37.オーガ、疑われる
翌朝、まだ朝靄が温泉街を包み、石畳には夜露が薄く残っていた。
宿の食堂では簡単な朝食を済ませ、一行はそれぞれ身支度を整える。
ガエンは大きな荷袋を肩へ担ぎ、忘れ物がないか一通り確認した。
「よし、準備は終わりだ。」
マイトは背中の荷物を軽く揺すって笑う。
「今日はいい天気になりそうだね。」
ラーシャは薬草の入った袋を丁寧に腰へ結び直す。
「昨日補充できてよかったです。」
ダグラスも静かに鎌を背負い直し、小さく頷いた。
「いつでも出発できる。」
アッシュも自分の荷物を確認すると、小さく息を吐く。
「今回は本当に何事もなく出発できそうですね。」
「その台詞は少し不安になるな。」
ガエンが苦笑すると、一同も小さく笑った。
宿の女将へ礼を告げ、一行は宿を後にする。
朝の温泉街はまだ人通りも少なく、湯煙だけが静かに空へ昇っていた。
やがて街外れの馬車乗り場へ到着する。
御者はすでに馬の手綱を整え、出発の準備を終えていた。
「待ってたぞ。」
「また世話になる。」
ガエンが短く答え、仲間たちと共に馬車へ乗り込む。
ラーシャ、マイト、ダグラス、アッシュも続いて席へ着いた。
その様子を少し離れた場所から見届けていたゼノは、腕を組んだまま静かに立っている。
全員が乗り込んだことを確認すると、ゆっくりと歩み寄った。
「では、我は別の場所へ向かう。」
その一言に、マイトが窓から顔を出す。
「もう行っちゃうの?」
「ああ。まだ調べねばならぬことがある。」
ゼノは穏やかな表情のまま続けた。
「ドラゴンの長老たちについても、引き続き探ってみよう。」
アッシュは思わず背筋を伸ばす。
「あの……また、お会いできるでしょうか。」
ゼノは金色の瞳を細め、わずかに笑みを浮かべた。
「縁があればな。」
そして視線を一同へ向ける。
「道中、気を抜くな。」
ガエンは腕を組んで頷いた。
「言われなくてもな。」
ダグラスも静かに一礼する。
「また。」
ラーシャは柔らかく微笑んだ。
「お元気で。」
マイトはいつものように明るく手を振る。
「またどこかでお茶でも飲もう!」
ゼノは小さく鼻で笑った。
「機会があれば付き合おう。」
それだけ言うと、踵を返す。
「また。」
短く告げ、その黒髪の背中は朝日に照らされながら街道とは反対の森へ向かって歩き始めた。
堂々とした背中は、やがて朝靄の中へ溶けるように見えなくなる。
アッシュはその姿を見送り、小さく呟いた。
「竜王って……本当に不思議な方ですね。」
ガエンは口元を緩める。
「昔からあんな感じだ。」
「いつ会っても変わらないんだよ。」
マイトも懐かしそうに笑う。
御者が手綱を軽く鳴らした。
「それでは、出発するぞ!」
馬がゆっくりと歩き出し、車輪が石畳を軽やかに転がる。
温泉街トウセンを後にした一行は、軍事国家バルファード方面を目指し、朝日に照らされる街道を進んでいく。
温泉街を離れて数時間。
街道は次第に人の往来が減り、代わりに周囲の景色が大きく変わっていった。
なだらかな草原だった道は、やがて岩肌の見える山道へと変わっていく。
遠くには巨大な山々が連なり、その頂にはまだ白い雪が残っていた。
馬車の揺れが少し大きくなった頃、御者が前方を指差した。
「もうすぐ分かれ道だ。」
一行が窓から外を見ると、街道は大きな石碑の前で二手に分かれていた。
片方は南へ伸びる道。
その先には海の匂いを運ぶ風が吹き、港町ダイセンへ続いている。
もう片方は険しい山岳地帯へ向かう道。
巨大な岩山の間を縫うように伸びており、その先にある国の名が刻まれていた。
軍事国家バルファード。
「ここから先は山越えになる。」
御者が説明する。
「ダイセンへ向かうなら海沿いの平坦な道だが、バルファードへ行くならこの道しかない。」
馬車は迷うことなく、山岳地帯へ続く道へ進んだ。
