それはあくまで可能性の話
父が黙った。
向かいに座るラバン・グラウビュンデンも私をじっと見つめている。
二人とも、私の断定的で不謹慎とも取れる発言に、少なからず動揺しているのが肌で感じられた。
「グライアス王国との戦争で、テヌールは大きく疲弊しました」
私は一度冷静になって、机の上に広げた資料を指した。
「一方、アルフォンスとザンカストは、グライアスとの戦争にそこまで兵力を割いていません。戦場の中心が、ジオバンニ王国とテヌールの国境側だったからです」
「それは事実だ」
ラバンが答えた。
「今のテヌールは、以前より弱体化しています。そして、アルフォンスとザンカストには、我々に対する歴史的な恨みがある」
「……歴史的な恨み、か。まぁ、忘れたわけではないだろうな」
ラバンが呟く。
「もちろんです」
「ジオバンニが王国を名乗る以前、彼らは戦争によって周辺の国々を従属させた」
ラバンは淡々と語った。
「アルフォンスも、ザンカストも、リースも、そしてテヌールも、その中に含まれていた」
「だから――」
「だからといって、今の彼らが戦争を望むとは限らない」
「でも、禍根はあります」
「あるだろう」
あっさりと認められて、私は言葉に詰まった。
「だが、それは昔の話だ。我々が彼らを従属させたのは、今を生きる者たちの父や祖父、そのさらに前の世代の話だ。今の民が、その恨みだけを理由に戦争を始めるとは限らん」
「恨みだけではありません」
私は言った。
「テヌールが弱っているからです」
声に力を込める。
「昔からの恨みがある。しかも今なら勝てる。足がかりにテヌールをまず滅ぼせば、同じく疲弊したジオバンニ王国は三国に囲まれる形になります」
ラバンはしばらく黙っていた。
「……可能性としては、否定はできん」
「では――」
「だがあくまでそれは可能性でしかない」
ラバンは私の言葉を遮った。
「クレールご令嬢の言う通り、アルフォンスやザンカストがテヌールを恨んでいる可能性もある。疲弊した我々を好機と見る可能性もある」
そこで、父が口を開いた。
「そしてソラール家には、かつての政略結婚でジオバンニ王族の血が流れていることから、その矛先はテヌールにも向く」
「……はい」
父は資料へ視線を落とした。
「だが、アルフォンスやザンカストが我々を攻めれば、ジオバンニも動かざるをえず、大きな戦争になる。それだけの危険を冒してまで、昔の恨みを晴らす理由があるとは思えん」
「ですが……」
「それにグライアス王国が滅んだ今、ジオバンニ王国外の勢力も次の覇権を争うべく牽制し合っている。後先を考えれば、そんなバカな真似をするとは思えん」
私は言葉を探した。
確かにその理屈はわかる。私もこの約三年間必死に情勢を勉強した。
それでも――アルフォンスが、ザンカストが、或いはリース侯国も蜂起する未来を私は知っている。経験している。
「……二年以内です」
もう一度、私は言った。
「二年以内に、アルフォンスとザンカストはテヌールへ攻め込む」
その言葉にさっきの勢いは消え失せていた。
父も、ラバンも、何も答えない。
「私は、それに備えるべきだと思うのです……」
しばらくの沈黙の後、ラバンが静かに口を開いた。
「クレールご令嬢、君の懸念を笑うつもりはない。可能性として、考慮する価値はあるだろう」
「ならば……」
「それでも、今この国の軍を大幅に拡充する理由にはならない」
「……どうして」
「国を動かすには、可能性だけでは足りないからだ」
「せめて、私の意見をソラール侯爵に……!」
「いい加減にしないか、オフィーリア」
父の強い一言で私は押し黙った。やるせなさが胸を叩く。
私は彼らの知らない未来を知っている。でも、その未来を証明することができない。
そして彼らは私の知らない、戦争の重さを、国を維持する難しさを知っている。平穏を失うことの悲惨さを知っている。
だから二人は、私の計画を退ける。
私の心は完全にへし折られた。どれだけ周囲の信頼を得られても、この二人を納得させられなければ、国を動かすことはできない。




