Re 悪役令嬢マルティナ・グラウビュンデン
一足遅れてコンクール会場に到着した私は、急ぎ足でマリーが居るはずの場所に向かった。そこにはもちろん、彼女もいるはずだ。
いた……。
私は数人の女子に囲まれているマリーの姿を捉えた。そして、彼女を囲んでいる女子たちの中心にいる黒紫色の髪をハーフアップで纏めたマルティナの姿も。
どうやら二人の会話は既に佳境に入っているようだった。
「恥をかく前に辞退するというのも、一つの賢い選択ではありませんこと?」
マルティナが勝ち誇ったように、嫌味を込めて言った。
マリーは俯いて目を閉じる。
「私……やっぱり……辞退……」
――ここだ。何とか間に合った。
私は二人の間に割って入った。
「マリアベルさん」
「オフィーリア……様!?」
「あら、オフィーリア様? ごきげんよう」
「ごきげんよう、マルティナ様」
台本通りのセリフに、私も台本通りに返す。
――なのに。
目の前にいるマルティナを見た瞬間、胸の奥がどうしようもなく熱くなった。
……生きている。
当たり前のことなのに、それだけで嬉しかった。
あの炎の中で私を助けくれた彼女も、最後に見たあの疲れた顔の彼女も、バラの庭園でいつも一緒に紅茶を啜っていた彼女も……今はどこにもいない。
目の前にいるのは、まだ何も知らない、どこか幼さの残るマルティナだ。
「……」
私は思わず、じっと彼女の顔を見つめた。マルティナが首を傾げる。
「……どうかなさいまして?」
「い、いえ、なんでもありませんわ」
私は慌てて視線を逸らす。
「……そうですの?」
「ええ」
危ない。ここで余計なことを言ってはいけない。
私は気持ちを切り替えた。そう、今はあくまでシナリオ通りに。
「お取り込み中のところ失礼しましたわ。でも……少し気になるお話が聞こえてきましたので」
「気になるお話?」
マルティナが眉を上げる。
――そう。
ここからだ。
私は何度も読み返してきた台詞を口にする。
「ええ。マリアベルさんがコンクールを辞退する必要なんて、どこにもありませんでしょう?」
「……オフィーリア様」
マリーがこちらを見る。
その表情には、明らかな安堵が浮かんでいる。一方、マルティナは静かに私を見つめていた。
「私はただ、彼女のことを思って申し上げただけですわ」
「ええ、存じています」
ここまでは同じ。私は微笑む。
「ですが、マリアベルさんが演奏したいと思っているのなら、それで十分ではありませんか?」
「それは……」
「結果がどうなるかなんて、まだ誰にも分かりませんもの」
マルティナの目が細くなる。
「……ずいぶんとマリアベルさんを買ってらっしゃいますよね」
「ええ。私は、彼女の演奏にはそれだけの価値があると思っていますわ」
「…………」
マルティナが黙った。
……あれ?
何かおかしかった?私は確かに台本通りの台詞を言ったはず。
「……オフィーリア様」
「はい?」
「本日の貴女、少し変ではありませんこと?」
「え?」
「先ほどから、妙に嬉しそうですわ」
「……そ、そんなことありませんわ」
「そうでしょうか?」
「ええ」
「では、なぜ私の顔を見て笑っていらしたの?」
私は答えに詰まった。だって、嬉しいから。また、あなたに会えたのが。
この時点で私たちは、互いの家柄のことでしがらみもあって、探り合いをするような微妙な間柄だけど、これから先、私とあなたがどれほど仲良くなるのかを知っている。
――でも、そんなことは言えない。
だから私は向き直る。この『千年を綴る五線譜』のあるべき未来へ導くために。私は、粛々と歯車にならなくては……。
「ですから……結果が出る前から機会を失わせてしまうのは、少し、惜しいと、思いませんこと?」
「ちょ、ちょっと、オフィーリア様!?」
「……えっ?」
唐突に焦り出すマルティナと、背後の取り巻きたちを私はきょとんと見つめた。
「今度は何で突然泣き出してるんですの!?」
「え? ……え?」
私は目の下を軽く撫でた。確かに涙が自然と溢れていた。それを自覚してしまったら、止まらなくなってしまった。
「オ、オフィーリア!?」
マリーまで、心配そうに私の顔を覗き込んできた。
「ご、ごめんなさい……マリー……じゃなくてマリアベル……ちょっと……色々と、情緒が……」
「ど、どこか調子悪いんですの? あなた、お医者様をお連れしてきてくださる?」
「は、はい! マルティナ様」
マルティナが取り巻きの一人にそう指示する。この子、やっぱり根っからの悪役じゃないのよね。そう思うと、愛しさが爆発してもうダメだった。
私は涙でグシャグシャになった顔で発作的にマルティナを抱きしめようと両腕を掲げた、が、ここで彼女と仲良くなっては、シナリオ通りにいかなくなってしまう。
だから私は、吠えた。まるで熊が獲物を襲うようなポーズで、マルティナを威嚇した。
「ガオーーーーッ!」
「ひいっ!? な、何ですの、この人っ!?」
マルティナは青ざめた顔で私から距離を取った。
「マルティナ様、い、行きましょう」
取り巻きの一言でハッと我に返るマルティナ。
「も、もういいですわ! マリアベルさん」
「は、はいっ!」
「お互い、本戦に残れるよう頑張りましょう」
「はいっ!」
逃げるように去っていったマルティナがいなくなった後も、私は獲物に立ちはだかる熊のようなポーズを取ったまま立ちつくしていた。
「オ……オフィーリア……?」
「マリー……」
こんなポーズをしているが、私の頭はいま、とても冷静だった。
「あなたが弾きたいと思えば、弾けばいいのですわ」
私は頭の中に刻まれている、ゲーム内の台詞を口にして微笑んでみせた。
「え、あ、うん……」
きっとそれは、今のマリーが求めている言葉ではなかったのだろう。それでも彼女は力強く言った。
「私、頑張るね!」
「ええ、私も頑張るから!」
最後の台詞は少しだけ変えた。私も頑張るから、みんなの笑顔を、守るから。
私は誓った。
それからの日々は、まるで一周目の人生をなぞるように過ぎていった。