車輪が石を踏む音が響く。
しばらく無言で景色を眺めていたアッシュが、ふと口を開いた。
「……懐かしいですね。」
ガエンが隣を見る。
「バルファード出身だったな。」
「はい。」
アッシュは窓の外に広がる山々を見つめる。
「バルファードは、少し特殊な国です。」
マイトが興味深そうに身を乗り出した。
「特殊って?」
アッシュは少し考えてから答える。
「軍事国家と呼ばれていますが、決して戦争を好む国ではありません。」
「ほう。」
ダグラスが静かに耳を傾ける。
「バルファードが重視しているのは、侵略ではなく防衛です。」
アッシュは続ける。
「昔、この地域は魔物の被害が多かったんです。険しい山岳地帯には強力な魔物も多く、国を守るために軍が発展しました。」
「だから軍事国家か。」
ガエンが頷く。
「はい。でも、兵士たちはただ戦うためにいるわけではありません。」
アッシュは少し微笑む。
「街道の警備、魔物討伐、災害時の救助……国民からは守護者として見られています。」
ラーシャが窓の外を眺めながら言った。
「力を持つ理由が、守るためなのですね。」
「そうです。」
アッシュは頷いた。
「バルファードの人たちは誇り高い人が多いです。規律を重んじて、鍛錬を怠らない。」
マイトが笑う。
「アッシュもそんな感じなの?」
「え?」
「真面目で、ちゃんとしてるところ。」
アッシュは少し困ったように笑った。
「……昔からよく言われました。」
ガエンが腕を組む。
「確かに納得できるな。」
「ガエンさんまで……。」
馬車の中に小さな笑い声が響く。
しかし、アッシュの表情は少しだけ真剣になる。
「ただ……バルファードには一つ、気を付けるべきことがあります。」
「何だ?」
ガエンが尋ねる。
「軍の階級制度です。」
アッシュは説明する。
「バルファードでは、実力と功績が非常に重視されます。身分よりも、何ができるかを見られる国です。」
「それは良いことにも聞こえるけど。」
マイトが首を傾げる。
「はい。ですが、その分……強さを求められます。」
アッシュは自分の手を見る。
「弱い者を見下す文化ではありません。ただ、守る力を持つことを責任として考えているんです。」
ダグラスが小さく呟く。
「戦う力を持つ者には、それ相応の責任がある……か。」
「はい。」
アッシュは頷いた。
その時、馬車の前方から風が吹き込んできた。
山の冷たい空気。
遠くから聞こえる鐘の音。
そして、岩山の向こうに巨大な城壁の一部が見え始める。
マイトが目を丸くする。
「あれ……?」
山の中腹。
切り立った崖に沿うように造られた巨大な防壁。
その奥には、鉄と石で築かれた都市の姿があった。
「すごい……。」
ラーシャも思わず息を漏らす。
アッシュは懐かしそうに目を細めた。
「あれが……バルファードです。」
ガエンはその城壁を見上げる。
「なるほどな。」
かつて魔物や脅威から人々を守るために築かれた国。
その姿は、まるで巨大な盾そのものだった。
馬車はゆっくりと山道を登り続ける。
近づくほどに、バルファードの城壁の巨大さが際立っていった。
山そのものを利用して築かれた防壁は、ただ高いだけではない。
敵が攻め込むことを想定した幾重もの構造になっており、城門へ続く道も意図的に曲がりくねっている。
「すごい……。」
マイトは窓から身を乗り出すようにして城壁を見上げた。
「街を守るための城っていうより……山そのものが城みたいだね。」
「その通りです。」
アッシュが頷く。
「バルファードの城壁は、地形そのものを防衛設備として利用しています。正面から突破するのはほぼ不可能だと言われています。」
ガエンは感心したように腕を組んだ。
「理にかなっているな。」
財務を担当する彼にとって、巨大な建造物を見る時もまず考えるのはその価値と効率だった。
