バッドエンドの『その先』へ
「……!」
私たちを待ち受けていたのは複数のザンカスト兵たちだった。
「いたぞ!」
「女だ! 捕まえろ!」
サナルトゥスがすかさず私の前へ出る。
「お嬢様、行ってください」
「でも……!」
「早く!」
剣を抜く。敵は、一人や二人ではない。明らかに、多勢に無勢だった。
「サナルトゥス……」
「大丈夫です……お行きください」
そう言った彼の声には、先ほどまでの余裕はなかった。
「早くっ!」
私は唇を噛んだ。
「ごめんっ!」
そして――走った。
「逃がすなっ!」
「お前の相手はこの俺だ!」
彼らの声を背にして、クローディアを胸に抱きしめながら。振り返らずただひたすらに走った。
何としても、この子だけは生き残らせなければならない。
私は必死に走った。マルティナが向かったはずのジオバンニ王国へ行かなければ。ただ、どこに向かって走ればいいのかもわからない。
私はテヌール国の外の世界にあまりに無関心だった四年間を悔いていた。それでも腕に抱いたこの命だけは守らなくてはならない。
その一心だけで、夜の森の中を闇雲に駆け抜けていた。
「うえぇぇぇん……!」
「大丈夫……大丈夫だからね……」
腕の中で泣き叫ぶクローディアに、同時に自分自身に言い聞かせるように言葉をかける。
けれど、このままでは遠からず追いつかれる。どこかに身を隠して追手をやり過ごさなければ――そう思った、その時だった。
「――っ!?」
右のふくらはぎに、鋭い激痛が走った。
「うあっ!」
小さな悲鳴とともに膝から崩れ落ちる。私は反射的に身を丸め、自分の身体でクローディアを抱きかかえるように地面へ倒れ込んだ。
「痛っ……! くうっ……!」
震える手で足元を確かめると、平民の服を突き破り、一本の矢が深く刺さっていた。
理解が追いついた瞬間、遅れて焼けるような激痛が波のように押し寄せてくる。
「矢っ……!? ううううっ……」
混乱する私の耳に、静寂を切り裂くような怒声が届く。
「捉えたぞ!」
「逃がすな!」
草木を押し分ける複数の足音が、確実にこちらへ近づいてくる。
サナルトゥスは……やられてしまったのだろうか? それとも、別の追手……?
考える余裕すらなかった。傷口の激痛で、もう立つことすら叶わない。やがて木々の影から、数人のザンカスト兵が姿を現した。
「いたぞ! 逃げた女だ!」
私は咄嗟にマルティナの外套のフードを深々と被り、顔を覆い隠した。兵士の一人が、私の腕の中に視線を落とす。
「……おい、赤ん坊か?」
乱れた服の隙間から覗いた小さな頭。そこに揺れるのはマリアベル譲りの鮮やかな赤い髪。
「その髪……レヴナス夫人の子供か!?」
「……っ!」
私はクローディアを壊れ物のように強く抱きしめた。
足の痛みに耐えながら、必死に地を這って後ずさる。
「来ないで……!」
「その赤ん坊を渡せ。大人しく渡せば、お前自身の命だけは助けてやる」
「嫌……っ!」
「なら、殺して奪うまでだ!」
兵士が容赦なく剣を抜き、その切っ先をこちらに向ける。冷たい鉄の刃がギラリと光った。
いやだ、死にたくない。
それでも、この子だけは。マリーが命と引き換えに私に託したこの命だけは、絶対に渡さない!
私は固く目を閉じた。
マリー……ごめん……私、約束……守れない……
その時だった。
カァッ、と首元が、不自然なほど強く、青白く発光した。
黒い外套の隙間から、溢れ出すような光が漏れ出していく。
「な、何だ!?」
「目がっ……!?」
頭上から困惑と悲鳴が上がった。私は驚愕して目を開け、胸元に手を伸ばす。
外套の隙間で輝いていたのは、あの日クアンタームから受け取った青い宝石のペンダントだった。
「なに……これ? どうして?」
導かれるように、私は血に濡れた手でその宝石を強く握りしめた。
その瞬間――視界のすべてが、眩い純白に染まり上がった。
クローディアの泣き声が、遠ざかっていく。
兵士たちの怒号も、風の音も、炎の焦げた臭いも、血生臭さも……
世界を構成するすべての感覚が、急速に引き潮のように遠のいていく。
「待って……」
私は最後の力を振り絞り、消えゆく腕の感触の中で小さく叫んだ。
「この子……この子だけは……っ!」
私の祈りは、白銀の彼方へと溶けて消えた。
第二章 おわり




