22.裁判、粛々と行われる
朝食は豪華だった。
焼きたてのパン。卵料理。スープ。果物。
フィルドリアの朝食ほどではないが、充分満座のいく朝食だった。
しばらくして朝食が終わる。
紅茶を飲んでいたリターシャが時計を見る。
そして立ち上がった。
「では行きます。」
ガエンが首を傾げる。
「どこへ?」
「裁判です。」
全員。
「あ。」
そうだった。
この人は国王だった。しかも最高裁判長だった。
リターシャは平然と続ける。
「見学しますか?」
ガエン達は顔を見合わせる。
マイトが言う。
「見られるのか?」
「公開裁判なので問題ありません。」
「見たい。」
ナラが即答した。
「面白そう。」
騎士団長がため息を吐く。
「遊びではありません。」
「わかってるー。」
絶対半分くらいわかっていない。
だがリターシャは気にした様子もなく歩き出した。
「では来てください。」
一行は後を追う。
昨日も見学した巨大な裁判所。
だが今日は空気が違った。
廊下を歩く職員達の動きが早い。
書類を抱えた法務官。警備の騎士。証人らしき市民。
全員が忙しそうだった。
リターシャが姿を見せると一斉に道が開く。
「陛下。」
「おはようございます。」
「おはようございます。」
挨拶が飛ぶ。
リターシャは短く頷くだけだった。
昨日のゲーム好きな友人の姿はない。
ガエンが小声で呟く。
「すげえな。」
「別人みたいです。」
ラーシャも緊張していた。
やがて巨大な法廷へ到着した。
重厚な扉。高い天井。無数の傍聴席。
既に多くの市民が集まっている。
ガエン達は傍聴席へ案内された。
その間にも法廷関係者が慌ただしく動く。
そして鐘が鳴った。
法廷全体が静まり返る。
全員が立ち上がる。
リターシャが入廷した。
先ほどまで一緒に朝食を食べていた人物とは思えない。真っ直ぐな姿勢。冷静な表情。一切の無駄がない歩き方。
そして中央の裁判席へ座ると木槌が鳴った。
コン。
その音だけで法廷が支配されたように感じた。
リターシャが口を開く。
「開廷します。」
静かだった。大声ではない。
だが法廷の隅々まで届く。
被告人が連れて来られる。中年の男だった。商人らしい。
罪状は契約詐欺。
偽造契約書を用いて金銭を騙し取った疑い。
検察官が説明を始める。
証拠が提示される。
証言が並ぶ。
リターシャは黙って聞いていた。一言も挟まない。
ただ記録を見ている。
ガエンは思った。
昨日、酒場でゲームの話をしていた人と同じ人物には見えない。
やがて被告人が声を荒げた。
「違う!」
法廷がざわつく。
「私は騙していない!」
「証拠があります。」
検察官が言う。
「捏造だ!」
「では質問します。」
リターシャが初めて口を開いた。
法廷が静まる。
「契約書作成日に貴方はどこにいましたか。」
「商会です。」
「証人の証言では王都南区にいたことになっています。」
「それは……。」
「どちらですか。」
静かだった。
怒鳴らない。脅さない。だが逃げ道がない。
被告人の額に汗が浮かぶ。
「私は……。」
リターシャは待った。急かさない。感情も見せない。
ただ真実だけを求める。
ガエンは少し鳥肌が立った。
ラーシャも同じだったらしい。
「すごい……。」
小さく呟く。
マイトも腕を組む。
「なるほどな。」
昨日の友人。ゲーム仲間。少し抜けたところもある国王。
それは確かに本物だ。
だが、今ここにいるのもまた本物だった。
司法国家サイヴァーン。
その頂点に立つ人物、リターシャ・カイゼルン。
法廷の全員が彼女の言葉を待っている。
そしてガエン達は初めて理解した。
なぜこの若さで誰も逆らわないのか。
なぜこの国が世界有数の司法国家なのか。
その理由が今、目の前にあった。
法廷は静まり返っていた。
被告人は答えられない。額から汗が落ちる。
リターシャはただ待っていた。
急かさない。威圧しない。だが逃げ道は残さない。
やがて。