「無駄に豪華なだけじゃない。守るために必要な場所へ、必要なだけ力を使っている。」
「ガエンさんらしい見方ですね。」
ラーシャが微笑む。
「金の使い方には国の性格が出るからな。」
ガエンは城壁を見上げる。
「この国は、本当に守ることに金を使っている。」
やがて馬車は城門前へ到着した。
そこには多くの商人や旅人が並び、入国審査を待つ長い列ができていた。
「かなり混んでいるな。」
ダグラスが呟く。
「バルファードは出入りの確認が厳しいですから。」
アッシュが説明する。
「軍事国家ですので、不審者を簡単には通しません。」
一行は列の最後尾へ並び、順番を待つ。
しばらくすると、前方からざわめきが聞こえてきた。
「何だ?」
マイトが顔を上げる。
見ると、列の先で一人の商人らしき男と、別の旅人が言い争っていた。
「俺は正規の許可証を持っている!」
「そんなもの偽造に決まっているだろ!」
声は次第に大きくなり、周囲の人々が距離を取る。
「まずいな。」
ガエンが小さく息を吐いた。
放っておけば騒ぎになる。
そう判断したガエンが馬車から降りようとした、その時だった。
「そこまでだ。」
低く落ち着いた声が響いた。
騒いでいた二人の間に、一人の男が立っていた。
鎧を身に着けている。
だが、城門を守る兵士とは少し雰囲気が違う。
派手な装備ではない。
むしろ簡素な鎧。
しかし、その立ち姿には隙がなかった。
「衛兵……?」
アッシュが目を細める。
男は二人を交互に見る。
「話を聞く限り、双方に問題がある。」
「何を――」
商人が反論しようとした瞬間。
男は一歩踏み込んだ。
次の瞬間、二人は地面に座り込んでいた。
何が起きたのか分からないほど、一瞬だった。
腕を掴まれたわけでもない。
殴られたわけでもない。
ただ、相手の動きを完全に封じられていた。
周囲から驚きの声が漏れる。
ガエンは思わず目を見開いた。
「……見事だな。」
「え?」
マイトが振り返る。
ガエンは感心したように男を見る。
「力でねじ伏せたんじゃない。相手がどう動くかを読んで、最小限の動きで止めている。」
ダグラスも静かに頷いた。
「かなりの使い手だな。」
男は二人から事情を聞き、淡々と処理していく。
怒鳴ることもない。
威圧することもない。
ただ、事実だけを確認し、必要な判断を下していた。
その姿を見て、ガエンは小さく笑う。
「なるほど……。」
「何がですか?」
アッシュが尋ねる。
「この国が軍事国家と呼ばれる理由だ。」
ガエンは城門を見る。
「強い者が偉いんじゃない。強い力を、正しく扱える者が評価される。」
アッシュはその言葉を聞いて、少し嬉しそうに目を細めた。
しかしその直後、彼の表情は少し曇る。
「……。」
「どうした?」
ガエンが気付く。
アッシュは一瞬迷った後、答えた。
「いえ……。」
だが、その胸の内には別の不安があった。
バルファードの軍師王。レムルス王。
今回、自分が提出する報告書には、ガエン達の情報が詳細に記されている。
オーガ。
死神。
ダークエルフ。
元勇者。
そして、魔王軍関係者。
アッシュは懐から封印された書類を取り出す。
そこには、レムルス王へ提出するためにまとめた報告書が入っていた。
『魔王軍財務担当 ガエン』
『死神 ダグラス』
『ダークエルフ ラーシャ』
『勇者 マイト』
一人一人の能力、過去、行動記録。
そして最後の欄。
『危険度』
そこには、まだ判断不能という意味の印が付けられている。
アッシュは思い返す。
旅の間、彼らが見せた姿。
困っている人を助けるガエン。
傷ついた盗賊にも薬を塗るラーシャ。
誰よりも楽しそうに笑うマイト。
そして、静かに仲間を守るダグラス。
報告書に書かれた情報だけなら、警戒すべき存在だ。
だが、実際に共に旅をした彼らは....
