76.寒さ、和らぐ
氷雪都市クリアフォルを出発した財務担当オーガのガエン、勇者マイト、死神ダグラス、ダークエルフのラーシャは謎の旅人を名乗るアッシュと出会う。
アッシュと一緒に酒場で夕飯を食べた後、それぞれの部屋に戻った。
部屋に戻ると、四人はそれぞれ荷物を下ろし、暖炉の火を囲むように腰を下ろした。
外では雪混じりの風が窓を叩いている。
しばらく誰も口を開かなかったが、不意にガエンが鼻で笑う。
「……あのアッシュって奴。」
マイトが首を傾げる。
「どうしたの?」
ガエンは腕を組み、当然のように言った。
「ありゃ諜報かなんかだろ。」
「え?」
マイトは目を丸くする。
ラーシャも静かにガエンを見る。
「理由は?」
「いくつもある。」
ガエンは指を一本立てた。
「まず、初対面なのに俺たちを観察しすぎだ。」
二本目。
「飯食ってる時も酒飲んでる時も、笑ってるようで全員の癖を見てた。」
三本目。
「質問の仕方が旅人じゃねぇ。俺たちの強さ、人間関係、目的……知りたいことだけ綺麗に聞いてきやがる。」
ダグラスも静かに頷く。
「俺も同感だ。」
「やっぱり?」
「ああ。しかも視線の配り方が訓練されている。入口、窓、客、店主……無意識に逃走経路まで確認していた。」
マイトは思い返す。
「そういえば……席も壁を背にして座ってた。」
「そういうことだ。」
ガエンは苦笑した。
「普通の旅人なら、あそこまで警戒しねぇ。」
ラーシャも腕を組む。
「口元を布で隠していたのも気になりますね。」
「傷だけが理由じゃない気がする。」
ダグラスが続ける。
「牙も見えた。魔族か、それに近い種族だろ。」
マイトは少し不安そうな顔になる。
「じゃあ……敵なの?」
ガエンはあっさり首を横に振った。
「いや。」
「違うの?」
「敵ならもっと隠れる。あいつは『怪しまれる程度』に情報を見せてる。」
ラーシャが小さく笑う。
「つまり、こちらの反応を見ていた。」
「そういうこと。」
ガエンは暖炉の火を見つめながら言った。
「たぶんどっかの国か組織の諜報員。俺たちを調べろって命令されてんだろ。」
「でも悪意は感じなかった。」
ダグラスも同意する。
「敵意ではなく任務、といった印象だな。」
マイトは少し安心したように息をつく。
「じゃあ放っておいて大丈夫かな。」
ガエンは笑った。
「好きに調べさせとけ。」
「え?」
「俺たちは隠すようなことはしてねぇ。」
ガエンは豪快に笑う。
「見て、話して、一緒に旅して、それで信用するか決めりゃいい。」
ラーシャも穏やかに微笑んだ。
「ガエンさんらしい答えですね。」
「どうせあいつも、俺たちを見極めようとしてるんだ。なら俺たちも普通に接すりゃいい。」
四人はその方針で一致し、それ以上アッシュを詮索することはなかった。
しかしその頃。
隣の部屋。
アッシュは椅子に腰掛け、窓の外へ視線を向けていた。
(……やはり。)
口元の布を少し触れ、小さく息をつく。
(あのオーガと死神……勘が鋭すぎる。)
酒場での何気ない会話だけで、自分が単なる旅人ではないことを見抜かれていた。
(さすがは世界を巡る一行か。)
驚きはあった。
だが同時に、口元にはわずかな笑みが浮かぶ。
(だからこそ、調べる価値がある。)
レムルス王から与えられた任務。
ガエン一行の正体と真意を見極めよ。
その任務は以外と難しいのかもしれない。
翌朝。
宿場町にはまだ朝靄が残り、吐く息は白く空へ溶けていく。
宿の前にはバルファード行きの馬車が止まり、御者が荷物を積み込んでいた。
「それじゃ、出発するか!」
