84.竜王、再び説教をする
山道を数分ほど進むと、木々の隙間が少し開けた場所へ出た。
そこには粗末な野営の跡があり、岩陰や木の陰に武器を持った男たちが潜んでいる。
まだこちらには気づいていないつもりなのだろう。
だが、ゼノは隠れる気などまるでなかった。
そのまま堂々と歩いていく。
「……いたな。」
ガエンが一言だけ呟く。
「十二人、ぴったりですね。」
ラーシャも小さく頷いた。
盗賊たちはようやく異変に気づき、一人、また一人と姿を現す。
剣、斧、槍。
思い思いの武器を構えながら、じりじりと包囲を狭めてきた。
その様子を見ても、ガエンは欠伸を一つ。
「終わるまで座ってるか。」
そう言うと近くにあった大きな岩へどかりと腰を下ろした。
「そうだね。」
マイトも隣へ腰掛け、足をぶらぶらさせながら眺め始める。
「何秒で終わるかな?」
「数えるだけ無駄だ。」
ダグラスは木の幹へ背を預け、腕を組む。
まるで退屈な見世物でも待つような態度だった。
一方、ラーシャは周囲を見回すと、
「あ、薬草があります。」
と嬉しそうにしゃがみ込み、山道の脇に生えていた薬草を一本ずつ丁寧に摘み始めた。
「あとで乾燥させれば使えそうですね。」
誰一人として盗賊を警戒していない。
アッシュだけが取り残されたように立ち尽くしていた。
「え……ちょ、ちょっと待ってください!」
慌ててガエンたちを見る。
「戦わないんですか!?」
「ん?」
ガエンはきょとんとした。
「ゼノがいるし。」
「いや、そういう問題では……!」
マイトも笑顔で手を振る。
「大丈夫、大丈夫。」
「大丈夫って……。」
アッシュは盗賊たちと仲間たちを交互に見比べる。
(なんでこんなに落ち着いていられるんだ……。)
その時だった。
「なめるなぁぁぁ!」
盗賊の一人が怒号を上げ、剣を振りかざしてゼノへ一直線に飛び込んだ。
「死ねぇ!」
勢いよく振り下ろされる刃。
しかしゼノは動かなかった。
ただ静かに右手を上げ、
人差し指を一本だけ突き出す。
カンッ!!
乾いた金属音が山に響いた。
振り下ろされた剣は、その細い人差し指に受け止められ、ぴたりと止まっていた。
「……なっ。」
盗賊の目が見開かれる。
両手で力任せに押し込む。
だが、剣は一寸たりとも動かない。
ゼノはため息を一つついた。
「力任せでは届かぬ。」
次の瞬間、人差し指で剣を軽く弾いた。
キィンッ!
剣はあっさりと弾き飛ばされ、盗賊の手から離れて宙を舞う。
「うわっ!?」
盗賊が体勢を崩した、その額へ。
コツン。
ゼノの人差し指が軽く触れた。
「がっ!?」
たったそれだけで盗賊の巨体は地面を何度も転がり、木の根元まで吹き飛ぶ。
土煙が舞い上がった。
男は白目を剥いたまま、ぴくりとも動かない。
静寂が訪れる。
盗賊たちの顔から血の気が引いた。
一方、岩に座るマイトはのんびりと呟く。
「一人。」
「あと十一人だな。」
ガエンが退屈そうに答える。
ダグラスは腕を組んだまま目を閉じる。
「やはり一撃か。」
ラーシャは薬草を籠へ入れながら微笑んだ。
「根まで傷つけないようにしないと。」
そしてアッシュだけが口を半開きにしたまま固まっていた。
「…………人差し指だけで?」
諜報員として数え切れないほどの強者を見てきた。
だが、人差し指一本で剣を止め、そのまま相手を気絶させるなど常識のどこにも存在しない光景だった。
盗賊たちは互いに顔を見合わせる。
「ば、化け物だ……!」
誰かが震える声で呟いた。
「ひ、ひるむな! 一斉にやれ!」
頭目らしき男が怒鳴ると、残る十一人が一斉に飛び出す。
剣が閃き、斧が唸り、槍が突き出される。
だがゼノは一歩も退かなかった。
「遅い。」
その一言と同時に、姿がふっと消える。
「なっ──」
盗賊たちが目で追うより早く、
コツ。
コツ。
コツ。
