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静寂の城〜魔王は世界征服をしたい〜  作者: 赤井六舷


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19.ドラゴン、飛ぶ

ガエンとラーシャとナラは洞窟の奥へ進む。


先ほどまで死霊で埋め尽くされていた空間は嘘のように静かだった。

ラーシャの暴走で壁が削れ、床には巨大な亀裂が走っている。


「本当に加減を覚えろよ。」


ガエンがぼやく。


「ご、ごめんなさい……。」


「だから怒ってないって。」


「怒ってない人は三回も言わないんじゃない?」


ナラが言った。

ガエンは反論できなかった。

さらに奥へ進む。

すると広い空洞へ辿り着いた。

そして全員が足を止めた。


「……は?」


ガエンの口から間の抜けた声が漏れる。

そこにはマイトとゼノとゼルがいた。

マイトはいつものように岩の上に座っている。

そしてその向かいには黒い何か。

人の形にも見える。

子供にも見える。

影にも見える。

輪郭が曖昧だった。

真っ黒な粘土を無理やり人型にしたような姿。


「それでねー。」


「うん。」


「卵焼きは甘い方がいいと思うんだよね。」


「わかる。」


マイトと何かは普通に会話していた。

ガエンは頭を抱えた。


「なんでだ。」


マイトが振り向く。


「あ、来た。」


まるで待ち合わせでもしていたような口調だった。

ナラが指差す。


「いやいやいやいや!何その黒いの!」


黒い何かは首を傾げた。


「黒いの。」


「喋った!」


ナラが飛び上がる。

黒い何かは興味深そうにナラを見た。


「小さい。」


「ピクシーだからね!」


「そうなんだ。」


妙に素直だった。

ガエンは警戒を解かない。

この空洞の奥から感じる気配。

死霊達を操っていた存在なのは間違いない。


「お前がやったのか。」


ガエンが低く問う。

黒い何かは考えるように首を傾げた。


「うん。」


「死霊を操ったのか。」


「うん。」


あっさり認めた。

ラーシャが青ざめる。

ナラも身構える。

だが黒い何かは不思議そうだった。


「だめだった?」


ガエンの眉がぴくりと動く。


「だめだったじゃない。人が死んでる。」


黒い何かはしばらく黙った。

そして。


「食べた。」


全員が固まった。


「……食べた?」


「うん。」


無邪気な声。

まるで木の実を採ったと言うような軽さだった。

黒い何かは続ける。


「おなかすいてた。」


「おなか。」


「ぼく、育たないといけないから。」


その言葉にゼルが顔を上げた。

いつの間にか近くまで来ていた。

紫色の瞳が細くなる。


「成長。」


「うん。」


黒い何かは頷く。


「生まれたばかりだから。」


全員が沈黙した。

生まれたばかり。目の前の存在から漂う気配は古代の怪物そのものだ。

それが生まれたばかり。

全く笑えない。


「何なんだお前。」


ガエンが尋ねる。

黒い何かは少し考えた。


「わからない。」


「は?」


「気付いたらいた。」


「……。」


「暗いところで目が覚めた。」


子供が昨日の出来事を話すような口調だった。


「おなかすいた。」


「だから冒険者を食ったのか。」


「うん。」


悪意がない。

本当にない。

だから余計に厄介だった。

黒い何かは床に座りながら言う。


「食べたら大きくなった。でもまだ足りない。」


ガエンの背筋に冷たいものが走った。

足りない。

つまり。


「まだ食う気だったのか。」


「うん。」


にこり。


子供のような笑顔。

だがその瞬間、空気が凍った。

ラーシャだった。

俯いている。肩が震えている。

黒紫色の魔力が再び漏れ始める。


「……。」


ガエンの顔が引きつる。


「待て。」


ナラも青ざめる。


「ラーシャ落ち着いて。」


ラーシャは震える声で呟いた。


「つまり……。」


黒い何かを見る。


「あなたが……。」


さらに魔力が膨れ上がる。


「みんなを食べたんですか……?」


黒い何かは無邪気に頷いた。


「うん。」


沈黙。


ガエンは悟った。

まずい。

非常にまずい。

ラーシャの目から涙が零れる。


「ひどいです……。」


黒紫の魔力が空洞を埋め始める。

マイトも少し焦る。


「ラーシャ?」


そして黒い何かも首を傾げる。


「あれ。」


二人だけが同じ反応をした。


「なんか怒ってる?」


次の瞬間。

洞窟全体が震えた。

洞窟の天井から砂がぱらぱらと落ちる。

黒紫の魔力が渦を巻く。

ラーシャは涙目のまま震えていた。


「だって……。」


声が掠れる。


「おなかが空いたからって……。」


魔力が膨れ上がる。


「そんな理由で……。」


さらに膨れ上がる。


「そんな理由で人を食べるなんて……!」


空気が軋んだ。

ガエンは頭を抱えた。


(ああもう始まった。)