「……南区です。」
被告人が絞り出すように言った。
法廷がざわつく。
検察官が書類をめくる。
「先ほどの証言と矛盾します。」
「……。」
「契約書を作成したという証言も虚偽になります。」
被告人は何も言えなかった。
リターシャは静かに記録へ視線を落とす。
そして次々と確認を続けた。
「契約書の署名は本人のものですか。」
「違います……。」
「誰が書きましたか。」
沈黙。
「答えてください。」
「私です……。」
法廷が再びざわめく。
傍聴席の市民達も息を呑んだ。
ガエンは思わず腕を組む。
「終わったな。」
「完全に。」
マイトも頷く。
証拠。
証言。
本人の供述。
全てが一本の線で繋がっていく。
無理やり追い詰めているわけではない。
ただ事実を積み上げているだけだ。
それなのに気付けば被告人は逃げ場を失っている。
ラーシャが小さく呟いた。
「怖い……。」
ナラが珍しく真面目な顔をしていた。
「うん。」
普段なら茶化す。だが今はそんな空気ではない。
法廷全体がリターシャの掌の上にあるようだった。
やがて証人尋問も終わる。
検察側の主張。弁護側の主張。
全てが出揃った。
長い審理の末、法廷に再び静寂が訪れる。
リターシャが記録を閉じた。
パタン。
その音だけで全員が背筋を伸ばした。
判決の時間だった。
リターシャが立ち上がると法廷全体が固唾を呑む。
その蒼い瞳が被告人を見据えた。
「判決を言い渡します。」
誰一人として動かない。
「被告人は偽造契約書を用いて金銭を騙し取った。」
声は静かだった。だが一言一言が重い。
「提出された証拠。証人証言。そして被告人自身の供述。全てを総合し、有罪と認定します。」
被告人が俯く。
リターシャは続けた。
「契約によって成り立つ商業において契約詐欺は社会基盤そのものを損なう重大犯罪です。」
その言葉に法廷の誰も反論できない。
「よって。」
一瞬の静寂。
「被告人に懲役七年及び被害額全額の賠償を命じます。」
木槌が振り下ろされた。
コン。
それだけだった。
叫びもない。怒号もない。
ただ一つの判決が下された。
だが、その音は誰の耳にも重く響いた。
「以上で閉廷します。」
コン。
裁判は終わった。
被告人は連行される。
職員達が動き始める。
傍聴席の市民達も静かに席を立った。
ざわめきが戻る。
それでもガエン達はすぐには動けなかった。
しばらく呆然としていた。
最初に口を開いたのはナラだった。
「……すご。」
珍しく語彙が死んでいた。
マイトも苦笑する。
「俺も同じ感想だ。」
ラーシャはまだ法廷を見ていた。
「あの人、本当に同じ人なんですか……?」
「昨日。」
ガエンが言う。
「酒場でゲームのセーブデータ消えた話で盛り上がってたんだぞ。」
「信じられません……。」
全員同意だった。
そこへ法廷奥の扉が開く。
リターシャが出てきた。
先ほどまで法廷を支配していた最高裁判長その本人である。
そしてガエン達を見るなり言った。
「お待たせしました。」
全員が振り返る。
「どうでした?」
「どうでしたじゃねえ。」
ガエンが即答した。
「怖かった。」
「え。」
リターシャが瞬きをした。
「そうですか?」
「そうだよ。」
「めちゃくちゃ怖かったです。」
ラーシャも頷く。
「怖かった。」
ナラまで頷く。
リターシャは少し考えた。
そして首を傾げる。
「普通に裁判しただけですが。」
全員が思った。
本人だけ自覚がない。
騎士団長が遠い目をした。
「陛下。」
「はい。」
「毎回言われております。」
「そうでしたか。」
「そうです。」
ガエンはため息を吐いた。
そして改めて思う。
この国王は変人だ。ゲームが好きで酒場に通い、休日には普通に街を歩く。
だが、ひとたび法廷に立てば。世界でも指折りの司法国家を統べる王になる。
その落差があまりにも大きい。
リターシャはそんな視線に気付かず言った。
「では次へ行きましょう。」
