62.氷雪都市、近づく
町の人々は笑いながらも、改めて倒れた熊の魔物を見つめた。
「さて、みんな! 解体場まで運ぶぞ!」
警備隊長の号令で、数人の男達が熊の魔物へ近付く。
「よいしょ……!」
「お、重い……!」
四、五人で持ち上げようとしても、熊の巨体はほとんど動かない。
「こりゃ荷車を持って来ないと無理だ!」
「いや、それでも四頭運ぶとなると時間がかかるぞ……。」
皆が困っていると、ガエンが無言で熊の魔物へ歩み寄った。
「貸してみろ。」
そう言うと、一頭を肩へ担ぎ上げる。
「お、おお……!」
驚きの声が上がる中、ガエンはさらにもう一頭を反対側の肩へ。
そのまま残る二頭を両腕で抱え上げた。
「これで全部だな。」
四頭すべてを一人で持ち上げてしまった。
場が静まり返る。
「…………。」
門番が目を見開く。
「う、嘘だろ……。」
警備隊員も口を半開きにする。
「一人で……四頭?」
ナラは笑いながら肩をすくめた。
「だから言ったでしょ。この人達の普通は普通じゃないって。」
ラーシャも苦笑する。
「私も初めて見た時は同じ反応でした……。」
マイトはガエンの横を歩きながら笑う。
「ガエン、全部持つなら俺やることないじゃん。」
「散歩の続きだ。一緒に歩けばいい。」
「それもそうだね。」
二人はまるで荷物でも運ぶかのような気軽さで町の門をくぐっていく。
町の人々は慌てて道を開けた。
「す、すげぇ……。」
「怪力って言葉じゃ足りねぇぞ……。」
「オーガってみんなああなのか?」
「いや、絶対違う!」
そんなざわめきの中、一行は宿へ戻る。
酒場の前まで来ると、騒ぎを聞きつけた酒場の主人が外へ飛び出してきた。
「おっ、戻って――」
主人は言葉を失った。
ガエンが熊の魔物四頭を一人で担いでいる。
「……なんだそりゃ。」
マイトが笑顔で答える。
「散歩してたら熊がいたから倒してきた。」
「散歩で熊!?」
主人は頭を抱えたが、すぐに苦笑へ変わる。
「はぁ……やっぱりそうか。」
ガエンが首を傾げる。
「何がだ?」
主人は呆れ半分、感心半分の笑みを浮かべた。
「昼間話しただろ? 少し前にこの町を救ってくれた、死神とドラゴニュートとラミアの三人組のことを。その三人も散歩だと言っていた。」
「ああ。」
「その話を聞いた時点で、あんた達も只者じゃないとは思ってたが……。」
主人は熊の魔物とガエンを交互に見て、大きく頷いた。
「さすがは、あの死神達の仲間だ。」
その言葉に、酒場にいた客達も一斉にどよめく。
「やっぱり仲間だったのか!」
「道理で強いわけだ!」
「この人達、一体どれだけ規格外なんだ……。」
マイトは照れくさそうに笑い、ガエンはいつも通り平然とした表情のまま熊の魔物を担ぎ続けていた。
「で、解体場はどこだ?」
「あ、ああ。宿の裏を真っすぐ行った先だ。案内する!」
主人は慌てて先導し、ガエン達はその後を歩く。
四頭もの熊の魔物を一人で担ぐガエンの姿に、町の人々は次々と道を開けていった。
「見ろよ……。」
「まだ普通に歩いてるぞ。」
「重そうな様子が全然ない……。」
子ども達は目を輝かせながら後をついていく。
「すげぇー!」
「おっきい熊だ!」
やがて町外れにある解体場へ到着した。
「ここです!」
主人が指差すと、ガエンは頷いた。
「よし。」
ドスン。
ドスン。
ドスン。
ドスン。
四頭の熊を丁寧に地面へ降ろす。
解体場で作業をしていた職人達は、その光景を見て目を丸くした。
「……なんだ、この量は。」
「しかも全部熊の魔物じゃねぇか!」
警備隊長が事情を説明すると、職人達は驚いたようにガエン達を見つめる。