「……陛下は、どう判断されるだろうか。」
小さく呟く。
その時。
「アッシュ。」
ガエンの声がした。
「はい?」
「そろそろ順番だぞ。」
「あ……。」
気付けば、城門の審査所が目の前だった。
アッシュは慌てて書類をしまう。
そして深く息を吸った。
これから会うのは、この国の王レムルス。
バルファードを支える絶対的な存在。
アッシュは改めて覚悟を決める。
「行きましょう。」
門番が声をかける。
「次の者、身分証を提示せよ。」
門番の声に、一行は前へ進む。
「身分証を。」
兵士の指示に従い、ガエン達はそれぞれ冒険者カードを取り出した。
最初に差し出したのはガエンだった。
「冒険者カード……確認します。」
兵士がカードへ目を落とす。
そして、次の瞬間。
「……オーガ?」
兵士の眉がわずかに動いた。
「種族、オーガ。職業……農家。ランクA?」
「そうだ。」
ガエンは平然と答える。
兵士は一度カードを見直す。
「農家で……ランクA?」
「ああ。」
「……。」
兵士は何とも言えない表情になった。
オーガという種族。
それだけでも警戒対象になる。
だが、問題はそこではない。
農家という一見戦闘とは無縁の職業でありながら、冒険者ランクA。
普通では考えられない組み合わせだった。
「次。」
兵士は慎重になりながら、ダグラスを見る。
ダグラスがカードを差し出す。
「死神……。」
兵士の表情が固まる。
「職業、冒険者。ランクA……。」
城門周辺の別の兵士達も、ちらりと視線を向ける。
死神。
その名だけで恐れられる存在。
「次。」
ラーシャがカードを出す。
「ダークエルフ……魔導士……ランクB。」
兵士は小さく息を吐いた。
「……。」
そして最後。
マイトがカードを差し出す。
「人間……勇者……」
兵士の目が止まる。
「ランク……S?」
空気が変わった。
周囲にいた兵士達の視線が一斉に集まる。
「勇者、ランクS……。」
「何だあの一行……。」
小声が飛び交う。
ガエンはその様子を見て、小さくため息をついた。
「やはりこうなるか。」
「普通に考えたら、警戒しますよ。」
ラーシャが苦笑する。
兵士はカードを返さず、慎重に尋ねた。
「……目的は?」
「スポンサー交渉だ。」
ガエンが即答する。
「バルファード国王陛下に、大運動会のスポンサーになっていただきたい。」
沈黙。
兵士が瞬きをする。
「……もう一度。」
「だから、運動会のスポンサー交渉だ。」
ガエンは真面目な顔で答える。
兵士の表情が険しくなる。
「……ふざけているのか?」
「いや、真面目だ。」
「これだけの戦力を揃えた者達が、軍事国家バルファードへ来て言うことが運動会のスポンサーになってほしい?」
兵士の声に警戒が混じる。
「もっと別の目的があるのではないか?」
「ない。」
ガエンは即答する。
「本当に運動会をするだけだ。」
兵士は疑いの目を向ける。
「……信じろという方が無理がある。」
その時。
アッシュが一歩前へ出た。
「兵士長。」
「……?」
兵士がアッシュを見る。
アッシュは懐から封印された書類を取り出した。
「こちらを確認してください。」
封印を確認した瞬間、兵士の表情が変わる。
「これは……。」
バルファード王家直属の印。
一般兵が見るものではない。
兵士は慎重に封を開け、書類へ目を通す。
そして。
「……。」
顔色が変わった。
そこにはガエン達の詳細な情報が記されていた。
『魔王軍幹部財務担当 ガエン』
『魔王軍幹部 死神ダグラス』
『魔王軍幹部 ラーシャ』
『勇者 マイト』
兵士長はゆっくりと顔を上げる。
「……これは。」
ガエン達を見る。
