61.ピクシー、雪うさぎになる
ガエン達の乗った馬車は順調に北へと進んでいた。
窓の外には緑の草原が広がっているが、遠くに見える山々の頂には白い雪が積もっている。
御者が手綱を操りながら後ろへ声をかけた。
「よし、今日の夕方には宿場町へ到着するぞ。」
「宿場町?」
マイトが顔を出す。
「ああ。あそこが氷雪地帯へ入る前、最後の宿場町になるからな。旅人は皆、そこで食料や薪、防寒装備を揃えてから北へ向かうんだ。」
「なるほど。」
ガエンは頷いた。
御者は続ける。
「お前らも、防寒装備はそこで整えておくといい。北は別世界の寒さだからな。普通の服では一日ともたない。」
するとガエンは落ち着いた様子で答えた。
「その心配なら大丈夫だ。」
「え?」
「フィルドリアで必要な物は一通り揃えてある。」
ラーシャも小さく頷く。
「厚手のコートや手袋、それに防寒靴も……ちゃんと買いました。」
「毛布もあるよー!」
ナラが得意そうに荷物を指差した。
「ボクのはふかふかだよー!」
「俺のもあるよ。」
マイトも自分の荷物を軽く叩く。
「準備だけは万全!」
御者は少し驚いたように目を丸くした。
「おお、それは感心だな。北へ向かう旅人でも、準備不足で宿場町で慌てる方は少なくないからな。」
ガエンは腕を組んで頷く。
「旅は準備が大事だからな。寒さを甘く見て後悔するのは御免だ。」
「その通りだ。」
御者は笑顔で頷いた。
「なら宿場町では慌てて買い物をする必要はないな。ゆっくり宿で休んで、明日に備えるだけだ。」
「それは助かるな。」
マイトが大きく伸びをする。
「買い物しなくていいなら、町をぶらぶらできそうだね。」
「食べ歩き!」
ナラがすぐに反応する。
「お前はそればかりだな。」
ガエンが苦笑すると、馬車の中に笑いが広がった。
御者もその笑いにつられて笑いながら馬を進める。
「あと半日ほどで到着する。それまではのんびり景色でも楽しんでてくれ。」
馬車は街道を北へ北へと進み、遠くに見える雪化粧をした山々は、先ほどよりも少しだけ大きく見えるようになっていた。
やがて太陽が西へ傾き始めた頃。
街道の先に石造りの城壁が見えてきた。門の向こうには煙突から白い煙を上げる家々が並び、旅人や商人が忙しそうに行き交っている。
御者が前を指差した。
「見えてきたぞ。ここが氷雪地帯へ入る前、最後の宿場町だ。」
「着いたー!」
ナラが嬉しそうに窓から顔を出す。
馬車は門をくぐり、石畳の道をゆっくり進む。
宿の前で止まると、ガエン達は御者へ礼を言い、荷物を降ろした。
「明日の朝、日の出頃に出発だ。」
「わかった。」
ガエンが頷く。
四人は宿で部屋を借り、荷物を置いて身軽になると、そのまま町へ出た。
宿場町は旅人で賑わっていた。
防寒着を売る店には厚手のコートや毛皮の外套が並び、薪や保存食を買い込む人々で活気に満ちている。
「あ、本当にみんな防寒装備を買ってるね。」
マイトが店先を眺める。
「さすが最後の補給地点だな。」
ガエンも周囲を見渡す。
ラーシャは店先に並ぶ毛皮を見て少し目を丸くした。
「こんなに種類があるんですね……。」
「ボクはあのお菓子屋さん気になる!」
ナラは甘い香りのする露店へ一直線に飛んでいく。
「待て、夕飯前だから少しだけだぞ。」
「はーい!」
返事だけは良かった。
四人は町をゆっくり見て回り、旅用品や土産物を眺めながら散策を楽しむ。
日が沈み、町に明かりが灯り始める頃。
ガエンが言った。
「さて、夕飯にするか。」
「賛成!」
「お腹空いたー!」
四人は宿の主人に教えてもらった酒場へ向かった。
店内へ入ると、暖炉には大きな火が入り、冷え始めた体を心地よく温める。
木のテーブルには旅人や猟師達が座り、楽しそうに食事をしていた。
「いらっしゃい!」
恰幅のいい主人が笑顔で迎える。
「好きな席へどうぞ!」
四人は空いている席へ座り、シチューや焼き肉、パンを注文した。
料理を待っていると、主人が話しかけてくる。
「お客さん達も北へ向かうのかい?」
「ああ。」
ガエンが答える。
「明日から氷雪地帯へ入る予定だ。」
「なら気を付けな。」
主人は腕を組んで頷いた。
「少し前にも三人組が来てな。」