「この四頭を四人で?」
「いや。」
警備隊長は首を横に振る。
「倒したのは二人。そして運んだのは、そのオーガ一人だ。」
「……は?」
職人達は一斉にガエンを見る。
ガエンは何事もないように腕を軽く回した。
「これで終わりだな。」
職人の一人が頭を下げた。
「助かったよ。すぐに解体に取り掛かる。」
ガエンは頷くだけだった。
「頼む。」
マイトが笑顔で手を振る。
「美味しく食べてもらえたら熊も本望だね。」
「ははは! 違いねぇ!」
解体場にも笑い声が広がった。
用事を終えた四人は、夜風に当たりながら宿への道を歩く。
ナラがふわりと飛びながら笑う。
「結局、本当に散歩になっちゃったね。」
「途中で熊狩りもあったけどね。」
マイトも苦笑する。
ラーシャは小さく笑みを浮かべた。
「皆さんと一緒だと、本当に毎日何か起きますね。」
ガエンは腕を組みながら静かに頷く。
「退屈しないのはいいことだ。」
「普通は退屈しないじゃ済まないけどね。」
ナラの一言に三人は思わず笑った。
宿へ戻ると、主人が入口で待っていた。
「今日は町のみんながお前さん達のおかげで安心して眠れる。本当にありがとう。」
ガエンは軽く手を上げる。
「気にするな。」
「おやすみ!」
マイトも笑顔で手を振る。
「おやすみなさい。」
ラーシャが丁寧に頭を下げ、ナラも小さく手を振った。
四人はそれぞれ部屋へ戻る。
長旅と散歩、そして熊の魔物との戦いで心地よい疲れが体に残っていた。
ベッドへ横になると、マイトは大きく伸びをする。
「今日はよく歩いたなぁ。」
「散歩にしては濃かったけどね。」
ナラが笑う。
「皆さん、おやすみなさい。」
ラーシャが明かりを消す。
ガエンは静かに目を閉じた。
「明日も早い。寝るぞ。」
「はーい。」
穏やかな返事が返る。
こうして四人は、平和になった宿場町で静かな夜を迎え、翌日の旅に備えて深い眠りについた。
翌朝、まだ朝日が昇ったばかりの頃。
宿場町はひんやりとした空気に包まれていた。
ガエン達四人は荷物をまとめ、酒場兼宿の一階へ降りる。
主人は朝食を並べながら笑顔で迎えた。
「おはよう! 昨日はぐっすり眠れたか?」
「ああ。」
ガエンが頷く。
「めちゃくちゃ寝た!」
マイトも元気いっぱいだ。
「皆さん、おはようございます。」
ラーシャが礼儀正しく頭を下げる。
「朝からいい匂い!」
ナラは焼きたてのパンへ一直線だった。
主人は笑いながら朝食を勧める。
「しっかり食っていけ。今日は氷雪地帯へ向かうんだろ?」
「その予定だ。」
「気を付けろよ。ここから先は急に寒くなる。」
四人は温かいスープと焼きたてのパン、卵料理を味わい、食事を終える。
主人は最後に深々と頭を下げた。
「昨日は本当にありがとう。またこの町へ来たら寄ってくれ。」
「もちろん!」
マイトが笑顔で答えた。
「世話になった。」
ガエンも短く礼を言う。
四人は宿を出て馬車へ向かった。
御者はすでに馬の準備を終えている。
「おはよう。準備はできてるぞ。」
「お願いします。」
ラーシャが答える。
全員が馬車へ乗り込むと、御者が手綱を鳴らした。
「それでは出発するぞ。次の目的地は北の都市、クリアフォルだ。」
馬車はゆっくりと宿場町を離れ、街道を北へ進み始めた。
窓の外には広大な草原が広がる。
しかし進むにつれて景色は少しずつ変わっていく。
草木は背が低くなり、風は冷たさを増していた。
マイトは窓を開け、外へ手を伸ばす。
「うわ、本当に寒くなってきた。」
ナラも肩をすくめる。
「昨日までとは全然違うね。」
御者は頷いた。
