第八話 夜に寝らずにいつ寝るよ 中
* * *
周りが霧に包まれている。虹色を暗く濁したような気味の悪い空気が佇んでいる。いや、それらはとある方向に向かって流れている。自分はゆっくりとした歩みでその先へ進む。
ここはどこだろう。紅魔館のどこだ? 流石の紅魔館でもこんな気色悪い霧はなかったと思うんだけど……。
そんなことを考えつつも歩みは止まらない。ゆっくりと着実に霧が向かう方向へと進んでいる。
いったいここは……いや、俺? 私? これは―――
「んあ」
パチリと目が覚める。
いつの間にか寝てしまっていたようだ。
空には相変わらずの霧。もう夕方だろうか、西の方が微かに赤い。赤い霧と地味にミスマッチ。幻想的だ。
ふとお腹に重さを感じて見てみると、腹にみすちーの腕が置かれている。よだれを垂らして仰向けで寝ているみすちーを見るに、寝返りを打った時にこうなったんだろう。
これで起こされたのか、寝相の悪い奴め。みすちーの腕を下ろしながら身体を起こす。
紅さんは門番の仕事に戻ったのか、その姿はない。しかし、周りの皆はぐっすりお休み中。どうやらこの中で俺が一番早く起きたみたいだ。
「ん……!」
身体を伸ばしてみる。結構な時間寝ていたみたいで、伸びをするのが非常に気持ちいい。
妙に目覚めが良いな。そんな事を思いながら腰を右に左に捻ると、ボキボキと音が鳴る。
うわぁ、気持ちいな~。
すると、変な夢でも見ていたのか大ちゃんが変な叫び声とともに飛び起きた。
「うぇあっ!?」
「うぉっ」
飛び起きた大ちゃんは俺をボーと見ていたかと思うと、唐突に頭を下げた。
「……おはようございます」
「お、おはようございます……」
それから俺に背を向けて、ん~、と伸びをする。その顔は、結構赤かった。
どうやら今のはなかったことにしたいらしい。
そんなちょっとした空気の変わり目を感じ取ったのだろうか、周りの面々が欠伸や伸びと共に身体を起こし始める。
その中でも一番遅く起きたのがみすちーで、よだれを垂らして自身の髪を口に入れてるみすちーをリグルが笑った。
「あはは、みすちーよだれ垂らしてるよ」
「……うっせ、食うぞ虫」
みすちーは寝起きが最悪らしい。
そんなこんなで大体みんなが完全に目を覚ました頃に、十六夜さんが訪れた。
ひと眠りしただけだと言うのに、十六夜さんがものすごく久しぶりに感じる。俺のそんな妙な視線を受け流して、十六夜さんは瀟洒に告げた。
「夕飯の準備が整いましたので――」
「やったぁ! ごはんよ!」
十六夜さんの言葉を遮ってチルノが飛び上がる。さっきまで寝ていたとは思えない元気さだ。
そんなチルノに少し遅れてみすちーやリグルたちがよっしゃー! と声を上げる。
十六夜さんが訪れる少し前に、腹が減ったと言っていたみすちーやルーミアにハラハラしていた俺は、ほっと胸を撫で下ろした。
* * *
『おぉ~!』
目の前の、テレビでしか見たことのないような豪華な料理に、俺も合わせた皆が声を上げた。
人数が多いからなのか、昨日とは比べ物にならないような量の料理がテーブルにびっしりと並んでいる。
フライドチキンにサイコロステーキ、生ハム、何か(恐らく豚)の丸焼き。俺はほとんど肉にしか目がいかなかったが、その他にも高級料理店でしか見られないような料理がテーブルに所狭しと置かれている。
その料理たちを早く食べてしまいたい俺達は我先にと適当な席に着いた。
それからレミリアさんがいただきますの号令を掛け終わった途端、皆飛びつくように豪華な晩御飯に手を付けた。
「リグルちゃんこれおいしそう!」
「うわっほんと! これヤバッ!」
「フランいっつもこんなすごいの食ってんの!?」
「うん、まぁね!」
「あらあら綺麗な氷ね」
「でしょでしょ!?」
とまぁ、ご飯を食べ始めると同時に、皆は当たり前のようにおしゃべりを始めた。
大ちゃんとリグルは美味しいものを探しているし(というか、ここにあるもので美味しくないものはないだろう)、フランは自慢げにみすちーに毎日の晩ごはんのメニューを話している。チルノはレミリアさんと何か話を……あ、チルノが爆笑した。何の話をしているんだろう。
ただ、唯一隣のルーミアのみが黙々とご飯を口に詰め込んでいる。この子は昼飯の時もこうだったな。
「ほらルーミア、また口の周り汚れてるぞ」
ナプキンで隣にいるルーミアの口元を拭いてやる。
「そーなのかー」
昼飯を食った時もそうだったが、ルーミアは結構に食べ物をこぼす。というより、レミリアさんと俺以外はみんな中々ひどい。一体全体、普段はどんなモノを食べているのか。
レミリアさんを見習ってほしいものだ。流石は紅魔館の主、おてんばの代表と言うべきチルノと話しているにもかかわらず、そのカリスマに衰えはない。
「ねぇ凛! これめっちゃ美味い! ちょっとほら!」
レミリアさんに比べてフランは残念だなぁ。そんな思考を遮って、フォークに差したサイコロステーキをリグルが差し出してきた。
「お、さんきゅ」
これもう食ったんだけどな。
そんなことは億尾にも出さずに、俺はパクリとそのサイコロステーキを貰う。
タレの染み込んだ程よい硬さの肉を噛むと、それから濃厚な肉汁が溢れる。うん、美味しい。
「ヤバくない? 大ちゃんと美味いの探したのよ! ねぇ!」