まるで肩を軽く叩くような音が、山道に次々と響いた。
「ぐはっ!」
「ぎゃっ!」
「うあぁ!」
一人、また一人と宙を舞う。
ある者は木の幹へぶつかり、ある者は茂みに突っ込み、ある者は地面を転がって目を回した。
ゼノがしていることは極めて単純だった。
人差し指で額を軽く突くだけ。
それだけで全員が戦闘不能になっていく。
最後に残った頭目が震えながら後ずさる。
「く、来るな……!」
ゼノは静かに歩み寄る。
「来るなと言うなら、最初から旅人へ近寄らねばよかった。」
「ひっ……!」
頭目が斧を振り上げる。
ゼノはその斧を二本の指で摘まみ、
ぱきん。
まるで乾いた枝でも折るように、刃だけを真っ二つにしてしまった。
「…………。」
頭目は折れた斧を見つめたまま固まる。
そして。
コツン。
額を軽く突かれた。
「ぎゃああっ!」
頭目は豪快に宙を舞い、仲間たちの山へ突っ込んで気絶した。
山道は静まり返る。
ガエンが立ち上がって伸びをする。
「終わったか。」
「十二人。」
マイトが指を折って数え、満足そうに頷いた。
「ぴったり。」
ダグラスも腕を解く。
「予定通りだな。」
アッシュだけは未だに固まっていた。
「……終わった。」
ゼノは服についた埃を軽く払う。
「さて。」
倒れた盗賊たちの前に立つと、金色の瞳で一人ひとりを見回した。
気絶していた盗賊たちも、うめき声を上げながら次々に目を覚ましていく。
目の前には、自分たちを一瞬で壊滅させた男。
誰一人、武器を拾おうとする者はいなかった。
ゼノは静かに口を開く。
「聞け。」
その声は大きくない。
だが、不思議と山全体へ響くような重みがあった。
「力とは奪うためにあるのではない。」
盗賊たちは息を呑む。
「弱き者から金を奪い、旅人を脅し、自らを強者と思い込む。」
ゼノは小さく首を振った。
「それは強さではない。」
頭目が恐る恐る顔を上げる。
「じゃ……じゃあ何が強さなんだ……。」
「守ることだ。」
即答だった。
「己より弱き者を守り、家族を守り、仲間を守り、己の誇りを守る。」
山風が静かに吹き抜ける。
「お前たちは十二人いて、一人の旅人すら正面から相手に出来なかった。」
盗賊たちは俯いた。
「数だけ集めても、心が腐れば力は腐る。」
誰も反論しない。
「働け。」
ゼノは淡々と続ける。
「山には木がある。街には仕事がある。腕があるなら荷運びも出来る。鍛冶屋の手伝いも出来る。汗を流して得た銭は少なくとも胸を張って使える。」
頭目は震えながら拳を握る。
「俺たちにも……やり直せるのか……。」
「生きている限りはな。」
ゼノは静かに答えた。
「だから命は取らなかった。」
盗賊たちは互いの顔を見つめ、やがて深く頭を下げた。
「……すまなかった。」
その様子を見届けたラーシャは、摘んできた薬草を小鍋で煎じ始める。
湯気とともに爽やかな香りが立ち上った。
「傷はちゃんと治しましょうね。」
彼女は優しく微笑み、薬草をすり潰して軟膏のようにすると、一人ひとりの打撲や擦り傷へ丁寧に塗っていく。
「少し冷たいですよ。」
「あ……。」
盗賊の一人が思わず見上げる。
陽の光を受けたラーシャの髪が柔らかく揺れ、その穏やかな笑顔は山の空気よりも澄んで見えた。
「痛みはすぐ引きますから。」
「は、はい……。」
別の盗賊もぽかんと見つめる。
「こんな俺たちに……手当てを……。」
「怪我をしている方を放ってはおけません。」
ラーシャは何事もないように答え、次の盗賊の腕へ薬を塗る。
盗賊たちは誰もが頬を赤くし、言葉を失っていた。
一人が小声で呟く。
「……き、綺麗だ。」
「女神みたいだ……。」
「俺、初めてこんな優しくされた……。」
その囁きに周囲の盗賊たちも思わず何度も頷く。
少し離れた場所でその様子を見ていたマイトがくすりと笑った。
「見惚れちゃってるね。」
ガエンも苦笑する。