「この先から本格的に氷雪地帯へ入る。昼過ぎには街道沿いにある大きな休憩施設へ着くから、そこで防寒装備へ着替えておけ。」
「なるほど。」
ガエンは荷物の中に入っている厚手の装備へ視線を向けた。
「フィルドリアで買ったやつだね。」
マイトが思い出したように言う。
「ああ。ようやく出番だ。」
ラーシャも少し安心した表情を浮かべる。
「あの時準備しておいて良かったです。」
馬車は休むことなく街道を進み続けた。
昼を少し過ぎた頃。
街道の先に大きな建物が見えてくる。
石造りの頑丈な建物で、何台もの馬車が停まり、多くの旅人が行き交っていた。
建物の脇には厩舎や井戸もあり、旅人達が休憩したり食事を取ったりしている。
御者は馬車をゆっくり止めた。
「到着したぞ。ここが氷雪地帯へ入る前、最後の休憩施設だ。」
四人は馬車を降りる。
冷たい風が頬を撫でた。
先ほどまでとは比べものにならない冷気だった。
御者が空を見上げながら言う。
「ここから先は昼でも氷点下近くまで冷え込む日がある。今のうちに防寒装備へ着替えておけ。」
マイトは腕をさすりながら苦笑する。
「これは確かに着替えた方が良さそうだ。」
ナラも羽を震わせる。
「ピクシーにはちょっと厳しい寒さかも。」
ラーシャは荷物を抱えた。
「更衣室もあるみたいですね。」
施設の案内板には「男性更衣室」「女性更衣室」と書かれている。
ガエンは頷いた。
「よし、着替えるか。」
御者とガエン達の五人はそれぞれ荷物を持ち、更衣室へ向かい、フィルドリアで準備しておいた防寒装備へと着替え始めた。
男子更衣室ではガエンとマイトと御者の三人がそれぞれ防寒装備へ着替えていた。
マイトは厚手のコートに手袋、毛皮付きの防寒靴を履きながら笑う。
「おー、暖かい! これなら雪でも平気そうだ!」
ガエンも厚い外套を羽織り、腕を曲げ伸ばしする。
「動きづらさもないな。悪くない。」
ラーシャが選んだ装備と同じ店で買っただけあり、作りはかなりしっかりしていた。
三人が更衣室を出ると、施設の廊下には多くの旅人が行き交っている。
「ナラ達、まだかな。」
マイトが女子更衣室の方を見る。
すると――
ガチャッ。
扉が開いた。
最初に出てきたのはラーシャだった。
茶色い毛皮の付いた厚手のコートに、耳当て付きの帽子、手袋まで揃えた完全防寒仕様。
「どうでしょう……変じゃありませんか?」
「似合ってるぞ。」
ガエンが即答する。
「可愛いじゃん!」
マイトも笑顔で親指を立てた。
ラーシャは少し照れながら小さく微笑む。
「ありがとうございます。」
その直後だった。
再び女子更衣室の扉が勢いよく開く。
「じゃじゃーん!!」
元気な声と共に現れたナラを見た瞬間、三人は固まった。
ナラは全身を、丸っこい白い動物の着ぐるみで包んでいた。
ふわふわの耳。ころんとした丸い体。短い手足。
そして顔の部分だけがくり抜かれ、そこからナラの目だけが見えている。
背中には羽を出すための穴まで開いていた。
どう見ても防寒着ではなく、
「……なんだ、それ。」
ガエンが真顔で尋ねる。
ナラはその場でくるりと一回転した。
「雪うさぎだよ!」
「いや、聞いてない。」
「可愛くない?」
「可愛いかどうかじゃない。」
ガエンは即座に突っ込む。
「なんで着ぐるみなんだ。」
ナラは胸を張る。
「売店で見つけた!」
「買ったのか。」
「うん!」
「防寒装備はどうした。」
「この中に着てる!」
「……。」
ガエンは無言になった。
マイトは肩を震わせながら笑いをこらえていたが、ついに限界を迎える。
「ぶっ、あはははははっ!!」
腹を抱えて笑い出す。
ラーシャも口元を押さえながら必死に笑いを堪えている。
