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静寂の城〜魔王は世界征服をしたい〜  作者: 赤井六舷
魔族領軍事国家、バルファード

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77.千里眼、バレる

その日の夕暮れ。

馬車は街道を外れ、澄み切った湖のほとりで停車した。


「今日はここまでだ!」


御者が声を上げる。

湖面には夕焼けが映り、風が吹くたびに赤く揺れていた。

雪はまだ残っているものの、クリアフォル周辺ほど厳しい寒さではない。


「だいぶ暖かくなったね。」


マイトが手を擦り合わせながら笑う。

ラーシャも頷いた。


「はい。もう氷雪地帯を抜けかけていますね。」


ガエンは辺りを見回し、大きく息を吸う。


「ようやく凍えなくて済みそうだ。」


やがて全員で手分けして野営の準備を始める。

ダグラスは薪を集め、マイトは湖で水を汲み、ラーシャは簡単な食事を用意する。

アッシュも黙って手伝い、慣れた手つきでテントを張っていた。


(……野営にも慣れている。)


ガエンはちらりとその様子を見る。


(やっぱり訓練を受けた人間だな。)


しかし何も言わず、自分も焚き火へ薪を放り込んだ。

パチパチ、と火が爆ぜる。

湯気の立つスープを囲みながら、五人は静かな時間を過ごしていた。


「この湖、綺麗だな。」


マイトが夜空を見上げる。

星々が湖面に映り込み、まるで空が二つあるようだった。

アッシュも思わず見入る。


「……ええ。見事な景色です。」


「こういう景色を見るために旅してるって感じするよね。」


マイトが笑うと、ガエンも豪快に頷いた。


「違ぇねぇ。」


その時だった。

ラーシャの耳がぴくりと動く。


「……。」


隣でスープを飲んでいたマイトも、表情を変えた。


「ラーシャ。」


「ええ。」


二人は同時に森の方を見る。

ガエンが気付く。


「どうした?」


ラーシャは静かに答えた。


「何かいます。」


マイトも頷く。


「しかも一匹じゃない。」


焚き火の向こうでは、森の奥から枝が折れる音が微かに響いていた。


ザッ……


ザザッ……


風ではない。

何者かが動いている音。

アッシュも自然と腰を浮かせる。


(魔物か。)


しかしガエンは落ち着いたまま立ち上がった。


「マイト。」


「うん。」


「ダグラス。」


ダグラスはすでに鎌を肩へ担いでいる。


「ああ。」


ガエンは笑った。


「ちょっと散歩してくるか。」


「そうだね。」


マイトは聖剣を抜き、軽く肩を回す。

ダグラスは無言で森へ歩き出した。

ラーシャは杖を手に取るが、ガエンが振り返る。


「ラーシャ、お前は残れ。」


「ですが。」


「アッシュと荷物の番だ。」


ラーシャは少し考え、小さく頷いた。


「……わかりました。」


ガエンはアッシュへ視線を向ける。


「悪いな。焚き火頼む。」


「はい。」


アッシュは短く返事をしたが、内心では驚いていた。


(俺を残すのか。)


諜報員である自分を疑っているかもしれない相手が、荷物と仲間を任せた。

普通なら考えられない判断だった。

ガエンは何事もないように笑う。


「すぐ戻る。」


そう言うと、ガエン、マイト、ダグラスの三人は闇の森へ足を踏み入れた。

焚き火の明かりが届かなくなる頃には、その姿は木々の間へ溶け込んでいく。

静まり返った湖畔。

残されたラーシャは静かに森を見つめている。

そしてアッシュもまた、三人が消えた方向を見つめながら思う。


(……あの三人が動くほどの相手か。)


森の奥から、獣とも魔物ともつかない低いうなり声が、夜の静寂を震わせた。


アッシュは焚き火へ薪をくべるふりをしながら、そっと視線を伏せた。


(……少しだけなら。)


誰にも悟られぬよう、静かに魔力を巡らせる。


千里眼。


視界が一気に森の奥へ伸びる。

闇を切り裂くように三人の姿が映った。

その先には全長五メートルはあろうかという灰色の魔狼が三匹。

さらに木々をなぎ倒しながら現れる巨大な熊型魔獣。

そして上空には翼竜まで旋回している。


(三種同時……!)


アッシュは思わず息を呑んだ。


(この戦力なら普通は部隊を編成する。最低でも数十人……。)


だがガエンは欠伸でもするように首を鳴らした。


「じゃ、片付けるか。」


「うん!」


マイトが笑顔で飛び出す。

次の瞬間だった。


ヒュンッ!


聖剣が一閃。

魔狼が一匹、何が起きたか理解する暇もなく真っ二つになった。


「……え?」


アッシュの目が見開く。

残る二匹が飛びかかる。

しかしガエンは避ける様子もない。


「邪魔だ。」


ドゴォォン!!


