↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
27/39

三度目の幕切れ

 私たちは、森の中を進み続けた。


 どれほど歩いただろう。樹冠の隙間から差し込む光も、次第に薄くなっていく。


 背後から追手が現れる気配はなかった。


 サナルトゥスが命を懸けて時間を稼いでくれている。三人のソラールの私兵たちも、きっとそうだ。

だからこそ、私は立ち止まるわけにはいかなかった。


 クローディアの小さな体温を胸に抱きしめ、泥を跳ね返しながら必死に足を動かし続ける。


 ――だが、後ろから聞こえていた足音が途絶えたことに気づき、私はハッとして振り返った。


「マリー?」


 マリーが、少し離れた場所で遅れを取っていた。


 その手は、ずっと腹部を押さえている。


「どうしたの?」


「……ううん」


 マリーは首を横に振った。


「大丈夫よ」


 そう言って、私を安心させようと微笑もうとする。だか、その青ざめた顔には隠しきれない苦痛が浮かんでいた。


「本当に?」


「ええ。少し痛むだけだから」


 私は不安を覚えながらも、歩みを進めた。


 今は止まってはいけない。


 この森を抜けなければ。ジオバンニへ辿り着かなければ。

 そこにたどり着きさえすれば、まだ何かしらの救いがあるはずだ。



 だけど――。


「……くぅっ」


 背後から、短い息を呑む声がして、私は振り返った。


 力尽きたマリーが、とうとうその場に膝をついていた。


「マリー!?」


 私は慌てて駆け寄った。


「大丈夫っ!?」


 マリーは答えなかった。正確には、もう答える余裕すら残されていなかったのだ。


 ただ肩を激しく上下させ、苦しそうに腹部を押さえつけている。


「……え?」


 彼女のドレスの裾に視線を落とした瞬間、私は言葉を失った。


 美しかった白地の布地が、見る影もなくドス黒い朱に染まり切っている。


「血が……そんな!」


 頭の中が真っ白になった。


「いや……」


 私はクローディアを抱いたまま、マリーの身体を支える。


「待って。大丈夫だから」


「オフィーリア……」


「大丈夫よ」自分でも分かるくらいに声が震えている「少し休めばいいわ。そうしたら、また歩けるから」


「……ううん」


 マリーが、静かに首を振った。


「私、もう……駄目みたい」


「何を言っているの?」


「分かるの」


 マリーは、自分の身体を抱くようにして、小さく息を吐いた。


「自分のことだから……」


「そんなこと言わないで!」


 私は思わず声を荒らげてから、ふと冷静になった。苦しいのは私じゃない。


「まだ助かるわ。医者のところまで行けば――」


「オフィーリア」


 マリーが私を見た。その目は、驚くほど穏やかだった。


「オフィーリアは、本当に優しいね」 


「え?」 


「オフィーリアは私が辛いとき、悲しいとき、いつも側にいてくれた。……助けて……くれた」


「違う……」


 私は首を振った。


「私は今回も……」


 言葉が詰まる。今回も助けられなかった。三度も、あなたを失った。


 私は一度だってあなたを助けられていない。


「だから……まだ、諦めないで」


「……ごめんね」


「謝らないで!」涙が溢れた「お願いだから……」


 マリーの呼吸が、次第に荒くなっていく。


 彼女はそのまま、ゆっくりと地面へ身体を横たえた。


「マリー! しっかりして!」


 片腕にクローディアを抱き、私は慌ててマリーの背を撫でる。


「……オフィーリア」


 弱々しい声。そして、その声に反応するように。私の腕の中で、クローディアが泣き始めた。


「……あ……」


 マリーが、赤ん坊の声を聞いた。


「クローディア……」


 私はクローディアの顔を少しだけ近づけた。マリーは震える右手を伸ばそうとする。けれど、その手は途中で力尽き、力無く地面へ落ちた。


「……ごめんね」


「マリー……?」


「抱いてあげられなくて……」


「そんなこと言わないで。抱いてあげて……。逃げ切って、それから落ち着いてからでいい。マリーの……母親の腕で抱いてあげて」


「この子を……」


 マリーの視線が、クローディアへ向けられる。


「この子を、お願い……」


「ええ」


 もう、わかっていた。これ以上、頑張れなんて、言葉をかけることがどれほど残酷なことであるかを。


 私は小さく頷いた。溢れる涙をこぼしながら、それからもう一度深く頷いた。


「私が守る」


「……うん」


 マリーは、安心したように微笑んだ。


「オフィーリアなら……大丈夫」


「マリー……」


「お願いね」


「分かったから……」私は涙を拭って、精一杯笑顔で言った「だから、目を閉じないで」


「……ありがとう」


 マリーの瞼が、ゆっくりと下りていく。


「マリー……ダメ……マリぃ……」


 返事はない。


「マリー……」


 私は彼女の頬に触れた。


 温かい。まだ、温かいのに。


「ねえ……」


 もう一度、呼びかける。


「マリー……」


 返事はなかった。


「……どうして。どうしてなの……」


 私は彼女の頬を柔らかく撫でる。


「やっと……やっと、二人でここまで来たのに……」


 涙で彼女の綺麗な顔が滲んでいく。



 今回は違うと、信じた。


 あらゆる事を予見して、早く動いたつもりだった。しかし、世界はそれ以上に早く動き出した。


 それでもマリーを屋敷から連れ出した。


 クローディアも守った。サナルトゥスもいた。


 それなのに。


「どうして……」


 その時、森の奥から音が聞こえた。


 遠くから近づいてくる足音。



 鉄が擦れる音。剣が、鎧が、互いに触れ合う音。私は顔を上げた。追手が来ている。


 もう、時間がない。


「……また」


 私は呟いた。


「また、駄目だった」


 腕の中のクローディアが泣いている。目の前には、眠ったままのマリー。


 そして、迫りくる足音。私はゆっくりと立ち上がり胸元に手を当てた。


 そこに、青い石のペンダントがある。私はそれを取り出した。石は、以前より少し黒ずんでいるように見えた。



「……ごめんなさい、マリー」


 私は思った。

 この謝罪を、私は本当に悲しんで口にしているのだろうか。それとも、何度もあなたを失ったせいで、死に慣れてしまったのだろうか。



 考えるのは辞めた。私は私に失望したくなかった。

 


 指先で、そっと石を撫でると、まるでこの時を待っていたかのように、青白い光が石の奥で揺らめいた。

 

 私はマリーの髪を、そっと撫でる。


「私、行くね……」


 涙が落ちる。私はペンダントを強く握りしめた。


 もう一度――もう一度だけ、この世界をやり直す。


 声にならない祈りを、石へ託す。


 視界が白く爆ぜた。音も匂いも、何もかもが、白銀の光に呑み込まれていく。


 私の腕の中から、クローディアの重みが消える。


 マリーの温もりも、森のざわめきも、迫り来る敵の足音もすべてが遠ざかっていく。


 三度目の人生が、終わった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。