「三人組?」
マイトが聞き返す。
「死神みたいな黒いローブの男と、ドラゴニュートの兄ちゃん、それからラミアのお嬢さんだ。」
その瞬間、四人の動きがぴたりと止まった。
ガエンが静かに尋ねる。
「……その三人は、何かあったのか?」
主人は豪快に笑った。
「ああ、あったとも!夜中に町の近くへ氷牙狼の群れが現れてな。」
「氷牙狼?」
ラーシャが息をのむ。
「雪山じゃ有名な魔物だ。旅人が襲われることも多い。」
主人は大きく頷いた。
「町の連中も応戦しようとしてたんだが、その三人が『自分達が行く』って飛び出していってな。」
ナラが身を乗り出す。
「それで?」
「ものの数分で全部倒して帰ってきた。」
「数分?」
マイトが目を丸くする。
主人は笑いながら続ける。
「ドラゴニュートの兄ちゃんが豪快にぶっ飛ばして、ラミアのお嬢さんが魔法で援護して、最後は死神みたいな男が残ったやつを一瞬で斬って終わりだ。」
ガエンは思わず苦笑した。
「……間違いないな。」
「うん。」
マイトも笑う。
「ダグラス達だ。」
「ビルムさんらしいですね。」
ラーシャも安心したように微笑む。
ナラは嬉しそうに笑った。
「やっぱり先に進んでたんだ!」
主人は不思議そうな顔になる。
「おや? 知り合いだったのか?」
「ああ。」
ガエンが頷く。
「旅の仲間だ。」
「なるほど!」
主人は納得したように笑った。
「なら安心だ。あの三人なら北でもそう簡単にはやられん。」
ガエン達は顔を見合わせ、小さく笑った。
「俺達ものんびりしてはいられないな。」
ガエンの言葉に三人も頷き、温かい料理を囲みながら、少し先を旅している仲間達の無事に胸をなで下ろすのだった。
四人は温かいシチューを食べながら、しばらく旅の話や北の雪山の話で盛り上がっていた。
「そういえば、明日からはいよいよ雪景色か。」
マイトがパンをちぎりながら笑う。
「楽しみだな。」
「寒いのは苦手だけどねー。」
ナラはスープを飲みながら肩をすくめる。
「私は……少し緊張します。」
ラーシャは静かに答えた。
「氷雪地帯は初めてなので。」
ガエンは肉を一口食べて頷く。
「無理をしなければ大丈夫だ。何かあればすぐ相談しろ。」
「はい。」
食事を終え、四人はしばらく温かいお茶を飲みながらのんびり過ごした。
するとマイトが椅子から立ち上がる。
「まだ寝るには早いし、ちょっと暇だな。」
「どうする?」
ナラが尋ねる。
「門の外を少し散歩してくる。」
マイトは笑顔で答えた。
「夜風でも浴びようかな。」
「一人で行くのか?」
ガエンが聞く。
「それもいいけど、せっかくだしみんなで行こうよ。」
「そうだな。」
ガエンも立ち上がる。
「軽く歩くだけなら問題ない。」
ラーシャとナラも頷き、四人は酒場を出て宿場町の門へ向かった。
門番へ一声かけて外へ出ると、冷たい風が頬を撫でる。
「昼より寒いね。」
マイトは空を見上げる。
満天の星が静かに輝いていた。
「空気が澄んでます。」
ラーシャが小さく呟く。
ナラはふわふわと空を飛びながら辺りを見回した。
「静かだねー。」
街道の周囲には草原が広がり、その先には黒い森が見える。
四人はのんびり歩いていた。
その時だった、ガエンの足が止まる。
「……あれは。」
マイトも目を凝らす。
「ん?」
街道から少し離れた草原の向こう。
月明かりに照らされ、大きな影がゆっくりと動いていた。
一頭、二頭。
いや、それだけではない。
「熊……?」
ラーシャが息を呑む。
「四頭います……!」
巨大な熊型の魔物達が、宿場町の方角へゆっくり歩いてきている。
ガエンは冷静に数を確認した。
「熊系の魔物だな。」
ナラが慌てて振り返る。
「町の人に知らせなきゃ!」
「私も行きます!」
ラーシャもすぐに走り出す。
「警備隊を呼んできます!」
二人は翼と足を使って全速力で門へ向かった。
その背中を見送りながら、マイトは剣の柄に手を置く。
「どうする?」
ガエンは肩を鳴らした。
「町へ近付かせる訳にはいかん。」
「だよねー。」
マイトはにっと笑う。
「じゃあ、行こっか。」
二人は同時に駆け出した。
熊の魔物の一頭が咆哮を上げる。
「グオオオオッ!」
その瞬間。
ドンッ!!