怒りではなく悲しみだった。

ラーシャは基本的に他人の不幸に弱い。

だからこそ今の状況は最悪だった。


「ラーシャ。」


ガエンが低く呼ぶ。

しかし返事はない。


「食べられた人達にも家族がいたかもしれないのに……。」


「ラーシャ。」


「帰りを待ってた人もいたかもしれないのに……。」


魔力がさらに漏れる。

岩壁が砕けた。

ナラが悲鳴を上げる。


「ひゃあああ!また始まった!」


マイトがひょいとラーシャの前へ降りた。


「ラーシャ。」


「勇者様……。」


「とりあえず深呼吸。」


「でも……。」


「深呼吸。」


「はい……。」


反射的に従う。


すううううう。


はあああああ。


少しだけ魔力が落ち着く。

マイトは頷いた。


「よし。」


「よくないですよ……。」


「よくないね。」


即答だった。

ラーシャがきょとんとする。

マイトは黒い何かを指差した。


「人を食べるのは駄目。」


「うん。」


黒い何かが頷く。


「じゃあもう食べないでね。」


「わかった。」


全員が固まった。

ガエンが思わず叫ぶ。


「そんな簡単な話か!?」


「だってわかったって。」


「信用できるか!」


マイトは首を傾げた。


「今のところ嘘ついてないよ?」


確かにそうだった。

最初から全部正直に話している。

だから余計に怖い。

ナラが慌ててラーシャの肩に乗る。


「ラーシャ!落ち着いて!」


「でも……。」


「今暴れたら洞窟ごと崩れるから!」


「私また暴れてますか……?」


「めちゃくちゃ暴れてる!」


ラーシャが周囲を見る。

岩壁が割れている。

床も陥没している。

自分のせいだった。


「ひっ。」


今度は別方向に顔が青くなる。


「ご、ごめんなさい……!」


魔力が一気にしぼむ。

ガエンが即座に言った。


「よしその調子だ。」


「私また皆さんを巻き込んで……。」


「そこまで反省しなくていい!」


「絶対迷惑かけてるし……。」


「かけてるけど今はそっち行くな!」


ガエンが必死に軌道修正する。

ラーシャは極端なのだ。

怒れば暴走。

落ち込んでも暴走。

面倒くさい。

非常に面倒くさい。

ナラも必死だった。


「そうそう!今はラーシャが悪いんじゃないから!」


「でも私がもっと強ければ食べられた人達も助けられたかもしれなくて……。」


「無理無理無理無理!」


「私がもっと早く来ていれば……。」


「それも無理!」


「私が生まれるのが百年くらい早ければ……。」


「それは物理的に無理!」


ナラが全力でツッコむ。

ゼノがやれやれと首を振る。

ゼルは無言でラーシャに近づく。

そして珍しく口を開いた。


「結論。」


全員が見る。


「あなたは悪くないです。」


ラーシャが固まる。

ゼルは淡々と続けた。


「被害者を救えなかった責任を全て背負うのはただの傲慢ですよ。」


「え……。」


「あなたは神ではない。」


静かな声だった。


「救えなかった命はある。」


「……。」


「だからといって全てを背負う資格も義務もありません。」


ラーシャは何も言えなくなる。

その横でマイトも頷いた。


「うん。」


珍しく真面目な顔だった。


「ラーシャはラーシャだよ。」


「……。」


「世界全部の責任者じゃない。」


ガエンも腕を組む。


「そもそも悪いのはこいつだ。」


黒い何かを指差した。


「まず責任を感じるべきなのは加害者だ。」


黒い何かは首を傾げた。


「責任?」


「そうだ。」


「よくわからない。」


「だろうな。」


ガエンはため息を吐く。

まだ生まれたばかり。

善悪すら理解していない。

だが。だからといって許されるわけでもない。

ラーシャはしばらく俯いていた。

やがて小さく息を吐く。

黒紫の魔力が完全に収まった。

洞窟の震動も止まる。

全員が安堵した。

特にガエンとナラが本当に安堵した。

すると黒い何かが不思議そうに言った。


「終わった?」


「終わった。」


ガエンが即答する。


「よかった。」


「何がだ。」


「なんかさっき。」


黒い何かはラーシャを見た。


