83.竜王、間欠泉を見る
やがて、人通りが少しずつ減り始めた。
坂道を登るにつれ、硫黄の匂いが一段と濃くなる。
地面のあちこちから白い蒸気が立ち上っていた。
「ここまで来ると源泉が近いですね。」
ラーシャが周囲を見回す。
岩肌の隙間から絶えず熱湯が湧き出し、小さな湯川となって流れている。
「あった!」
マイトが前方を指差した。
少し開けた場所に、大勢の観光客が集まっている。
中央には丸い岩場。
その中心には大きな穴が開いており、湯気が絶えず噴き上がっていた。
「間欠泉だ。」
ガエンが説明する。
「一定の時間になると、勢いよく熱湯が噴き出すらしい。」
「自然とは不思議なものですね。」
ラーシャが感心する。
周囲には木製の柵が設けられ、「危険・立入禁止」と書かれた札が立っている。
「もうすぐ噴き出しますよ!」
近くにいた案内人が観光客へ声をかけた。
人々は期待した様子で穴へ視線を向ける。
アッシュも思わず身を乗り出した。
(これが……間欠泉。)
軍事国家で育った彼にとって、こうした自然現象を間近で見る機会はほとんどない。
ゼノも静かに穴を見つめる。
「地の呼吸が形となったものか。」
その金色の瞳には、長い時を生きてきた竜ならではの静かな興味が宿っていた。
次の瞬間、地の底から低い唸りのような音が響き始めた。
ごごごごご……
地の底から響く低い音が、足元をわずかに震わせる。
「来るよ!」
案内人が声を張り上げた。
次の瞬間、
ゴォォォォォッ!!
轟音とともに、白い熱湯の柱が天高く噴き上がった。
「おおっ!」
観光客たちから一斉に歓声が上がる。
十数メートルはあろうかという湯柱が青空へ向かって一直線に伸び、太陽の光を受けて細かな飛沫が虹色に輝いた。
辺り一面が白い蒸気に包まれ、熱気がふわりと押し寄せる。
「すごーい!」
マイトが目を輝かせる。
「思ってたより高い!」
ガエンも腕を組みながら感心したように頷いた。
「こりゃ迫力あるな。」
ラーシャは思わず胸の前で手を合わせる。
「自然の力とは、本当に偉大ですね……。」
ダグラスも珍しく視線を上へ向けたまま呟く。
「人の力では敵わんな。」
アッシュは言葉を失っていた。
(これほどの湯が……地面から。)
柱は轟音を響かせながら吹き続け、湯煙が風に流れていく。
軍事国家バルファードでは巨大な攻城兵器や魔導砲も見てきた。
だが、それらとはまるで違う。
誰かが造ったものではなく、大地そのものが生み出す力。
思わず息をのむしかなかった。
「……美しい。」
気付けば、そんな言葉が口から漏れていた。
ゼノは静かに頷く。
「うむ。」
短い返事だった。
しかし、その瞳は噴き上がる間欠泉を見つめたまま動かない。
「数百年ぶりに見ても、飽きぬものだ。」
「数百年……。」
アッシュが思わず聞き返す。
ゼノは穏やかに答えた。
「我が若き頃にも見た。」
「若き頃って何年前なんだ?」
ガエンが苦笑する。
ゼノは少し考えるように空を見上げた。
「正確には覚えておらぬ。」
「覚えてないのかよ。」
「長命ゆえな。」
あまりにも自然な返答に、一同から笑いが漏れる。
マイトは間欠泉を見上げながら感心した。
「ドラゴンって、こんなのも昔から見てるんだ。」
「山も川も、火山も。」
ゼノは静かに言う。
「長く生きれば、大地の変化を見る機会も多い。」
その言葉には、自慢する響きはなかった。
ただ、長い時を生きた者だけが知る事実を語っているだけだった。
やがて、勢いよく噴き上がっていた湯柱は少しずつ細くなり、
ゴォォ……
という音も静まっていく。
最後に大きく湯を吹き上げると、
しゅううう……
白い蒸気だけを残して、間欠泉は静けさを取り戻した。
辺りには拍手が起こる。
「いやぁ、見事だった!」
「初めて見た!」
観光客たちは満足そうに笑い合い、それぞれ帰り始めた。
マイトも満面の笑みで振り返る。
「来てよかったね!」
「ああ。」
