38.軍師王、報告を聞く
軍事国家バルファードの軍師王レムルス。
短く切り揃えた金髪と、額から伸びる短い角が特徴の男。黒を基調とした威厳ある王衣に身を包み、その瞳はまるで相手の内面までも見透かしているかのような鋭さを宿している。
レムルスは極めて疑り深い性格であり、憶測や推測だけで物事を判断することを何より嫌う。常に事実と証拠を重視し、どれほど筋の通った話であっても、自らが納得するまでは決して結論を下さない。
頭の回転は非常に速く、相手の目線の揺れ、表情のわずかな変化、筋肉の強張り、呼吸や声色の乱れといった些細な違和感から嘘を見抜くことを得意としている。その洞察力は軍師としても比類なく、一度でも不審と判断した相手は徹底的に追及する。
そして、レムルスを欺こうとした者には一切の情けはない。偽りを最も重い裏切りと考える彼は、どのような身分の者であろうと容赦なく裁きを下す冷徹な王である。
バルファードの諜報員であるアッシュは報告書を手に王の間に来ている。
ガエン達の報告書をレムルスに渡すと、レムルスは無言で受け取り読み始めた。
玉座の間には重苦しい静寂が流れていた。
高い天井を支える黒い柱。
左右には微動だにしない近衛兵たち。
その中央で、レムルスは一冊の報告書をゆっくりと読み進めていた。
紙をめくる音だけが静かに響く。
報告書を書いた本人、諜報員アッシュは、玉座の前で直立したまま、一切口を開かない。
やがて最後のページを閉じると、レムルスは報告書を机へ置いた。
「……なるほど。」
短く呟く。
そして、鋭い視線をアッシュへ向けた。
「まず、ガエン。オーガ。魔王軍幹部。財務担当。そして農家。」
レムルスは報告書の一節を指先で叩く。
「戦闘能力は高い。だが報告では、それ以上に交渉能力と経営感覚が優秀とある。その評価に誇張はないな?」
「ありません。」
アッシュは即答する。
「力任せではなく、相手の利益を考えた上で話を進めます。冷静さも兼ね備えています。」
「怒らせた場合は?」
「危険です。」
一拍置いて続けた。
「ですが、感情で暴れる人物ではありません。怒る理由がある時だけです。」
レムルスは小さく頷く。
「理性的な武人……か。」
続いてページをめくる。
「死神ダグラス。」
その一言だけで、周囲の空気が僅かに張り詰めた。
「魔王軍幹部。本人は飄々としているが、敵対した場合の危険度は極めて高い……。」
レムルスは視線を上げる。
「お前自身はどう見た。」
「読めません。」
アッシュは正直に答えた。
「本心を隠すのが非常に上手い人物です。ですが、仲間に対しては誠実でした。」
「演技ではなく?」
「少なくとも私にはそう見えました。」
レムルスは目を細める。
「“そう見えた”では足りん。」
「……申し訳ありません。」
「いや。」
レムルスは首を横に振る。
「読めないと報告する者の方が信用できる。読めると断言する者ほど危うい。」
その言葉にアッシュは僅かに目を見開いた。
レムルスは再び報告書へ視線を落とす。
「ラーシャ。ダークエルフ。魔導士。薬学にも精通し、冷静沈着。」
レムルスは小さく眉を上げる。
「戦闘中であっても周囲を観察し、必要なら敵すら治療する可能性がある、とある。」
「はい。」
「理由は。」
「命を救うことに種族の区別がありません。」
「敵であってもか。」
「はい。」
レムルスは腕を組む。
「珍しい思想だ。」
「ただし。」
アッシュが付け加える。
「仲間へ危害を加える者には容赦しません。その点は他の三人と共通しています。」
「なるほど。」
レムルスは静かに頷いた。
最後のページへ視線を移す。
「そして……マイト。人間。勇者。魔王の城在住。」
そこだけ読む速度が僅かに遅くなる。
「勇者でありながら魔王軍と共に行動。世界の常識から最も外れている存在だ。」
レムルスはアッシュを見据える。
「洗脳。」
「違います。」
「脅迫。」
「違います。」
「利益。」
「違います。」
レムルスは間を置いた。
「ならば何故だ。」