ガエンが嫌な予感を覚える。
「次?」
「今日はまだ裁判があります。」
全員。
「まだあるの!?」
リターシャは不思議そうな顔をした。
「普通ですが。」
騎士団長が静かに訂正する。
「陛下基準です。」
そしてガエン達は理解した。
サイヴァーンが司法国家として恐れられる理由を。
法律が厳しいからではない。
法の頂点に立つ国王が誰よりも真面目で、誰よりも容赦がなく、誰よりも仕事中毒だからだった。
「ちょっと待て、他にも裁判長がいるだろ?」
ガエンが少し慌てる。
「はい、サイヴァーンには34人ほど裁判長を出来る人がいますよ。」
リターシャは頷いた。
「じゃあ何でお前がやるんだ。」
「担当だからです。」
即答だった。
ガエンが頭を抱える。
「いやだから担当を減らせ。」
「減っていますよ。」
「減ってるのかよ。」
騎士団長が静かに補足する。
「本来は今日八件でした。」
全員。
「八件!?」
「四件に減らしました。」
「減ってねえよ!」
リターシャは少し不思議そうな顔をした。
「かなり減らしましたが。」
ガエンはもう考えるのをやめた。
無理だ。価値観が違う。
リターシャは歩き出す。
「次は比較的軽い案件です。」
「軽い?」
「喧嘩です。」
ナラが反応する。
「喧嘩で裁判?」
「怪我人が出ていますので。」
「なるほど。」
それは確かに裁判になる。
一行は再び法廷へ向かった。
今度は先程より小さな法廷だった。
傍聴人も少ない。
だが被告席にいる二人を見た瞬間ガエンは思った。
絶対面倒なやつだ。
筋骨隆々の鍛冶屋らしい男。
反対側には大柄な運送業者らしい男。
そして、お互いを睨んでいる。ものすごく睨んでいる。
裁判が始まる前から喧嘩しそうだった。
「お前が悪いんだろうが!」
「てめえが先にぶつかったんだろ!」
「荷物を確認しなかったお前が!」
「道の真ん中で立ち止まるな!」
職員達が慌てて止める。
「静かに!」
「法廷です!」
二人は黙った。だが睨み合いは続く。
ガエンが呟く。
「元気だな。」
「元気ですね。」
ラーシャも苦笑した。
やがて鐘が鳴りリターシャが入廷した。
瞬間。
二人とも黙った。
さっきまでの勢いが嘘みたいだった。
ガエンが小声で言う。
「効いてる。」
「効いてるね。」
マイトも頷いた。
リターシャが席に着き木槌が鳴る。
コン。
「開廷します。」
検察官が説明を始めた。
内容は単純だった。
市場通りで運送業者の荷車と鍛冶屋が接触。口論になり殴り合いへ発展。
結果、両者負傷。店の看板も破損。周囲の商人達にも被害。
見事な共倒れだった。
リターシャは資料を見る。
「まず確認します。」
二人を見る。
「最初に手を出したのはどちらですか。」
二人同時に指を差した。
「こいつです!」
「こいつだ!」
法廷が静まる。ガエン達も静まる。
完全に同時だった。
リターシャは無表情だった。
「なるほど。」
記録官が書き込む。
さらさらさら。
何故かその音が怖い。
証人が呼ばれる。市場の商人達だった。
そして証言が始まる。
「最初は口論でした。」
「はい。」
「十分ほど続きました。」
「はい。」
「途中から子供の喧嘩みたいになりました。」
法廷が静まる。
鍛冶屋が目を逸らした。
運送業者も目を逸らした。
証人は続ける。
「最後は『やるか』と言って。」
「はい。」
「『やるか』と返して。」
「はい。」
「殴り合いになりました。」
沈黙。
ガエンは吹きそうになった。
ナラはもう肩が震えている。
マイトが必死に耐えている。
ラーシャも顔を背けた。
リターシャは淡々としていた。
「つまり双方合意の上で喧嘩したと。」
「そうなります。」
「わかりました。」
記録官が書く。
さらさらさら。
その音が妙に重い。
さらに証人が追加される。
市場のパン屋。
魚屋。
八百屋。
全員同じことを言った。
「両方悪い。」
綺麗なくらい意見が一致していた。