「うん! 凛さんどう?」
「あぁ、美味いなこれ。ほら、お礼にこれ」
小分けにされたメロンの上に生ハムを乗せて渡す。
生ハムメロン、食べ物を組み合わせて食べるという発想がなかったのだろう。二人は驚いて、また嬉々としてそれを受け取った。
「これウマっ! こんなものがあったなんて!」
「え~、そうかなぁ?」
好みが分かれる生ハムメロン。大ちゃんはお気に召さなかったようだ。
しかし、組み合わせるという事に惹かれたのだろう。二人は騒ぎながら再び美味しいもの発掘の旅に出た。
これはちょっと見張っておく必要があるな。
放って置けば、某チェーン店ドリンクバーの様な悲惨な結果に繋がりかねない。
そんな俺達のやり取りをジッと見ていたフランとみすちーは、こそこそ話していたかと思うと、唐突に俺にサラダを手渡した。
「はい凛!」
「どーぞ!」
「あ、あぁ、ありがと」
俺がサラダを受け取ると、フランとみすちーは期待に満ちた眼差しでこちらを見つめる。
……。
「ほ、ほら、生ハムメロン」
「ありがと凛!」
「フラン! 作戦成功ね!」
二人はお互いにグッと笑顔でサムズアップした。それから同時にかぶりつく。汁が絨毯に垂れて、後での掃除が大変だ。
単純な奴らだな、苦笑い気味に視線を元に戻すと、目の前にローストチキンとピザがあった。
ルーミアがローストチキンを、レミリアさんとチルノが身を乗り出して二人でピザを、俺の目の前に突き出している。
楽しそうな笑みを浮かべてピザを差し出すレミリアさんと期待に溢れた表情のチルノとルーミア。
……メロンに生ハム乗せるだけなんだから、自分で出来るだろうに。
そんな事を思いながら、俺は三人に生ハムメロンを渡してやった。
「じゃーねー! また遊びに来るからねー!」
チルノが大きく手を振った。
ご飯を無事に食べ終わり、皆もう帰るということで、紅魔館の門で皆を見送っている。
夏だとは言っても、流石に周りは暗い。
見送りに出ていた俺とフランは、帰っていく皆に手を振る。
「またなー!」
「じゃーねー!」
向こうが目一杯手を振ってくれてるので(しかも飛びながら。なかなか器用なことするな)、俺達も目一杯手を振る。
そしてチルノ達が全く見えなくなったところで手を振るのを止め、フランに話しかける。
「そんな寂しそうな顔するなよ。また来るって言ってただろ」
また会えるとわかっていても別れは寂しいものか。
「う、うん。そうだね!」
「だろ?」
頭を撫でてやると、フランは少しむず痒そうに笑った。
レミリアさんの事を最初と大分印象が違うと思っていたが、この子はそれ以上だ。本当に、初めて会った時の、あの時のフランはどうしてあんなにおかしかったのだろう。
頭を振ってそれを隅に追いやる。そんなことは今となってはどうでもいいし、あんなフランは思い出したくない。
「んじゃ、そろそろ戻ろっか」
「うん、そだね!」
フランが元気に頷いたのを確認してから、俺たちは紅さんに挨拶して紅魔館に戻る。
紅魔館玄関の大仰な扉を開けると、丁度そこで十六夜さんとレミリアさんに遭遇した。十六夜さんは着替えらしきものを抱えている。フランを風呂に連れて行くんだろう。
それを悟ったのか、フランが嫌そうな声を上げた。
「うぇ~」
「ほら、そんな顔しないの。たっぷり遊んで汗かいているでしょう?」
フランはレミリアさんにそう言われても、うぅ~と嫌そうに唸っている。
それからしばらくうじうじしていたフランだが、急にパッとこちらを見上げて言った。
「そうだ! 凛も一緒に入ろうよ!」
瞬間、十六夜さんが恐ろしい形相で俺を睨みつけた。
うぇ……。
「あぁ、いや、俺は遠慮しとくよ。えーと……図書館。図書館でやりたいことあるし」
フランを納得させるため、無理やりにでも予定を作る。
それに対してフランはまだ渋ろうとしたが、フランが何か言う前に十六夜さんが口を開いた。
「まぁ、それは仕方ありませんわ。
凛は外来人。それはそれは幻想郷について調べたいことが山の様にあることでしょう。そうであるにも拘らず今までフランドールお嬢様にお付き合いしていたとはまさに従者の鑑。勿論自身の事など二の次、第一はお仕えする主であることは言うまでもありません。しかしながら大海の様に広大で寛大なフランドールお嬢様がこれ以上従者への抑圧を求められるはずはありませんわ。
そうですよね、フランドールお嬢様」
「え……? あ、えっと、うん」
急にマシンガンのように話し出した十六夜さんに、フランはたじたじになりながらも頷いた。十六夜さんの隣のレミリアさんは呆れ気味に苦笑いだ。
「まぁ! 流石はフランドールお嬢様! では、参りましょう」
それから十六夜さんは有無を言わせずフランの手を引いて風呂場へと向かって行った。
その背中は語っていた。『妹様に手ぇ出したらお前死刑だから』と。
十六夜さんは過保護って言うかなんて言うか……。
「ってか、あいつフランドールっていうんだな」
ここになってようやく本名を知るという衝撃の事実。まぁでも、皆フランフラン言ってるからそれもしょうがないじゃないか。
そんな事を思いながら、一人になってすることのなくなった俺は、先程言った通り図書館に向かうことにした。