「世界が終わるかと思った。」


ガエンとナラが同時に頷いた。


「それは正しい認識だ。」


ラーシャだけが恥ずかしそうに顔を真っ赤にしていた。

しばし沈黙が流れた。

全員がそれぞれ考えていた。

目の前の存在をどうするべきか。

ガエンが腕を組む。


「で。」


低い声だった。


「問題はここからだ。」


全員の視線が集まる。

黒い何かは床に座っている。

相変わらず危機感がない。


「何が?」


「全部だ。」


ガエンは即答した。


「お前を放置するわけにはいかない。」


「なんで?」


「人を食ったからだ。」


「そっか。」


妙に素直だった。

だがそこで話が終わらない。

ガエンは頭を掻いた。


「殺すべきか。」


ナラがびくっとする。


「うわ、直球。」


「だが現実問題だ。」


ガエンは真顔だった。


「こいつは危険すぎる。」


ゼルも頷く。


「妥当な判断です。」


ラーシャは複雑そうな顔をする。


「でも……。」


黒い何かを見る。

善悪を理解していない。

まるで幼子だ。

だから余計に難しい。


「知らなかっただけかもしれません。」


「だから許すのか?」


ガエンが言う。

ラーシャは黙る。

許せない。

でも切り捨てるのも違う気がする。

ナラが羽をぱたぱたさせた。


「閉じ込めるとか?」


「どこに。」


「それは。」


ナラも黙った。

閉じ込められる場所が思いつかない。

ゼルが顔を上げる。


「研究対象として管理する方法もあります。」


「お前に預けるのが一番不安だ。」


ガエンが即答した。

ゼルは少しだけ不満そうだった。


「心外です。」


「全く心外じゃない。」


「否定できません。」


「本人が認めるのか。」


話が進まない。

マイトはぼーっと聞いている。

黒い何かも聞いている。

そして。


「ぼくどうなるの?」


本人が聞いた。

全員が黙る。

それが分からないから困っているのだ。

ガエンがため息を吐いた。


「お前、自分が何なのか本当に分からないのか。」


「うん。」


「親は。」


「知らない。」


「生まれた場所は。」


「暗かった。」


「雑だな。」


「暗かった。」


「いや二回言われても。」


また沈黙。

ナラが小声で言う。


「詰んでない?」


「割と詰んでる。」


ガエンも同意した。

誰も答えを持っていない。

その時だった。

ずっと黙っていたゼノが口を開く。


「ならば。」


全員が見る。

黒髪の青年――人の姿になった竜は静かに腕を組んでいた。


「我が連れて行こう。」


「どこへ?」


ガエンが聞く。

ゼノは当然のように答えた。


「竜の谷だ。」


空気が止まった。

ナラが瞬きを繰り返す。


「は?」


ラーシャも首を傾げる。


「竜の谷?」


「うむ。」


ゼノは頷いた。


「竜族が住む土地だ。」


「それは知ってる。」


ガエンが言う。


「問題はなんでそこなんだ。」


ゼノは黒い何かを見る。

金色の瞳が細くなった。


「気になる。」


「理由それだけか?」


「十分だ。」


全然十分じゃなかった。

だがゼノは珍しく真面目な顔をしていた。


「この存在は異常だ。」


全員が頷く。

それはそうだ。


「生まれたばかりと言いながら古代級の気配を持つ。」


「うむ。」


「死霊を操る。」


「うむ。」


「しかも何なのか本人も分かってない。」


「うむ。」


「つまり。」


ゼノは断言した。


「面白い。」


ガエンが頭を抱えた。


「やっぱりそれか。」


「だが本音だけではない。」


ゼノは続ける。


「竜の谷には古い知識が残っている。」


今度は全員が真面目に聞いた。


「世界が若かった頃の記録もある。」


「へえ。」


ナラが感心する。


「もしかしたら正体が分かるかもしれん。」


それは確かに魅力的だった。

ガエンも考え込む。


「……なるほど。」


ゼルも珍しく賛成した。


「合理的です。」


「だろう。」


「少なくとも現状で最も情報が得られる可能性が高い。」


ラーシャも少し希望を持った顔になる。


「正体が分かれば……。」


「対処法も分かるかもしれない。」