やがて全ての証言が終わりリターシャが二人を見る。
「何か反論はありますか。」
鍛冶屋が小さく言う。
「ありません。」
運送業者も言う。
「ありません。」
さっきまでの勢いはどこへ行ったのか。
リターシャは静かに頷いた。
そして。
少しだけ、本当に少しだけため息を吐いた。
ガエンは見逃さなかった。
「今ため息吐いた。」
「吐きましたね。」
ラーシャも見た。
騎士団長が遠い目をする。
「陛下はこの手の案件が苦手なのです。」
「何で?」
「理由が馬鹿馬鹿しいからです。」
納得だった。
リターシャは記録を閉じる。
パタン。
法廷が静まる。
判決の時間だった。
そして彼女は二人を見据えて口を開いた。
「まず一つ確認します。」
二人が緊張する。
「お二人は何歳ですか。」
法廷が静まり返った。
二人は顔を見合わせた。
「四十二です。」
「三十九です。」
リターシャは数秒黙った。法廷も黙った。ガエン達も黙った。
そして。
「なるほど。」
その一言だけだった。
だが何故か重かった。
記録官が書く。
さらさらさら。
リターシャは静かに続ける。
「四十二歳と三十九歳の成人男性が市場の中央で。」
二人が縮こまる。
「十分間口論し。」
さらに縮こまる。
「周囲の制止を無視し。」
もっと縮こまる。
「最終的に『やるか』『やるか』で合意形成を行い。」
ナラが限界だった。
ぶふっ。
慌てて口を押さえる。
リターシャは続ける。
「結果として双方負傷。」
「……」
「市場設備破損。」
「……」
「営業妨害。」
「……」
「多数の証人から『両方悪い』との評価。」
法廷全体が微妙な空気になった。
もはや反論できる材料が存在しない。
リターシャは静かに資料を置く。
「率直に申し上げます。」
二人がびくりと震えた。
嫌な予感しかしない。
「幼稚です。」
即死だった。
鍛冶屋がうつむく。運送業者もうつむく。
ガエンが小声で呟く。
「刺さった。」
「刺さりましたね。」
ラーシャも頷く。
リターシャは続ける。
「仮に十五歳なら理解できます。」
二人がさらに沈む。
「十歳でも理解できます。」
さらに沈む。
「しかし四十二歳と三十九歳です。」
追撃だった。完全に追撃だった。
騎士団長が目を閉じる。
慣れている。これは慣れている顔だった。
リターシャは淡々と言った。
「私は司法国家の国王です。」
「はい……」
「日々、詐欺、横領、殺人未遂、組織犯罪などを裁いています。」
「はい……」
「その中で本日の案件は。」
一拍。
「かなり上位の『何をしているのですか』案件です。」
法廷のあちこちから咳払いが聞こえた。
笑いを堪えているのは明らかだった。
マイトの肩も震えている。
ナラはもう涙目だった。
リターシャは木槌を軽く叩く。
コン。
「判決を言い渡します。」
法廷が静まる。
二人が姿勢を正した。
「双方に罰金。」
「はい。」
「市場設備修繕費の共同負担。」
「はい。」
「営業妨害に対する補償。」
「はい。」
「そして。」
二人が嫌な予感を覚える。
リターシャは静かに言った。
「今後一か月。」
嫌な予感が膨れ上がる。
「市場復旧作業に共同参加。」
沈黙。
鍛冶屋が顔を上げた。
「共同?」
「共同です。」
運送業者も顔を上げる。
「こいつと?」
「はい。」
「一か月?」
「はい。」
リターシャは無表情だった。
「喧嘩の原因となった当事者同士で協力し、壊したものを修復してください。」
「……」
「なお、途中で再度喧嘩した場合。」
二人が固まる。
リターシャは微笑みもしない。
「次回はもっと大きな法廷になります。」
絶対に笑えないやつだった。
二人は反射的に背筋を伸ばした。
「しません!」
「絶対しません!」
返事だけは見事に揃った。
リターシャは頷く。
「よろしい。」
コン。
木槌が鳴る。
「閉廷します。」
裁判が終わった。
二人は連行されるわけでもなく、一緒に書類を書かされながら退廷していく。