「まあ、ラーシャはああいう性格だからな。」
ダグラスは静かに鼻を鳴らした。
「傷を治され、心まで折られたか。」
そしてアッシュは、盗賊たちがゼノには震え上がり、ラーシャには見惚れているというあまりにも対照的な光景を見つめながら、小さく呟いた。
「……この一行、本当に何なんだ。」
その時盗賊の一人が、薬を塗ってもらいながら、おずおずと口を開いた。
「その……。」
ラーシャは顔を上げ、にこりと微笑む。
「はい?」
男は耳まで真っ赤にしながら頭を掻いた。
「あ、あんた……名前を聞いてもいいか?」
周囲の盗賊たちも思わず身を乗り出す。
「そうだ、恩人の名前くらい知りたい。」
「教えてくれないか。」
ラーシャは少しだけ首を傾げると、いつも通り穏やかな笑みを浮かべた。
「はい、もちろんです。」
胸にそっと手を当てる。
「私は、魔王軍幹部のラーシャと申します。」
その瞬間。
山道の空気が凍りついた。
「…………。」
盗賊たち全員の笑顔が固まる。
「……え?」
一人が間の抜けた声を漏らした。
「ま、まお……。」
別の男が青ざめる。
「魔王軍幹部……?」
全員の視線がラーシャへ集まり、次の瞬間には一斉にゼノ、ガエン、ダグラス、マイトへ向いた。
ガエンが腕を組んだまま呟く。
「言ってなかったか。」
マイトが首を傾げる。
「言ってなかったね。」
ダグラスは短く答えた。
「聞かれなかった。」
盗賊たちの顔色は見る見るうちに白くなっていく。
「ま、待て……。」
頭目が震える指でマイトを指差した。
「あんた……まさか……。」
マイトは気軽に手を挙げた。
「マイトだよー。」
「え?」
「勇者でーす。」
「…………。」
頭目の口がぱくぱくと開閉する。
「じゃ、じゃあ……。」
今度はゼノを見る。
「こ、この人は……。」
アッシュが思わず小さく呟いた。
「竜王ゼノ様です……。」
「…………。」
盗賊たちの思考が完全に停止した。
数秒後。
「申し訳ありませんでしたぁぁぁぁぁっ!!」
ドサッ!
十二人全員が、息の合った見事な土下座を決めた。
額を地面へ叩きつける勢いで伏せる。
「命だけはお助けください!」
「俺たち、相手を間違えました!」
「旅人だと思ったんです!」
「まさか魔王軍幹部と勇者様と竜王様までいるなんて思いませんでしたぁ!」
土下座の列は壮観だった。
ラーシャは慌てて両手を振る。
「あ、頭を上げてください。誰も怒っていませんから。」
しかし誰一人として顔を上げない。
「顔を上げろと言われても上げられません!」
「畏れ多すぎます!」
「俺たちなんかが直視していい方々じゃありません!」
マイトは思わず吹き出した。
「あはは! さっきまで襲ってきた人たちと同じとは思えないね。」
ガエンも肩を揺らして笑う。
「切り替えが早すぎるだろ。」
ダグラスは呆れたように息をついた。
「現実を理解する能力だけは高いらしい。」
アッシュは盗賊たちを見つめながら苦笑する。
「その反応が……普通なんですよね。」
ゼノは土下座したまま震える盗賊たちを見下ろえ、静かに口を開いた。
「肩書きで恐れる必要はない。」
盗賊たちはぴくりと肩を震わせる。
「恐れるべきは、己の過ちを改めぬことだ。」
その言葉に、頭目は額を地面につけたまま力強く頷いた。
「はい……! 二度と盗みは働きません!」
「真面目に働きます!」
「今日からやり直します!」
ラーシャは優しく微笑みながら頷いた。
「その気持ちを忘れなければ、きっと大丈夫ですよ。」
その柔らかな一言に、盗賊たちは感極まったように声を詰まらせる。
「ありがとうございます……ラーシャ様……!」
山道には、先ほどまでの殺伐とした空気はもう残っていなかった。代わりに、十二人の元盗賊が何度も頭を下げる姿と、それを穏やかに見守る一行の姿だけがあった。