アッシュは少し考えてから答える。
「……居心地が良いからです。」
玉座の間が静まり返る。
「居心地。」
「はい。」
「魔王軍の者達は彼を勇者だからと特別扱いせず、一人の仲間として接しています。彼もまた、魔族だからという理由で彼らを拒絶していません。互いに自然体です。」
レムルスはアッシュの瞳を真っ直ぐ見つめ続けた。
呼吸。声の高さ。喉の動き。指先の震え。視線の揺れ。その全てを観察する。
数秒。
沈黙だけが流れる。
やがてレムルスは静かに椅子へ深く腰掛けた。
「……面白い。」
その一言には、興味と警戒の両方が含まれていた。
「ガエンは理性ある武人。ダグラスは底が見えぬ死神。ラーシャは慈悲と冷酷を併せ持つ魔導士。マイトは常識そのものを覆す勇者。」
報告書を軽く叩きながら呟く。
「いずれも、一つの尺度では測れんな。」
そして再びアッシュへ視線を向ける。
その鋭い瞳には、まだ報告書には書かれていない何かを見抜こうとする光が宿っていた。
レムルスはしばらく無言でアッシュを見つめていた。
まるで報告書ではなく、目の前に立つ男そのものを読み解こうとしているようだった。
やがて、静かに口を開く。
「……報告書については理解した。」
短い一言、しかし、それで終わらなかった。
「では、次だ。」
アッシュは僅かに眉を動かす。
「お前自身について聞こう。」
その場の空気がさらに張り詰める。
近衛兵達も微動だにしない。
「今回、お前は彼らに何者として接触した。」
「偶然会った旅人役です。」
「嘘ではない。」
レムルスは即座に返す。
「だが、それが全てでもない。」
アッシュは黙った。
レムルスは指を組み、静かに続ける。
「ガエン達は、お前が諜報員だと知っていたな。」
その言葉に、アッシュの瞳が僅かに揺れた。
ほんの一瞬。普通なら見逃すほどの変化。
だが、レムルスには十分だった。
「……はい。」
「いつ見抜かれた。」
「旅の途中です。」
「理由は。」
「ガエン殿に、『視線の配り方や周囲の確認の仕方が普通の旅人ではない』と言われました。」
レムルスは静かに頷く。
「続けろ。」
「その後、さらにガエン殿から『諜報でもしてるのか?』と軽く尋ねられました。」
「否定はしたか。」
「しました。」
「結果は。」
アッシュは苦笑にも似た表情を浮かべる。
「全く信じてもらえませんでした。」
「当然だ。」
レムルスは淡々と言う。
「お前は嘘をつく訓練は受けている。だが、相手も人を見る力を持っていた。」
「はい。」
「それで。」
レムルスは目を細めた。
「見抜かれた後、どうなった。」
「……何も。」
「何も?」
「態度は一切変わりませんでした。」
玉座の間が静まり返る。
「私がバルファードの諜報員だと理解した上で、今まで通り接してきました。」
「警戒は。」
「多少はしていたと思います。」
「敵意は。」
「ありません。」
「監視されたか。」
「いいえ。」
「口を封じようとしたか。」
「ありません。」
レムルスは肘掛けに指を軽く打つ。
「面白い。」
その声音には興味が滲んでいた。
「普通なら、正体を知った時点で利用するか、排除するか、あるいは情報を制限する。」
一拍置く。
「だが、連中は違った。」
「はい。」
アッシュは静かに頷いた。
「ガエン殿は『仕事なんだろ?』とだけ言いました。」
「それだけか。」
「はい。」
「さらに笑いながら『別に困るようなことしてねぇしな』と言っていました。」
「ラーシャ殿は『必要以上に隠すこともありませんし』と。」
「マイト殿は……。」
アッシュは少し笑う。
「『アッシュはアッシュだよね』と。」
レムルスは目を閉じ、数秒考え込んだ。
やがて静かに息を吐く。
「……なるほど。」
再び目を開く。
その瞳は先ほどまでとは違い、報告書ではなくガエン達そのものへ向けられているようだった。
「諜報員と知りながら排除しない。敵国の人間であることを理解した上で信用する。甘いのではない。」
レムルスは断言する。
「相手を見て判断している。」