ただ拳を振っただけ。

空気が爆ぜ、二匹まとめて吹き飛び、何本もの大木を貫通して動かなくなった。


(ば、馬鹿な……。)


その直後。

巨大熊が咆哮を上げる。


ズシン!!


地面を揺らしながら突進。

ダグラスが静かに前へ出た。


「遅い。」


鎌が一度だけ光る。


スッ


巨大熊は数歩進み、そのまま音もなく左右へ分かれた。

切られたことにすら気付いていないほど鮮やかな一撃。


(一撃……だと……。)


さらに空から翼竜が急降下する。


「わぁ、危ない。」


マイトが軽く跳び上がる。

その高さだけで翼竜と同じ高度に達した。


「えい。」


まるで木の枝でも払うように剣を振る。


ズバァァッ!!


翼竜は夜空で綺麗に両断され、そのまま森の向こうへ落ちていった。


静寂。

わずか数十秒。

それだけだった。

ガエンが大きく伸びをする。


「ふぁぁ……。」


マイトも剣を肩へ担ぐ。


「終わったね!」


ダグラスは鎌をしまう。


「ああ。」


三人は周囲を見回す。


「他には?」


「いないね。」


「帰るか。」


「そうだな。」


まるで夕食前の散歩でも終えたような口調だった。

アッシュは千里眼を維持したまま固まる。


(終わった……?あれだけの魔獣を……。たった三人で……。しかも苦戦どころか、本気ですらない……。)


額を冷たい汗が伝う。


(バルファードからの報告では、世界を旅する正体不明の一行……。だが実態は違う。こいつらは――。)


そこまで考えた瞬間だった。


「どうでした?」


「っ!!」


背後から穏やかな声がした。

アッシュは飛び上がりそうになる。

振り返ると、ラーシャが焚き火の向こうで微笑んでいた。


「……何が、でしょう。」


平静を装う。

しかしラーシャはくすりと笑う。


「千里眼です。」


アッシュの心臓が止まりそうになった。


「な……。」


「私に気付かれないよう、とても丁寧に魔力を流していましたね。」


ラーシャは焚き火を見つめながら続ける。


「普通の人なら気付かないでしょう。でも、魔力の流れは隠しきれません。」


アッシュは言葉を失う。


(気付かれていた……?最初から……。)


ラーシャは視線だけをアッシュへ向ける。


「それで。」


少し楽しそうに微笑んだ。


「見た感想はいかがですか?」


アッシュはしばらく沈黙し、やがて苦笑を漏らす。


「……想像を、はるかに超えていました。」


「ふふ。」


「正直に申し上げます。」


アッシュは森へ視線を向けた。


「あの魔獣の群れは、本来なら討伐隊が出動する相手です。」


「そうでしょうね。」


「ですが、あの三人は……。」


言葉を選びながら呟く。


「本当に、散歩のついでに落ち葉でも払うように片付けてしまった。」


ラーシャは誇らしげでも自慢げでもなく、小さく笑うだけだった。


「いつものことです。」


その一言が、アッシュには何より衝撃的だった。

ラーシャは焚き火へ一本薪をくべる。

パチッ、と火の粉が夜空へ舞い上がった。


「驚かれましたか?」


「……ええ。」


アッシュは素直に頷いた。


「失礼ですが、あの三人は一体何者なんです。」


ラーシャは少し考えるように目を閉じ、それから穏やかに答えた。


「隠す必要もありませんね。」


焚き火の炎が彼女の髪を淡く照らす。


「ガエンさんは財務担当のオーガです。」


「財務担当……?」


アッシュは思わず聞き返した。


「ええ。魔王軍の幹部で、お金や物資の管理を任されています。」


「……。」


財務担当。

あれほどの怪力を持つ男が。

アッシュの頭では、その肩書きと実力がまったく結び付かなかった。

ラーシャは続ける。


「ダグラスさんは死神です。」


「死神……。」


「同じく魔王軍の幹部ですよ。」


アッシュは息を呑む。


(あの鎌使いが、本当に死神だったのか……。)


だからこそ、あの一撃だったのだ。

そしてラーシャは森の方へ目を向け、優しく微笑んだ。


「マイトさんは勇者です。」


「勇者……!?」


今度こそアッシュは目を見開いた。


「勇者が……魔王軍に?」


「いえ。」


ラーシャは苦笑する。


「正確には、魔王のお城に居候している勇者です。」


「……は?」


アッシュの思考が止まる。


「居候……ですか?」


「はい。」


ラーシャはあっさり頷いた。


「ご飯をご馳走になったり、お部屋を借りたりしながら暮らしています。」


「……。」


「本人はとても居心地がいいそうですよ。」


アッシュは口を半開きにしたまま固まった。


(勇者が……魔王城に住んでいる……?)