しかも。
「おい。」
「何だ。」
「……看板は俺が直す。」
「……荷物運びは俺がやる。」
少しだけ。本当に少しだけ歩み寄っていた。
ガエンはその背中を見送る。
「なるほどな。」
「何が?」
ナラが聞く。
ガエンは肩をすくめた。
「罰するだけじゃないんだな。」
リターシャが席を立ちながら答える。
「当然です。」
「ん?」
「目的は復讐ではありません。」
静かな声だった。
さっきまでの少し呆れた様子は消えている。
「被害を回復し、再発を防ぎ、社会を維持する。」
法廷の空気が変わる。
ガエン達は自然と黙った。
リターシャは続ける。
「それが司法の仕事です。」
リターシャの言葉を聞きながら。
ガエン達はしばらく黙っていた。
その一言には妙な重みがあった。
そしてリターシャは記録官へ視線を向ける。
「次の案件までどのくらいですか。」
「三十分後です。」
「その次は。」
「次の裁判の一時間後になります。」
リターシャは頷いた。
「では休憩にしましょう。」
「休憩?」
ナラが首を傾げる。
「はい。次の二件は少々時間がかかります。」
嫌な予感しかしない。
ガエンが聞いた。
「ちなみに何の裁判なんだ。」
「一件は商会同士の契約問題。」
「おう。」
「もう一件は相続問題です。」
「長そうだな。」
「長いです。」
即答だった。
「ですので皆さんは休憩してください。」
そう言ってリターシャは書類の束を抱えた。
「私は準備がありますので。」
「休憩じゃないのか。」
「裁判官に休憩はありません。」
真顔だった。
騎士団長が頷く。
「本当にありません。」
「大変だな。」
「大変です。」
そしてリターシャはそのまま控室へ消えていった。
扉が閉まる。
ぱたん。
数秒後ナラが言った。
「変な国王だよね。」
全員が頷いた。
「変だな。」
「変ですね。」
「変人だ。」
満場一致だった。
しかし、しばらくしてマイトが腕を組む。
「でもすげえな。」
「ん?」
「さっきの裁判。」
ガエンも思い出す。
確かにあれだけ馬鹿馬鹿しい案件だったのに。
最後は誰も文句を言わなかった。
「言われてみれば。」
「普通なら罰金払わせて終わりだろ。」
マイトが言う。
「なのにちゃんと仲直りまでさせた。」
ラーシャも小さく頷く。
「しかも双方とも納得していました。」
「ああ。」
ガエンも同意した。
あの二人、退廷する頃には喧嘩した時より大人しくなっていた。
ナラが机の上に座り込む。
「でもさ。」
「ん?」
「怖かった。」
全員が頷いた。
「あれは怖い。」
「怖かったですね。」
「怖かったな。」
再び満場一致だった。
マイトは両手を広げる。
「怒鳴らないじゃん。」
「そうだな。」
「なのにめちゃくちゃ怖い。」
「そうだな。」
「『幼稚です』の破壊力がすごかった。」
「あれは効く。」
ガエンが即答した。
ラーシャも真面目な顔で頷く。
「私なら立ち直れません。」
「分かる。」
「分かる。」
全員が頷いた。
そしてガエンがぼそりと言う。
「俺だったら『何をしているのですか案件』で死ぬ。」
「俺も死ぬ。」
「私も死にます。」
「ボクは妖精だから大丈夫。」
「何でだよ。」
ナラが胸を張る。
「妖精は元々幼稚だから。」
「威張るな。」
即座に突っ込まれた。
しばらく笑いが起きる。
しかし笑いが落ち着くとガエンはふと窓の外を見た。
「なあ。」
「ん?」
「リターシャってさ。」
皆が振り向く。
ガエンは少し考えてから言った。
「変人だし。」
「うん。」
「失礼だし。」
「うん。」
「趣味も妙だし。」
「うん。」
「休日は別人だし。」
「うん。」
「国王っぽくない時もある。」
「それはある。」
全員が頷く。
そしてガエンは続けた。
「でも裁判になると別格だな。」
静かになった。
誰も反論しなかった。
ラーシャがぽつりと言う。
「法廷に入った瞬間だけ。」
「ああ。」
