ペンダントはなくならない
目が覚めると、もはや見慣れた屋敷の景色が目に入った。
「……ここは」
私は、お気に入りのロッキングチェアに腰掛けていた。
クレール邸。オフィーリアの部屋。――私の部屋だ。
何故? どうして私はここに居る?
「……燃えてしまったはずじゃ……」
思わず呟いた、その直後だった。
「きゃああああっ!?」
すぐ横から聞き慣れた悲鳴が響く。
「えっ?」
ガチャンッ!
「あっつつつつつつつ!?」
太腿に熱が走り、私は反射的に飛び跳ねた。
スカートにかかった熱湯。いや、この香りは――紅茶。
あれ? 待って、これ……デジャヴ?
「お、お嬢様っ! 申し訳ありません! 私、私……っ!」
目の前に見慣れた少女がしゃがみ込む。
銀色のおさげ髪、丸い眼鏡。そして、今にも泣きそうな顔。愛くるしい、その顔……。
「カタリナ……?」
「すぐに拭きますから! 本当に申し訳ありません!」
彼女は一生懸命、私のスカートにかかった紅茶を布巾で拭っている。
「……」
私は、そんな彼女を呆然と見つめていた。
「……カタリナ」
「は、はいっ! オフィーリアお嬢様!」
その返事を聞いた瞬間、胸の奥が締め付けられた。
「……生きてる」
「え?」
「……生きてるのね」
気づけばカタリナを抱きしめていた。彼女の首に顔を埋め、力いっぱいに抱擁する。
「お、お嬢様!?」
カタリナの身体が飛び上がるようにビクッとなる。けれど私は構わず、その小さな身体を更に強く抱きしめた。
「よかった……」
「……え?」
「本当に……よかった……」
腕の中にちゃんと温かい身体がある。あの暗い地下室で失われたはずの命が、今ここにある。
「お嬢様……?」
カタリナの声が震える。
「どうなさったのですか……? 突然こんな……」
「……なんでもないの」
私は目を閉じた。
「ただ、あなたがここにいてくれて……嬉しいの」
「…………」
しばらくして、腕の中のカタリナがもぞもぞと動いた。
「お、お嬢様……その……」
「ん?」
「あの……私、その……」
カタリナの身体がどんどん熱くなっていく。呼吸も少し荒い。
「……?」
「も、もし、お嬢様が……そのようなおつもりでしたら……」
「そのような?」
「わ、私……その……やぶさかではありませんから……」
私は腕を解き、首を傾げる。カタリナは顔を真っ赤にしながら眼鏡を押し上げ、俯いた。
「……や、優しくしてくださいっ!」
「…………」
私は固まった。
「…………何を言っているの?」
「え?」
「私、別に変な意味で抱きしめたわけじゃないわよ……」
「えっ!? あっ……!」
カタリナは私の言ったことを理解したらしく、耳まで真っ赤になった。
「ち、違います! 今のは、その……! そういう意味ではなくて……!」
「え、じゃあ、どういう意味だったのよ……」
「わ、私にも分かりませんっ!」
カタリナは両手で顔を覆った。
……そうだった。この子、こういうところがあった。最後に見たカタリナは少し大人びていたけど、初めて会ったときはいろいろ手に負えない子だった。
「ふふっ……」
「お、お嬢様! 笑わないでくださいませ!」
「ごめんなさい」
私は笑いながら、もう一度だけ彼女を抱きしめた。
「でも……本当に、よかった」
「……お嬢様?」
「ごめんね。落ち着いたわ」
私はカタリナを解放して窓際まで歩く。
一度、整理しなくては。
私は、確かに死の危機に晒された。
テヌール国はアルフォンス侯国とザンカスト侯国の反乱によって崩壊の危機に遭い……いや、さっきの生々しい居酒屋の記憶が確かなら、テヌール侯国は滅亡する。
私はマリーの娘、クローディアを助けようとして、それでも追っ手に追いつかれ、刺し殺されかけた。
その時、胸のペンダントが輝いたと思ったら、急に意識が途切れ、目が冷めたらここに……。