アッシュは静かに頷いた。
「私も、そのように感じました。」
レムルスは報告書を閉じる。
「……だからこそ厄介だ。力だけの相手なら対策はいくらでも立てられる。だが、自ら考え、相手を見極め、敵味方という枠だけで判断しない者達は、最も読みづらい。」
そう呟くと、レムルスはアッシュへ鋭い視線を向けた。
「お前が見抜かれたこと自体は失態ではない。隠すべき情報は守り、得るべき情報は持ち帰った。任務は果たしている。」
アッシュは深く一礼した。
「ありがとうございます。」
レムルスは静かに立ち上がる。
「だが、一つだけ覚えておけ。ガエン達は、お前を諜報員と知った上で信用した。その意味を履き違えるな。彼らは騙されたのではない。知った上で、お前という一人の人間を見て判断したのだ。」
玉座の間に、その言葉だけが重く響いた。
アッシュは深く頭を下げたまま、ゆっくりと口を開いた。
「……陛下。報告書には記載しておりませんが、もう一件、ご報告があります。」
レムルスは椅子へ腰掛け直し、静かに顎を引く。
「言え。」
「旅の途中で、」
アッシュは一拍置いた。
「竜王と遭遇しました。」
その瞬間だった。
レムルスの瞳が、ほんの僅かに見開かれる。
玉座の間にいた近衛兵には気付けないほどの変化。
だが、長年レムルスに仕えてきた側近なら、「今、王が動揺した」と確信するほどの僅かな揺らぎだった。
「……竜王だと。」
低い声で確認する。
「はい。」
「見間違いではないな。」
「ありません。」
アッシュは即答した。
「佇まい、魔力、その存在感。間違いなく竜王でした。」
レムルスは無意識のうちに指を肘掛けへ添える。
その指先が、一度だけ止まった。
「……。」
沈黙。
そして静かに問い掛ける。
「敵対したか。」
「いいえ。」
「戦闘は。」
「ありません。」
「向こうから接触してきたのか。」
「はい。」
レムルスは視線を落とし、僅かに思考を巡らせる。
「……竜王自ら。」
その言葉には、先ほどまでの冷静な分析ではなく、純粋な驚きが滲んでいた。
竜王。
それは国家であろうと迂闊には関われない存在。
一国の王ですら、謁見できる保証などない。
そんな存在が、自ら姿を現したという。
レムルスは再びアッシュを見る。
その眼差しはすでに平静を取り戻していたが、先ほどの一瞬の動揺は確かに存在した。
「……詳しく話せ。」
「はい。」
「何故現れた。何を話した。ガエン達に対してどのような態度だった。」
質問は間髪入れず続く。
「一つも省略するな。」
「承知しております。」
アッシュは静かに頷いた。
「竜王はガエン殿を見るなり、『久しいな、ガエン』と声を掛けました。」
「……ほう。」
レムルスの眉が僅かに動く。
「初対面ではなかったのか。」
「はい。どうやら以前から面識があったようです。」
「その時点で、ガエンは驚いたか。」
「いいえ。旧友に会ったような自然な反応でした。」
レムルスは小さく息を吐く。
「オーガの財務担当が、竜王と旧知の仲……。」
誰に聞かせるでもなく呟く。
「本当に、あの一行は次から次へと常識を壊していく。」
その言葉には呆れではなく、知的好奇心すら混じっていた。
そしてレムルスは静かに口元へ手を添える。
「……面白い。」
先ほどと同じ言葉。
しかし今度は、その意味が違っていた。
「ガエン達の評価を、一段階引き上げる必要があるかもしれんな。」
その瞳には、これまで以上に強い興味が宿っていた。
レムルスは椅子の背にもたれ、静かに続けるよう促した。
「それで竜王とは、その後どう行動した。」
アッシュは記憶を辿るように目を伏せる。
「竜王は『せっかく再会したのだ。少し付き合え』と仰り、我々も同行しました。」
「……同行。」
「はい。」
「何をした。」
「まず、温泉へ向かいました。」
「温泉?」
さすがのレムルスも一瞬だけ言葉を失う。
「竜王と温泉に入ったのか。」
「はい。」
「ガエン殿と竜王は昔話を交えながら湯に浸かっておりました。私達も同席しましたが……。」
「緊張しただろう。」