「まるで別人でした。」
ナラも珍しく真面目な顔になる。
「うん。」
そして小さく呟いた。
「なんていうか。」
「ん?」
「国王って感じだった。」
その言葉に。
全員が自然と頷いた。
司法国家サイヴァーン。
その頂点にいる理由が。
少しだけ分かった気がした。
そしてその頃、控室の中では。大量の書類に埋もれたリターシャが無表情で呟いていた。
「契約書が三百二十七ページ。」
ぺらり。
「添付資料百九十四ページ。」
ぺらり。
「証言記録八十六ページ。」
ぺらり。
沈黙。
数秒後。
「……喧嘩の裁判の方が楽でしたね。」
騎士団長が横で頷いた。
「でしょうね。」
司法国家最強の裁判官は。
次の敵である書類の山と戦っていた。
それから数時間後。
ガエン達は来賓用の控室でのんびりしていた。
ナラは昼寝。マイトは剣の手入れ。ラーシャは本を読んでいる。
ガエンは窓の外を眺めながらぼんやりしていた。
「まだ終わらねえのかな。」
「契約問題と相続問題ですからね。」
ラーシャが本から目を離さず答える。
「長いでしょうね。」
「裁判官って大変だな。」
「大変ですね。」
その時だった。
こんこん。
扉が叩かれる。
騎士が入ってきた。
「皆様。」
「おう。」
「陛下がお呼びです。」
ガエンは嫌な予感を覚えた。
「何の話だ。」
騎士は真顔で答える。
「運動会です。」
「やっぱりか。」
即答だった。
ナラが飛び起きる。
「運動会の話!?」
「はい。」
「まだやるの!?」
「陛下はやる気です。」
「それは知ってる。」
全員が知っていた。
むしろ知りたくなかった。
そして一行は王の間へ向かった。
巨大な扉が開く。
王の間の玉座。
その上にはリターシャが座っていた。
朝の裁判の時と同じ完全な国王モードである。
しかし机の横には積み上がった書類。さらに積み上がった書類。そしてまだ積み上がった書類。
ガエンは思わず聞いた。
「終わったのか。」
「終わりました。」
「全部?」
「本日分は。」
「本日分はって。」
リターシャは静かに紅茶を飲んだ。
「明日分があります。」
「聞かなかったことにする。」
賢明な判断だった。
リターシャは書類を置く。
そして真面目な顔になる。
「さて。」
嫌な予感がした。
「運動会の件です。」
やっぱりだった。
ナラが机に乗り出す。
「競技案増えた?」
「増えました。」
「増えたの!?」
「現在五百二十一案です。」
「すげー増えてるじゃねえか!」
ガエンの叫びが王の間に響いた。
しかしリターシャは気にしない。
書類を一枚取り出す。
「ですが今日は別件があります。」
「別件?」
「参加者についてです。」
参加者。
ガエンは首を傾げた。
「冒険者とか商会とかじゃなくてか。」
「はい。」
リターシャは頷く。
そして静かな声で言った。
「囚人達も参加させたいのです。」
王の間が静まった。
数秒。
誰も反応できなかった。
最初に口を開いたのはマイトだった。
「囚人?」
「はい。」
「牢屋の?」
「はい。」
「犯罪者の?」
「はい。」
即答だった。
ガエンが思わず聞く。
「いや待て。」
「はい。」
「大丈夫なのか。」
「大丈夫です。」
「本当に?」
「本当に。」
妙に自信満々だった。
リターシャは続ける。
「もちろん全員ではありません。」
「だろうな。」
「対象は軽犯罪者と更生中の者です。」
ガエン達は黙る。
リターシャはさらに説明した。
「サイヴァーンでは刑罰は目的ではありません。」
その言葉に今日の裁判で聞いた言葉を思い出す。
被害を回復し、再発を防ぎ、社会を維持する。
リターシャは静かに言った。
「更生した者を社会へ戻す。」
「……。」
「それも司法の仕事です。」
王の間は静かだった。
リターシャは書類をめくる。
「実際、出所後の再犯率は社会との接点がある者の方が低いという統計もあります。」
「へえ。」
「ですので。」
ぱたり。
書類が閉じられる。