「貴殿らは……魔王軍関係者なのか。」
周囲の兵士達が一斉に身構える。
槍を握る手に力が入る。
マイトが慌てて手を振った。
「待って! 違うっていうか……いや、書いてあることは本当だけど!」
「余計に怪しく聞こえますよ、勇者様。」
ラーシャが苦笑する。
ダグラスは静かに周囲を見るだけだった。
しかし、兵士長の視線はアッシュへ移る。
「……そして。」
書類の下部を見る。
「この報告書を作成したのは……」
兵士長はアッシュの胸元を見る。
そこにはバルファード軍所属を示す紋章。
「アッシュ。」
「はい。」
「お前……ただの同行者ではないな。」
アッシュの表情が固まる。
兵士長は続ける。
「この書式、封印の扱い、情報のまとめ方……。」
書類を指で叩く。
「これは王都情報局の人間が作るものだ。」
沈黙。
「つまり、お前は……」
兵士長は目を細める。
「バルファードの諜報員か。」
アッシュはしばらく黙った。
そして観念したように息を吐く。
「……はい。」
周囲の兵士達がざわめく。
「私はアッシュ・レイフォード。バルファード王直属の情報収集員です。」
「やはりか。」
兵士長は納得したように頷く。
「道理で妙だと思った。」
「妙?」
ガエンが尋ねる。
兵士長はガエンを見る。
「この国へ来る者が、魔王軍幹部三名と勇者を連れている。それだけなら脅威だ。」
一拍置く。
「だが、その一行を監視する役目を持った人間が同行しているなら話は変わる。」
アッシュは静かに頭を下げる。
「陛下へ報告するためです。」
兵士長は書類を閉じる。
「……なるほど。」
そして、ガエン達を見る。
「しかし、まだ疑問は残る。」
「何だ?」
「なぜ魔王軍幹部が……」
兵士長は真剣な顔で尋ねた。
「運動会などという平和的な催しのために、わざわざバルファードまで来る?」
ガエンは少し考え。
いつものように堂々と答えた。
「簡単な理由だ。」
「簡単な理由?」
「魔族と人間が、同じ場所で笑える場を作りたいからだ。」
兵士長は黙る。
ガエンの目には一切の迷いがなかった。
「そのために必要なのが、バルファードの力だと思った。」
城門前に、静かな風が吹く。
兵士長はしばらくガエンを見つめた後――。
「……。」
小さく息を吐いた。
「陛下がお会いになる価値はありそうだ。」
そう言って、城門を開く合図を出す。
巨大な門がゆっくりと動き始める。
「ようこそ、軍事国家バルファードへ。」
しかし兵士長は最後に一言付け加えた。
「ただし、陛下の前でその『運動会のスポンサー交渉』という話を、本当に通せるかどうかは……」
口元を少し上げる。
「貴殿ら次第だ。」
ガエンは笑った。
「望むところだ。」
こうして一行は、軍事国家バルファードの内部へ足を踏み入れるのだった。
城門を抜けると、そこには想像していた以上に整然とした街並みが広がっていた。
軍事国家という名から、もっと無骨な石造りの建物ばかりを想像していたマイトだったが、実際の城下町は活気に満ちていた。
広い通りには武具店、鍛冶屋、訓練場、食堂が並び、兵士だけでなく一般の商人や職人も多く歩いている。
「思ったより普通の街だね。」
マイトが辺りを見回して呟く。
「軍事国家だからといって、全員が戦っているわけではないですから。」
アッシュが答える。
「強い軍を維持するには、それを支える民の生活が必要です。」
ガエンは感心したように頷いた。
「なるほどな。軍だけが強くても国は続かない、か。」
「そういうことです。」
アッシュは少し笑う。
「バルファードは武力を重視しますが、同時に職人や農家、商人も非常に大切にしています。」
「農家……。」