「非常に。」
アッシュは苦笑する。
「ですが竜王は終始穏やかで、威圧するような振る舞いは一切ありませんでした。」
レムルスは腕を組む。
「……竜王が温泉で旧友と談笑か。」
予想外にも程がある。
「他には。」
「温泉街名物の間欠泉を見物しました。」
「間欠泉。」
「巨大な熱湯の柱が空高く噴き上がる様子を、皆で眺めました。」
「竜王の反応は。」
「『自然とは実に見事だ』と、感心されておりました。」
レムルスは眉を上げる。
「……竜王ほどの存在が自然現象に見入るとは。」
「ええ。意外ではありましたが、とても楽しそうでした。」
「続けろ。」
「その後、一行は山頂の展望台へ向かいました。」
「景色でも眺めたか。」
「はい。」
アッシュは頷く。
「山々や温泉街を一望できる絶景でした。」
「そこで何かあったのだな。」
レムルスは察したように言う。
「はい。」
アッシュの表情が少しだけ引き締まる。
「展望台から谷間を見下ろしていた際、竜王が盗賊を見つけました。『騒がしい者達がおるな』と。」
アッシュはその時の光景を思い返しながら続けた。
「展望台から少し下った場所に、野営している盗賊がおりました。」
「何人だ。」
「十二人です。」
「……十二人。」
レムルスは静かに頷く。
「それで、ガエン達はどう動いた。」
「隠れることはしませんでした。」
「ほう。」
「竜王が『行くぞ』とだけ仰り、全員で堂々と盗賊達の前まで歩いて行きました。」
レムルスは興味深そうに目を細める。
「普通なら、奇襲か包囲を考える場面だ。」
「ですが、誰一人そのような素振りはありませんでした。」
「続けろ。」
「盗賊達の前へ着くと、ガエン殿は近くにあった大きな岩へ腰を下ろしました。」
「戦う気配は。」
「ございません。」
「勇者マイト殿も『終わるまで待ってるよ』と言って、その隣へ座りました。」
レムルスの眉がぴくりと動く。
「勇者までか。」
「はい。」
「ダグラス殿は少し離れた木へ寄りかかり、腕を組んだまま見物しておりました。」
「ラーシャは。」
「『ちょうど薬草がありますね』と言い、周囲の薬草を摘み始めました。」
「……薬草を。」
「はい。」
玉座の間が静まり返る。
近衛兵達ですら、思わず耳を疑った。
レムルスは額へ指を当て、小さく息を吐く。
「つまり誰一人、盗賊を相手として見ていなかったと。」
「その通りです。」
アッシュは迷いなく答えた。
「盗賊達は当然激怒しました。」
「想像できる。」
「『なめやがって!』『全員まとめて殺せ!』と叫び、一斉に襲い掛かりました。そして。」
アッシュは静かに言った。
「竜王は、その場から一歩も動きませんでした。」
「……。」
「右手の人差し指を出しただけです。」
レムルスの視線が鋭くなる。
「魔法か。」
「いいえ。」
「では。」
「襲ってくる盗賊に向かって、指先をほんの僅かに動かしただけでした。」
「……。」
「その瞬間、盗賊が吹き飛び、続いて二人、三人と倒れていきました。」
アッシュは淡々と報告する。
「剣を振るう暇もありません。背後へ回ろうとした者は、気付けば地面へ転がっていました。最後まで立っていた頭目も、一歩踏み出した瞬間には吹き飛ばされておりました。」
レムルスは静かに尋ねる。
「所要時間は。」
「一分も掛かっておりません。」
「……。」
「竜王は終始、その場から一歩も動いておりません。」
玉座の間が完全な静寂に包まれる。
レムルスはゆっくりと目を閉じた。
「十二人を。」
「はい。」
「指一本で。」
「その通りです。」
「ガエン達は。」
「誰一人、驚いてはおりませんでした。」
「何?」
「ガエン殿は『相変わらずだな』と苦笑し、マイト殿は『やっぱり強いなぁ』と笑っておりました。ダグラス殿は『終わったか』と木から体を起こしただけ。ラーシャ殿は『薬草がたくさん採れました』と籠を見せていました。」
レムルスは思わず口元を押さえた。
「……その反応か。」
「はい。」
「彼らにとっては、竜王が盗賊十二人を瞬時に制圧することすら、日常の延長なのでしょう。」