ガエンが大きく背伸びをすると、マイトも元気よく頷く。
「おー!」
ラーシャは肩に積もった雪を払い、ダグラスは静かに馬車へ乗り込む。
すると、その少し後ろから聞き慣れた声がした。
「おはようございます。」
振り返ると、アッシュがいつものように目元だけを見せた姿で立っていた。
「もしよければ、本日もご一緒しても?」
ガエンはあっさり笑う。
「おう、好きな席座れ。」
「ありがとうございます。」
アッシュは軽く頭を下げ、馬車へ乗り込んだ。
(……昨日と変わらない。)
内心でそう呟く。
(警戒されているなら、少しは距離を置くと思ったが。)
馬車がゆっくりと走り始める。
雪道を進む車輪が、ぎしっ、ぎしっと音を立てた。
しばらくすると、マイトが笑顔でアッシュへ振り向く。
「アッシュ、朝ご飯食べた?」
「え?」
予想外の質問だった。
「え、ええ……軽くですが。」
「俺たちパン余ってるから食べる?」
そう言って袋を差し出す。
「……ありがとうございます。」
アッシュは少し戸惑いながら受け取った。
(普通だ。)
あまりにも普通だった。
ガエンは窓の外を見ながら呟く。
「今日も雪深いなぁ。」
「バルファードまであと何日くらいなの?」
マイトが御者へ尋ねる。
「順調なら一週間ってとこだな。」
「へぇ!」
そんな他愛もない会話が続く。
ラーシャも自然に口を開く。
「アッシュさんは寒さには強いんですか?」
「ええ……まあ、人並みには。」
「そうですか。昨日はずいぶん薄着に見えたので。」
「慣れておりますので。」
本当に世間話だった。
探るような言葉は一つもない。
ダグラスも静かに言う。
「眠れたか。」
「はい。」
「それならいい。」
そこで会話は終わる。
(……なんだ。)
アッシュは逆に落ち着かなかった。
(昨日、あそこまで見抜いていた者たちだ。何か質問してくるはずだ。所属はどこだ、とか。何者なんだ、とか。)
しかし誰も聞かない。
ガエンは干し肉をかじりながら、
「アッシュ、食うか?」
「……いただきます。」
マイトは笑う。
「旅ってみんなで食べる方がおいしいよね!」
「そうですね。」
ラーシャは小さく微笑み、
「遠慮しないでください。」
ダグラスも黙って水筒を差し出した。
「飲め。」
「……ありがとうございます。」
アッシュは受け取りながら、心の中で混乱していた。
(……何だ、この一行。昨日、俺が諜報である可能性に気付いていたはず。ならば普通は距離を置く。あるいは質問攻めにする。それなのに。)
四人は本当に、ただの旅仲間として接している。
その様子を横目で見ていたガエンは、マイトたちに聞こえない程度の声でぼそりと言う。
「そんな警戒すんなよ。」
「!」
アッシュの肩がぴくりと震えた。
ガエンは前を向いたまま笑う。
「肩に力入りすぎだ。」
「……そう見えますか。」
「見える見える。」
ガエンは笑った。
「別に何者でもいいさ。」
アッシュは息を呑む。
「旅を楽しむなら楽しめ。俺たちはそれだけだ。」
その一言だけ言うと、ガエンは再び景色を眺め始めた。
アッシュはしばらく言葉を失う。
(……読めない。昨日は俺の正体を見抜き。今日は何も聞かず、普通に接する。揺さぶりなのか、それとも本当に気にしていないのか。)
諜報員として数多くの相手を見てきた。
嘘をつく者。腹を探る者。利用しようとする者。
だが、こんな相手は初めてだった。
アッシュは誰にも気付かれないよう、小さく息を吐く。
(……むしろ、こちらの方が警戒してしまうとは。)
馬車は雪を巻き上げながら、軍事国家バルファードへ向けて静かに走り続けた。




