再会の老婆
城下町へ向かう大通りを歩いていると、見覚えのある露店が目に入った。
小さな机と、その上に並べられた古びた石やカード。そして、その中央に置かれた水晶玉。
――いた。
胸の奥が既に鼓動を速めている。
私は思わず足を止めそうになったが、隣を歩くマリアベルが不思議そうにこちらを見る。
「どうしたの、オフィーリア?」
「……いいえ。何でもありませんわ」
私は何食わぬ顔をして歩き続ける。そうだ、まだここはシナリオ通りに動かなければ……。
やがて、世界に仕組まれたように、あの台詞が聞こえた。
「……おや」
「そこのお嬢さん……」
マリアベルが振り返る。
「え? お嬢さんって私のこと?」
その光景は、何もかも一周目と同じだった。
私は胸の奥で息を呑みながら、マリアベルと顔を見合わせる。
「あなたには……数奇な運命が待ち受けていますね」
「私に……ですか?」
マリーが予定通り、目を丸くする。老婆は予定通り小さく笑う。
「ええ。いくつもの道が、あなたを待っています」
「宜しければ……占って差し上げましょう」
「え? いいんですか?」
「ええ。今日は特別に、ただで」
「いいんじゃないかしら? 占ってもらいなさいな」
私は台詞を端折ってマリーに占いを勧めた。マリーは嬉々として私にバイオリンケースを預け、老占い師の前に腰掛ける。
老占い師――クアンタームは私をチラッと見上げるが、予定通り、マリーの占いを始める。
以降は、同じだ。
台詞も。表情も。仕草も……。まるで一周目の記憶をなぞるように、出来事が進んでいく。
クアンタームはマリアベルの未来を語り始める。
多くの人と出会うこと。いくつもの道が待っていること。
そして、自ら選ばなければならない未来があること。
私は一言も口を挟まなかった。ただ彼女のバイオリンケースを手に、シナリオ通りに進む彼女たちのセリフをなぞり続ける。
マリアベルは占いを終えると、私へ振り返った。
「オフィーリア、そろそろ行こう?」
「……ええ」
私は頷いた。
「でも、マリー。先に会場へ向かってくださる?」
「え?」
「私、少しだけこの方とお話ししたいことがありますの」
マリアベルが不思議そうにクアンタームを見る。
「占い師さんと?」
「ええ。すぐに追いつきますわ」
「……分かった。待ってるからね」
「ええ」
マリアベルが去っていく。
その背中が人混みの向こうへ消えるまで、私はじっと見送った。
そして――振り返える。そう、ここからは、台本にはない世界。
「クアンターム様、ですね?」
「……」
老婆は静かに私を見つめていた。
「あなたは、私を知っているでしょう?」
「ええ。クレール家のお嬢様……」
「違う」私は遮るように首を振って言った。「あなたは以前、私に会っている。別の人間として、早乙女千佳として!」
「……」
「ペンダントを……くれたでしょう?」
胸元から彼女がくれた青い石が埋め込まれたペンダントを見せる。クアンタームはしばらく黙っていた。そして何かを確かめるように、自分の胸元を触る。
「……なるほど」
「何か分かる?」
「いえ」
あまりにもあっさりと否定され、私は言葉を失った。
「私は、以前のことを覚えておりませぬ」
「……え?」
「今の私にとって、貴女様は初めてお会いするお客様です」
「そんな……」
覚悟はしていたはずだった。私だけが過去を覚えている。それでも、どこかで期待していたのだ。この人なら或いは、と。
「……ですが」
クアンタームが、私のペンダントを見つめる。
「そのペンダントを私が貴女様に預けたというのであれば……少なくとも一度、貴女様は『やりなおし』をなさったのでしょうな」
「……!」
「それ以上のことは、私には分かりませぬ」
「どうして?」
「私にも時間を越える術がございます。正確には、あるようです。ですが……貴女様が経験しているものとは、根本から違う」
「つまり……」
「貴女様の時間を、私がすべて理解することはできないということです」
私はペンダントを握りしめた。
「じゃあ、私はどうすればいいの?」
思わず声が震えた。
「私は、多分この石の力で、失敗した五年後の未来から戻ってきた。でも、このままじゃ、また失敗するかもしれない。マリーを救えないかもしれない。何をすれば、何を変えればいいのかも分からない」
クアンタームは答えない。
「教えて。私は何をすれば――」
「……申し訳ありません」
夜の森を思わせるような、静かな声だった。
「私から申し上げられることは、ほとんどございません」
「そんな……」
「ただ一つ」
クアンタームは私の胸元を指差した。
「そのペンダントだけは、肌身離さずお持ちください」
「これを?」
「ええ」
「これが、私をもう一度やりなおさせてくれるの?」
「それも……私には分かりませぬ」
「……」
あまりにも頼りない答えだった。けれど、不思議と焦りや憤りは浮かばなかった。
この人は嘘をついていない。
知らないことを、知らないと言っているだけなのだ。
「……でも」
クアンタームが、初めて少しだけ表情を和らげた。
「私は、貴女様のことを少しだけ理解できるような気がいたします」
「私を……?」
「ええ」
老婆は水晶玉へ手を置いた。
「貴女様は、道に迷っておられる」
「……」
「けれど、迷うことそのものが悪いわけではありません」
私は黙って彼女を見る。
「また迷われたなら――ここへお戻りなさい」
「……また?」
「ええ」
クアンタームは静かに微笑んだ。
「その時、私に分かることがあれば……お力になりましょう」
私はしばらく何も言えなかった。
けれど、やがて小さく笑った。
「……ありがとう、クアンターム様」
「あなたの行く末が明るいものであることを願います、旅人よ」
その呼び名に、一周目の記憶が重なる。私はペンダントを握りしめた。
「次こそは求める未来を手にします。もう誰も悲しませたくない……」
「貴女様、人は迷いながら進むものです。そして貴女様の人生はあまりに複雑です」
そう言って、クアンタームは水晶玉へ視線を戻した。
「お行きなさい。赤い髪のお嬢様が運命の円環から外れてしまいます」
「ありがとうございます。行ってきます……」
私は彼女の言葉を胸に刻み、マリアベルの待つコンクール会場へ向かって走り出した。