レムルスは苦笑とも感嘆ともつかない表情を浮かべる。
「常識というものが、あの一行には存在しないらしいな。」
「私も同じ感想でした。」
アッシュは静かに頷いた。
「ですが、本当に驚いたのは、その後です。」
「まだ何かあったのか。」
「はい。」
「竜王は倒れた盗賊達を見下ろし、怒鳴ることも威圧することもなく、静かに語り始めました。」
レムルスは腕を組み直す。
「説教か。」
「はい。」
アッシュは頷いた。
「竜王は『力とは奪うためにあるのではない』と切り出されました。『弱き者から金を奪い、旅人を脅し、自らを強者と思い込む。それは強さではない』『己より弱き者を守り、家族を守り、仲間を守り、己の誇りを守る』『働け。山には木がある。街には仕事がある。腕があるなら荷運びも出来る。鍛冶屋の手伝いも出来る。汗を流して得た銭は少なくとも胸を張って使える』」
アッシュは少しだけ表情を和らげる。
「盗賊達は誰一人反論できず、全員が頭を下げておりました。」
レムルスは静かに目を閉じる。
「……力で従わせたのではない。」
「はい。」
「力を見せた上で、生き方を諭したのです。」
玉座の間には、再び静かな沈黙が流れた。
やがてレムルスはゆっくりと口を開く。
「竜王とは、ただ強いだけの王ではないか。」
その呟きには、わずかな敬意が滲んでいた。
アッシュは静かに頷いた。
「はい。そして、その説教が終わると...」
「まだ続きがあるのか。」
「ございます。」
レムルスは僅かに身を乗り出す。
「話を聞き終えたラーシャ殿が、『皆さん、そのままでは傷口が化膿します』と仰り、所持していた乾燥薬草を取り出されました。」
「乾燥薬草。」
「はい。携帯用に乾燥させた薬草を小鍋で煎じ、軟膏のように練り上げられたのです。」
「その場で作ったのか。」
「ものの数分でした。」
レムルスは感心したように頷く。
「さすがは魔導士か。」
「魔法ではございません。薬学の知識です。」
「……ほう。」
アッシュは続ける。
「ラーシャ殿は盗賊達一人ひとりの傷を確認し、『少し沁みますよ』『こちらは骨に異常はありませんね』『安静にしてください』と声を掛けながら薬を塗っていかれました。」
「盗賊達は。」
「最初は怯えておりました。しかし、痛みが和らいでいくのが分かると、皆驚いておりました。」
「敵を治療したのか。」
「はい。」
レムルスは腕を組んだまま目を細める。
「普通なら、そのまま放置する。」
「ですが、ラーシャ殿は『怪我人を放っておく理由はありません』とだけ仰いました。」
玉座の間の空気が少しだけ和らぐ。
アッシュは苦笑を浮かべた。
「盗賊達の一人など、『こんな綺麗な人に手当てまでしてもらえるなんて……』と顔を赤くしておりました。」
「ほう。」
「別の者は『俺、真面目に働くから...』と言いかけまして。」
レムルスが思わず片眉を上げる。
「言いかけた?」
「ラーシャ殿は困ったように微笑みながら、静かに答えられました。」
アッシュはその場面を思い返しながら口にする。
「『私は魔王軍幹部の一人です』と。」
「……。」
「盗賊達は一瞬固まりました。」
「当然だな。」
「さらにガエン殿が『俺も魔王軍幹部だ。』と笑い、ダグラス殿は『俺も幹部だ』と淡々と告げました。」
レムルスは額へ手を当てる。
「三人とも自分から名乗ったのか。」
「はい。」
「盗賊達はまだ状況を理解しきれておりませんでした。」
アッシュは僅かに笑う。
「そこへマイト殿が『ちなみに僕は勇者だよ』と笑顔で続けられました。」
「……。」
「盗賊達は『え?』という顔になっておりました。」
「無理もない。」
「そして最後に。」
アッシュは静かに息を吐く。
「竜王が穏やかな笑みを浮かべながら、『我は竜王だ』と仰いました。」
その一言だけで十分だった。
玉座の間は静まり返る。
アッシュは淡々と続ける。
「盗賊達は互いの顔を見合わせ、次の瞬間には全員が地面へ額を擦り付けて平伏いたしました。」
