97.勇者、遊ぶ
第三部隊、ハーブティーの温かな香りに包まれながら、穏やかな時間がゆっくりと流れていく。
誰もが自然と肩の力を抜き、先ほどまでの緊張が嘘のように消えていた。
そんな中、一人の若い女兵士がおずおずと手を挙げる。
「ラーシャ様。」
「はい、何でしょう?」
「ガエン様やダグラス様、それにマイト様とは……いつも一緒に旅をされているんですよね?」
その問いに、ラーシャは少しだけ目を丸くしたあと、優しく微笑んだ。
「ええ。もう長い付き合いになりますね。」
兵士達は興味津々といった様子で身を乗り出す。
「皆さん、とても強いですよね。」
「実際はどんな方達なんですか?」
ラーシャはティーカップを両手で包み込みながら、どこか懐かしそうに目を細めた。
「皆さん、とても頼もしい方達ですよ。」
その一言に、兵士達は静かに耳を傾ける。
「ガエンさんは、とても豪快に見えるでしょう?」
何人もの兵士が勢いよく頷いた。
「はい!」
ラーシャはくすりと笑う。
「ですが、実はとてもよく周りを見ています。困っている人を放っておけませんし、誰よりも仲間思いなんです。」
「確かにそんな雰囲気はありますね。」
「それに、どんな困難でも『何とかなる!』と笑って前へ進んでしまいます。」
ラーシャは少し照れくさそうに笑う。
「そのおかげで、わたくしも何度助けられたか分かりません。」
兵士達は自然と笑みを浮かべた。
「ダグラスさんは寡黙ですけれど、とても面倒見がいいんですよ。」
「あの死神の方が……?」
「ええ。」
ラーシャは優しく頷く。
「言葉は少ないですが、誰よりも仲間のことを見ています。困った時には必ず手を差し伸べてくださいますし、戦いでは本当に頼りになります。」
少しだけ微笑みながら続ける。
「それに、お料理もとても上手なんですよ。」
「えっ!?」
兵士達から一斉に驚きの声が上がる。
「あの方が料理を?」
「はい。」
ラーシャは楽しそうに笑う。
「見た目とのギャップに最初は驚きました。」
和やかな笑いが広がる。
そしてラーシャは少し遠くを見るように微笑んだ。
「マイトさんは……とても元気な方です。」
兵士達は思わず笑ってしまう。
「想像できます。」
「いつも明るくて、誰とでもすぐ仲良くなります。」
ラーシャは肩をすくめる。
「少し騒がしい時もありますけれど、その明るさに救われることもたくさんあります。落ち込んでいても、気付けば笑わせてくれるんです。」
兵士達は自然と頷いた。
ラーシャは三人を思い浮かべるように優しく目を閉じる。
「皆さん、それぞれ性格も得意なことも違います。ですが……」
そっと目を開き、穏やかに笑う。
「誰かが困っていれば、必ず手を貸してくださいます。だからわたくしは安心して旅ができるのです。」
その言葉には、深い信頼が込められていた。
兵士達も自然と表情を緩める。
「いい仲間なんですね。」
「ええ。」
ラーシャは迷いなく頷いた。
「わたくしには、なくてはならない大切な仲間達です。」
しばらくの間、誰も言葉を発さなかった。
ただ、ハーブティーの香りを楽しみながら、それぞれが大切な仲間という存在について思いを巡らせる。
やがてラーシャは空になったティーカップを静かにソーサーへ戻した。
カチャリ。
その小さな音が、今日の締めくくりを告げるように響く。
「さて。」
ラーシャは立ち上がり、兵士達へ柔らかな笑顔を向けた。
「今日はここまでにしましょう。」
「えっ、もう終わりですか?」
名残惜しそうな声が上がる。
ラーシャは微笑みながら頷いた。
「心を整える訓練は、一日で身につくものではありません。今日学んだことを、今夜から少しずつ実践してみてください。」
兵士達は真剣な表情で頷く。
「そして明日は。」
ラーシャは訓練場の外に広がる深い森へ視線を向けた。
「森へ行きましょう。」
「森ですか?」
「ええ。」
ラーシャは楽しそうに微笑む。
「自然の中には、魔力の流れを学ぶための教材がたくさんあります。木々、風、水、草花……それぞれが魔力を宿し、静かに循環しています。」
兵士達の目が輝く。
「皆さんには、自然と対話する方法を学んでいただきます。」
兵士達は期待に胸を膨らませた。
「今日はゆっくり休んでください。」
ラーシャは優雅に一礼する。
「明日も、素敵な一日にいたしましょう。」
「はい!」
第三部隊の兵士達の返事が、穏やかな夕暮れの訓練場に心地よく響き渡った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
第四部隊、その後もマイトの「次はこれ!」「じゃあ今度はあれ!」という声は止まらなかった。
