早乙女千佳は繰り返す
画面には、音楽会の会場が映し出されていた。
豪奢なホール。天井から吊り下げられた大きなシャンデリア。
画面中央には、攻略対象である第二公子レヴナスの立ち絵が表示されている。
『素晴らしい演奏だったよ。君は、本当に楽しそうに奏でるのだな』
その下に、主人公の台詞が流れる。
『レヴナス様! わざわざ観覧席から降りてきてくださったのですか』
「うん。ここまでは問題なし」
私はマウスを握ったまま、小さく呟いた。
今確認しているのは、発売直前の乙女ゲーム。レヴナスルートに移行するための重要イベントの一つだ。
この時点でレヴナスの好感度が一定以上を超えていると、会話の途中でイベントCGが表示されることになっている。
指定されたテスト項目は三つ。
――CGが表示されること。
――表示される画像が正しいこと。
――そして、表示されるタイミングが正しいこと。
「さて……」
クリックしてテキストを進める。
『君の演奏を、もっと近くで聴いていたかったな』
まだCGの発生条件ではない。私は画面を見つめたまま、もう一度クリックした。
――その瞬間。
「……え?」
画面が唐突に切り替わった。
一枚のイベントCG。音楽会のステージ裏で、一人の少女がヴァイオリンを抱えている。
長い赤髪が肩から背中へと流れ、柔らかな笑顔を浮かべていた。その隣にはレヴナスが立っている。
確かに、今回確認するべきCGに違いなかった。
……ただし。
「いや、早いなぁー……」
思わず声が漏れた。本来なら、あと二つ台詞を挟んでから表示されるはずだ。
画面を見つめたまま数秒待つが、CGは消えない。
やがて、ワンテンポ遅れてテキストだけが表示された。
『――じゃあ、行こうかマリアベル』
「あーもー、雰囲気ぶち壊し」
ため息をつく。CGが消え、再び通常の会話画面に戻った。
どうやらイベント自体は進行するらしいけれど、テスト項目としては不合格だ。
私はメモ帳を開いた。
こういう仕事をしていると、ゲームを普通に楽しむことと、検証することの違いがよく分かる。
プレイヤーなら「お、CGが出た」くらいで済ませるかもしれない。けれど私たちは違う。決められた手順を踏み、決められたシーンで、決められた結果になるかを確認する。一つでも違えばそれは『不具合』だ。
ゲームを最初の状態まで戻し、同じ手順を繰り返す。
レヴナスの好感度を指定値まで上げ、音楽会へ移動し、指定の選択肢を選ぶ。
そして――
「……やっぱりだ」
同じタイミングで、全く同じCGが表示された。もう一度試しても同じ。これで三回。
私はゲームを一時停止し、不具合管理ツールを開き、新規チケットを作成する。
タイトル:『第7章 音楽会イベントにてイベントCGが規定より早く表示される』
発生条件、再現手順、期待される結果、実際の結果。再現性:3/3。
項目を一つずつ埋め、参考画像としてスクリーンショットを添付する。
入力内容を見直し、登録ボタンを押した。
私は早乙女千佳、二十五歳。
肩書きだけなら、フリーター。
ゲーム会社でデバッグのアルバイトをしている。正社員じゃない。
別にゲームを作っているわけでもない。シナリオを書いているわけでもなければ、プログラムを組めるわけでもない。
ただひたすらゲームをプレイして、おかしなところを探す。
地味な仕事だ。
でも、私はこの仕事が嫌いじゃなかった。むしろ好きだった。
ゲームをしているだけでお金がもらえる。もちろん実際には「遊ぶ」のとは違う。
同じイベントを何度も見たり、指定された条件を延々と試したり、細かい表示崩れを探したりする。
好きじゃなければ、結構きつい仕事だと思う。それでも私は、この仕事をしている時間が好きだった。
……まあ。二十五にもなってフリーターというのは、そろそろ考えたほうがいい気もするけど。
いつまでもこのままというわけにもいかない。親だって、たぶん心配している。私だって、たまには思う。
定職、探したほうがいいかなって。
でも――
できることなら、こういう仕事が本職になればいいのにな。
ゲームに関わる仕事。今みたいに、毎日ゲームを触っていられる仕事。そんなことを考えながら時計を見る。
「……うわ」
時刻はもう夜の十一時。
気づけば、もうそんな時間だった。そろそろ帰らないと。
私は保存していたデータを閉じ、パソコンをシャットダウンする。
聞くところによると納期がヤバいらしい。そうなると必然的に残業が多くなる。私としてはゲームも触れるし、お金ももらえるしなんてことない。
そして今日に限って言えばこの時間までの残業は好都合だった。
待ちに待った、あのゲームの発売日。乙女ゲームの新作だ。
しかも、今日の午前零時から秋葉原の一部店舗で深夜販売がある。
予約はしてある。だから、急いで向かえば間に合う。
「よし」
私はロッカーから鞄を取り出した。どうせゲームを買って帰るだけだ。髪や身なりなんて気にしていられない。それより、早く行かないと。
会社を出ると、夜の空気が、思ったより冷たかった。私は自転車に跨がる。
秋葉原までなら、今から走ればちょうどいい。発売日を待ちわびていたのは私だけじゃない。
SNSで繋がっているゲーム仲間も、何人か来ると言っていた。
もしかしたら、店の前で会えるかもしれない。
買ったあと、みんなでファミレスにでも入って、
「で、誰から攻略する?」なんて話をするのも楽しそうだ。
私はそんなことを考えながら、自転車を走らせた。
夜の靖国通りは、昼間に比べればずっと静かだった。
車の数も少ない。私は赤信号で自転車を止める。待つこと二分くらい。信号が変わる。
私はペダルに足をかけた。
当たり前のように横断歩道を渡ろうとして――
――その瞬間だった。
まぶしい光が右側から飛び込んできた。何故か赤信号だというのに黒いスポーツカー(あるいは逆光で黒く見えたのか)が物凄い勢いで飛び込んできた。
そう認識したときには、もう遅かった。
「え――」
強烈な衝撃と共に身体が浮く。自転車が、手から離れる。いや、手から自転車が離れる? いやいや、そんなことはどうでもいい。
一瞬だけネオンの光がゆっくり、とてもゆっくりと一周した。
そして次の瞬間には、地面が迫ってきて――
――痛い。
そう思った。それが最後だった。
死ぬって。こんなに、あっけないの?