ガエンが言う。

黒い何かは首を傾げた。


「竜の谷。」


「そうだ。」


「楽しい?」


ゼノは少し考えた。


「竜がいる。」


「へえ。」


「たくさんいる。」


「へえ。」


「面白い奴もいる。」


「行く。」


即答だった。

早い。あまりにも早い。

ナラが吹き出した。


「決断力だけはあるね!」


マイトも嬉しそうに頷く。


「じゃあ決まりだね。」


「いや待て。」


ガエンが止める。


「移動距離とか準備とか色々あるだろ。」


「大丈夫だ。」


ゼノが言う。


「我が飛ぶ。」


嫌な予感しかしなかった。

ガエンの顔が引きつる。


「まさか。」


ゼノが笑う。

竜らしい笑みだった。


「ただし一つだけ誓え。人を食わないと。」


黒い何かは首を傾げた。


「食べちゃだめ?」


全員が同時に頷いた。


「だめ。」

「絶対だ。」

「論外です。」

「だめだよ!」

「だめ。」


最後はマイトまで頷いた。

黒い何かは少し考えた。


「じゃあ何食べるの?」


その質問で今度は全員が固まった。


「そういえば。」


ナラが呟く。


「こいつ何食べるの?」


沈黙。


誰も知らない。

本人も知らない。

黒い何かも考え込んだ。


「うーん。」


「分からんのか。」


「分からない。」


「何なら食べたことある。」


「人。」


「却下。」


即答だった。

ガエンは頭痛を堪えるように額を押さえる。


「竜の谷に着くまでに餓死されたら困るぞ。」


「餓死するの?」


「知らん。」


「知らない。」


「本人も知らないのか。」


本当に何も分からなかった。

するとゼノが口を開く。


「とりあえず連れて行けばよい。」


「雑だな。」


「竜族は大体それで何とかする。」


「だから竜族は困るんだ。」


ガエンは即座に言い返した。

だがゼノは気にしない。


「それに。」


金色の瞳が黒い何かを見た。


「我の勘が言っている。」


「嫌な予感しかしない言葉きた。」


ナラが顔を覆う。


「こいつは竜の谷に行くべきだと。」


「勘か。」


「勘だ。」


「根拠は。」


「ない。」


「帰れ。」


「帰らん。」


即答だった。

ゼノは腕を組む。


「だが。」


そこで少しだけ声色が変わる。


「谷の長老達なら何か知っているかもしれん。」


ガエンも黙る。

それは事実だった。

竜族は長命だ。

人間の王国が生まれるより前から生きている者もいる。

世界の裏側に関する知識なら他種族より遥かに多い。

ゼルも頷いた。


「古代の禁忌存在や原初生命に関する記録なら、竜族が最も保有している可能性があります。」


ラーシャが黒い何かを見る。


「あなたも知りたいですか?」


黒い何かは少しだけ考えた。

そして小さく頷いた。


「知りたい。」


初めてだった。

自分のことに興味を示したのは。


「ぼく。」


黒い何かは自分の胸を指差す。


「なんなんだろう。」


その言葉に。

ラーシャの胸が少し痛んだ。

生まれたばかり。

名前もない。

居場所もない。

何者かも分からない。

それはきっと不安なことだ。

ガエンも大きく息を吐いた。


「……分かった。」


全員が見る。


「とりあえず竜の谷だ。」


ナラが歓声を上げた。


「決まったー!」


「やった。」


マイトも拍手した。

ゼルは静かに目を閉じる。

ラーシャも少しだけ笑った。

黒い何かはよく分かっていない顔をしていた。


「決まったの?」


「決まった。」


ガエンが答える。


「お前は竜の谷行きだ。」


「りゅうのたに。」


「そうだ。」


「遠い?」


「遠い。」


「すごく?」


「すごく。」


「へえ。」


特に気にしていなかった。

そしてゼノがゆっくり立ち上がる。


「では出発するか。」


全員で穴の外へ出る。

外は夜になっていた。

空には星が煌めいている。

風が吹き抜ける。

長かった探索の終わりを告げるような静かな風だった。

ゼノは空を見上げる。


「少し離れていろ。」


その一言で全員が後退した。

次の瞬間だった。


ゴォォォォォッ!!


