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⑧ 初めての居場所

カーテンの隙間から、容赦ない朝の陽光が差し込む。

 まどろみの中で琥珀は眩しさに顔をしかめ、重たい瞼を持ち上げた。見慣れない天井、いつもとは違うシャンプーの甘い香り。昨日まで自分一人の聖域だった部屋が、今は誰かの気配で満ちている。

(……そうだ。昨日、泊まったんだ)

 昨夜の記憶がじわりと蘇る。自分のシャツを握りしめたまま、無防備に眠る結乃。その寝顔を見守っていたはずの自分まで、いつの間にか眠りに落ちていた。

 琥珀が恐る恐る体を動かすと、結乃がふいにパチリと目を開けた。

「……おはよう、琥珀。観測した。あなたは寝ている間、寝返りを打った際、私の肩に腕が当たった。接触時間は三秒」

「……はぁっ!? ご、ごめん! わ、わざとじゃないから! 観測とか言わないでよ、心臓に悪い!」

 琥珀が顔を真っ赤にして弁解する横で、布団の中で何かがモゾモゾと蠢いた。寝ぼけ眼の沙耶が、服の裾をはだけさせながら這い出てくる。

「んぅ……おはよー……。琥珀、朝から大きな声出さないでよ……。結乃も、琥珀をいじめないで」

「沙耶、服! 全部捲れ上がってる! 直して!」

「え〜? 暑いんだもん。……あ、おはよう、琥珀」

 三人で交わす朝の挨拶。それは琥珀にとって、人生で初めての特別な時間だった。

(……昨日まで一人だった部屋が、今日はうるさすぎる。)

 そう思いつつも、琥珀は三人の体温が混ざり合うこの空間に、言いようのない安らぎを感じていた。自分のような、最大級の秘密を抱えた人間が、こんな穏やかな光の中にいていいのだろうか。

(……こんな朝が、ずっと続けばいいのに。)

 一瞬だけ胸が痛んだが、琥珀はそれを深い呼吸とともに飲み込んだ。

⸻

 リビングへ移動すると、エプロン姿の沙耶ママが優雅にティーポットを準備していた。

「おはよう、みんな。朝ごはん作ってあるからゆっくり食べてね」

「母さん、また世界飛び回ってる!」

「ミラノのお店で急にトラブルがあってね。また一週間くらい留守にするわ。みんな、仲良くお留守番お願いね」

「ほんと休まないんだから〜」

「あらごめんなさいね! あ、冷蔵庫のプリンは三人で仲良く食べてね♡ 琥珀ちゃん、沙耶をよろしくね」

 バタンと玄関が閉まる。静かになったリビングで、テーブルのカルボナーラを口に運ぶ。

 一口食べた瞬間、鼻を抜ける香りと濃厚なソースに舌が唸った。重くない。紛れもない、本場の味だ。

 思わずフォークが止まらない。こんな温かな朝食は、生まれて初めてだった。誰かと笑い合い、誰かと一緒に食事をする。この当たり前のような光景が、何にも代えがたい宝物のように思えた。


⸻


 食後のキッチンは、平和とは程遠い場所と化した。

 流し台に山積みの食器を前に、押し付け合いが始まる。

「沙耶、今日はお皿洗いの当番でしょ。さっさとやってよ」

「えー、昨日頑張ったから今日は『負けてない!』から免除!」

「いや、あんた昨日一番最初に寝ただろ! 寝言で『琥珀の匂い……』とか言ってたし!」

「っ! 言ってない!」

「観測では、いびきが三回、正確に記録されている」

「結乃の記憶力怖っ! 証拠まであるの!?」

 沙耶が「逃げろー!」とバスルームへ駆け込む。琥珀がその後を追って廊下に出た瞬間、バタンとドアが開く。何食わぬ顔で歩き出してきた、バスタオル一枚の沙耶。

「うわぁっ!? 服! せめて服着て!」

「え? 女同士じゃん、気にしすぎ。あ、琥珀って意外と照れ屋だね!」

「……っ!」

 凍りつく琥珀の背後で、結乃が淡々とタオルを投げる。

「……服着ろ。風邪をひく」

「……琥珀。顔が赤い」

「ぜっっったいに嫌だ!!」

 結乃の追い打ちに、琥珀は壁に頭を押し付けた。なんて危険で、なんて騒がしい日常だろう。この空間を維持するためなら、自分はなんだってできるような気

がした。


⸻


 通学路、柔らかな朝日を背に受けて歩く三人の影。校門をくぐった途端、沙耶が教室中に響く声で叫んだ。

「みんな聞いて! 昨日、琥珀とお泊まり会したんだー!」

「えぇっ!? あの琥珀が!?」

 クラス中が爆発したような騒ぎになる。周囲の驚きの視線が突き刺さる中、担任が教壇を叩いた。

「連絡事項だ。今週末、一年生の修学旅行を実施する。二泊三日だ」

 歓声が上がる中、担任は黒板に大きな字で『生活班』と書き込んだ。

「女子の生活班長は、琥珀に任せる。普段から冷静で責任感があるからな」

「生活班長は点呼、部屋の確認、消灯前の人数確認を頼む」

 琥珀の思考が激しく回転する。

(部屋……消灯……大浴場……俺、大丈夫なのか!?)

(……無理だったあああ!!)

 絶望に打ちひしがれる琥珀の横で、結乃は静かに琥珀を見つめていた。

 彼女は小さく息を吐き、耳元で囁く。

「修学旅行まで、一つだけ確認したいことがある」

「……何?」

「……今は聞かない。友達だから」

 修学旅行まで、あと五日。

 琥珀はまだ知らない。

 その二泊三日が、自分の秘密を最も追い詰める試練になることを。

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