ガエンが反応する。
「それなら俺も馴染めそうだな。」
「魔王軍幹部で、ランクA冒険者の農家ですからね。」
ラーシャが微笑む。
「この国の農家の方々が聞いたら、どんな反応をするのでしょう。」
「普通の農家だと思われたいものだ。」
ガエンは真顔で答えた。
ダグラスは周囲を見ながら静かに口を開く。
「……警備が多い。」
確かに、街のあちこちに兵士がいる。
しかし、威圧するためではない。
巡回しながら住民に声をかけたり、荷物を運ぶ商人を手伝ったりしている。
「治安維持に力を入れているんだね。」
マイトが感心する。
アッシュは頷いた。
「バルファードでは兵士は国民を守る存在であるべき、という考えが強いです。」
その時。
城へ向かう分かれ道で、アッシュが足を止めた。
「では、私は陛下へ報告書を提出してきます。」
ガエン達が振り返る。
「一緒に来ないのか?」
「申し訳ありません。」
アッシュは頭を下げる。
「私はまず任務の報告をする必要があります。皆さんのことも、正確に陛下へ伝えなければなりません。」
「まあ、そうだな。」
ガエンは頷いた。
「俺達は先に街を見ている。」
「はい。」
アッシュは少し迷った後、真剣な顔で言った。
「……くれぐれも問題は起こさないでくださいね。」
一瞬の沈黙。
全員がガエンを見る。
「なぜ俺を見る?」
「一番可能性が高いからです。」
ラーシャが即答する。
「俺は何もしないぞ。」
「ガエンさんの場合、本人が何かしたつもりがなくても周囲が騒ぎになりますから。」
マイトも苦笑した。
ダグラスは小さく頷く。
「確かに。」
「お前まで言うか。」
ガエンが肩を落とす。
そんなやり取りを見て、アッシュは思わず小さく笑った。
城門であれほど警戒されていた一行。
魔王軍幹部、勇者、そんな謎多き集団。
しかし実際に接してみれば、彼らはただ目的のために動いているだけだった。
「では、行ってきます。」
アッシュはそう言って城へ続く道を歩き出す。
残されたガエン達は、改めて街を見る。
「さて。」
ガエンが腕を組む。
「せっかく来たんだ。バルファードの街を見て回るか。」
「賛成!」
マイトがすぐに反応する。
「この国の名物とか食べてみたい!」
「勇者様、目的を忘れていませんか?」
ラーシャが呆れた顔をする。
「忘れてないよ! でも、街を知ることも交渉には必要だろ?」
「まあ、間違ってはいませんね。」
ダグラスも静かに頷く。
「情報収集は必要だ。」
こうしてアッシュが王城へ向かう一方で、ガエン達は軍事国家バルファードの城下町へと歩き出した。
だが彼らがただ散策しているだけでも、周囲の人々の視線は自然と集まっていた。
オーガの巨体。
黒い衣装の死神。
美しいダークエルフ。
そして勇者。
「あの人たちは何者なんだ……?」
街の人々がざわめく。
しかし、そんな視線を気にすることなく。
ガエンは屋台から漂う香ばしい匂いに足を止めた。
「……。」
「ガエンさん?」
「まずは腹ごしらえだ。」
「やっぱりそこですか。」
ラーシャが笑う。
軍事国家バルファードでの最初の行動はスポンサー交渉でも、王との謁見でもなく名物料理巡りから始まった。
ガエンが足を止めた屋台からは、炭火で焼かれる肉の香ばしい匂いが漂っていた。
大きな鉄串に刺された肉が、炎の上でじゅうじゅうと音を立てながら焼かれている。
表面には特製のタレが塗られ、照り輝いていた。
「串焼きか。」
ガエンが興味深そうに眺める。
屋台の店主がガエンの巨体を見上げ、一瞬驚いた顔をする。
「お、お客さん……一本で足りますか?」
「……。」
ガエンは真面目な顔で串を見る。
「試してみよう。」