膨大な竜気が噴き上がる。

地面が震える。

木々が揺れる。

ナラが慌ててガエンの肩にしがみついた。


「来る来る来る来る!」


光が溢れる。

人の姿だったゼノの身体が巨大化していく。

腕が前脚へ。

背中から翼が広がる。

そして山ほどもある漆黒の竜が姿を現した。

巨大な翼、黄金の瞳。空気そのものを支配するような圧倒的存在感。

ラーシャが思わず呟く。


「やっぱり大きいですね……」


「我は成長期だからな。」


「そのサイズで?」


「そのサイズで。」


全員が黙った。

竜族の尺度は理解できない。


一方。

黒い何かは。


「おお。」


目を輝かせていた。


「でかい。」


「でかいぞ。」


ゼノも少し誇らしげだった。


「乗るか。」


「乗る。」


即答。

黒い何かはぴょんと跳ねる。

だが当然届かない。

ゼノが巨大な前脚を差し出した。


「足場を使え。」


「親切。」


「我は割と親切だ。」


ガエンは聞こえないふりをした。

黒い何かは前脚をよじ登り、肩を越え、首元へ到達する。

そしてそこに座った。


「高い。」


「落ちるな。」


「落ちたら?」


「拾う。」


「優しい。」


「我は割と優しい。」


「それは違う。」


ガエンが即座に否定した。

ゼノは鼻を鳴らした。

巨大な翼がゆっくり開く。


「では行ってくる。」


「長老達に余計なこと吹き込むなよ。」


「善処する。」


「信用できん。」


「我もだ。」


「自覚あるのか。」


最後までそんな調子だった。

黒い何かが上から手を振る。


「いってきます。」


ナラも元気よく振り返した。


「いってらっしゃーい!」


マイトも手を振る。


「気を付けて。」


「うん。」


その返事の直後。


ドォォォン!!