「ふふっ……ナ、ナラさん……それは反則です……。」
周囲を歩いていた旅人達も思わず足を止めた。
「なんだあれ。」
「雪うさぎが飛んでるぞ。」
「羽が生えてる!」
あちこちから笑い声が上がる。
しかしナラ本人は大満足だった。
「人気者だね!」
「そこじゃない。」
ガエンが額に手を当てる。
「お前はいつも予想の斜め上を行くな。」
ナラは得意げに胸を張る。
「えへへ!」
ガエンは深いため息をつきながらも、小さく口元を緩めた。
「……まあ、暖かいなら好きにしろ。」
「やったー!」
雪うさぎの着ぐるみ姿のまま、ナラは嬉しそうにふわふわと宙を飛ぶ。
その姿を見た旅人達の笑い声は、休憩施設いっぱいに響き渡った。
旅人達の笑い声は、休憩施設いっぱいに響き渡った。
そんな中、一人の年配の職員が、目を丸くしながらナラへ近づいてくる。
「いやぁ……驚いた。」
ナラは首を傾げた。
「どうしたの?」
職員は懐かしそうに笑う。
「実はな、何日か前にも似たような格好をした可愛いお嬢さんがここへ立ち寄ったんだよ。」
「え?」
マイトが反応する。
「似たような格好?」
「真っ白でふわふわした服を着ていてな。まるで雪うさぎみたいだった。」
ナラは自分の着ぐるみを見下ろした。
「雪うさぎ仲間!?」
「いや、仲間かどうかは分からんが、本当に綺麗なお嬢さんだった。」
ガエンは腕を組み、少し考える。
「……もしかして、その女性はラミアだったか?」
職員はすぐに頷いた。
「ああ、そうだそうだ。下半身が蛇のお嬢さんだった。」
その瞬間、四人は顔を見合わせた。
「ミリアさんですね。」
ラーシャが嬉しそうに声を上げる。
マイトも笑顔になる。
「間違いないね!」
ナラは羽をぱたぱたさせた。
「ミリア、ここ通ったんだ!」
職員は続ける。
「しかも一人じゃなかったよ。」
「……一緒にいたのは?」
ガエンが尋ねる。
「黒い外套を着た死神みたいな男と、大きなドラゴニュートの男だった。」
「ダグラスさんとビルムさんですね!」
ラーシャが思わず声を弾ませる。
ガエンは静かに頷いた。
「やはりそうか。」
マイトは嬉しそうに拳を握る。
「三人ともここに立ち寄ったんだね!」
職員は頷きながら話を続けた。
「三人とも仲が良さそうだったな。少し休憩して温かい食事を食べた後、『クリアフォルまで急ぐ』と言って北へ向かって行ったよ。」
「クリアフォルへ……。」
ナラはにこっと笑う。
「じゃあ、もうすぐ会えるかもしれないね!」
「そうだな。」
ガエンの表情も、ほんの少し柔らかくなる。
御者も話を聞いて頷いた。
「予定通りなら、向こうの方はもうとっくに着いているだろう。」
マイトは待ちきれない様子で言った。
「早く行こう! 久しぶりにみんなが揃うね!」
ガエンは落ち着いた口調で答える。
「ああ。俺達も急ごう。」
職員は四人を見送りながら笑顔で手を振った。
「道中気を付けてな! クリアフォルはこの先、雪も深くなる。」
「ありがとうございます!」
ラーシャが丁寧に頭を下げる。
ナラも雪うさぎ姿のまま大きく手を振った。
「行ってきまーす!」
その愛らしい姿に、休憩施設の旅人達から再び笑い声が上がる。
「雪うさぎ、頑張れー!」
「寒さに負けるなよ!」
「はーい!」
元気いっぱいに返事をしながら、ナラはふわふわと宙へ舞い上がる。
ガエン達は再び馬車へ乗り込み、北の氷雪都市クリアフォルへ向けて出発した。
馬車がゆっくりと走り始めると、窓の外には少しずつ白い雪が舞い始める。
その雪景色の向こうには、先に旅立った仲間、ダグラス、ビルム、そしてミリアが待つ町、クリアフォルが近づいていた。