「高鬼!」
「うおおおっ!」
「氷鬼!」
「今度はルールが変わった!?」
「増え鬼!」
「鬼が増えるの早すぎますって!」
遊びは次から次へと変わり、そのたびに兵士達は全力で走り、跳び、笑い、叫ぶ。
最初は戸惑っていた兵士達も、いつしか勝ち負けなど忘れ、子どものように夢中になっていた。
「逃げろー!」
「囲め囲め!」
「今だ! 挟め!」
「うわっ! 読まれた!」
マイトは腹を抱えて笑う。
「いいぞいいぞ! その調子!」
夕日が傾き始めても、訓練場には笑い声が響き続けた。
そして。
「……はぁ……。」
「ぜぇ……ぜぇ……。」
「も、もう……無理です……。」
兵士達は一人、また一人と地面へ倒れ込んでいく。
息を切らし、腕も脚も鉛のように重い。
ついには誰一人として立ち上がれなくなってしまった。
だが、その表情は苦しそうでありながらも、どこか晴れやかだった。
「こんなに走ったの……久しぶりだ……。」
「疲れたのに……なんでこんなに楽しいんだろう……。」
「明日も……いや、今は勘弁だけど……またやりたいな。」
誰もが笑っていた。
その様子を見たマイトも、満足そうにニコニコと笑う。
「えへへ! みんな、いっぱい遊んだね!」
しかし次の瞬間、頬をぷくっと膨らませた。
「でもさぁ……。」
兵士達が嫌な予感を覚え、ゆっくりと視線を向ける。
「もっと遊びたかったのに。」
「「「えぇぇぇぇぇぇっ!?」」」
兵士達から悲鳴にも似た声が上がる。
「これ以上遊ぶんですか!?」
「もう指一本動きません!」
「勇者様だけ元気なのがおかしいんですよ!」
マイトは首を傾げる。
「え? まだ夕方だよ?」
「十分です!」
「限界です!」
「体力がお化けなんですよ、勇者様は!」
兵士達の総ツッコミに、マイトは「そっかぁ」と少しだけ残念そうに肩を落とした。
「じゃあ今日は終わり!」
その一言に、兵士達は一斉に安堵の息を漏らす。
「た、助かった……。」
「生きて帰れる……。」
「今日はぐっすり眠れそうだ……。」
そんな彼らを見ながら、マイトは顎に手を当てて何やら考え始めた。
「うーん……。」
そして、ぱっと顔を輝かせる。
「そうだ!」
その満面の笑みを見た瞬間、兵士達の背筋にぞくりと悪寒が走った。
「……。」
「……嫌な予感しかしない。」
「今の顔は絶対ろくでもない。」
マイトは元気よく拳を突き上げる。
「明日は岩場で遊ぼう!」
訓練場が静まり返る。
「……岩場?」
「うん! 岩から岩へ飛び移ったり、崖を登ったり、隠れたり、鬼ごっこしたり!」
目を輝かせながら説明するマイトとは対照的に、兵士達の顔色はみるみる青ざめていく。
「それ……遊びですか?」
「勇者様基準では遊び!」
「俺達基準では訓練どころか試練です!」
「大丈夫大丈夫!」
マイトは満面の笑みで親指を立てた。
「落ちなければ平気!」
「そこが一番怖いんですーーっ!!」
第四部隊の兵士達の悲鳴が、夕暮れの訓練場いっぱいに響き渡るのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
夜。
一日の訓練を終えたガエン達は、城下町の酒場へと足を運んでいた。
昼間の喧騒とは違い、店内は柔らかな灯りに包まれ、旅人や兵士達が思い思いに酒や食事を楽しんでいる。
四人は奥の席へ腰を下ろした。
ガエンの前には大ジョッキのエール。
ダグラスは静かに赤ワインを口にし、ラーシャは香り高いハーブティーを注文する。
そしてマイトは果実ジュースを両手で抱えながら嬉しそうに飲んでいた。
「ぷはぁ!」
豪快にエールを飲み干したガエンは満足そうに笑う。
「やっぱ訓練の後の酒は格別だな!」
「相変わらずだな。」
ダグラスが呆れたように肩をすくめる。
ラーシャは優雅にティーカップを口元へ運び、微笑んだ。
「皆さん、本当に一生懸命でしたわね。」
その言葉に三人も頷いた。
「第一部隊はまだまだ粗いが、根性はある。」
ガエンは腕を組む。
「吹き飛ばされても、何度でも立ち上がってきやがる。ああいう奴らは伸びる。力だけでは勝てないと理解し始めた時、一気に変わるだろう。」
ダグラスも静かに続ける。
「第二部隊も最初は力任せだったが、少しずつ相手を見る余裕が出てきた。俺に当てようと考える者も増えてきたからな。」
ガエンがニヤリと笑う。
「お前相手に当てるのは大変だろ。」
「それでいい。」
ダグラスは短く答えた。
「届かない壁があるから、人は考える。」
ラーシャは微笑みながら話し始める。
