38.ダークエルフ、泣く
その音はまるで山そのものが動いたかのような振動だった。
そしてゼルは真顔になった。
「これは少し面倒かもしれませんね。」
ズズズズズズズ――――。
地面が揺れる。
天井から小石がぱらぱらと落ちた。
ガエンは即座に叫ぶ。
「全員下がれ!」
ラーシャとナラが後退する。
だが一人だけ。
ゼルは動かなかった。
「ふむ。」
穴の奥を見つめる。
「興味深い。」
そしてゆっくりと額の布に手を伸ばした。
ガエンの顔が引きつる。
「おい。」
布が外れる。
その下から現れたのは。
紫色の魔眼。
死霊使いゼル=グラードの切り札。
紫の光が闇を照らした。
「支配してあげます。」
静かな声。
瞬間。
穴の前にいた死霊達が一斉に震えた。
無数の顔が苦痛に歪む。
『あ。』
『ああ。』
『あああああ。』
紫の魔力が死霊達へ流れ込む。
普通の死霊ならこれで終わりだった。
ゼルの支配下に入る。
だが――。
バチィィィッ!!
紫色の火花が散った。
ゼルの眉がぴくりと動く。
「ほう。」
死霊達の身体に巻き付いていた見えない糸が一斉に引き締まった。
奥から笑い声が響く。
ケタケタケタケタ。
『だめ。』
『だめ。』
『それぼくの。』
『ぼくのだよ。』
紫の支配と闇の支配。
二つの力が激突する。
洞窟全体が震えた。
だが次の瞬間。
ゼルの魔力が弾き返された。
ドンッ!!
衝撃波。
外套が揺れる。
ゼルが一歩だけ後ろへ下がった。
全員が固まる。
ガエンが目を見開いた。
「お前が押し返された?」
ゼルは魔眼を開いたまま答える。
「ええ。」
少しだけ楽しそうだった。
「珍しいですね。」
黒い集合体が笑う。
『わたさない。』
『ぼくの。』
『みんなぼくの。』
『たべる。』
ガエンの顔色が変わる。
「駄目だ。」
拳を握る。
「これは危険すぎる。」
そしてゼルの肩を掴もうとした。
「おいゼル。下がれ。」
だがその時だった。
カチャリ。
金属音。
全員が振り向く。
マイトだった。剣を抜いている。
いつもの気の抜けた顔ではない。
ただ真っ直ぐ穴の奥を見ていた。
「なるほど。」
ぽつりと言う。
「つまり倒せばいいんだね。」
ガエンが叫ぶ。
「待て!」
遅かった。
ドンッ!!
地面が爆ぜる。
マイトの姿が消えた。
次の瞬間には穴の中だった。
「は!?」
ガエンが叫ぶ。
マイトは躊躇なく奈落へ飛び込んでいた。
黒い集合体が反応する。
『え。』
『きた。』
『きたきたきた。』
『たべる。』
無数の腕が伸びる。
だが。
閃光。
銀色の剣が振るわれた。
ズバァァァァァン!!
無数の腕が真っ二つになる。
悲鳴。
絶叫。
黒い肉塊が吹き飛ぶ。
その中心を突っ切りながらマイトはさらに落下していく。
「馬鹿かあいつは!!」
ガエンが本気で叫んだ。
その横でもう一人。
静かに前へ出る者がいた。
ゼノ。
金色の瞳が闇を見つめる。
そして小さく息を吐く。
ブォォォォォッ――――。
空気が震えた。
竜の闘気。
黄金の魔力が全身を包み込み黒髪が揺れる。
瞳が竜のように細くなる。
周囲の岩肌が軋み始めた。
ナラが呆然と呟く。
「また行くの?」
ゼノは短く答えた。
「あいつ一人だと面倒だ。」
次の瞬間。
ドゴォォォォン!!
地面を蹴る。
竜そのもののような速度。
黄金の軌跡を残しながらゼノも穴へ飛び込んだ。
闇の中へ一直線に。
ガエンは額を押さえた。
「待て。」
誰も止まらない。
「待てと言ってるだろうが!」
怒号が響く。
しかし既に二人の姿は闇の奥へ消えていた。
そしてその遥か下。
深淵の底から。
ケタケタケタケタケタ――――。
今度はさっきまでとは違う。
歓喜に満ちた笑い声が響いた。
歓喜に満ちた笑い声。
まるで待ち望んでいた餌が飛び込んできたかのような声だった。
ガエンは拳を握り締める。
「くそったれ……。」
ゼルが穴の奥を見る。
「ふむ、死霊の扱いで負けるのは癪ですね。」
そう言うとまるで散歩にでも行くかのように穴に入っていく。
「くそ!お前もかよ!」
ガエンは叫びながら拳を構える。
目の前には死霊の集合体。
状況は最悪だった。
そしてその最悪はさらに加速する。
ずるり。
ずるり。
黒い集合体が動く。
今度はマイト達ではない。
残された三人へ向かって。
『おなかすいた。』
『おなかすいた。』
『おなかすいた。』
無数の顔が笑う。
ナラが青ざめた。
「うわああああ嫌だこれ!!」
光球を増やす。
辺りが一気に明るくなる。
だが照らされたことで逆に見えてしまった。
集合体の中に埋まっている無数の顔。
泣いている者。
叫んでいる者。
絶望している者。
冒険者達の最期の表情だった。
ラーシャの顔色がさらに悪くなる。
「ひっ……。」
杖を持つ手が震えた。
死霊達が近付く。
ガエンが前へ出る。
「二人とも下がれ!」
巨大な拳を振り上げる。
ドゴォォォォン!!