ガエンが地面を蹴り、一気に間合いを詰める。
「ぬんっ!」
振り下ろされた巨大な前脚を片腕で受け止めると、そのまま力任せに持ち上げた。
「おおおおっ!」
体重数百キロはある熊の魔物が宙を舞う。
次の瞬間。
ズドォォォン!!
地面へ叩きつけられ、一撃で動かなくなった。
「一頭!」
その横ではマイトが剣を抜く。
「ほいっ!」
銀色の軌跡が夜を走る。
ズバァッ!
熊の魔物が一瞬で倒れた。
残る二頭が怒り狂って突進する。
「一頭いい?」
マイトが叫ぶ。
「任せろ。」
ガエンは正面から迎え撃ち、突進してきた熊の腹へ拳を叩き込む。
ドゴォォン!!
衝撃で熊の巨体が吹き飛び、そのまま地面を転がって動かなくなった。
最後の一頭はマイトへ飛びかかる。
「ほい!」
マイトは軽やかに身をかわし、振り返りざまに一閃。
ザシュッ!
熊の魔物はその場に崩れ落ちた。
戦いは、ほんの数十秒で終わっていた。
静寂が戻るとマイトは剣を鞘へ納める。
「終わったね。」
「ああ。」
ガエンも軽く手を払う。
その時、門の方から慌ただしい足音が聞こえてきた。
「どこですか!?」
「魔物はどこだ!」
警備隊十数名とナラ、ラーシャが駆けつける。
しかし彼らの目に飛び込んできたのは、四頭すべて倒された熊の魔物と、何事もなかったかのように立っているガエンとマイトの姿だった。
警備隊長が思わず目を丸くする。
「……終わっている?」
ナラはきょとんとした。
「え?」
ラーシャも倒れている熊達を見て固まる。
「もう……討伐したんですか?」
マイトは少し照れくさそうに頭をかいた。
「待ってる間に終わっちゃった。」
ガエンは落ち着いた様子で頷く。
「町へ近付く前に片付けておいた。」
警備隊員達は顔を見合わせる。
「この熊の魔物を……二人だけで?」
誰もが信じられないという表情で、巨大な熊の亡骸と二人を交互に見つめていた。
警備隊長はしばらく言葉を失っていた。
やがて深く息を吐くと、二人に向かって頭を下げる。
「助かりました。本当にありがとうございます。もし町まで来られていたら、被害は避けられなかったでしょう。」
他の警備隊員達も次々と頭を下げた。
「ありがとうございます!」
「命拾いしました!」
その声を聞きつけた門番や町の人達も集まってくる。
「魔物はどうなったんだ?」
「えっ、全部倒したのか!?」
倒れた熊の魔物を見た人々は驚き、やがて安堵の表情を浮かべた。
年配の男性が帽子を取って頭を下げる。
「旅のお方、本当にありがとうございました。」
女性も胸に手を当てて言う。
「子ども達も安心して眠れます。」
小さな子どもは目を輝かせながらマイトを見る。
「お兄ちゃん、強い!」
マイトは照れ笑いを浮かべた。
「いやいや、大したことじゃないよ。」
ガエンも苦笑しながら肩をすくめる。
「散歩のついでだ。気にするほどのことではない。」
「そうそう。」
マイトも頷く。
「たまたま見つけただけだからね。」
町の人達は顔を見合わせた。
「……散歩のついで?」
「熊の魔物四頭を?」
誰かが思わず呟く。
「そんな『ついで』があるものか……。」
ナラはくすっと笑った。
「この二人にとっては普通なんだよ。」
ラーシャも苦笑しながら小さく頷く。
「私も最初は驚きましたけど……今では、少し慣れてしまいました。」
警備隊長は改めて二人へ向き直る。
「それでも、皆さんはこの町の恩人です。せめて討伐報酬だけでも受け取っていただけませんか?」
しかしガエンは首を横に振った。
「今回は依頼ではない。見付けたから倒しただけだ。」
マイトも笑顔で続ける。
「報酬はいらないよ。それより、この熊のお肉って食べられる?」
一瞬、場が静まり返る。
「……はい?」
警備隊長が聞き返す。
ガエンは熊の魔物を見ながら真面目な顔で言った。
「食えるなら無駄にするのは惜しい。」
その一言に、張り詰めていた空気が一気に和らぎ、町の人達から思わず笑い声が上がった。
「はははっ!」
「恩人は肝が据わってるな!」
「いや、そこを気にするのか!」
宿場町には、先ほどまでの緊張が嘘のように穏やかな笑顔が広がっていた。