盗賊たちが何度も頭を下げる中、一人の若い盗賊がおそるおそるガエンへ視線を向けた。
「あ、あの……。」
「何だ。」
「オーガのお兄さんは……その、何者なんですか?」
ガエンは少しだけ考えるように顎へ手を当て、それからあっさりと答えた。
「俺も魔王軍幹部だ。」
「…………。」
盗賊たちの動きがぴたりと止まる。
「え。」
「幹部。」
「また……。」
頭目が震える声を漏らした。
「じゃ、じゃあ、その隣の鎌を持ってる人は……。」
ダグラスが静かに口を開く。
「ダグラス。」
短く名乗ったあと、淡々と続けた。
「魔王軍幹部だ。」
「…………。」
再び沈黙。
そして。
「ええぇぇぇぇっ!?」
十二人の叫び声が山中へ響き渡った。
「ぜ、全員幹部だったのかよ!?」
「勇者様までいるし!」
「竜王様までいるし!」
「俺たち今まで生きてたのが奇跡じゃねぇか!」
一人が震えながら周囲を見回し、最後にアッシュを見つけた。
「あ、あんたは……?」
突然話を振られたアッシュは少し戸惑う。
「え、俺ですか?」
「頼む……もう『魔王軍幹部です』とか言わないでくれ……。」
その必死な願いに、アッシュは苦笑した。
「俺は違います。ただの悪魔族です。バルファードの住民です。」
盗賊たちは互いに顔を見合わせる。
「幹部じゃ……ない?」
「違います。」
「竜王様でも?」
「違います。」
「勇者様でも?」
「違います。」
「……よかったぁぁぁ……。」
十二人が一斉に胸をなで下ろした。
「やっと普通の人がいた……。」
「悪魔族だけど一番安心する……。」
「普通じゃない気もするけど、もう感覚が麻痺してきた……。」
アッシュは思わず苦笑を深める。
「その反応、少し複雑ですね。」
マイトは肩を揺らして笑った。
「アッシュだけ安心枠になってる。」
ガエンも豪快に笑う。
「比較対象が悪すぎるだけだ。」
ダグラスは小さく頷いた。
「竜王、勇者、魔王軍幹部三人。その中では一番常識的だ。」
「ありがとうございます……で、いいんでしょうか。」
アッシュは何とも言えない表情を浮かべ、一同の笑いを誘った。
やがてゼノが静かに踵を返す。
「話は終わりだ。街へ戻るぞ。」
「はい。」
ラーシャも小鍋を片付け、全員が歩き始める。
盗賊たちは道端に並び、一行の姿が見えなくなるまで深々と頭を下げ続けていた。
「本当にありがとうございました!」
「絶対に更生します!」
「今度会う時は胸を張って会えるようになります!」
ラーシャは振り返り、柔らかく手を振る。
「応援しています。」
その一言に、元盗賊たちは何度も力強く頷いた。
夕方、一行は温泉街へ戻ってきた。
石畳の通りには夕餉の支度をする香りが漂い、湯気が街全体を優しく包み込んでいる。
宿へ戻ると、女将が笑顔で迎えた。
「お帰りなさいませ。今日はずいぶん遅くまでお出かけでしたね。」
「少し寄り道をしていました。」
ラーシャが微笑んで答える。
荷物を部屋へ置くと、翌日の出発に向けた準備が始まった。
ガエンは荷物を点検しながら保存食の残りを確認する。
「食料は十分だな。」
マイトは地図を広げ、次の目的地までの道筋を指でなぞった。
「ここから街道を進んで、しばらくすればバルファード方面への分岐だね。」
ダグラスは鎌の刃を静かに研ぎ、その切っ先を確認する。
「問題ない。」
ラーシャは乾燥させた薬草を丁寧に袋へ詰め替えていた。
「今日使った分も補充できました。」
一方、アッシュは旅支度を整えながら、一行を見回す。
竜王。勇者。魔王軍幹部三人。そして自分。
「……何度考えても、とんでもない旅だ。」
そう呟くと、マイトが笑顔で肩を叩いた。
「慣れるよ。」
「慣れません。」
即答するアッシュに、部屋中から笑い声が上がる。
笑いの絶えないまま夜は更けていき、一行は翌日の出発に備えて、それぞれ静かに休息を取るのだった。




