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狂い始める時間



 気がつけば、夜もすっかり更けていた。


「お嬢様、まだお休みにならないのですか?」


 カタリナが、ティートレーに載せたカップを机へ置く。


「ありがとう」


 顔を上げると、甘い香りが鼻をくすぐった。


「ミルクティーです」


「……覚えていたのね」


「はい。以前、お嬢様に淹れ方を教えていただきましたから」


 カタリナは嬉しそうに微笑んだ。


「私、甘い紅茶がこんなに美味しいなんて知りませんでした」


「そんなに大したことではないわ」


「いいえ、ミルクティーはとても画期的な発明です」


 カタリナは真剣な顔で言った。


「ミルクを先に入れておけば、熱い紅茶を注いだ際に高級なカップが割れにくくなるというのも目からウロコでした」


「……まあ、そういう利点もあるわね」


「素晴らしいです」


 カタリナは感心したように頷く。


「これなら、お客様にお出しする高級な茶器も安心して使えます」


「でも、発明というほどのものじゃ――」


「これをお店にすれば、きっと繁盛しますよ」


「お店?」


「はい。ミルクティー専門のお店です」


 カタリナは楽しそうに言った。


「お嬢様が考えた画期的な淹れ方で紅茶を出せば、きっと王都でも評判になります」


「そう、ね。……そうなのかしら?」


 私は適当に相槌を打ちながら、また本へ視線を戻した。


 今は、そんなことを考えている余裕はない。


 私はこの周回で得た学びを記録として、ノートと呼ぶには上質な無地の本に書き綴る。

 


 軍を動かせないのなら、別の方法を。国力を増やす方法を。戦争そのものを避ける方法を。



 私はありとあらゆる方法について考えなくてはならなかった。それを次に繋げなくてはならない。


 それは……たとえ『今回の人生』がダメだったとしても。いつしか、そんな倫理的ではない考え方まで生まれるようになってしまっていた。


 ……私は間違っているのだろうか?


「お嬢様……」カタリナが心配そうに私を見る「少し、お休みになったほうがよろしいのでは?」


「大丈夫よ」


 私は笑った。


「まだ、時間はあるのだから」


 そう言って、私は集めさせたジオバンニ王国の歴史書をめくった。


 あと二年。そう、まだ二年もある。


 だから私は、諦めなかった。


 しかし、事態は私の思いもよらぬ方向へと傾いた。


 テヌールとアルフォンスが戦うきっかけとなる軍事演習が、一年早く実行されたのだ……。



*


「どうして……こんなことに?」



 私は目前の現実に困惑していた。私の見込みでは、あと一年の猶予があるはずだった。



 ――私が動きすぎたから?


 歴史の歯車が狂ってしまったのだろうか。


 この一年、私はあまりにも多くの人間と繋がりを深めすぎた。


 大将軍の娘が露骨に情勢を探っていた情報が、アルフォンス侯国へ漏れて焦りを生んだのかもしれない。


 どれだけ悔やんでも答えなど出なかった。



 国境で始まった敵軍の軍事演習。それを牽制するため、テヌール軍が出陣した。

 そして――まるで示し合わせたかのように、今回も小競り合いが発生する。


 流された血と、死者。


 それだけで、後戻りできない坂道を容易く転がり落ち始めた。


 父は急遽、軍を率いて現地へ向かうことになった。


 出陣の直前、屋敷の玄関先で鎧を纏った父が私を振り返った。


「お前の言うとおりだった……」



「……お父様」



「アルフォンスは……本当に動いた」



 父は苦々しく顔を歪めた。



「オフィーリア……覚えておけ。一度始まった争いは、始めた者だけでは終わらせられんのだ」


 かつて父が口にしていた言葉。


 その言葉の持つ残酷な意味を、私は今度こそ思い知らされていた。


「一緒に出陣するレヴナス殿には、酷なことをしてしまうな」


 父が重々しく呟く。



「この前、御息女が生まれたばかりだというのに……」



「……クローディア」



 抑えきれず、その名前が口からこぼれ落ちていた。


「……なぜ、お前がその名を知っている?」


 父の眉が鋭く寄せられる。



「お披露目の儀は、まだ先のはずだが」


「あ……」


 しまった。



「マ、マリーから……手紙で教えていただいていたのですわ」



 咄嗟にそれらしい微笑みを作って誤魔化す。


 父はしばらく私を怪訝そうに見つめていた。けれど、問い詰める時間など残されてはいなかった。



「……そうか」短くそう告げると、父は踵を返した「では……行ってくる」


「……はい。ご武運を」



 遠ざかる父の背中を、私はただじっと見送った。



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