地面が砕けた。

巨大な翼が一度羽ばたく。

轟風。

砂煙。

木々が大きく揺れる。

そしてゼノは一気に空へ舞い上がった。

黒い影が月明かりの空を横切る。

竜と、名もない存在。

二つの影はどんどん小さくなり。

やがて雲の向こうへ消えていった。


しばらく全員が空を見上げていた。

最初に口を開いたのはナラだった。


「行っちゃったね。」


「ああ。」


ガエンは息を吐く。

なんだか嵐が通り過ぎた後のような気分だった。

ゼルが魔眼を布で隠しながら言う、、


「少なくとも、あれが人里に放置される事態は避けられましたね。」


「それだけでも十分だ。」


ガエンは頷いた。

もしあのまま連れ歩いていたらどうなっていたか。

考えたくもない。


「さて。」


ガエンは手を叩く。


「俺達も戻るぞ。」


「馬車ですね。」


ラーシャが言う。


「今日はここで野営ですか?」


「もう暗いしな。」


全員が山道を引き返し始めた。

しばらく歩くと、街道脇に停めてあった馬車が見えてくる。

馬達はのんびり草を食べていた。

御者は何故か呆然と座っていた。

マイトが真っ先に駆け寄る。


「ただいま。」


御者はゆっくり顔を上げた。


「お、おう……。」


声が震えていた。


「何かありました?」


ラーシャが首を傾げる。

御者は遠くの空を指差した。


「さっき空飛んでいったの……竜だったよな?」


全員が黙った。


「竜だったな。」


ガエンが答える。


「夢じゃないよな?」


「残念ながら現実だ。」


御者は頭を抱えた。


「俺、仕事辞めようかな……。」


「頑張れ。」


ガエンは肩を叩いた。


「人生にはそういう日もある。」


「ねえよ!!」


珍しく御者が全力でツッコんだ。

その日の野営地は街道沿いの開けた場所になった。

火が焚かれる。

鍋には簡単なスープ。

馬達も落ち着いている。

長かった探索の疲れもあり、全員どこか気が抜けていた。

パチパチと薪が爆ぜる。

しばらく無言で食事を続けた後。

ナラがぽつりと言った。


「結局さ。」


「なんだ。」


「何だったんだろうね、あの子。」


ガエンは木の器を置く。


「分からん。」


「死霊の集合体を食べて成長する謎の存在。」


ゼルが淡々と整理する。


「知識欲旺盛。」


「悪意はなさそうでした。」


ラーシャも続ける。


「でも危険。」


ガエンが即答した。

全員が頷いた。

危険なのは間違いない。

本人に悪意がなくてもだ。

あの死霊の群れを餌として認識していた時点で普通ではない。

マイトだけが少し考え込んでいた。


「でも。」


「ん?」


「寂しそうだった。」


静かになる。

ラーシャが小さく目を伏せた。


「そうですね。」


名前もない。

過去もない。

自分が何者かも分からない。

不安だっただろう。

ナラは空を見上げた。


「長老さん達が何か知ってるといいな。」


「知っていたとしても。」


ゼルが本を閉じる。


「知らない方が幸せだった、という可能性もあります。」


その言葉に少し空気が重くなった。

ガエンは薪を放り込む。

火が大きくなる。


「どっちにしろ。」


低い声だった。


「知らないままよりはいい。」


全員が頷いた。

真実が良いものとは限らない。

だが知らないまま生きるのも辛い。

あの黒い何かには知る権利がある。

そんな話をしながら夜は更けていった。

やがて見張りを交代しながら眠りにつく。

山の夜は静かだった。

死霊の気配もない。

竜の咆哮も聞こえない。

久しぶりに穏やかな夜だった。

そして翌朝。

朝日が山々を照らす。

冷たい空気の中で全員が起き出した。


馬車の準備。

荷物の確認。

馬への給餌。


慣れた作業が淡々と進む。

ガエンが地図を広げた。


「ここから南東へ進む。」


指先が目的地を叩く。


「司法国家サイヴァーンまであと数日だ。」


ナラが伸びをする。


「やっと山越え終わるー。」


「まだ終わってませんよ。」


ラーシャが苦笑した。


「あと少しです。」


「あと少しが長いんだよー。」


そんな会話をしながら全員が馬車へ乗り込む。

御者が手綱を握る。

馬車がゆっくり動き出した。

ゴトゴトと車輪が鳴る。

街道を進む一行。

その車内では予想通りというべきか。

ゼル=グラードは既に本を開いていた。

分厚い古代魔術書。

難解な文字が並んでいる。

周囲の会話など聞こえていない。

ページをめくる音だけが一定のリズムで響く。

ナラが呆れた顔をする。


「ねえ。」


反応なし。


「ゼル。」


反応なし。


「ゼールー。」


反応なし。

ガエンが本を閉じた。


パタン。


ゼルが顔を上げる。


「何でしょう。」


「聞こえてただろ。」


「聞こえていました。」


「返事しろ。」


「必要性を感じませんでした。」


ガエンが額を押さえた。

ナラが笑う。


「いつも通りだね。」


ゼルは何事もなかったように再び本を開いた。

ラーシャも少し笑う。

平和だった。少なくとも今は。

死霊の群れも。

謎の存在も。

巨大な竜もいない。

ただ馬車が進む。

司法国家サイヴァーンへ向かって。


その頃。

遥か遠い空の彼方では。