「……そうなるか。」
「『も、申し訳ありませんでした!』『竜王様とは知らず!』『魔王軍幹部の皆様に刃を向けるなど……!』『勇者様まで……!』と、口々に謝罪しておりました。」
レムルスは思わず小さく笑う。
「惚れるどころではなかったな。」
「はい。」
アッシュも珍しく笑みを浮かべる。
「先ほどまでラーシャ殿へ見惚れていた男も、『とんでもない方だった……』と青ざめて震えておりました。」
「当然の反応だ。」
「ですが。」
アッシュは静かに言葉を続ける。
「ラーシャ殿は、その盗賊へ薬を塗り終えると、『身分は関係ありません。もう悪事はなさらないでくださいね』と微笑まれました。」
「……。」
「その男は涙を流しながら、『はい……必ず真面目に働きます』と何度も頭を下げておりました。」
レムルスは静かに目を閉じる。
「竜王は道を示し、ラーシャは傷を癒やす。」
ゆっくりと目を開く。
「そして、ガエン、ダグラス、勇者マイトも、それを当たり前のこととして受け入れている。」
アッシュは深く頷いた。
「はい。あの一行にとって、強さとは恐れさせるためのものではなく、人を救うためのものなのだと感じました。」
レムルスは玉座にもたれ、小さく息を吐く。
「……実に興味深い者達だ。」
その瞳には、警戒だけではなく、確かな関心が宿っていた。
アッシュは一礼すると、その後の出来事を続けた。
「その日は盗賊達と別れた後、私達は温泉街の宿へ戻りました。」
「ふむ。」
「夕食を共にし、竜王とも他愛ない話を交わしました。盗賊の件などまるで何事もなかったかのように、穏やかな時間が流れておりました。」
レムルスは静かに聞いている。
「翌朝、出発前に竜王とは宿の前で別れました。」
「竜王はどこへ向かった。」
「詳しい目的地は聞いておりません。ただ、『縁があればまた会おう』とだけ仰り、護衛も付けず、一人で歩いて行かれました。」
「……王が単独行動か。」
「はい。しかし、あのお方を護衛できる者など、おそらく存在しないでしょう。」
レムルスは苦笑した。
「確かにな。」
アッシュも僅かに口元を緩める。
「その後、私はガエン殿、ダグラス殿、ラーシャ殿、そして勇者マイト殿と共に馬車へ乗り込み、バルファードへ向かいました。」
「道中はどうだった。」
「非常に賑やかでした。」
「賑やか?」
「ガエン殿は畑の話を始め、ラーシャ殿は道端の薬草を見つけるたびに馬車を止めたがり、マイト殿は窓から景色を眺めて『次はあの町にも行きたいな』と終始楽しそうでした。」
「ダグラスは。」
「相変わらず寡黙でしたが、時折ガエン殿へ短く相槌を打っておりました。」
レムルスは少しだけ笑う。
「なるほど。本当に気を許しているのだな。」
「はい。魔王軍幹部と勇者が同じ馬車で談笑している光景は、初めて見る者なら目を疑うでしょう。」
「……常識では考えられん。」
「ですが、あの者達にとっては、それがごく自然な日常なのです。」
レムルスは肘掛けに頬杖をつき、しばらく黙り込んだ。
やがて、小さく呟く。
「竜王。」
その名を反芻するように口にすると、静かに続けた。
「一度、会ってみたいものだ。」
アッシュは顔を上げる。
「陛下。」
「話を聞けば聞くほど興味が尽きん。武だけではない。知もあり、徳もある。」
レムルスの瞳が鋭く光る。
「そのような王が本当に存在するのであれば、この目で確かめたい。」
そして、アッシュへ真っ直ぐ視線を向けた。
「ガエン達は、今どこにいる。」
「現在は城下町を見て回っております。」
「そうか。」
レムルスは迷いなく命じた。
「明日、謁見の間へ連れて参れ。」
アッシュは一瞬だけ目を見開いた。
「ガエン殿達を、ですか。」
「そうだ。」
「……承知いたしました。」
レムルスはゆっくりと立ち上がる。
「軍事国家バルファードの王としてではない。」
その口元に、珍しく薄い笑みが浮かぶ。
「一人の人間として、あの者達と話をしてみたい。」
玉座の間にいた家臣達は、その言葉に静かに息を呑んだ。