「え? ……待って」
私は胸のあたりに違和感を覚えた。恐る恐る胸元に手を当てる。そして私は驚愕した。
そのペンダントが確かに胸に掛かっていた。
「なんで……今、ここに?」
今のこの現状が私の思う通りループした世界だとしたら、私がこのペンダントをいま持っているのは不自然だ。何故ならこのペンダントはこの後、クアンタームという老占い師に会った時に渡されるものだからだ。
「……時間が、戻った? これのお陰で?」
まだ確信はない。しかし、私は酷く混乱した。いや、この状況で冷静でいれる方がおかしい。
しかし、今はそれを悩んでる場合ではない。この世界がループした世界だというのであれば、間もなく、やってくるはずだ。
そう、私の大事な……。
――コンコン。
不意に扉がノックされた。
「お嬢様、マリアベル様がお見えになりました」
その名前を聞いた瞬間、私の胸は高鳴った。
「……マリーが?」
「はい。お通ししてもよろしいでしょうか?」
「……ええ」
声が震えないようにするので精一杯だった。控えめに扉が開く。そして、その向こうから、見慣れた少女が入ってくる。
「ごきげんよう、オフィーリア」
赤く長い、美しい髪。優しげな大きな瞳。少しだけ緊張したように微笑む、その顔。
――生きている。
頭では分かっていた。時間が戻ったのなら、当然だ。それなのに……。
「オフィーリア?」
マリーが首を傾げた。その瞬間、もう駄目だった。
「……っ」
私は何も言わず、彼女へ駆け寄った。
「えっ?」
そのまま、マリーの身体を強く抱きしめる。
「オ、オフィーリア……?」
困惑した彼女の声が耳元で聞こえた。けれど、離れられなかった。
彼女の心臓の鼓動が伝わる。腕の中にある身体も、髪から漂う香りも、聞こえてくる呼吸も、確かにちゃんとそこにある。
マリーは私の腕の中で生きている。
「……オフィーリア?」
もう一度、名前を呼ばれる。私は震える奥歯を噛みしめる。
「……お願い」
ようやく声が出た。
「しばらく……こうしていて」
「……え?」
「お願い……」
声が震えている。自分でもわかる。涙が頬を伝っている。こんな顔を見られたくなくて、私はマリーの肩に顔を埋めた。
彼女の腕が静かに私の背中に回った。
「……うん」
マリーは何も訊ねなかった。代わりに優しく背中を撫でてくれた。その温もりに触れた途端、堪えていたものが崩れた。
「……よかった」小さく呟く「本当に……よかった……」
――今度こそ。今度こそ、この子を死なせない。泣かせない。絶対に幸せにする。
そして――クローディアも。
あの子が生まれる未来さえ、私は知っている。ならば、今度こそ全部守ってみせる。
どれだけ運命が私を邪魔しても。……絶対に。
「……ごめんなさい」
しばらくして、私はようやく身体を離した。
「もう、大丈夫よ」
涙を拭い、できるだけいつも通りの笑顔を作る。
マリーはまだ少し戸惑った顔をしていた。側にいたカタリナもぽかんとしたまま、立ちつくしている。
「本当に? 突然抱きついてくるから、何事かと思った」
「……ちょっと、あなたに会えたのが嬉しくて」
「ふふ。私もオフィーリアに会えて嬉しい」
その笑顔を見て、胸の奥がまた痛んだ。でも、今度は泣かない。私は微笑んでみせる。
「そういえば、今日は音楽コンクールの予選でしょう?」
「うん! 一緒に来てくれるんだよね?」
「もちろんよ。じゃあ、行きましょうか? マリー」
「うんっ!」
マリーが微笑む。私はその隣に並んだ。
――一度は失った、この日を。今度こそ、守ってみせるから。
そして私は、もう一人の人物に会わなければならない。
屋敷を後にして、これから起こることを、ゲームのシナリオを思い出していた。
土日は更新がお休みとなります。