ガエンも笑う。
「温泉まんじゅうだけじゃなく、こういうのも旅の醍醐味だ。」
アッシュも静かに頷いた。
「……はい。」
諜報員として各地を巡ってきた。
しかし任務ではない旅で見る景色は、こんなにも心に残るものなのかと、少しだけ驚いていた。
その時、ゼノが山の方へゆっくりと視線を向ける。
「この先に、小さな展望台がある。」
「知ってるんですか?」
ラーシャが尋ねると、ゼノは微かに笑った。
「昔はよく、あそこで昼寝をした。」
「竜王が?」
ガエンが吹き出す。
「温泉入って、鮎食って、展望台で昼寝か。」
「実に平和だな。」
ダグラスがぽつりと言う。
ゼノは少しだけ肩をすくめた。
「良き場所であれば、誰しも同じことを考える。」
その言葉に、一同は顔を見合わせる。
「じゃあ行ってみよう!」
マイトが元気よく先へ駆け出した。
「展望台なら景色も良さそう!」
「走るな、転ぶぞ。」
ガエンが笑いながら後を追い、一行は湯煙の立ち上る山道を、展望台へ向かってゆっくりと歩き始めた。
山道は緩やかな上り坂になっていた。
両脇には背の高い木々が並び、木漏れ日が石畳をまだらに照らしている。
遠くでは川のせせらぎが聞こえ、時折、硫黄の香りを含んだ風が吹き抜けた。
「空気が気持ちいい!」
先頭を歩くマイトが大きく息を吸い込む。
「温泉街とはまた違う匂いだね。」
「山の風と温泉の蒸気が混じっているのでしょう。」
ラーシャも穏やかに微笑んだ。
しばらく歩くと、木々が途切れた。
目の前には木造の小さな展望台。
手すり越しには、温泉街全体が見渡せる絶景が広がっていた。
「……おお。」
ガエンが思わず声を漏らす。
眼下には湯煙を上げる温泉街。
屋根の並ぶ街並みの向こうには川が流れ、その先には緑深い山々が幾重にも連なっている。
あちらこちらから立ち上る白い湯煙が風に流れ、まるで雲が街に降りてきたようだった。
さらに遠くには、先ほどまでいた間欠泉から細く立ち上る蒸気も見える。
「すごい……。」
アッシュは思わず息をのんだ。
「街が全部見える。」
「綺麗ですねぇ……。」
ラーシャも目を細める。
ダグラスは静かに腕を組み、
「戦場とは縁のない景色だな。」
と呟いた。
「こういう場所で昼寝したくなる気持ち、ちょっと分かるかも。」
マイトが笑う。
ガエンも柵にもたれながら頷いた。
「確かにな。時間を忘れそうだ。」
しばらく誰も喋らなかった。
吹き抜ける風だけが静かに頬を撫で、鳥の鳴き声が山々へ響いていく。
旅を続ける者たちは、それぞれの思いで景色を眺めていた。
その静寂の中、不意にゼノが金色の瞳を細める。
「……ふむ。」
その声だけで、ガエンが振り返った。
「どうした?」
ゼノは展望台からさらに奥、山道の先にある森へ視線を向けたまま答える。
「騒がしい者たちがおる。」
「獣ですか?」
ラーシャが尋ねる。
ゼノは首を横に振った。
「違う。」
耳を澄ませるように一瞬目を閉じる。
「足音が十二。武器を携え、息を潜めている。」
アッシュの表情が引き締まる。
「待ち伏せ……。」
「そのようだ。」
ゼノは小さくため息をついた。
「またか。」
どこか呆れたような声音だった。
ガエンが苦笑する。
「知り合いじゃないよな?」
「知らぬ。」
ゼノは即答した。
「だが、この道は観光客も通る。放置すれば旅人が襲われるだろう。」
マイトも展望台の下を見下ろす。
「盗賊?」
「恐らくな。」
ゼノは静かに踵を返した。
「少々、説教をしてくる。」
その言い方は、まるで道端に落ちた石をどかしに行く程度の軽さだった。
アッシュは思わず目を瞬かせる。
(竜王の言う『説教』とは……。)
色々と想像したが、不安しか湧いてこない。
ガエンは肩を竦めて笑う。
「盗賊ども、ご愁傷様だな。」
「行こう。」
ゼノは淡々と森へ向かって歩き始める。
一行も顔を見合わせると、その後を追って静かな山道を進み始めた。




