強固な因果
「……ねぇ、カタリナ? 入るわよ?」
それでも返事はなかった。私は手を震わせながら扉の取っ手に手をかける。
軽く押すと、扉は音もなく内側へ開いた。しかし、部屋の中には誰もいなかった。
「カタリナ?」
急いで中へ入る。部屋中どこを見回しても、彼女の姿はない。
風が部屋の中へ吹き込んでいる。
カーテンがゆっくりと揺れている 窓が大きく明け放たれて開いていた。私は窓へ駆け寄る。
「オフィーリア様!」背後からサナルトゥスの声がする「どうしたのですか?」
「カタリナがいないの」
「いない?」
「着替えると言って、部屋へ戻ったはずなのに……」
私は窓から身を乗り出した。屋敷の裏手。そこには人目につきにくい細い裏道が見える。
その場所に――三人の人影が見えた。
「……あれ?」
そのうちの一人は、見まごうことなく――
「カタリナ……?」
先ほど私の部屋を出た銀髪の侍女は、そのときのままの姿で私に背を向けていた。
そして、彼女と対峙するように二人の男が佇んでいた。
「誰だ……?」
サナルトゥスが低く危険な声で呟く。私は男たちの腰の刃物に目をやり、ハッとなって叫んだ。
「カタリナ! 逃げて!」
その声に下にいた三人が、一斉にこちらを見上げる。
「……っ!」カタリナの顔が、はっきりと見えた「オフィーリア様!」
彼女が驚いたように叫ぶ。
その瞬間だった。
「この、クソアマが!」
「ああっ!」
一人の男が凶暴な怒声とともに、カタリナへ向かって剣を振り下ろした。
「カタリナっ!」
鈍い音。そして赤いものが宙に散った。
「……あ」
カタリナの身体が大きく傾く。肩口から深く斬られた彼女は、そのまま地面へ倒れ込んだ。
「カタリナぁっ!」
「逃げるぞ!」
二人の男が走り出す。
「逃がすか!」
隣でサナルトゥスが叫んだ。
「お嬢様はカタリナさんを!」
そう言うと、彼は窓枠へ足をかける。
「サナルトゥス!?」
「すぐに戻ります!」
サナルトゥスはためらいもなく二階の窓枠を蹴り、飛び降りた。
上手く着地の衝撃を逃がすと、そのまま剣を抜いて男たちの後を追って猛スピードで疾走していく。
取り残された私は、一瞬呆然と立ち尽くし、しかし、すぐさま我に返った。
「カタリナ……カタリナぁッ!」
部屋を飛び出し、廊下を狂ったように走り抜ける。階段を駆け下りる激しい音に、使用人たちがパニックになって集まってきた。
「お嬢様!?」
「怪我の手当ができる者を連れてきて! 早くっ! 早くしなさいっ!」
誰にともなく叫び散らしながら、私は屋敷の裏口の重いドアを肩で押し開けた。
荒い呼吸とともに外へ飛び出す。カタリナは血溜まりの中、仰向けに倒れていた。広がる赤い血が、彼女の銀髪を濡らしていた。
「カタリナ……!」
私は彼女を抱き起こす。彼女は私がまるで最後の力を振り絞るかのように、震える左手で私の肩を必死に掴む。
「オフィーリア……様……私……」
「喋らないで、大丈夫よ」
そう言いながら彼女の傷を見るが、私は後悔した
。
肩口から深く斜めに切り込まれた刃の痕。そこから溢れ出し続ける鮮血。
カタリナの服を濡らし、それを抑えようとする私の両手を、瞬く間に朱く染めていく。
「大丈夫だから」
それでも、私は言った。
「大丈夫……」
必死にそう言いながらも、頭の中では非情な結論が下されている。
もう、分かってしまった。
「大丈夫よ、カタリナ」
私は彼女を強く抱き寄せた。
「今度こそ……」
声が、途切れる。
何を言えばいいのか、分からなかった。今度こそ助けると、今度こそ死なせないと、そう決めていた。
だから、連れて行こうとした。
なのに。
「……どうして」
私の視界が滲んだ。
「どうして、また……」
カタリナの血が、私の服へ染み込んでいく。
私はただ、彼女が安らかな眠りつける前まで身体を抱きしめることしかできなかった。
やがて――荒い足音と、何か重いものを引きずる音が近づいてきた。
カタリナを抱いたまま地面を見つめる私の視界に、まだ新しめの黒いブーツのつま先が滑り込む。
「……カタリナ様」
顔を上げると、そこにはサナルトゥスの姿があった。明るい茶色のふわっとした前髪が、返り血で赤く染まっている。
「サナルトゥス……」
彼は右腕に掴んでいた「何か」を、石畳の上に無造作に投げ捨てた。
「一人は取り逃してしまいました」
私は地面に転がった男の死体と目を合わせる。何の感情も沸かなかった。ただ私は、人の亡骸を見ても心を乱さなくなったくらいには見慣れてしまった自分の神経を少しだけ呪った。
「彼を知っている?」
「名前は知りませんが、確か茶葉を取り扱う店の倉庫番だったように思います」
「……」
「お嬢様、もしかしたらですが、カタリナさんは彼らを屋敷に忍び込ませようとしてたのでは……」
「カタリナがそんなことするわけないっ!!」
思わず叫んでいた。自分でも引くほどに驚いた。私は大人と言える年齢になってから、ここまで誰かに向かって感情的に叫んだことはなかった。
サナルトゥスが、息を呑む。
私はカタリナを抱きしめる腕に、力を込めた。
「そんなこと……」声が震える「カタリナが、するわけないでしょう……」
「……失礼しましたっ!」サナルトゥスが片膝をついて謝罪する「出過ぎた発言をお許しください」
私はしばらく答えられなかった。
『やり直し』を繰り返すことで、カタリナとは十五年にも渡る時間を過ごしたことになる。いつも私の側にいてくれて、それは時間で言えばマリーよりも長い時間だ。昨日だって、ミルクティーを私に淹れてくれた。
守ってあげたかった。今度こそ守ってあげられると思った。
「ごめんなさい……」
私は言った。そして、色を失ったカタリナの瞼を、そっと閉じさせる。
「私も感情的になったわ」
「いえ……」サナルトゥスは首を振った「当然のことと思います」
「あなたには引き続き護衛をお願いします」
「はい」
「急ぎましょう」
私はカタリナをゆっくりと地面へ横たえた。血に濡れた髪を、最後に一度だけ整える。
「……ごめんね」
私は立ち上がった。
「行きましょう。ソラール邸へ」