常識が音を立てて崩れていく。

勇者と魔王は敵同士。

それが世界の誰もが知る当然の話だ。

それなのに、この一行はまるで世間話でもするかのように語っている。

ラーシャはそんなアッシュを見て、小さく笑った。


「皆さん、少し変わっていますから。」


「少し……?」


アッシュは思わず額を押さえた。


(少しどころではない……。)


ガエンは怪物じみた怪力を持つ財務担当。

ダグラスは本物の死神。

そして勇者は魔王城に居候。

どこを切り取っても理解が追いつかなかった。

するとラーシャは自分を指差して。


「ちなみに。」


「……はい。」


「私も一応、魔王軍の幹部です。」


「……え?」


アッシュはゆっくりとラーシャを見る。

彼女は照れたように微笑み、軽く頭を下げた。


「ダークエルフのラーシャと申します。魔法や補佐を担当しています。」


「…………。」


数秒。


いや、それ以上だったかもしれない。

アッシュは完全に言葉を失っていた。

目の前にいる穏やかな女性も、あの三人と同格。

つまり魔王軍の幹部。


(この四人……全員が……。)


諜報員として数多くの情報を集めてきた。

各国の将軍。英雄。伝説の傭兵。

そのどれとも違う。

目の前にいるのは、一国の軍勢すら相手取れる化け物たちだった。

その時だった、ガサッ、と森の奥から足音が聞こえる。


「戻ったぞー。」


ガエンののんびりした声が響き、マイトが笑顔で手を振る。


「ただいまー!」


ダグラスも無言で歩いてくる。

三人とも服にはほとんど傷一つなく、まるで本当に散歩から帰ってきたような様子だった。


「おかえりなさい。」


ラーシャが穏やかに迎える。


「ただいま。」


ガエンは焚き火の前へ腰を下ろすと、大きく伸びをした。


「いやー、いい運動だったな。」


「うん!」


マイトも嬉しそうに頷く。


「お腹空いた!」


その何気ない会話を聞きながら、アッシュは心の中で静かに呟いた。


(……この人たちは、一体何なんだ。)


諜報対象として調べるつもりだった。

だが今は、調べれば調べるほど、理解できない存在になっていく。

アッシュが呆然と四人を見つめていると、焚き火の前に腰を下ろしたダグラスが、ふと口を開いた。


「……なんだ?」


低く静かな声。

その瞳が真っ直ぐアッシュを捉える。


「隠すのはやめたのか?」


「……!」


アッシュの肩がびくりと震えた。

その一言で悟る。


(やはり……全部、気付いていた。)


ラーシャだけではない。

この死神も、自分が諜報のために近付いたことなど、とっくに見抜いていたのだ。

言い逃れを考えるが、何一つ浮かばない。

沈黙が流れる。

すると、その空気を壊すようにガエンが豪快に笑った。


「ははっ、もう隠さなくていいだろ。」


アッシュへ視線を向ける。


「ぶっちゃけ、お前どこの諜報員だ?」


「……。」


「バルファードか?」


その一言に、アッシュの目がわずかに揺れた。

それだけで十分だった。

ガエンは「あ、やっぱりな」とでも言いたげに頷く。


「図星か。」


アッシュは観念したように小さく息を吐いた。


「……さすがですね。」


覆面の奥から苦笑が漏れる。


「ええ。その通りです。」


マイトが「あ、本当だったんだ」と目を丸くし、ラーシャは予想通りというように微笑む。

ガエンはまったく気にした様子もなく肩をすくめた。


「別にいいさ。」


「え……?」


「俺達、隠れて悪いことしてるわけじゃねぇし。」


そう言うと焚き火へ薪を放り込み、パチパチと火花が舞う。


「俺達はな。」


ガエンは気楽な口調で続けた。


「魔王バラムが『運動会をやりたい』って言い出したから、そのスポンサー集めのために世界中を回ってるだけなんだ。」


「……運動会。」


アッシュは思わず聞き返した。


「そう。」


ガエンは頷く。


「スポンサー探して、各国と仲良くなって、みんなででっかい運動会やろうって話。」


「ちなみに芸人や音楽家まで集め始めてる。」


ダグラスが淡々と付け加える。


「芸人さん、面白い人ばっかりなんだよ!」


マイトが嬉しそうに笑う。


「ミリアなんて毎日笑わせてくれるし!」


「ビルムさんもツッコミ担当として優秀ですよ。」


ラーシャも穏やかに補足した。


「……。」


アッシュは四人を順番に見つめた。

誰一人、嘘をついている顔ではない。

あまりにも自然で。あまりにも堂々としていて。

だからこそ信じ難い。

世界各国が警戒し、正体を探っていた一行。

その旅の目的が魔王が運動会をやりたいから。

あまりにも拍子抜けで、あまりにも平和すぎる理由だった。

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