82.勇者、食べ歩きをする
竜王と勇者と魔王軍幹部と一緒に温泉に入った後、アッシュは部屋に戻って報告書を書いてから眠りについた。
その翌朝。
朝日が障子越しに差し込み、宿の廊下には味噌汁の香りが漂っていた。
アッシュは目を覚ますと身支度を整え、一階の食堂へ向かう。
「……。」
暖簾をくぐった瞬間、思わず足が止まった。
「お、起きたか。」
ガエンが焼き魚を頬張りながら手を上げる。
「おはようございます。」
ラーシャが微笑み、マイトも元気よく手を振る。
「おはよー!」
ダグラスは黙って茶をすすっている。
そして、その隣では、
「……。」
何事もないような顔で焼き魚を箸でほぐしているゼノ。
あまりにも自然な光景だった。
(竜王が……普通に朝食を食べている。)
昨日までなら想像すらできなかった光景である。
「どうした。」
ゼノが顔を上げる。
「座らぬのか。」
「……い、いえ。」
慌てて席へ着くアッシュ。
宿の女将が笑顔で朝食を運んできた。
「はい、お待たせしました。」
焼き魚、白米、味噌汁、温泉卵、漬物。
ごく普通の朝食だ。
しかしその向かいでは、世界最強クラスの竜王が味噌汁を飲んでいる。
どうにも現実感がない。
ガエンはそんなアッシュを見て吹き出した。
「まだ慣れねぇか?」
「……慣れる方がおかしいと思います。」
「ははは!」
一同が笑う。
ゼノだけは静かに味噌汁を置いた。
「美味いものは、美味い。」
「その通りだ。」
ダグラスが短く頷く。
「身分で飯の味は変わらん。」
「そういうこと。」
ガエンも茶碗を持ち上げる。
「肩書なんて飯食う時には関係ねぇ。」
アッシュは思わず苦笑した。
(この人達は、本当に変わっている。)
魔王軍。勇者。竜王。
本来なら決して同じ食卓を囲むことなどない面々が、朝から焼き魚の焼き加減について話している。
常識がまたひとつ崩れていく。
食事が一段落すると、ガエンは大きく伸びをした。
「さて、今日はどうする?」
マイトが尋ねる。
ガエンは指を一本立てた。
「出発は明日だ。今日は丸一日自由。」
ラーシャも頷く。
「馬も休ませないといけませんしね。温泉街を見て回るのもいいですし、お土産を見るのも楽しそうです。」
「俺は甘いもん食いたい!」
マイトが真っ先に言う。
「昨日見つけた温泉まんじゅう、まだ食べてないんだ。」
「朝からか。」
ダグラスが呆れたように言う。
「別腹だから!」
「お前の腹はいくつある。」
再び笑いが起きる。
ガエンはアッシュへ視線を向けた。
「アッシュ。」
「はい。」
「お前も好きに過ごせ。」
「え?」
「せっかく温泉街にいるんだ。」
「諜報だ任務だって考えるのは、今日は休み。」
アッシュは少し困ったように笑う。
「そんな日があってもいいんでしょうか。」
「あるある。」
マイトが即答する。
「休まないと疲れちゃうし。」
ラーシャも優しく頷いた。
「心を休める時間も、大切ですよ。」
アッシュはしばらく黙っていたが、やがて小さく息を吐いた。
「……では、お言葉に甘えます。」
「よし。」
ガエンは満足そうに立ち上がる。
「今日の目標!」
拳を掲げる。
「温泉街を満喫する!」
「おー!」
マイトだけが勢いよく拳を上げた。
ラーシャは苦笑し、ダグラスは無言で席を立つ。
ゼノは静かに湯呑みを置いた。
「ならば、我も少し街を歩くとしよう。」
その一言で、アッシュの箸がぴたりと止まる。
(竜王が……温泉街を散策。)
またしても、誰も想像できない一日が始まろうとしていた。
宿を出ると、朝の温泉街はすでに活気に満ちていた。
石畳の道の脇には土産物屋が軒を連ね、湯気の立ち上る足湯には旅人たちが腰掛けている。
硫黄の香りと、どこか甘い菓子の匂いが風に乗って流れてきた。
「うわぁ……!」
マイトの目が輝く。
「あれだ!」
一直線に向かった先には、蒸したての温泉まんじゅうを売る店。
「一つください!」
店主から受け取るなり、熱々を頬張る。
「……っ、うまぁ!」
幸せそうに目を細めるマイト。
「皮がふわふわ! あんこもしっとりしてる!」
「そんなに美味いのか。」
ガエンが一つ買って口へ運ぶ。
「……お、確かに。」
「でしょ!」
ラーシャも小さく一口食べる。
「甘さが上品ですね。」
アッシュも勧められて食べてみる。
「……これは。」
思わずもう一口。
「美味しいです。」
「だろ?」
マイトはすでに二個目を注文していた。
「お前、本当に食うな。」
ダグラスが呆れる。
「今日は食べ歩きの日だから!」
胸を張るマイトに、一同は苦笑する。
その一方で。
「……。」
ゼノだけは別の店の前で立ち止まっていた。
炭火の上で、香ばしい匂いを漂わせながら焼かれている鮎。
「ほう。」
店主が顔を上げる。
「兄さん、一本どうだい?」
「いただこう。」
焼き上がった鮎を受け取ると、ゼノは静かにかぶりついた。
ぱりっ。
皮が心地よい音を立てる。
香ばしい香りと、淡白で上品な身。
「……美味い。」
短い一言だったが、その表情はどこか満足そうだった。
ガエンが横から覗き込む。
「気に入ったか。」
「川魚は久しい。」
ゼノは尾の先まで丁寧に食べ進める。
「この香ばしさは良い。」
店主は感心したように笑った。
「兄さん、食べ方が綺麗だねぇ。」
「骨まで無駄なくいただく。」
「鮎も本望だ。」
ガエンが笑う。
「竜王に褒められた鮎だな。」
店主はもちろん相手が竜王だとは知らず、豪快に笑っていた。
「また寄ってくれ!」
「うむ。」
穏やかに頷くゼノ。
そんな何気ないやり取りを見ながら、アッシュはぼんやり思う。
(世界の頂点に立つ存在が……屋台で鮎を食べている。)
誰に対しても威圧することなく、普通の旅人として街を歩く。
その姿は、昨日まで抱いていた竜王の印象とはあまりにも違っていた。
その後も一行はのんびりと温泉街を歩き続ける。
湯気の立つ温泉玉子を売る屋台。
色鮮やかな風車が並ぶ露店。
湯の花を詰めた小袋や木彫りの土産物。
マイトはあちこちへ目を輝かせ、ガエンは適当に冷やかし、ラーシャは可愛らしい小物を眺め、ダグラスは無言で付き添う。




