つ知らないのだから。


 失敗しても、もう戻れない。


 誰かを失っても、二度とやり直せない。私はクローディアの小さな握り拳に、そっと人差し指を近づけた。


 クローディアはまるでとしがみつくように、私の指を小さな手でぎゅっと握り返してくれた。


「私が……この子を育て上げる」


 マルティナは静かに、けれど力強く頷いた。


「ええ。それでよろしいのですわ」


 それが、私が初めて自分で選んだ、二度とやり直さない人生だった。



……そして、十五年という年月が風のように過ぎ去った。


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