「運動会に参加させます。」
「決定事項かよ。」
「決定事項です。」
即答だった。
ガエンは頭を抱えた。
「お前なあ。」
「何でしょう。」
「普通の国王はそんな事考えねえぞ。」
「そうですか?」
「そうだ。」
「残念です。」
何が残念なのか分からない。
ナラが首を傾げる。
「でも楽しそう。」
全員が振り向いた。
ナラはにやにやしている。
「だってさ。」
「うん。」
「元盗賊チーム対騎士団とか面白そうじゃない?」
リターシャが言った。
「採用。」
「採用するな。」
ガエンが即座に突っ込んだ。
しかしリターシャは既にメモしている。
恐ろしい速度だった。
「元盗賊チーム対騎士団。」
さらさら。
「障害物競走。」
さらさら。
「綱引き。」
さらさら。
「借り物競走。」
さらさら。
ガエンが叫ぶ。
「増やすな!」
「増えていません。」
「増えてるだろ!」
「分類しただけです。」
「それを増えたって言うんだよ!」
王の間に笑いが起きた。
だが笑いながらもガエン達は気付いていた。
リターシャは本気なのだ。
囚人を甘やかすためではない。
罰を軽くするためでもない。
社会に戻すため、そして更生させるため。そのための運動会。
司法国家らしい発想だった。
そしてリターシャは最後に言った。
「ちなみに優勝チームには景品があります。」
「何だ。」
「特製記念メダルです。」
「普通だな。」
「あと参加した囚人には。」
一拍。
「刑務作業一日免除。」
王の間がざわついた。
騎士達まで反応した。
リターシャは満足そうに頷く。
「これで皆やる気になるでしょう。」
ガエンは天井を見上げた。
もう止められない。
この国王は裁判でも政治でも運動会でも、一度決めたら止まらないのだ。
そしてリターシャは新しい書類を取り出した。
表紙には大きく書かれている。
『更生促進運動会計画書 第一巻』
ガエンは固まった。
「……第一巻?」
リターシャは微笑んだ。
「現在第七巻まであります。」
「誰か止めろ!!」
しかし王の間で一番偉いのは。
その第七巻を書いた本人だった。
ガエンの叫びは虚しく王の間に響いた。
「では本日の議題は以上です。」
リターシャがそう言った瞬間だった。
全員がほっとした。
終わった。やっと終わった。
ガエンは心の底からそう思った。
「帰れる……。」
「帰れますね。」
ラーシャも安心した顔をしている。
「長かった……。」
「今日は裁判も見たしな。」
マイトも肩を回した。
ナラは元気だった。
「お腹空いた!」
「お前は元気だな。」
「元気!」
するとリターシャが不思議そうな顔をした。
「そういえば。」
嫌な予感がした。
ガエンは反射的に身構える。
「何だ。」
「夕食がまだでした。」
「……そうだな。」
ガエンは気付いた。
裁判。
運動会。
囚人参加。
第七巻。
情報量が多すぎて忘れていた。
まだ夕方だった。
リターシャは立ち上がる。
「では行きましょう。」
「どこへ。」
「酒場です。」
ガエンは頭を抱えた。
「またか。」
「またです。」
「国王がそんな頻繁に酒場行くな。」
「大丈夫です。」
「何が。」
「常連です。」
「駄目な方向に安心感あるな。」
騎士達が目を逸らした。
「お前ら止めろよ。」
「無理です。」
騎士が即答した。
「もう慣れました。」
「慣れるな。」
「十年以上続いておりますので。」
「長えよ!」
リターシャは既に出口へ向かっている。
「早くしないと席が埋まります。」
「本当に常連じゃねえか!」
王の間にいた文官達が苦笑していた。
どうやら日常らしい。
こうしてガエン達は再び城を出た。
夕暮れのサイヴァーンは昼とは違う顔を見せていた。
街灯が灯り始める。
商店街には人が溢れている。
仕事帰りの職人、買い物帰りの主婦、訓練帰りの騎士達。
そして。
「あ。」
「陛下だ。」
「こんばんはー。」
「今日も赤狼亭ですか。」
「そうだよー。」