「そこは普通に一本なんですね。」
ラーシャが小さく笑う。
ガエンは受け取った串焼きを一口かじった。
その瞬間。
「……。」
ガエンの動きが止まる。
「え?」
マイトが首を傾げる。
「ガエン?」
数秒の沈黙。
そして。
「……美味い。」
ガエンが呟いた。
「想像以上だ。」
いつもの落ち着いた表情だったが、その声には本気の感心が混じっていた。
「肉の焼き加減が絶妙だ。外は香ばしく、中は柔らかい。タレも濃すぎず肉の味を邪魔していない。」
突然始まった料理評論に、屋台の店主が目を丸くする。
「そ、そこまで分かるんですか?」
「農家をしているからな。」
ガエンは串を見ながら答える。
「素材をどう扱うかは重要だ。」
「魔王軍幹部が串焼きを食べながら農業の話をしている……。」
マイトが呆れたように呟く。
「でも、本当に美味しそう。」
ラーシャも一本購入して口にする。
「……確かに。これは人気になるのも分かりますね。」
ダグラスも無言で一本手に取る。
そして一口。
「……。」
「ダグラスさん?」
「……悪くない。」
「それ、かなり気に入ってますよね?」
ラーシャが笑う。
そんな中。
「店主さん! 次はこれ!」
マイトの声が響いた。
見ると、すでに別の屋台の前に移動している。
「おい、マイト。」
ガエンが呼び止める。
「まだ串焼きを食べ終わっていないぞ。」
「大丈夫! これは別腹!」
「また別腹か……。」
ガエンが呆れる。
しかしマイトの勢いは止まらなかった。
焼きたてのパン。
香辛料の効いたスープ。
バルファード名物の辛味肉料理。
さらに職人街で売られていた甘い焼き菓子。
「これも美味しい!」
「こっちも気になる!」
「次はあれ!」
次々と食べ歩くマイトを見て、ガエンは腕を組む。
「……あいつ、交渉前に食料調査を完了するつもりか?」
「勇者としての能力とは別の才能ですね。」
ラーシャが笑う。
「食への探究心だけなら、誰にも負けないかもしれません。」
ダグラスはマイトの後ろに積み上がっていく串や皿を見る。
「……よく食べる。」
マイトは満面の笑みで答えた。
「美味しいものを食べると、その国のことが少し分かる気がするんだ。」
その言葉に、ガエンは少し目を細める。
「なるほどな。」
「料理も国を知る一つの方法、か。」
屋台の店主達は、最初こそ巨大なオーガや死神の姿に緊張していた。
だが。
「これ、うちの畑で採れた野菜を使ってるんですよ。」
「この肉は近くの牧場から仕入れていてな。」
「昔から兵士達にも人気でね。」
ガエンが真剣に話を聞き、マイトが楽しそうに食べ、ラーシャが料理について尋ね、ダグラスが静かに周囲を見る。
その姿を見て、少しずつ街の人々の表情が変わっていく。
「あのオーガ、怖そうだったけど……普通に料理の話してるな。」
「勇者様も気さくだ。」
「変わった一行だな。」
そんな声が聞こえる。
ガエンは気付いていなかった。
城門で警戒されていた自分達が、少しずつこの街に受け入れられ始めていることに。
その頃。
王城へ向かったアッシュは、長い廊下を歩きながら一枚の報告書を握り締めていた。
そこには。
『財務担当ガエン』
『死神ダグラス』
『ダークエルフ魔導士ラーシャ』
『勇者マイト』
という、普通なら警戒対象になる名前が並んでいる。
しかしアッシュは小さく笑った。
「……陛下は、どう判断されるでしょうか。」
そして王の待つ謁見の間へ向かう。
一方、城下町では。
「次はあの屋台を見てみたい!」
「まだ食べるのか?」
「もちろん!」
マイトの元気な声が響いていた。
バルファードでの一日は、まだ始まったばかりだった。