正面の死霊を吹き飛ばす。
だが数が多すぎる。
吹き飛んだ死霊の隙間からさらに別の腕が伸びてくる。
ガエンの腕に絡み付いた。
「ちっ!」
振り払う。
だが次々と。
十本。
二十本。
三十本。
死者の腕が伸びる。
『いっしょ。』
『いっしょ。』
『いっしょになろう。』
ガエンの額に汗が浮かぶ。
ラーシャはその光景を見ていた。
そして思考が始まる。
(終わった。)
一秒。
(絶対終わった。)
二秒。
(私なんかじゃ無理。)
三秒。
(また足を引っ張る。)
四秒。
(みんな死ぬ。)
五秒。
(私のせいで。)
どんどん沈む。
どんどん悪い方向へ進む。
ラーシャは昔からそうだった。
考え始めると止まらない。
最悪を想像する。
さらに最悪を想像する。
そしてもっと最悪を想像する。
そして――――。
限界を超えた。
「嫌。」
ぽつり。
誰も聞こえないほど小さな声。
「嫌。」
もう一度。
「嫌。」
三度目。
その瞬間。
ドクン。
辺り全体が脈打った。
ガエンが振り向く。
「ラーシャ?」
ラーシャの髪が浮き上がる。
足元から魔力が噴き出していた。
尋常ではない量。
ナラの目が点になる。
「え。」
ラーシャ自身も理解していなかった。
ただ。頭の中が最悪で埋め尽くされていく。
(死ぬ。)
(みんな死ぬ。)
(世界終わる。)
(山崩れる。)
(空落ちる。)
(海が蒸発する。)
(大陸割れる。)
(私のせいで。)
ネガティブ思考が暴走する。
普通ならただの妄想。
だがラーシャの魔力は違った。
感情に比例して増幅する特殊体質。しかも負の感情ほど出力が跳ね上がる。
ガエンの顔が引きつる。
「おい。」
嫌な予感しかしなかった。
ナラはさらに引きつる。
「まずい。」
ラーシャの周囲に黒紫色の魔力が集まる。
空気が歪む。岩が浮く。
死霊達が初めて動きを止めた。
『あれ。』
『なに。』
『いや。』
『いやだ。』
今度は死霊達が怯えていた。
ラーシャは涙目だった。
「ご、ごめんなさい……。」
魔力が膨れ上がる。
「私がいるから……。」
さらに膨れ上がる。
「私なんかが……。」
ガエンが叫んだ。
「ラーシャ!!考えるのをやめろ!!」
遅かった。
ラーシャは半泣きで叫ぶ。
「全部消えちゃえばいいのにぃぃぃっ!!」
瞬間。
黒紫の奔流が解放された。
ゴォォォォォォォォォォォォォォォッ!!
光ではない。
闇でもない。
圧倒的な魔力そのものが津波のように広がる。
死霊達が触れた瞬間に崩壊した。
『あ。』
『あ。』
『あああああああああああ!!』
断末魔。
無数の魂が浄化される。
黒い集合体が一瞬で飲み込まれる。
逃げる暇すらない。
死霊。
霊力の糸。
呪い。
怨念。
その全てまとめて吹き飛んだ。
ドォォォォォォォォン!!
衝撃波が洞窟を駆け抜ける。
そして静寂が訪れる。
そこには何も残っていなかった。
死霊の集合体は完全消滅していた。
ぽかん。
ガエンが固まる。
ぽかん。
ナラも固まる。
ラーシャだけが涙目で震えている。
「ご、ごめんなさい……。」
ガエンは消えた死霊達のいた場所を見る。
次にラーシャを見る。
もう一度消えた場所を見る。
そして。
「……。」
数秒沈黙した後。
額を押さえた。
「なんでうちのパーティーは極端な奴しかいないんだ……。」
ナラも深く頷いた。
「分かる。」
その時、穴の遥か奥から。
マイトの声が聞こえた。
「おーい!」
全員が振り向く。
「なんか今すごいの来たけど何したのー!?」
ガエンは天を仰いだ。
そして心の底から思った。
下も上も問題児しかいない、と。
ガエンは大きくため息を吐いた。
「後で説教だ。」
「ひぅっ。」
ラーシャが肩を震わせる。
「いや違う。怒ってるわけじゃない。加減を覚えろって意味だ。」
「は、はい……。」
ナラが横から言う。
「でもラーシャ、今のでこの山の呪い半分くらい吹き飛ばした気がする。」
「やめて。怖い。」
本人が一番怯えていた。
ガエンはため息をついてから穴の奥を見る。
「ま、行くしかないか。」
ガエンとラーシャとナラは穴の奥へと向かって行った。