「第三部隊の皆さんも、とても素直です。最初は魔法ばかり気にしていましたけれど、今では心の状態が魔力に影響することを理解し始めています。焦れば乱れ、落ち着けば安定する……皆さん、それを少しずつ体感できています。」
マイトはジュースを飲みながら元気よく手を挙げた。
「第四部隊もすっげー頑張ってるぞ!」
三人がマイトを見る。
「最初はみんなすぐ疲れちゃったけど、いっぱい遊んだら笑うようになった!笑いながら転んで、笑いながら走って!明日は岩場で遊ぶんだ!」
その一言に、ガエン達は動きを止めた。
「……岩場?」
ガエンが嫌な予感を覚えながら聞き返す。
「うん!岩登りとか鬼ごっことか、飛び移ったり絶対楽しい!」
ダグラスはワイングラスを置いた。
「……兵士達が無事ならいいが。」
ラーシャは苦笑する。
「明日も筋肉痛の方が増えそうですわね。」
ガエンは豪快に笑い声を上げた。
「はっはっは! まぁ死なねぇ程度に頼むぞ!」
「大丈夫!」
マイトは胸を張る。
「ちゃんと遊ぶだけだから!」
その”遊ぶだけ”が一番恐ろしい。
三人は心の中で同じことを思った。
しばらく四人は食事を楽しみながら、それぞれの部隊で起きた出来事を語り合う。
兵士達の成長、面白かった失敗談、小さな変化。
笑い声は夜遅くまで絶えることなく続いた。
そしてガエンは最後にジョッキを掲げる。
「一か月後、あいつらがどこまで強くなるか楽しみだな。」
ダグラスも静かにグラスを持ち上げる。
「期待している。」
ラーシャはティーカップを。
「皆さんなら、きっと応えてくださいますわ。」
マイトは果実ジュースを高く掲げて満面の笑みを浮かべた。
「明日もいっぱい遊ぶぞー!」
「「「ほどほどにな。」」」
三人の声がぴったり重なり、酒場には再び大きな笑い声が響き渡った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その頃。
軍事国家バルファード王城、執務室。
静まり返った部屋には、紙をめくる音だけが響いていた。
レムルスは山積みになっていた書類へ次々と判を押し終えると、椅子の背にもたれ、小さく息をつく。
「ふぅ……。」
窓の外では、夕暮れから夜へと移り変わる城下町の灯が静かに揺れていた。
彼は机の上に置かれた四部隊の訓練報告書へ目を落とす。
第一部隊。
『盾兵の踏ん張りが向上。連携意識が芽生え始める。』
第二部隊。
『不用意な突撃が減少。相手の動きを観察する兵士が増加。』
第三部隊。
『魔力制御の安定化。精神状態を意識する者が増える。』
第四部隊。
『体力・持久力が大幅に向上。兵士達の表情が明るくなり、士気が高い。』
最後の一文を見たレムルスは思わず笑みを零した。
「……“遊び”で士気向上とは。」
普通なら到底信じられない報告である。
だが、実際に視察した彼は知っていた。
あれは遊びではない。
遊びという形をした、とてつもなく高度な訓練なのだ。
ガエンは兵士達に限界まで身体を使わせ、土台を鍛え上げる。
ダグラスは無駄を削ぎ落とし、技術と思考を磨く。
ラーシャは乱れた心を整え、自分自身を知る術を教える。
そしてマイトは。
「笑わせる。」
レムルスは静かに呟く。
「あの勇者は、戦場で最も失われやすい”楽しむ心”を育てている。」
恐怖に支配された兵士は、本来の実力を発揮できない。
逆に、心に余裕がある兵士は視野が広くなり、判断も速くなる。
マイトはそれを理屈ではなく、本能で理解しているのだろう。
「全く……。」
レムルスは苦笑した。
「常識では測れぬ者達だ。」
ガエン達四人は、それぞれ教え方も考え方もまるで違う。
それなのに目指している場所は同じだった。
兵士一人一人を、本当の意味で強くすること。
力だけではない。技だけでもない。心だけでもない。そして楽しさだけでもない。
その全てが揃って初めて、一人前の兵士となる。
レムルスは立ち上がると、窓際まで歩き、城下町を見下ろした。
夜になっても街には笑い声が聞こえてくる。
兵士達も、久しぶりに心から笑っていることだろう。
「……一か月。」
彼は静かに呟く。
「たった一か月で、我が軍はどこまで変わる。」
その声には、不安よりも期待が込められていた。
軍師として数え切れないほどの将や兵士を見てきた。
だが、これほど胸が高鳴ることは滅多にない。
「頼んだぞ。」
誰に聞かせるでもなく、レムルスは夜空へ向かって微笑む。
「ガエン殿、ダグラス殿、ラーシャ殿、そしてマイト殿。」
四人がもたらす変化は、まだ始まったばかりだった。
そしてその変化は、やがて軍事国家バルファードそのものを大きく成長させる礎となっていくのである。