慎重で疑り深く、憶測では決して人を評価しない軍師王レムルス。
そんな彼が、自ら「会いたい」と口にしたのは、極めて異例のことであった。
アッシュは深く頭を下げる。
「かしこまりました。明日、ガエン殿、ダグラス殿、ラーシャ殿、そして勇者マイト殿をお連れいたします。」
レムルスは静かに頷いた。
「楽しみにしている。」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
一方その頃バルファード城下町。
夕暮れを迎えた酒場は、兵士や冒険者達で賑わい、豪快な笑い声と酒杯のぶつかる音が絶え間なく響いていた。
その一角では、ガエン達がいつの間にか兵士達の輪の中心にいた。
「ガハハハハ! だから言っただろ! 腕相撲なら俺達の隊長が一番強いって!」
「いやいや、ガエンさんの方が強いって!」
兵士達が口々に騒ぐ。
ガエンは困ったように頭を掻いた。
「だから俺は農家なんだって。腕相撲で勝負するために鍛えてるわけじゃねぇよ。」
「畑仕事でその腕になるのかよ!」
「毎日畑を耕して、石を運んで、木を切ってればこうなる。」
「農家ってそんな重労働なのか……。」
兵士達が本気で驚いている。
その横では、
「おかわり!」
「勇者さん、まだ食べるんですか!?」
マイトが豪快に肉料理を平らげていた。
皿は既に十枚近い。
「いやー、運動した後って腹減るんだよな!」
「運動って……今日は馬車に乗ってただけですよね?」
「気分的に!」
「気分かい!」
酒場中から笑いが起こった。
一方、ラーシャは女性店員達と談笑していた。
「その髪、とても綺麗ですね。」
「ありがとうございます。」
「どうやって手入れされているんですか?」
「森で採れる薬草から作った油を使っています。」
「薬草で!?」
店員達は興味津々で身を乗り出す。
ラーシャは微笑みながら、一つ一つ丁寧に薬草の効能を説明していた。
「乾燥にはこの葉が良いですよ。」
「へぇー!」
「今度試してみます!」
女性達はすっかり夢中である。
そして少し離れた席ではダグラスが静かに酒を飲んでいた。
相変わらず無口だったが、その隣にはなぜか兵士が数人座っている。
「ダグラスさん。」
「……。」
「死神って、本当に魂が見えるんですか?」
「見える。」
「へぇ……。」
「怖くないんですか?」
「普通だ。」
短い返答。
それだけなのだが。
「渋い……。」
「格好いいな……。」
兵士達は妙に感心していた。
ダグラスは何も気にせず、静かに酒を口へ運ぶ。
その時、酒場の店主が大きな樽を抱えて現れた。
「今日は遠方から来てくれた客人に一杯サービスだ!」
「おおーっ!」
歓声が上がる。
店主は笑顔で酒を注ぎ始めた。
「軍人も冒険者も関係ねぇ! 今日は飲め飲め!」
兵士達が一斉に杯を掲げる。
「乾杯!」
「乾杯!」
ガエンも木製の杯を掲げる。
「バルファードの酒、美味いな。」
「だろ!」
「うちの国の自慢だからな!」
兵士達は誇らしげに胸を張る。
一人の若い兵士が恐る恐る尋ねた。
「ガエンさん。」
「ん?」
「魔王軍って……もっと怖い人達ばかりだと思ってました。」
ガエンは少し考え、笑って答える。
「怖い奴もいるかもしれねぇ。でも、人間だって怖い奴はいるだろ?」
「……確かに。」
「結局は種族じゃなくて、その人次第なんだよ。」
兵士達は静かに頷いた。
「俺達も、最初はオーガって聞いて身構えてました。」
「悪かった。」
「いや……今はもう、そんなこと思ってません。」
兵士は笑顔で杯を差し出した。
「またバルファードに来てください。」
ガエンも笑って杯を合わせる。
「ああ。その時は畑で採れた野菜でも持ってくるよ。」
「楽しみにしてます!」
酒場には再び笑い声が響き渡る。
敵国も、魔王軍も、勇者も。
そんな肩書きを忘れ、一人の旅人として語り合う穏やかな夜。
明日には、軍師王レムルスとの謁見が待っている。
その出会いが、バルファードの未来にどのような変化をもたらすのか、まだ誰も知る由はなかった。