リターシャが普通に返事をした。
「フランクすぎるだろ!」
ガエンが突っ込む。
街の人達が笑った。完全に馴染んでいる。
国王なのに。
いや、国王だからこそなのかもしれない。
しばらく歩く。
すると見覚えのある看板が見えた。
昨日も来た酒場だった。
店の扉が開く。
カラン。
鈴の音。
そして店主が顔を上げた。
「あ。」
数秒。
「陛下。」
「こんばんは。」
「また来た。」
「来たよー。」
店主が笑う。客達も笑う。
ガエンはもう何も言わなかった。
諦めである。
店内の奥の席に案内される。
昨日と同じ席だった。
「いつもの。」
リターシャが言う。
「いつものって何だ。」
「いつものです。」
「説明になってねえ。」
店主は慣れた様子で頷いた。
「はいはい。」
もう誰も止めない。
止められない。
しばらくして料理と酒が運ばれてくる。
焼き肉。煮込み料理。魚の香草焼き。パン。スープ。
そして酒。
「乾杯。」
リターシャが杯を掲げた。
「乾杯!」
ナラが元気よく続く。
「乾杯。」
「乾杯だ。」
「乾杯。」
杯がぶつかる。
しばらくは普通の夕食だった。
裁判の話。運動会の話。街の話。
ようやく落ち着いた空気になる。
リターシャも珍しく肩の力を抜いていた。
「それで。」
不意にリターシャが聞いた。
「次はどこへ行くの?」
ガエンは肉を飲み込んで答える。
「クリアフォル。」
「氷雪都市?」
「そうだ。」
リターシャが少し目を丸くした。
「随分遠いね。」
「元々の予定だ。」
マイトも頷く。
「本当はフィルドリアの次に行くはずだったんだ。」
「へえ。」
ラーシャも話に加わる。
「防寒装備も全部揃えていました。」
「なるほど。」
ガエンは苦笑した。
「ところが急にゼルの移送任務が入った。」
「あー。」
リターシャは納得した顔になった。
「それでサイヴァーンへ。」
「そういうことだ。」
結果として裁判。運動会の囚人参加。
予想外の出来事ばかりだった。
マイトが酒を飲む。
「予定なんて狂う時は狂うし。」
「お前はいつも狂ってるだろ。」
「ひどくない?」
「事実だ。」
ナラが笑った。
「確かに!」
「味方がいねえ!」
店内からも笑い声が上がる。
リターシャは少し考えた後、尋ねた。
「クリアフォルには知り合いでもいるの?」
「いる。」
ガエンは頷いた。
「仲間が先に向かってる。」
「仲間?」
ラーシャが説明する。
「死神とラミアとドラゴニュートです。」
リターシャの手が止まった。
「……随分濃いね。」
「言われ慣れた。」
ガエンは即答した。
マイトも苦笑する。
「俺達の仲間だからな。」
「名前は?」
リターシャが興味深そうに聞く。
「死神のダグラス、ラミアのミリア、ドラゴニュートのビルム。」
リターシャは静かに頷く。
「なるほど。」
そして。
「会ってみたい。」
ガエン達は顔を見合わせた。
嫌な予感がした。とても嫌な予感がした。
「何だその顔。」
リターシャが言う。
「いや。」
ガエンは真顔だった。
「お前、まさか来ないよな?」
「行かないよ?」
全員が安心した。
次の瞬間。
「仕事があるし。」
安心した。本当に安心した。
だがリターシャは続けた。
「ただ。」
嫌な予感が復活した。
「ただ?」
「クリアフォルには知り合いがいるよ。」
「いるのか。」
「うん。」
リターシャは平然と言った。
「昔一緒にゲームした。」
全員が固まった。
「ゲーム?」
「うん。」
「氷雪都市に?」
「うん。」
「国王が?」
「うん。」
ガエンは頭を抱えた。
もう驚かないと思っていた。
だが甘かった。
リターシャという女は定期的に常識を破壊してくる。
「どんな知り合いだ。」
するとリターシャは少しだけ考え、
「たぶん今はクリアフォルの大臣。」
酒場が静かになった。
ガエンは天井を見上げた。
やっぱりこの世界の偉い奴らは駄目だ。
そんな確信だけが深まっていった。