漆黒の竜が雲海を突き抜けながら飛翔していた。

その首元では黒い何かが目を輝かせていた。


「すごい。」


「そうだろう。」


「世界が小さい。」


「高いからな。」


「楽しい。」


ゼノは少しだけ笑った。

そして前方を見据える。

遥か彼方。

雲の向こう。

竜の谷が近づいていた。


◇◇◇◇◇◇◇◇◇


それから数日。

馬車は山岳地帯を抜け、整備された広い街道を進んでいた。

揺れは以前よりずっと少ない。

御者は心なしか元気を取り戻していた。

もっとも。


「そういえば。」


マイトが干し肉を齧りながら言った。


「御者さん。」


「なんだ。」


「最近は竜見てない?」


御者は真顔になった。


「見たくない。」


即答だった。


「もう一生分見た。」


「そっか。」


「そっかじゃねえ。」


ガエンが吹き出した。

ナラは座席の上でごろごろ転がっている。


「平和だねー。」


「そうですね。」


ラーシャも頷いた。


「最近は何も起きていません。」


「それが普通なんだ。」


ガエンが言う。


「むしろ今までが異常だった。」


「死霊の集合体。」


ナラが指を折る。


「謎の穴。」


もう一本折る。


「黒い何か。」


さらに一本。


「竜。」


「異常だな。」


ガエンが頷く。


「全部数日の出来事とは思えん。」


「でも面白かった。」


マイトが笑う。


「面白くはない。」


ガエンが即座に否定した。


「俺は二度とごめんだ。」


「ガエンは心配性。」


「お前が能天気すぎるんだ。」


いつものやり取りだった。

ラーシャは小さく笑う。

最近は少しだけ表情が柔らかくなっていた。

以前なら「全部私のせいかもしれません」と落ち込んでいた場面でも、今はこうして笑えている。

ナラがそれに気付いてにやりとした。


「ラーシャ。」


「はい?」


「最近ちょっと元気になった?」


ラーシャはきょとんとした。


「そうでしょうか。」


「そうだよ。」


「自覚ありません。」


「あるある。」


ナラが断言する。


「前は一日三回くらい世界滅亡を心配してた。」


「そんなにしてません。」


「してた。」


「してません。」


「してた。」


「してません!」


珍しく強めに否定した。

その様子を見てガエンが笑う。

マイトも笑う。

ナラはさらに笑う。

ラーシャだけが不思議そうな顔をしていた。

そんな穏やかな時間が流れる。

馬車は進む。街道は広くなっていくと旅人の数も増えてきた。

商人の隊商、巡礼者、冒険者、兵士。

南へ行く者、北へ行く者。

様々な人々が行き交っていた。


そして昼過ぎ。

御者が突然声を上げた。


「見えたぞ!」


全員が顔を上げる。

ゼルだけは本を読んでいた。

ガエンが窓の外を見る。

その瞬間。


「……おお。」


思わず声が漏れた。

遠く。

地平線の彼方。

巨大な灰色の壁が見えていた。

まるで山脈のようだった。

果てしなく長い城壁。

その中央には巨大な門。

何十メートルあるのか分からないほど高い。

さらに壁の上には無数の見張り塔が並んでいる。

旗が風にはためいていた。

白と青。

司法国家サイヴァーンの紋章。

ナラが窓に張り付く。


「でっか!!」


「想像以上ですね……。」


ラーシャも目を丸くした。

ガエンは腕を組む。


「相変わらず馬鹿みたいな規模だな。」


司法国家サイヴァーン。

法と秩序を重んじる巨大国家。

世界最大級の裁判機関を持ち、多くの国々の紛争仲裁まで行うことで知られている。

その中心都市を守る城壁は有名だった。


戦争。

魔物の大侵攻。

竜害。


数百年に渡るあらゆる脅威を退けてきたと言われている。

マイトは目を輝かせていた。


「すごい。」


子供みたいな感想だった。


「登れるかな。」


「やめろ。」


ガエンが即答する。


「絶対やめろ。」


「怒られる?」


「捕まる。」


「そっか。」


ナラが笑い転げた。

その時だった。

ずっと本を読んでいたゼルが不意にページを閉じる。


パタン。


全員がそちらを見る。

ゼルは窓の外を見つめていた。

紫色の瞳が僅かに細まる。


「久しぶりですね。」


静かな声だった。

ガエンが眉を上げる。


「来たことがあるのか。」


「あります。」


「罪人として?」


「研究者として。」


全員が少し驚いた。

ゼルは淡々と続ける。


「昔はよく図書館を利用していました。」


「図書館?」


ナラが首を傾げる。

ゼルは頷く。


「サイヴァーン中央大書庫。」


その口調に珍しく感情が混じった。


「素晴らしい施設です。」


ガエン達は顔を見合わせた。

ゼルが褒める。

それだけで相当な施設だと分かる。

そして馬車は進む。

巨大な壁は少しずつ大きくなる。

門も近付いてくる。

無数の人々が列を作り、入国審査を待っていた。


司法国家サイヴァーン。


運動会のスポンサー獲得。

罪人ゼルの移送。

そして竜の谷へ向かったゼノと黒い何かの謎。

様々な思惑を抱えながら一行はついに巨大国家の玄関口へと辿り着こうとしていた。

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