四度目の絶望
――また、失敗だった。
オフィーリア・クレールは、そう思った。
王都の広場には大勢の人が溢れている。そして誰もが同じ方向を見つめていた。
飛び交う罵倒。すすり泣く声。様々な感情が飛び交う。
広場の中央。そこに、一台の粗末な木製の斬首刑台がある。
その前に、まだあどけなさの残る若い女性が立っていた。
彼女は後ろ手に縛られ、粗末な服を着せられていた。
痩せ細った身体。自慢の綺麗な長い赤髪は、今や短く粗暴に切り落とされていて、心許なく風に揺れている。
マリアベル・シャナーク。
オフィーリアの親友だった女性。そして、テヌール侯国レヴナス・ソラール伯爵夫人。
――いや。
今は、もう……ただの罪人だ。
戦争に敗れた敗将の妻……。
オフィーリアは人混みに紛れていた。
身につけているのは、姿を隠すための粗末な外套。深く被ったフードが、その顔を隠している。
誰も、彼女が戦死したクレール大将軍の娘だとは気づくことはないだろう。
その腕には、まだ幼い赤ん坊がいた。
小さな身体。小さな呼吸。何も知らずに眠っている。
この子だけは生き残れる。
それが、四度目の人生でオフィーリアが掴み取った、唯一の成果だった。
処刑台の上、一人の兵士がマリアベルの隣に立つ。手にした書状を開き、広場に響き渡る声で罪状を読み上げていく。
――国家反逆。
――敵国への内通。
――軍事機密の漏洩
聞き慣れた言葉が次々と並べられていく。
罪状なんて、後からいくらでも作れる。マリアベルを処刑する理由が必要だった。だから、用意された。ただ、それだけだ。
オフィーリアは、人混みに紛れてそれを聞いていた。奥歯を割れそうなくらいに噛み締める。
やがて罪状を読み終えた兵士が書簡を閉じ、マリアベルに問いかけた。
「最後に、何か言い残しておきたいことはあるか?」
マリアベルは、ゆっくりと顔を上げた。、
広場を見渡す。
王都の民。兵士。貴族。領民。そして――みすぼらしい外套を纏った一人の女。
マリアベルは静かに答えた。
「一つだけ、お願いがあります」
「何だ」
「あそこにいる方に、私的な遺言を残したいのです」
兵士が眉をひそめる。
「あの女か?」
「はい」
マリアベルは、オフィーリアを指した。
オフィーリアの身体が強張った。
――なぜ? どうして、私を見つけられたの?
これだけ人がいるのに。 顔も隠しているのに。
それでもマリアベルは、まっすぐオフィーリアを見ていた。オフィーリアは、動けなかった。
「知り合いか?」
「……ええ」
マリアベルは少しだけ微笑む。
「昔、お世話になった方です」
それ以上は言わなかった。
兵士はしばらくオフィーリアを眺めた。
粗末な外套。深く被ったフード。腕に抱いた赤ん坊。
どこにでもいる、ただの領民にしか見えない。
「……そこの。近くまで来い。赤ん坊は預けろ」
オフィーリアは息を呑んだ。下手に声を上げれば自分の正体がバレてしまう。そうなれば自分もまたこの処刑台に上がることになる。
「いいか、こちらの指示に従え。妙な真似をすれば、すぐに取り押さえる」
オフィーリアは小さく頷いた。
本当は彼女の目の前に、彼女の子供を連れていきたかった。しかし危険に晒すことはできない。オフィーリアは隣にいた熟年の女性に赤ん坊を預けた。
そして、人混みをかき分けるようにして、処刑台へ近づいていく。
あと数歩。そこで兵士に止められた。マリアベルとの距離は、ほんの三メートルほど。
それ以上は近づけない。
「……マリー」
オフィーリアは、彼女を見あげながら小さく呟いた。
マリアベルは膝をつきオフィーリアに可能な限り身を乗り出した。彼女の目に涙はなかった。怯えてもいなかった。
ただ、いつものように。あの頃と同じように、優しく笑っていた。
「無事でよかった」
「マリー……私……私っ!」
「ありがとう」
悲しいくらいに美しい微笑みだった。頬がこけて唇も荒れているのに、オフィーリアは今の彼女ほど美しい笑顔を知らなかった。
「……え?」
「最期まで、私のために頑張ってくれて……」
胸が締めつけられた。
違う。違うの……。
心の中で、何度も繰り返す。
――私はあなたを救えなかった。
あなたを救うために、四回もやり直した。
政治も。
軍も。
人間関係も。
全部変えた。
そして四回目には――あなたに全部話した。
自分が、この世界の人間ではないこと。
この世界の未来を知っていること。
何度も同じ人生を繰り返していること。
全部、あなたに打ち明けた。
それでも。
それでも私は――あなたを救えなかった。
「ごめ……ごめん、なさい……」
言葉にならない謝罪とともに、涙が頬を伝った。
「大丈夫……」
「え?」
「オフィーリアなら……」
一度、言葉を止める。そして、ほんの少しだけ首を横に振った。
「ううん」
マリアベルのまっすぐな瞳が、暗いフードの奥にあるオフィーリアの絶望に染まった瞳を射抜く。
「――千佳なら、絶対にこの国を救えるから」
オフィーリアがハッと息を呑んだその刹那、重々しい鐘の音が王都に響き渡った。
「時間だ! 刑を執行する! 離れろ!」
静寂が破られ、観衆が再び騒ぎ出す。
「マリー! マリーーーっ!」
駆け寄ろうとするオフィーリアを二人の兵士に押し戻される。強引に引き離されたオフィーリアは力なくその場に立ち尽くす。
処刑台の前に跪かされるマリアベル。彼女は全てを受け入れたかのように穏やかな顔で瞳を伏せた。台の窪みに首を収めると、大柄な執行人が高らかに斧を振り上げた。
「なんで……どうして……マリー……っ」
今度こそ変えられると思ってた。この負の連鎖を二人なら超えられると信じていたのに。
彼女の最期を見届ける勇気はなかった。
オフィーリアは首に下げたネックレスの青い石をきつく握りしめる。
そして強く誓った。
――次こそは、きっとあなたを助けるから!
パキッ――。
何かが、砕けた。
そこで、オフィーリアの意識は途絶えた。
――四度目の世界が終わった。




